こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.7


こぐれ日録546 2007年 7/16〜7/22

7/16(月)

なんの休みかしらないが、休み。
予定通り、姫路へ墓参り。あんまり、7月の墓掃除の記憶がない。
子どものときは、やっぱり夏休みに入ってからだったからだろう。
死んだ親父がステテコ一丁になって、墓をごしごしやっていた。
そのころは洗剤を持ってきたりずいぶん本格的で汗みどろだったらしい。
こちとらは、裏山(なんと「男山」とここもいうらしい)で冒険遊び。

お袋の歩みが去年より少ししっかりしている。ただ、新快速の行き帰り、顔を見ていると「ちゃいばあばあ」にそっくりで、寝ぼけていると、ホントに「ちゃいばあばあ」かと錯覚してしまう(「ちゃいばあばあ」とは、お袋の母につけたあだな、縁側にあがってくる鶏を「ちゃい、ちゃい」と追うからである。ちなみに、親父の母は「ねんねえばあばあ」だった)。

行くとき、東淀川駅付近で人身事故だったために、10数分遅れていたが、帰りも同じように遅れている。
芳江は「京都線で人身事故」というアナウンスが、京都で人身事故に聴こえてしまって変ねえとつぶやく。京都線とか神戸線とか琵琶湖線とか、同じ東海道線なのになぜか最近は言い換えるので、わかりづらいのだろう。
ぼくは「人身」「人身」というのが、気になる。単に「事故」って言えばいいのにと思うよというと、でも、そうするとJRの責任と思われるから、人身、人身と、事故った方が会社の方ではないことを明らかにするようにいうのでしょうと。まあ、確かにそうだ。

テレビで聞くだけの台風の死者、地震の死者。
お詫びのアナウンスで知るのみの人身事故。
祖先の墓の死者への供養だけではすまされない。


7/17(火)

京都市の基本構想を検索したり、8月に出来るという心斎橋ルイードを検索したりして朝をすごす。
ライブハウスに興味を持つ学生が多いので、こちらもちょっと調べる必要があると検索しながら思う。
2007(平成19)年度の糸賀一雄記念賞音楽祭実行委員会、第1回。この音楽祭も6回目(年目)になる。

10時半からだったが、早く出てしまい、京都駅で本屋に立ち寄る。「nid」という雑誌の藍色に惹かれて手に取る。「nid=ニッポンの イイトコ ドリ。」
なるほど。よくみると、私が好きな手ぬぐいの絞り染めがあったりする。
祇園祭の囃子が駅を支配する。ちょうど、うちの留学生たちも鉾をひっぱっている時間だ。こちらも衝動買いした、河内将芳『祇園祭と戦国京都』(角川書店、2007.6.30)。中世の祇園会のなかの山鉾巡行の位置づけ、室町幕府のかかわり(促進派だったという、阻止するのは比叡山=日吉社の大衆)など、きちんとようやく頭に入れる。戦後すぐに、祇園祭が権力に対峙して京都市民(「町衆」:当時の研究・イデオロギー造語だったらしい)の行う民主的な運動のように二項対立的な構図で、紙芝居になり、それが出版され、小説と映画になった話から始まり、いろいろと興味深い。戦後の街頭紙芝居とともに、赤旗紙芝居が勃興した歴史をここでも見つけられるとは望外のもの。

大津駅下車。こちらはしずかな滋賀県庁付近。委員会での話を聞きながら、今年も、後期の授業とうまくこの音楽祭を連動するようにしようと考えている(11月中旬)。より、参加型になっているし、アウトリーチ的にもなっていて、音楽をベースとしながら、ダンス/身体表現のステージレベルが向上しているという評価が嬉しい。帰り、鷲田先生の本にあった京都駅近くのラーメン屋、新福菜館へ行く。真っ黒な汁。食べながらどうも食べたことがある味と思って壁を見ると、京都府立文化会館近くに支店があって、そこに入ったことがあったのだった。だったら、隣(第一旭)に行けばよかったなあ。

夜、ぼんやりくつろいでいて、ふとメールを見て、思い出す。京都府の文章チェックのお仕事をしようと今日の午後は開けていたのだった(実際は、この祇園会の本を、近くの高良神社太鼓祭の賑やかな練り歩きサウンドを聞きながらベランダ読書をしてしまったのだった)。あわてて、2時間ぐらい、文章チェックをして深夜メールで返す。


7/18(水)

久しぶりに大学へ行く。

帰りの空、細い三日月。
TAM研で、ボーでダンスするエロチックな女性のことを知った。
歌うたいは、どこで歌を作っているのだろう。どこで練習しているのだろう。

2日前のことだが、石畳の道の曲がり角で、二輪車に乗った男性が転倒している現場を見た。
いや、すでに倒れていて、一人の男性(60歳代の方)が、親切に救急車を呼び、通りかかる車に注意を呼びかけていた。こちらは、ちょっとしたお手伝い。
ようやく、救急車。3名でてきぱき。どこが痛いのか、足首は回るのか、などをチェックしたあと、車に運び込む。救急救命の現場にこうしていることすら初めてだった。
見知らぬ人が、その現場にたまたまいて、すぐにこうして適切な対応をすること。当たり前のようだが、倒れていた若い男性にとっては、きっとありがたいことだったと思う。


7/19(木)

テストの日。
2限目、82枚。
4限目、131枚。

ぼちぼち採点。
ウイングフィールドに似ている雰囲気にライブハウスをあげている学生が多かった。
アーツスペースの体験数とアーツジャンルの体験数が少しでも増えると、説得力のある文章が書けるという思いは、今日でより強くなる。
具体的な体験をどのように言葉にするか、そして、その言葉化作用のなかで、抽象的、論理的な思考を少しでも自力で作ることができるか。いつも、これが期末になって私への評価となって返ってくる。

採点を少しして、アートコンプレックス1928へ。
19時の開場より少し前だったので、同時代ギャラリーで、田島征彦の祇園祭の原画などを見る。祇園祭の絵本をぱらぱら。

『花嵐+相良ゆみ、オンナのカラダの〈今〉がある。』 19:34〜20:41。アフタートークもあったようだ。満席で少し橋に椅子を追加。視覚障害者や外国人の姿も。

相良ゆみ「サブリミナル」20分ほど。ソロ。伸びたからだが気持ちいい。行き届いたトレーニングのもと、壊れる心配がない分、安心して彼女の痙攣を感じていく。
弦の音が大きくて、明かりも客席へドヒャーで、意図的にえぐい感じにしたいのかなあと後半を見る。

それにしても、1928の外からの音の制御はむずかしいのだろう、今日は、車の音ではなく、女性の話し声が聴こえていて(無音のとき)、やっているほうは大丈夫だろうが、見ている人は少し集中するのに苦労したかもしれない。

花嵐「ドリーのダンス〜肉に内包された夢をひもとく〜」。40分ほどか。
カラダを張る。肉を鳴らす。
彼女たちの言葉舞踏にはいつも心打たれる。今回はとりわけ文字にうずもれた外皮をとった女王蝶の潔さ。そして、女の命の顔崩し。真剣なごっこ遊び。

伴戸千雅子の妊娠姿は刻一刻変わって行く変化であるが、加齢する舞踏家の力強さはやはり世界のダンス界のなかでは特筆すべきこと。二人(古川遠とニイユミコ)が伴戸の暴れを抑制するためによけいに動いていたようにも思え、いい3人組だなあとちょっと仲良しダンス的に最後は見てしまった。

それにしても、昔(といっても3年前の2004年)は、きちんとディテールを書いていたなあ。
もう、書けないかも知れないと、前書いた文章を読んでいる< http://www.arts-calendar.co.jp/KOGURE/04_07/HANA-ARASHI.html >。


7/20(金)

清水宏監督を検索。多方面から、名前や評判を聞くが、実際の映画を見たことがない。気になる。小津監督と同い年か。
< http://www.momat.go.jp/FC/ozu-shimizu.html>
< http://channel.slowtrain.org/movie/column-isan/isan_bn/isan030108.html>

プライベートな探し物をしていて(あとは家族に任せて)、大学に着くともうお昼近く。
弁当買って、ひたすら採点。
ふー、いま、終わりました。5時間かかった!途中、文化政策部を終えたあと、黒酢ブレーク。
黒酢はかなり眼が覚める。

ウイングフィ−ルドに間に合うか間に合わないかのぎりぎりになり、家に帰る。
ちょうど芳江、今朝の探し物の件を終えて同じ電車になる。

オールスターをちょっと見てから、溝口健二『新・平家物語』(1955年、107分)、カラー、大映。吉川英治原作ということもあって、図式がくっきり。新興の兵士階級である平氏(主人公の清盛は市川雷蔵なので好感度抜群)に対して、まったくの悪役の山門(比叡山の僧兵たちが日吉大社のお神輿を担いでいるのは、中世では当たり前なのだが、神仏分離後の今となるとけったいな感じがするなあ)、そして、歌と踊り、白拍子で没落する公家階級の対比。

さあ、風邪気味なので風呂入って寝ようと思ったのに、たまたまコマンドーとかいうハリウッド映画が始まっていて、つい小1時間も見てしまう。簡単に殺す主人公。


7/21(土)

大学へ。アーツ鑑賞演習のラスト。

ジャブジャブサーキットのこと(HPに劇団の歩みがアーツマネジメント的要素も含めてよくまとまっている)と岸田國士戯曲賞の一覧表(どうして2007は該当なしになったかもピックアップ)を資料としてつくって、最後の授業にのぞむ。

ジャブジャブサーキットのこの前の公演で購入したDVD『歪みたがる隊列』映像に集中してもらうことが眼目。事前にどこまで知ってもらっておくべきか、試行錯誤しながらやっている(今回は黒板に登場人物の名前と簡単な関係の説明をしておいたが、それでも、感想には、関係性が複雑で・・・というものも散見された)。

モニターの画面が小さいのと、モニターの音質の問題で台詞が聞き取りにくい(会話劇だしずいぶん精神医学などの用語が出てくる)が、なんとか、ほとんどの学生は最後までついていったようだ。題材が『東京ノート』よりもなじみやすかったのかも。

さあ、月曜日までにレポートを提出してもらうと、完了である。
はじめて、土曜日、3限目4限目を通して授業をしたが、学外は2回で学内4回となった。
後期は、半分半分ぐらいでもいいかも知れない。
今年は、小劇場演劇について、いままでで一番多く鑑賞するようにしたことになる。
そのくせ、自分はあんまり行けていない。まあ、そういう役回りになってきたということだろう。

話はまったく関係ないが、研究室で、語源(説)事典というのをぱらぱら見ていたら、「まち」の語源説の一つに「間地」から、という説もあった。事典を読むのは、いつも楽しいものだ。


7/22(日)

瀬田駅。どうして駅前ってみんな同じなのだろう。
文化ゾーンを通り越してしまって、人気のない道を引き返す。
滋賀県立近代美術館。
ダイアローグ、コレクション活用術Vol.2。伊庭靖子のすっきりした白い部屋が特に素敵だった。あと、児玉靖枝、佐川幸司、渡辺信明。予算がないなかでの健闘企画。でも、ニューコレクションも欲しいもの。

常設展、夏休み子ども美術館、アートのなかの“うごき”をさがせ!ゴーゴー!ストップ!ゴー!!丁寧な解説。読んでいるとものすごく楽しい。でも、かなり時間がかかる。好きなものだけを読んで楽しめばいいのかな。

京都市内をあることのために歩く。よく歩いた。確かに、洛中は歩いて楽しく出来ている。一番おもしろかったのは、15時からオープンする銭湯を待っている人たちがけっこうういて、開くとどやどやって入っていった姿。なんか、いい。

家に帰って、昨日テレビでやっていたアニメ、ビデオで見る。中身がなくてただただしつこい感じがした。でもこれがいまの高校生でいまのアニメの水準なのかなとも思う。『時をかける少女』とか言っていたな。細田守監督。原田知世との比較とか、あれこれ。
細いペラペラな体、走り方、いろいろ気になる。主人公のしゃべり方が、ある学生によく似ている。


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