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こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.1 こぐれ日録521 2007 1/22〜1/28
『緑の光線』が女性の孤独を描いたものだったが、まず内容的には男性の転落を感情移入などさせない形で突き放して描いているなあと感じた。それは『満月の夜』の孤独とつながり、みずからの星座にからむ金星を鉄砲でうったり、ルンペンという言葉を自分とは別世界の蔑称として意識せず口にしていたり、教訓劇としての様相も、お説教くさくはないのだが、感じることさえできる。 後半、道化芝居、まちかど寸劇のルーツかも知れないような浮浪者による大道芸があるのだが、それも含めて、フランス古典演劇とロメール映画の密接なつながり、ロメールの演劇に対する深い理解を感じさせるものだった。そうはいいながら、現代音楽の作曲家(自称)が主人公なのだが、流し(路上の)バイオリン弾きのおじいさんに親切にしてバイオリンを借りることとか、はじめのぬか喜びバーティに、若きゴダールが音楽愛好家としてベートーベンの弦楽四重奏曲(第15番だそうだ)の部分を何度もレコードで聞いていたり、音楽の使い方もなかなかその比重は大きい。 夜のパリが示されたり、俯瞰図になったり、星座まで飛んでいったりするので、パリ好きにもぴったりで、ポンヌフはじめふるい橋とセーヌ川の遊覧船、河あそび、カップルの開放感、幸せな家族と犬。その犬よりもみじめな主人公・・・おお、ポンヌフの恋人という映画とかもその流れにあるとも言えそうだ。男性が主人公という映画がロメール映画のはじめというのはじつに意外だったが、この寂しさがはじまりにあったというのは、モノクロームということもあって、重く深い気持ちにもなった。 あと、アメリカンがパリに来て学び定着している役者が演じていることもあって、アメリカ(ブラジルにも農園を叔母が持っていたりもする)というニュアンスにも意味は生じる感じがする。浮浪者道化は主人公をバロンと呼んでいたし(体格のいいのは恵まれている証拠)、アメリカ批評が直接でるわけはないが、ゴダールとかそのほかの人たちの細く華奢な感じとアメリカ大陸の野暮ったく力が余った筋肉との対比が映像的には強く出ていて、パリ祭での疎外感はそれまでなかったことがおかしいようにも思える(アメリカ人は調子のいいときだけはつきあってもいいけれど、お金がなくなっちゃったら意味ゼロよといっているのかしらとも頭をかすめた)。 出かける前に、文化経済学会<日本>へ論文を応募しようとして、応募のための400字要旨を書く。 生協で合宿の予約をしてから、発表しにくる。彼女の雑貨論は文化社会学の講義のなかのパーソンズを援用したのち、神戸元町でのアンケートとヒアリングを3回生の夏休みにしていたこともあり、もちろん、京都の雑貨屋をずいぶん丹念に調べていた(というよりも愛好してきた)ので、なかなか味のあるものになっていた。おっとりとしたしゃべり方は変わらないのだが、4回生で福祉関係の資格もとり就職もそういう方面ということもあって、上がっているのに、けっこうやさしい配慮が出てきて、やっぱり卒業前の学生の成長ぶりにほれぼれ。 まあ、もともと、彼女は、100%ORANGEさんのイラストコンクールとトークショーの司会を一人でして、そのまえの看板づくりなどいろいろした学生だし(他の学生たちも積極的だった。いまもかなりそうだが)、十分に京都橘大学文化政策アーツマネジメント(1回生ゼミをその当時は「リボンゼミ」と呼んでいた)のスローカルチャー風土を体現してきたなあとしみじみ。 3回生のうち3名がめずらしくわたしの研究室に入り浸っている。一人は論文さがし(3/3の発表もあって)、一人は「20世紀少年」に夢中(どんちゃんが18〜20巻を借りたままになっていて、きっと今度のフルベース公演が終わるまでは無理だよというとショックを受けていた)。もう一人はオルガンで、ニ長調を半音下げることに格闘していた。 おなかがすいたというので、マンダリンカフェで彼女たちは夕食。350円のビーフシチューとかポークステーとか。土曜日にTAM研の連中が前者の話をしていたので、ちょっと興味津々に見ていた。とてもにぎわっているカフェ。さいきん昼の売り上げも増加しているようだ。メニューづくりが大変そうで、わたしは、無添加てづくりの各種お漬物を自由に選んで皿に盛り、白いご飯(オプションで混ぜご飯)に雑魚と味噌汁ぐらいで食べるのがいいなあとか話している。
絵画2年の川島温子さんが終了後、食堂のうしろのGALLERY SUKIKATTEで個展をしているので見てください、とフライヤーを差し出すので、のぞく。ぽつんと建っているギャラリーなのだが、手作りぽくていいスペース感。『明日のすること』。自分の顔なのだが、ガラスに押し付けたりダブっていたり。そのなかに、シャボンで泡立っている顔が3枚ほどあって、これは直前に見た「後醍醐天皇が泡立たない」という夢の話とどうしてもダブルっておかしくて仕方がない。セルフマネジメントが基本だろうが、友達同士手伝いあえば、身近なアーツマネジメントがこうして展開できる。そういう場所を作っているなあ、いいなあ、と思って帰る。 かえってまたゴダール。1960年、84分の『小さな兵隊』。こちらは初めて観たと思うが、観るのがたぶん3度目になるはずの『女と男の舗道』ほどは、豊かな気持ちにはならないで(いまだに哲学者の言葉などはじめて聴くように聴いていたし)、ついぼーとしているとFINになっていた。でも、パウル・クレーがはじめのほうはスイスということもあって言及されるし、ジュネーブってこういう町なのかとか、それなりに面白かったし、アンナ・カリーナがはじめてゴダール映画に出会ったその瞬間があるようにも思え、長髪でもあるし、どこかお互いがぎこちない恋のはじめのような苦さが映画の縁から味わえるところもあった。 あと、ダンス的にみても、アンナ・カリーナのダンスシーンは、『女と男の舗道』では腕が思わず上がるほどジャズ的な挑発がプールバーに渦巻くのだが、『小さな兵隊』では撮影のときにハイドンが流れて踊るという短いもの。でも、どちらもそこシークエンスだけがぽっかりと心を浮かせる働きがあり、あえていえば、これがゴダール的ミュージカルなのだろう。 昨日のことだが、3回生ゼミのとき、就職のための企業ブースがけっこう今年はうちの大学でも出来ることになり、だが、学生が知らない企業がけっこうあって(私ももちろん知らないのだが)、それは、だいたい対事業所サービスであったり卸売りだったりするので、そういう事業所向けの企業は一般の消費者である私たちは知らないのだけれど、必要不可欠で重要な産業セクターなのだという話をして、その例として株式会社エイラクヤを挙げてみた。 じつは、ちょっと憶測なのだが、手ぬぐいというのは、何かの記念とかに商店や会社が大量に発注することが多いものだったように思っていて(いまもカンバセーションからお正月にいただく手ぬぐいは重宝している)、だから対事業所企業の色彩が強かったのだろうと推測していて、でもそれがいま、がらっとかわって(そういう企業ぐるみのグッズ戦略需要は少なくなっていて)、だから、株式会社エイラクヤでは四条通など、観光客が多いところにそれも3種類も店舗をセグメントして展開しているのだ、と、たまたまこの前はじめてRAAKで買った手ぬぐいを頭に巻いていたので、それを例に話をしたのだった。
こんどわたしのゼミになるという学生さんからのメール。これも今日しか対応できない。 少し私のこれからの予定を書いておこう。 1/25(木) 14〜16 豊中市ジョイフルビル清家楽器にてトーク 文化創造都市フォーラム関係 1/27(土) 15:00 春秋座 長岡京アンサンブル鑑賞 1/28(日) 15:00 アートコンプレックス1928 バニラ観劇 1/29(月) 9:30〜12:00 東部文化会館 子どもの文化フォーラム準備委員会 1/30(火) 成績処理をすませて、午後、ボーダレスアートギャラリーNO-MA そのあとは未定だがだいたいこんな感じかな。 1/31,2/1,2/2 入試業務で不在
インターンシップでは、さきらが新規にやっていただけそうなのだというと競争があるのですか?と心配そう。まあ、そんなに応募はないはずだけれど・・・。少しは競争があるのも現実だしいい勉強なのだが・・・。そうそう、京都芸術センターのインターンシップは確かに競争にいつもなる、と話すと京都芸術センターも知らなかった。もちろん、東山青少年活動センターも知らない。 知らないということを知っただけでもいいし、すぐにでも行こうという感じなので嬉しい。 今日は、阪急豊中駅であった(仮)豊中音楽・文化創造都市フォーラム準備会(2回目)の会合に呼ばれて2時間ほど話したり話し合いを聞いていたりした。豊中駅に降りたのははじめてだったので、少し早く行って、豊中稲荷神社(お神輿が収納されていた)やその横の公園を見たり、シックな住宅街を眺めたりしてから、ベトナム料理店に入る。ロータス・オブ・ハノイのいうお店で、特に鶏肉のフォーはきし麺みたいな感じで実にさっぱりして(少し日本風になっているかも)いいスープだった。 いずこも同じく駅前の商店街(銀座商店街)はシャッターが下りていて、空き店舗対策の一環でもあるのだろう、B-FLATという学びとやすらぎの教室を帰り、コーディネーターの山本さんたちと一緒に入る。ネイルアートだったかな、今日は。小さい子どもさんに音楽の楽しみを伝えることなどいろいろ市民にアーティストやファシリテーターを紹介する場所となっていて、さらに、アーティストが市民にどう向かったらいいかを実践しながら育っていく場所にもなっている。 B-FLATが委託販売していた手作りのクッキーを買って帰ったが、じつに美味しかった。きょうは、とりあえず、豊中は美味しいということかな。そうそう、会合の場所、清家楽器さんのフロアーには、はなちゃんと呼ばれるわんちゃんがいて、柴犬かな?じつにおとなしくてかわいい。すぐになついてくれたからだけれど。いぬがいる楽器屋さんというのもまたいい。住宅地だからだろう。そうそう、会合に魚屋さんもいたが、夕方は忙しいということで帰っていった。
さきらの広場、土日はいつもにぎやかなのはいいのだが、そのたびにスタッフがマンションのポストにお知らせのチラシを入れていくのだそうだ。ボランタリーなかたちでいろいろと次年度から学生がかかわるケースが出てきそうなので、ゼミのはじめあたりとか、芸術鑑賞演習あたりでさきらを取り上げておくことが大事だろう。もちろん、アーツセンターを学生はほとんど知らないのでまず具体例からはじめる授業にしたほうがいいな、新年度は。音響や照明などステージ技術に触れる機会もできるかも知れない。文化事業、文化政策の外部評価については、それ自体まだまだ手探りだろうが、さらに、指定管理者制度になってどういう形がいいのか、これも新しい課題。 山科駅下車。大学に寄ろうかと思ったが、結局やめる。山科三条商店会、みな丼でカレー丼550円。小皿がいっぱいついていてうれしい。京都新聞に去年これが紹介されたようだが、確かに和風でやさしい味。お店の奥さんに現代GPで作った冊子をおいていただいていたのでお礼を言うと逆に丁寧にお礼を返される。角のコトブキでシュークリームを買って少しほっとになった口の中を鎮める。 JRの昼特切符を通りで買って(820円が510円になる)、大阪駅。ヨドバシカメラでビデオカメラを眺める。まったく購入したことも使ったこともないので、何がいいのか分からない。ネットで見ていると日立のハイブリッドカム(DVD+HDD)がいいかなあと思っていたが、ソニーやキャノンなどのパンフレットももらっておく。10万円弱という価格は中途半端か? MBS毎日放送の前を通ると人だかり。ちょうど昼下がりの放送でポップコーンが爆発していた。ガードを超えると中崎町。がらっと空気は長屋風に。あんまりぶらつかずにでもきょろきょろ面白い建物を見て(マグナム商会という店で表を見ていたおじいさんはじつにいいお顔)、iTohenへ。 この(ギャラリーカフェでもある)iTohenで売っていた『ブックカフェものがたり』(矢部智子他、幻戯書房、2005)にここも紹介されていたが、なるほどブックカフェというのは新しい書物を売る場所になるのだろうなあ、電子書籍は増えると書物はますますグッズ化、デザイン的モノ化するからと思いつつ、有機コーヒーを注文。「飲食店の原価は三割」(p156)以下というわけで、コーヒーだけを飲むのではなく、このお店に置かれている本、はじめて出会うような洋書・画集、雑誌、個人出版モノをみたり、今日のように展覧会目的で来たりするのである。 さて、案内のあった第二回吉月会、2007しんしゅん。デザイン=スカイ。「お元気ですか?おひげのびて てびっくりしました。」。吉行洋子とつき山いくよによる2人展 1+1=2じゃない2人展。http://www.skky.info。 まず座ったテーブルのそばの壁に「KURAKU」のもともとのぺらぺら本とそれを映像化しているブースがあって音楽(よくきく音楽なのに題名がわからない)が流れていてBGBの歌と微妙に二重唱しているのがちょっとだけ変かなと思いつつ、苦が楽になる文字の絵化というつき山いくよの最近のこだわりなのだろう、そういう場面に見とれる。奥のギャラリーにも文字のスケッチがあって、「礎」という字が分解されて多くの意味を流動化させていたりする。 そのうちにつき山さんが来て、玄関の展示をみたかしらというので、じつは観ていなかったなあとまた観る。表から見るようになっていて、おくまで見通せる。新春ということもあり、4,5日じっくり展示に時間をかけて、おいてみて、また動かしたりしたのだそうで、スローエキシビションそのもの。どこから眺められるかということがカフェギャラリーではじつに多様で、それは美術館とか画廊とかとはまったく違うところ。おトイレにいく小さな空間に二人の作品がペアにあって、最近は白い世界の吉行洋子にあっては、むかしのもので彩色がある人物、その吉行先生に習ったつき山さんは同じように腕を伸ばして鳳凰となってはばたこうとしているが、そんなにえらそうな鳳凰ではなく、いい感じでペアである。 感心したのは、ギャラリーの配置で確かにごちゃごちゃしてもいないし、逆にさびしくもなく、また、どちらかが圧倒しているのでもないが、それぞれの空気感は保たれているという絶妙の配置。 不器用なボートというのは、ボートそのものが不器用な格好をしていて進むのが不器用なのか、それとも、ボートをこぐ人の腕とか何かが不器用なのかな?とか、おじさんが妊娠するというのは、おじさんだって妊娠したいし、妊娠してもいいんじゃないかというおじさんへの応援歌かも知れない、2万円、買おうか迷うけれど、どこにおこうかと思って、つい、冊子だけを購入しておく。ねずみが入場して間がない穏やかなアイロニーとか、来る球を打つ姿勢はこれは大学のキャンパスに前向きでいいぞとかちょっとそういう気持ちになるのは、ここが本を買う場所だからで、そういえば、みんな腕に特徴があって、その腕の延長にボートの橙色のオールもあったりする。 腕を挙げる、腕とともに体がそる。それは吉行洋子の白いオブジェも同じで〜思い切り体をそって歌を歌う女〜、そういう響き合いを観ていると飽きない。本を読みコーヒーを飲み、知り合いに挨拶し、ビデオのパンフを見ているうちにその相談すればよかった知り合いは帰っていて、つき山さんと、彼女たちがやっている紙芝居の制作のお手伝いを学生さんはやってくれるかしらと聞かれて、たぶん、みんな乗りのりになるはずだけれど、一度つき山さんの作品とか人柄とかそういう部分に触れておくとじつにいいのではないかというと、考えておこうというふうだった。一緒にやっている人のおめでたとの関係とかいろいろあって、春ごろには動くことになるかも。ゼミ生にはこういう実践的で素敵でしかもこれからの先駆的なプロジェクトをぜひ紹介したいと思っているし、ヌーボー紙芝居(紙芝居は男か女か分からないが)のネットワークも楽しそうだし。 もっとのんびりしてもよかったのに、伊丹駅に早く着いて、ダイヤモンドシティをうろうろ。網野史学を読書。AI・HALL、桃園会第32回公演『月ト象ノ庭、或いは宵の鳥、三羽』作・演出:深津篤史、19:35〜21:22。ちょっとのところで帰りの電車に乗り遅れる。終演後開くドアから出ればよかった。 第一話〜月灯の瞬き「月」も2002年に名古屋で初演されていたもののようだが、螻蛄と洗濯機の音づかいが面白い。日常生活とバーのお客。心理劇。うたは知らなかった。ひげを生やしたマスター(失業中。紀伊川淳)が、坂手洋二さんによく似ていてびっくり、態度が煮えきれないこういう感じの男(どうしてか理由なくもてる)の味が出ている。 マスターと一緒に住んでいるのに相手にされていない女の悲しさみたいなのが、最後に出ていたな。つまり、マスターが好きで小説家の卵の告白にもなびかなかった若い女が残したタバコ(マスターが買ってきてやったものだということを同棲している女はもちろん強く意識している)を捨てるところなのだが、こういういやらしいまでの冷たさが桃園会、というか深津作品の持ち味で、難解よりも冷酷をつきつめてほしいと見ながら思う。 第二話〜コイナカデアル「象」は京都芸術センターで見ていて、04年、リージョナルシアターで全国をめぐっていたものだが、深津篤史の演出ではなかったので(飛ぶ劇場の泊さん)、こうして連続してみると岸田国士作品を見るようで興味深い(今度また岸田作品を演出するようだし)。オッペルと象の結末をそういえば忘れていたと思った。なんだかもっと悲劇だったような気がしていた。 靴をはかすことは家にしばるのか家から外に出ることの比喩なのか、これはかなりささいな形をとりつつ直喩的な切り結び。あと、象といえば別役実と演劇的にはなるが、それとはあまり関係がないだろう。妻が出した転居はがきにある靴を履いた象。靴と象は、第一話で靴男が出てきて、たまたまだろうがつながると思うし、第一話の月と象はオッペル的にはかなり近しい表情だなあと思う。 第三話〜夜毎の鳩。宇宙人の家族にまぎれこんだ私の話。新作。腕を同時に挙げる振付が面白い。鯵を屋上で干しているのも日常なのに微妙に軸心がぶれていて、そのずれとぶれがぶっとんでいないだけに、かぐや姫なのかしらと月つながりで思ったり、象ではなく蛇なのだけれど、蛇をギリシャ宮殿のなかに飼っていてかなり巫女に交尾したり生贄の血なまぐさい臭いがしていたことを思い出したりして、その屋上のなにげない風景を見ていた。
京都芸術劇場「春秋座」。長岡京室内アンサンブル。 つまびきばかりのヴィヴァルディのマンドリン協奏曲ハ長調も気持ちよく、石橋敬三というマンドリン弾き(京大に入ってマンドリンを弾き始めて、いま5年目という)は、長身で男前だけれど場慣れた感じがなく初々しくすてき。自分の作曲作品は、とくに後半は、まあこれだけ弾けますみたいなだった気がしたけれど(マンドリン自体がだれでもアーツ的手軽さがある)、京大のアマチュアリズム的(かつ自由気まま)なアーツへの取り組みというのは、関西の財産だなあと、夜の劇団衛星の公演を見ながらも再確認したわけだ。 後半は珍しいベートーヴェンの弦楽五重奏曲ハ長調(やけに長く、もう少し早く弾いてもいいんじゃないかなあ)と、ミヨーの弦楽五重奏曲第2番。あんまり聴かないのでほどほどに面白く、アンコールが二つもあったのはお徳な感じだった。 小腹がすいたので、豚丼を食べて東山青少年活動センターへ。 まあ、一番面白いのは、当日の出演者はその日の出来次第というところだろうか。一軍と二軍の入れ替えとかファーム試合とか、公開ゲネプロはオープン試合といったり、フルベースなのでフルにベースボールに演劇を当てはめている。でも、きちんとしたエンタテインメント演劇であることは保証済みで、かつ、野球を見てみようかな?と思わせる教養的な娯楽作品にもなっている。 草野球の面白さは、町内会的商店街的キャラクターで、見ながら、この前ユリイカで特集していた松本大洋の『花男』を想起されてくれるのだけれど、ぜひ、ファック・ジャパンさんなど花男としても十分にやれるのではないかと思ったりもし、でも、今回は元衛星の田中遊の魅力がダントツで、あとは、高校生とか心臓が悪い女の子のパジャマ姿萌えとか、そのお姉さんはじめ看護師コスプレ萌えとか、いろいろなフェチ的な吸引力満載で、そういう巷カルチャー的面白さをいかに伝えるのかしら、わたしには出来ないけれど、きっと、漫画とかゲームとかに詳しい人ならもっと面白いのかしらねえとか思って観ている。 あとどうでもいいことだが、蓮行さんが中日ファンということがあって、シンポジウムに出る京都ファイアーバーズの元マネージャーも中日ファンらしくて、だからキャッチャー名が出るときもまっさきに谷繁の名前が出ていたりして、中日もそろそろ次のキャッチャーを育てなくちゃとか、ついペナントレースのことを思ったりもする。28日はうちの中村みどりも出るようで、観れずに残念だったが、インタビュアか高校生アナウンサーとかになるのだろう。
おなじくおととい、iTohenで購入した「NEW TITLE TSUKIYAMA Ikuyo」(メイドインタイランド)は、「メールタイトルのほそ長い空欄に射すあたらしい光」の小冊子で、メールだけではなくブログでも「タイトル」があって、そうそう、mixi日記でもタイトルがいいなあとおもうのがある。 だけれど、そのメールのタイトルって、日常のなかでは、あってもいいが、まあ、そんなにこらなくてもよく、なかってもいいのだが、そういう軽い感じだけに、そのひとの何気ない才能とか個性とか思惑なのが垣間見られるのだよなあ・・・というようなことを、やまむらみつはるという人やスカイの角谷慶という人(最初は嫌がらせか?と思ったそうです)がつき山さんのメールタイトルを眺めながらその集積をあたらめて見て思って本というアートの形になったもので、ここには、限界芸術としてのメールというのが広大に現存しているわけ。 で、そのなかでもメールタイトルというタグ(記号)のような微細なものに着目して、そこにアーツの先端的な兆しを見るということがあるので、まだ、ちょっと整理できていないのだが、じぶんのなかで大切に面白がれる種だと思ってこうして広げている。以下の引用はぴらっと開いたタイトルからの抜粋(「迷える小さくない羊」にはおもわず微笑む): 昨夜ビデオで撮っていた「スロースタート」前編を全部見る。昨日途中から見ていて、どこにもファックジャパンさんがいないよ〜と思っていたので、心してみたら、ちゃんと画面に出ていた。Fジャパンとして。 15時からアートコンプレックス1928で東京のコメディを見る。大阪芸術創造館で公演されてからのもので、そのあと、下北沢「劇」小劇場。『バニラ』JOE Company Another Play 3。90分弱。6つのパートに分かれているがつながっている。作・演出・出演小野寺丈。親戚ではないらしいが、小野寺昭が出演することもあって年配の方々多し。三浦浩一53歳を見て、麻生太郎に似ているなあとか思いながら気楽に見る。岡元あつこという女優さんが、ちょっと夏木マリみたいに化けると面白いなあ・・・最後の挨拶にお世話になった人びとを丁寧に言ったり、抱負を長く述べたのは、関西ではまず見られない風景。わたしの近くに、名前の出ていた小原啓渡さんも座っていた。 同時代ギャラリーでは、ピンホールカメラでお寺の石仏やお花を撮っている写真展があって、年配の人だった。大塚努写真展―針孔から覗いた仏教信仰の世界―。 ベトナムからの笑い声、21回目公演、ストロングボーズ。作・出演:黒川猛ほか。演出欄がない(みんな?)。今回はオムニバス公演の集大成ということもあって、じつに充実していた。ACT3はゲストがこの回だけのスペシャルで小屋の方や福岡のおやじさんまで神妙にベトナム化していて、なかなかにシュールにおかしかった。プラスワンジョーカーは静かなものだが、語り芸として洗練されていたし、ゴレンジャーは公務員のわびしさ、それは30歳ぐらいにもなって演劇をしていることへの自己言及でもあるのだろうが、ふつふつとしたリストラの現実を嘆くでもなくたたき合い笑いのめしていた。 |