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こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.1 こぐれ日録522 2007 1/29〜2/4
午前中は東部文化会館で、5/27(日)に行う「第3回子どもの文化フォーラム」のための実行委員会。9時半にはじまって12時をまわる(頭はまわらない)。去年は「川」を中心とした自然と子どもがテーマだったが、今年は、福祉と子どもが大きなテーマ。 フォーラムが1日だけになったことで、子どもと福祉の懇談会が終わったあと、15時からは人形劇がある(午前中には人形作りワークショップも予定している)。去年までは京都橘大学生が「子どものブース」などを手伝ったり紙芝居をしたりしても、お値段の関係で見れなかったが、まず、ワンコイン(予定)で見られるようになり、かつ、これはこれからの調整だが、きちんと事前のプログラムづくりなどを積極的にボランティアしてくれるようになれば(専門ゼミではそうする予定)、スタッフ扱いとなるということなので、ぜひ、5/27をまずゼミの日に振り替えて取り組むことにしようと思う。もちろん、文化政策ばかりではなく、児童教育学科の参加もぜひお願いしていかなくちゃいけない。 館長がキャッチフレーズを考えてくださいと私に言われるが、ぜんぜん出てこない。「まち育て」、「まち育ち」、・・・。子どもをまちが育てつつ、子どもたちがまちに出ることで、まちに息吹が戻ってくる。コピーがつくれない。子どもとまちの育てあい、ハミングするまち育て、安全と冒険のまち育て、街っ子のまちそだて、町っこのまち育て・・・。 夜は、1回生ゼミの打ち上げ。なごみ。
自治省の同期(16名)の一人Tが亡くなったと電話があった。最後のほうはどこか影が薄かったけれど、大学の教養時代も同じクラスだったし、いいやつだったなあと、冥福を祈り、芳江にお願いして弔電してもらう。確か広島出身。4人目か。一番初めは、K県から帰ってきて山手線に飛び込んだ(奥さんはそう思いなくないと当時言っていたようだが)Kくん、2番目のMくんも自死で(首を吊っていた)、3番目の国会議員になっていたNくんはガン。今日聞いたTくんの死因は聞かなかったが、病気だろう、たぶん。 昼間、暖かい。近江八幡でバスに乗ると、平和堂で買い物をして帰るおばあさん二人が、博労町で火事が昨日あったという話をしていた。ボーダレスアートギャラリーNO-MAへ。門が広々。門の前に、すでに金沢健一のオクターブが鳴り分けられる鉄のオブジェが、二組。撥も置いてある。帰り、ずいぶん鳴らしていたら、小学生たちが少し気にしながら、でもずんずん歩いていく。わたしと同じ関心ごとだった。実は博労町というのは、NO-MAのすぐそこで、火の粉もかぶったのではないかということ。休館日だったし危なかった。事業団のSさんが飛んできたものを拾っている。 夫婦でやっていた印刷工場。夫の方が亡くなったという。焼け跡をこうして観るのははじめてに近い。小学校の頃、大きな火事があってそのとき見たという記憶があるが、内容は覚えていない。ただ、そのとき嗅いだ臭いだけがよみがえる。確かにこういう臭いだった。隣に謹告。お葬式の通知書きである。今日は二つの死の通知。一人は知り合いで一人は知らない人。でも、まったく他人事ではなく、なんだかあっけない感じがして呆然となる。火事で焼けた遺体の処理はどうしているのだろうか。事件による葬送というのは、自分らしい葬式、生前準備という話とは対極にある。地域が不慮の事故にどうバッファーとして働くのか。博労町を歩いていると、男性たちが葬式の段取りについて話していた。 さて、NO-MAに戻ろう。27日からの『ウチナル音〜身体音からの造形』。耳と目、体で受け止めるアーツ体験である。全国公募で広島県福山市(福山六方学園)のクシノノブマサさんが選ばれて、基本コンセプトはそのままに、でも、はたさんや藤本さんはじめ、いろんな人の意見を柔軟に取り入れて、予想以上に静謐で気持ちのいい展覧会を開催してくれたなあというのが、大まかな感想である。 耳が敏感になるので、NO-MAの空調の音、特に裏の機械音がやけに響いてくる。金沢健一の鉄の厚さの違いによる作品に、いろいろな種類の玉や胡桃などを落として、音を聞き分ける。ピンポンが飛び跳ねる。音が粒だって来て、皮膚で感じるようになるのに数分かかる。もう、NO-MAのウチナル状態と自分の皮膚の感覚がシームレスになってくる。 ドアを開けて倉へ。小川由文の映像が飛び込んでくる。加工したものもあるが、日常の動きをそのままビデオカメラに収めたものもあって、長いすの裏を進むダンスとか、お風呂で水中ダンスするシーンとか、それがダンスそのものかどうかという詮議とは無関係に、日常にある風景、身体動作のヌードな世界を目の当たりにしている。部屋の畳が傷んでいて、彼が踊っているあいだ、あんまり関係ないよという感じで座っていたりしている他のメンバーの姿も印象的だ。 何度も書いているが、未開拓で考えがうまくまとまらないまま模索しているアウトサイダーパフォーミングアーツ領域についての重要な記録である。風船を頭につけているのは、少し映像で反復して観ていると痛々しい感じとか哀愁とかを感じてしまうこともあり、ステージ上で証明のもと、注目されて見られているという部分とは別の観点、彼がどこまで自覚的なのか、かってに取り巻きとか私たち鑑賞者が喜んだり解釈しているだけではないか、美術製作のための刺激にしているだけにならないように気をつけなくちゃ・・といういつも感じる戸惑いとか後ろめたさを感じたりもする。 2階へ。玄関側の縁側には、同じく福山六方学園の橘高博枝の墨の『モノローグ』。大きな白い立方体に展示されている。彼女がこういう形にしたくてしたものなのか、はじめから立方体なのかどうか、少し分からないが、映像によるとはじめから立方体のようだ。古代の解読できないような文字の群れ。映像が背中を向けられている。福山からの参加の意義はこうして関西以外の障碍者アーツを一番よく知っているアートディレクターの手によって丁寧に紹介してもらえることである。 真ん中は、1978年生まれという若手の森本絵利の作品。細かく細かくひたすら切るひと。それをばらばらにしないで引き出しにそっとしまい、机の表面の模様になり、瓶に収納されている、あたかも顔料のように、顔料として何かをまた生み出す素材のようにして(実際はそのままそこにあって細かく刻まれてきた時間をひっそりと退蔵しているのであるが)。 そして、作品をきってゆく鋏と紙が作り出す音。この音がなかなか手ごわい。しゃきしゃきしゃきしゃき。正確に刻まれ音を累積する。累積した音が結果として細い細い短冊というか爪楊枝というか、紙の切れ切れとなる。そう、作品を作る音がまた作品インスタレーションとなっているわけで、金沢健一でもDVDでは音が鳴っていて、それも作品インスタレーションではあり、また、橘高も次に紹介する木村茜も映像が作品に入り込んでいるわけで、こういうところがこの展覧会の作り方の大きな特色になっているとも言えそうだ。 結局、音が2階には3種類も存在していることになる。したがって、うるさくならないよう、音がまじりあって一つの作品に集中できなくならないよう、神経をずいぶん使って、聞こえないわけではないが、気にならない程度の感覚とボリューム、視覚的独立(木村茜の展示は薄暗く林に取り囲まれているような設置)になっている。1階の音が2階に来るかどうかは、私が2階にいたときは誰も鳴らさなかったので、分からないが、あんまり気にならないのではないかと思う。 さて、木村茜のシンプルな作品が、2種類。「うちわ」8点、「お線香花火」8点。同じ数、同じようにウィングで取り囲み、真ん中で座布団に座りながら、その2種類の作品が出来る様子を見る、聴く。同じ敷き紙があって、そこに、線が音を立て、腕がゆるぎなく動いて、下敷きに出てもお構いなく、短い時間でさっと一つの作品が作られる。身体が音を出しているというよりも、身体と紙が出会い、作品が浮かびあがるまでの時間が音とリズムとダンスになっているものだというほうが、少しは体験したことに近づくだろうか。 帰ろうとすると、大学生ぐらいの年齢の人たちが集団でやってきた。手に何か周遊手帖のようなものをみんな持っていた。どこから来たの?と聞くと自分は姫路という答え。どういう機関の人たちなのだろうかという思いで聞いたが、まあ、いいか。遠くから来た人たちを残して(少しおせっかいをはやくしすぎたかしらとは思ったが)、鉄をみんな夢中で鳴らしているすがたを後にして門を出た。
ただ、公共性の強い文化振興関係の場面では、京都橘大学都市環境デザイン学科という肩書きの方が無難かも知れない。まあ、使い分けね。「都市環境デザイン―文化政策がまちをビジネスする―」みたいな本を出すと説明上いいのかも知れないなあ・・・ 昨日とどいた大阪成蹊大生のリポートのおまけが面白くて、笑ってしまう。 3回同じ手ぬぐいをいていたのか!こんなチェックがあったのだったら、13回とも違うものにすべきだった(彼女は13回出ているのだが、1回だけバンダナチェックを忘れていたのだろう)。これ以外にも面白いことをいろいろ書いてくれていて。 「・・・それでは、これで終わります。今までありがとうございました。私は先生の事忘れませんが、先生が私の事忘れても気にしないからね。」 最後に奈良美智の展覧会タイトルを持ってくるなんて・・・きっとだから、1日すると大学の教員はやめられない!と言われるのだろう。
携えていた文春新書(2001)、倉田喜弘『「はやり歌」の考古学―開国から戦後復興まで―』。 くどき節、国民歌謡としての「端唄」。江戸時代の音楽は大半が芝居に依存しているが、端唄はそうではないところが近代への橋渡しとなっている。 《 昭和15年から16年にかけて、日中戦争の泥沼化は避けられない状態になっていた。日本を取り巻く国際情勢も一段と厳しさをましてきる。国内の物資は欠乏しはじめた。そうして“非常事態”を乗り切るため、文化政策の強力な推進が声高に叫ばれた。各官庁は競って選定歌を作る。国民歌の制作だと言い換えてもよい、レコードメーカーのほうも、ともすれば感傷的、退廃的といわれるメロディーに代えて、明るく、力強い愛国歌謡に取り組みはじめた。はやり歌の制作が変わりだしたのだ。
ことしから試験補助員を派遣会社に委託していて、いままではOGさんだったので、ちょっと勝手が違うかなと思ったが、とくに問題はなくてきぱき早く帰れた。
いつもコメントをいただくしん平さんの息子さんも入試とのこと。 さて。 もちろん描かれた日本と北朝鮮などとの関係は重い。拉致問題、失踪、愛国、美しい国と兵役、在日コリアン集落、帰化、妨害電波、いじめるものといじめられるもの、仮想敵国、仮想加害者、核開発、原発、放射能被爆、イラク戦争、花火、ミサイル攻撃などなど、その現実は暗く裏日本の海鳴りのとおりなのだが。 今夜も一番前に座った。いつからか、最後列の端に座るようになって(入り口と反対側が静かなので好み)、評論家風な目線で舞台と客席を見るようになっていたのだが、さいきん、一番前(あまりにも正面は気恥ずかしいので端にするが)に、座るようにしている。もう一度、演劇やダンスと自分自身との関係を確かめたいと思うようになったのだ。そうすると、また、演劇の尻尾をつかめだした気がしている、ダンスは尻尾が見え出したぐらいか。 関西を代表する女優、武田暁(魚灯)。さまざまなステージに出ているが、今回のような社会的に自分の意見を言う役柄(立花キョウコ)は新鮮で、ぐずぐずの男性記者くろちゃん(雪之ダン)との対比が鮮やか。営業のために番組に対しては常に日和見の茶谷(信平エステベス)、横柄な喫茶の市瀬(中山治雄)もある意味対照的で、それぞれの社会的な役割としての行動と、思いがけない事態における思いがけない態度の落差もよく描かれている(市瀬の涙、茶谷の勇気)。 敦賀、「原発によるまちづくり」、拉致の展望台、在日コリアンの集落。郷土と国家の分離、三島由紀夫。 伊丹AI・HALLで観劇後、家に帰ると、京都新聞の夕刊に「プロ芸術家に内弟子修業」の記事。
View Masters現音採集観察学会 大阪・メルボルンリミックス。 浜寺公園駅に下車。プラットフォームの寒さよけあずまやから趣がある。階段の仕切りも白っぽい木。なるほど。駅舎を見て納得。辰野金吾という日本の近代建築のはじまりの人のものだった。1907(明治40)年。当時の待合室はいま浜寺公園ステーションギャラリーとなっていて、今回のヴューマスターズ展覧会の会場になっている。 入ると受付の人がいて、手前と奥に作品が3つずつ置かれている。サウンドが混じっているが、だんだん、どこから出ているのか分かってくる。ただ、外の電車の音がするとうちの音が反応したりするので、いったいとなった展示でもある。13時には着く予定だったのに、14時に近くなってしまい、田尻麻里子、梅田哲也、宮本博史、HACO&角田俊也・・と順番に見てゆく。メルボルンの人たちのはインスタレーション(梅田作品も風船が印象的なインスタ)で、ちょっと派手なもので、びっくり。 全部を聞くことはできなかったのは、15時からのヴューマスターズトラムコンサートの場所が、恵比寿駅だったからで、新今宮駅に行くほうが近いかも知れなかったが、せっかくなので、阪堺電車で向かうことにした。路面電車はじつにいい。ただ唯一の心配は、わたしの電車のすれ違いに貸しきりサウンド電車が過ぎ去ることで、それだけはひやひや。広々とした堺市から大和川を越えて大阪市へ。信号待ちがあり、家が近づき。住吉大社が目の前。大きいなあ。小さいとき、この電車で親戚の家からお参りに行ったこと、見世物小屋がいっぱいあったことなどを思い出す。 吊り輪の宣伝が墓石屋さんやお葬式屋さん(白善社・・白い善というのは、どんな善なのだろう、赤い善とか、黒い善とかも考えてみる)、鍼灸院、介護派遣などの宣伝が車内にあって、冥土に近い旅のようでもある。ぶじ、15時前に恵美須町駅に到着(290円)。小島剛さんによると、1週間前に、安全のために急きょ2台になるかも知れないと伝えておき、コンサートの予約が多くなったので、2日前まで変更が可能なので、実際貸し切り車両を2台確保したのだそうだ。 30人ずつに分かれて、二つの電車に乗る。20分ぐらいずつ、4組の演奏を、貸し切りトラムで風景を見ながら(拡大鏡さんの演奏時には、風景や車内の景色もライブビデオで写され投影されていたので、風景は二重になってしまっていたが)、トラムや外気の音をミックスさせて演奏を聴く音の旅。 わたしは、はじめメルボルンチーム(snawklor)の演奏、生の楽器・ゲーム?なども取り込んだものを聞く車両に乗る。音が入ると、路面ではなく、水面とか空中とか、そういう浮遊感が耳と三半規管、振動とのミックスでするように思う。我孫子道駅の車両基地で、入れ替え一服。ここがすごいところで、一番古い車両は1928(昭和3)年製ということで、確認できたものでも、昭和6年というのがあった。詳しい人がいて、これは京都市電のものだとかいろいろ興奮して言っている。 我孫子道から浜寺公園は、女性ユニット、中垣みゆき&実樹ちとせ。ボタンの指さばきがよく見えるところで鑑賞している。景色がのどかになっていくと、音が広がっていく感じになっていく気がする。いかに聴覚と視覚はリンクしているのかということはよく分からないが、かなり刺激しあっているように思える。 折り返しは、まず拡大鏡。小島剛ともう一人のデュオだったようだが、ビデオが入るので、かなり濃密な体験となって、車外とはほとんど関係ないコンサート状態になってゆく。首が少し疲れるが、耳の感覚がどんどん鋭くなっていることがよく分かる。 そして、ラストセッションは、江崎将史&中尾勘二の楽器デュオ。 |