こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.6


こぐれ日録540 2007年 6/4〜6/10

6/4(月)

昨日、けっこう、いい人で昼間をすごして、すこぶるご機嫌なはずなのに、自宅で実家から送ってきたアサヒドライをぐびぐび飲んでいるうちに、じつに悪い夫になりだした。悪い夫になるのは、いつものことであったのだが、それに少し気づいたのが幸いだったといえばそうだが、でも、なんでこんな風になるのだろうな。今思うとあまりにもそういう失敗を繰り返してきたので、じつに情けない。

危ないと気づいたので、あわてて何かテレビと思うが見たいものがない(だいたい、スポーツ以外、見るものがなく、中日も昼間に惨敗し、巨人さんはお勝ちになっている)。

フェリーニのサテリコンをまだ見ていなかったのでご飯を食べながら見るが、どうも合わない。
仕方がなく、溝口健二ボックス5枚組みの残りの一枚、『山椒大夫』(1954年、124分)をもったいないが見出す。森鴎外原作。

芳江も映像が気になって見に来る。次第になんとか仲良しになる。
哀しいが美しい。必要以上にお涙頂戴ではない。こびず、しかも偉そうでない。
構成が丹精で無駄のない映像。抽象的な謎もあるが、うるさくなく、ただ、心に礎石となって残るのみ。
丹後半島が平安時代だけではないが、ずっと富み栄えていたことがよく分かる。

というわけで、今日のゼミ。京都府の資源を活用するワークショップ(ワークショップ自信について、どんちゃんの誕生日祝いの関係もあって、少しあれこれ)。
どんどんいいアイディアがでる。アイディアの種だ。もちろん、きちんと書類にする必要がある。
すでにそれが商品サービス化されていないかどうかもチェックすべきだし、文化政策を学ぶゼミとしては、その歴史とか、他国の事例とか、地味な作業もしてほしい。

4回生ゼミは4名。リンダリンダリンダを久しぶりに見て、この前半の気持ち悪いほどの脱力感をいまの若い人は共感してみるのか、あまりにも近い空気なのでおぞましいと見るのか、気になったが、授業をずいぶんオーバーしたので、それは聞けず。


6/5(火)

午前中、ようやく、今年のアーツマネジメント講義でちゃんと語ろうと考えている「ワークショップ」についてのレジュメを作成する。

「それに参加することで自らの能力が目覚めてくるもの」あるいは、企画者側から言えば、「参加者の能力が目覚めるようにサポートする場」。というふうに、定義からはじめて、一応のまとめまで。それをアーツマネジメントの原点である5つの「と」と関連付けることが出来た。ちょっと、うれしい瞬間である。ふふ。

以下、その部分:
【アーツマネジメントで特に大切なワークショップのあり方】
@アーツと・・・役者やスタッフのアイディアを引き出すなど、創作・コラボレーション型
A鑑賞者と・・・鑑賞する人たちが、体験や創作者との交流を通じ、そのアーツをより親しく思い、鑑賞を多面的にしていく鑑賞型
Bじぶんの「いま、ここ」と・・・いま、ここにいるわたし自身の開放、肯定、発見のためにアーツを活用する自分発見型
Cあなたと・・・傍らにいるあなた、参加者同士の身体的交流などを通じ、コミュニケーションやネットワーキングを形成し深めるコミュニケーション型
D社会と (アーツワークショップの社会応用力、社会関係資本づくり)
地域と・・・まちの隠された問題を演劇化していく、というような、コミュニティアーツ型のもの
他に:学校教育と(ASIAS)、福祉現場と、医療施設と、防災と、ビジネスと(研修、広告、ブランド開発)・・・
・ ・・・・・・・・・・


6/6(水)

一時間目、一回生ゼミのみ。
声が枯れる。一人だけ欠席(夕方mixiでメッセージが来た模様)。

マイ文化政策事典をまじめにチェックして。
TAM研。1回生でもいいので、だれか来てほしいな。
大学評議会。とりあえず、しずかにしている。

明日は、一回生のテストをする。それについて聴きに来る、うれしそうな、うきうきの
一回生の男の子の長身がまぶしい。もちろん、彼なりの不安や惑いもあるのだろうが。

まあ、ちょっとした発見はあった。
ソウルフラワーユニオンのDVDを見ていて、「ジャングルブギ」を内海さんが歌っていたことを思い出す。
笠置シヅ子の『酔いどれ天使』の映像と比較してみると面白いか(つまらない?)。
ザ・ピーナッツのモスラと何か接点は?

それよりも、リンダリンダリンダのメイキングとか、監督と脚本家の全部の画面に合わせたおしゃべり解説とか、DVDというのは、魔法のように、多重的に面白く作ってある。それが、麻薬なのかも知れないが、学生と不思議だなあと思っていたあるシーンは、夢のはじまりだった(トイレットペーパーの並び方で分かって欲しいと監督は言うが)と分かる。なるほどね。


6/7(木)

書類を書いて、コピーをして、問題を印刷して、解答用紙が教務課にある分では足りないので、印刷室にまたいって取ってきて・・・
2限目授業をして(78名)、4限目中間テストをする(136名)。

終わって少しすると、公務員試験をめざす学生が予備校のことで相談に来てあれこれ(行政法入門の本を読んで、このレベルだったら自分でも少し最近の判例を読んだりすれば何とか学習サポートできると思ったところだったが、民法もやっていないというので、今度は民法の基礎も復習しておく必要があるなと思う)。

そのあと、18時前からインターンシップの事前研修でポピュラーコンサートのはじめとしての進駐軍慰問ジャズなどについての文章を読む。読み合いながら、「招聘」と「興行」など、基本的な言葉をゆっくり学んで行く、寺小屋みたいなのどかな夕方である。
あと、浪花節という言葉が出てきてもその感じが分からないというので、浪曲のCDを流し、すると、お経と同じように眠くなるというので、天台宗の声明を聞かせる。また、美空ひばりは知っていても、雪村いづみも江利チエミも知らないという。でも、いちいち聞かせていると夜中になってしまうので、今日は終わり。

最近よく研究室に来る4回生がふらりといつものようにやってきて(単位をいっぱいとらないといけないからなのだが)、だいたいは、彼女自身作詞作曲をして演奏しているので、その参考になる本を読んだり、漫画を読んだりしている(授業を途中でさぼっていたりしているのかどうか、それはわたしは知らない・・)。
が、今日は、どんな風が吹いたのか、紅茶を入れてくれた。こびりついた急須や汚れたカップを洗ってくれて、半年ぐらい置かれていた電子ポットも洗って(器具がはずれていた!)。ありがたかった。なんといまの自分が余裕なくやっているかと思いつつ。


6/8(金)

雨が降り、雷が鳴るという天気予報。
桃山南口駅を降りると雨粒。
今日は、高校の商店街フィールドワークなのに。
でも、雨はなんとかもった。が、ずいぶん蒸し暑くて、生徒たちはだるそうに歩く。
9人増えるとずいぶんと行列が長くなるし、生徒と自分との距離が離れたままの感じがする。
男子の扱いにも慣れていないせいもあるが。

風呂屋町の商店街担当の生徒たちはやっぱり所在ない感じで、じつはレトロなお店がけっこうあって、うまく焦点を合わせるときっといい取材が出来るのだろうが、大学生でもまず無理なのだから、高校生が貸し衣装屋さんや仏壇屋さん、墓石屋さんなどを取材すると想定するほうがむずかしい。そこで、先週あたりをつけていた新しいお店に誘導する。

竜馬通りと大手筋は大丈夫そうだが、納屋町は生徒の影を見失う。新しい家具屋さんには誘導したけれど、キムラパン屋さんとか、角の結納屋さんとか、この前買った漬物屋さんや蜆やアサリが採れたところを表示してバケツに入っているなどと、私的には実にうれしく興味深いお店が多いのだが・・・

帰って、とりあえず、ビール。もう一度行かせたいと思っていたが無理かも。
それより、模造紙発表を今年もさせて方がいいかもしれないが、来週次第と思って、
しばし午睡。

そして、そのあと一気に昨日の130数枚を採点。
みんな、2つともなんとか書き込んでいて、読み応えあり(100点満点に換算すると、66〜98点あたりにみんな分布していた)。

そして、届いていたDVD、青年団(作・演出平田オリザ)『東京ノート』(収録は、1998年、下北沢ザ・スズナリ)を見て、授業設計をあれこれ。やっぱり、小津安二郎『東京物語』を見たあと(葬送へといく場面など、話したいことは山ほどあるが)、そのあとに平田オリザの脚本を読んだり、フェルメールの画集を見たりしたあと(ケストナーやサン=テグジュペリの認知度もチェックか)に鑑賞という段取りかな。

そのとき、日本語字幕を映画ともども、入れて見せるかどうか、これは思案のしどころ。今夜、2回目に見るときには日本語字幕を入れたり、フランス語字幕にしてみたりしてみた。同時多発会話のところとかは、けっこう、聞きおとしがちなので、あるほうが内容はよく分かる(クローズアップの映像がかなりあって、そのためにも、声だけでは複線/伏線の会話にも注意をやっておきたいからでもある)。でも、それは舞台上では字幕はないわけで、知が勝ってしまう鑑賞なのかとも思う。野球場に行くと解説がない(ラジオなどを聴かなければ)がテレビは解説とか反復映像があるわけで・・・まだ迷っている。


6/9(土)

京都芸術センターに3名の学生はまだ残るという。じゃあ、と門を出る。パラパラ、ずっとやんでいた雨が来た?気がつくと、朝どしゃぶりのなか、さしていた黒い傘が腕になかった。人間座スタジオの帰りは確かあの傘入れから自分の傘をつかんだうっすらとした記憶。ということは、地下鉄かな。

まあいいや、とっても心に残るお芝居を見て、学生たちに鈴江さんや二口さん、押谷さんから貴重なお話をしてもらい、京都芸術センターについてきた3名の学生にも、ボイスギャラリーの松尾さんから丁寧な案内をしてもらったし。

夜、昨日、どこにいったと家中探していたケストナー『動物会議』(岩波書店、1962)が自分の本棚の下のほうに隠れていて、あれっ、ここにあったとため息。芳江の部屋などを探索して、老人化現象だなと思いつつ、一つなくして一つみつかる、こんなものだね。シュトラウスという名前のダチョウのこと。頭を砂の中につっこんでいた(そのあと美容院に行って羽にウェーブをかけてもらうんだけれどp31)シュトラウスって、ドイツ語でダチョウという意味らしい。ダチョウのヨハンさんとウィーンの人は思ってワルツを踊っていたのかな。

おっと、肝心のアーツ鑑賞。メモ書き。
あさ、出かける前に『東京物語』(小津安二郎、1953年)。熱海の安旅館で老夫婦が眠れないシーンに、流しの流行歌グループが、旅館の人たち相手に歌っているところあり。ギターを弾いて男が唄い、女はアコーディオンを弾いている。もう一人の男もギター。おひねりで生活できたのか?

演劇ユニット昼ノ月『顔を見ないと忘れる』。作・演出:鈴江俊郎、出演:二口大学、押谷裕子。雨の中八幡駅。プラットフォームが一番の土砂降り。松ヶ崎駅にかなり多くの学生が集まって、人間座スタジオまでいく。22名ほどか。いつもより多いぐらいの出席だ。思ったより、難解でもなく深刻でもなく、しかも、社会問題をきちんと描いた夫婦の二人芝居。あっという間に終わる。14:05〜15:01。いろいろ思ったが、学生に自由に書いてもらう必要があるので、感想などは省略。今日と明日だけしかない(10日は、14時と17時公演)のはもったいない。とりわけ、垂直な舞台構造だけでも必見である。

京都芸術センター、5日からはじまっていた裏・アートマップ2007。京都の現代的な美術を扱う画廊さんが行われてきたアートマップを来年するので、そのプレ企画のようなものらしいが、今日、パーティがあったり、グラインダーマンのパフォーマンスがあったり(17時予定が暗さがほしいということで18時半に変更になっていた)、展示も廊下などにあふれ、すごいことに。作者がいっぱいいて人が多くてこんなににぎやかなセンターって、はじめてかも知れない。

知り合いが多くて挨拶ばかりしている。松山の方にも久しぶりにあった。この日乗をたまに読んでいます、と言われる。ありがたいことだ。市役所のTさん(アーツNPOでも活躍)が会いたがっていたということ。いまは、財政課ではなく、地域経済課(産業経済部)にいるという。

南北のギャラリーはどちらもギューギュー。でも、車があったり大きな煙突が立ったりしている野放図感が気持ちいいと若い作家の一人が言っていた。全体的にわかい人のエネルギーを感じるものになっている。
他方、笹岡敬さんのコップの表面張力とか、渋い展示に心が行く瞬間がある。そうそう、宮永甲太郎さんの作品がめちゃめちゃ渋くてびっくりした。イメージとしてレンガを積み重ねるような、雄大でゆっくりとした時間を持ったものを創る作家だったので、ぎゃくに新鮮。ジョン・ケージが具体派の展覧会に出品したみたい(訳分からない比ゆになってしまった)。年配の人が、この額というか、箱が立派だねえと笑っていた。


6/10(日)

大学に行き、昨日採点していた中間テストを成績簿に転写。
週末に演劇鑑賞する(アートコンプレックス1928へ:ワンダリングパーティさんにお世話になる)ので、その出欠チェックのための準備。
13:30〜14:30まで、今日はオープンキャンパスだったので、都市環境デザイン学科の説明リレー。建築や都市に時間をゆずって15分弱にする。

帰って、昨日テレビ放送していた『県庁の星』(2005、131分)を見る。
娯楽作品なので実際的な詮索は無用なのに、県庁や県議会が出るので、つい悪い癖で、いちいち、いらないチェックをしてしまう。

基本は老人施設なのに、産業担当が企画しているのがまずちょっと変わっている。県庁のトップエリートなら、もちろん産業部局も勉強のためにたまに担当するだろうが、ベースは総務系(人事担当か財政担当、あるいは法務とか)なのじゃないかなあ(これは古いわたしの先入見かも)。

民間のデベロッパーを誘致してニュータウンにするから産業担当で企画しているとしても、どちらかといえば、計画段階は都市計画担当が窓口になるんじゃないかなあ。終わりあたりだが、主人公が希望して福祉のポストに移動させてもらったというのも、このプロジェクトに当初から福祉部局が関わらないはずはない(運営が直営ではなくても、事業の性格上中心的役割を果たす)ので、まずありえない設定(市役所だったらケースワーカーになるというのが一番自然かな、県庁だったら、出先機関か)とか。

あと、議長が、知事が人寄せパンダだとしても、こんなに行政の会議にでて若手の発表会を聞くというのは、ありえない。副知事あたりの役柄と混じっている。

また、高齢者施設の起工式が現地で行われたのねと思っていると(その前に県庁の吹き抜け空間にその施設の横断幕がすでに出ているし)、そのあとに議会委員会の採決シーンがあって、あの満天堂のお弁当を配った現地での式典はなんだったのか、とか、考え出すとわからなくなる。起工式のあとも、いろいろ設計変更とかあるということかなあ。

もちろん、映画だからこそのありえなさはいいとは思う。たとえば、主人公が特別委員会のあんないい場所に座っていることが不思議だし、発言できるわけはないし、それを議長(議長が委員会にいるのも稀だが)が制止するのにもかかわらず、知事が議会の席上で説明させましょうとその場をしきる(委員会の委員長が議事進行するので)のも面白い。
とも、いろいろ設計変更とかあるということかなあ。


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