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こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.3 こぐれ日録529 2007年 3/19〜3/25 3/19(月) やっと、原稿を送る。 有限会社京滋葬祭かご留。 江戸時代も半ばが過ぎると大名行列のアウトソーシングが進む。 したがって、かご、篭が社名にあるのは、大名行列に人を斡旋していた名残ではないかといわれている。調べてみると、大阪、京都に多い。逆に、それ以外はあんまりないようだ。 また、駕籠で遺体を運んだといえば、庶民層が使った座棺となり、明治以降、身分に関係なく流行する寝棺は、貴族と同じく、輿で運ばれることになる。宮型霊柩車は、この輿の発展系ということになろうか。詳しくは、井上章一『霊柩車の誕生 新版』(朝日新聞社、1990年)参照。 葬儀社の基本が人的サービスだということとつながっている。「葬具」を扱うがもう一つの起源とも言われている。これはどれぐらいさかのぼれるのか。 夕方会議。 午後、大阪府のお仕事。 買い物。 会議、会議、レセプション、会議、会議、会議、レセプション。 なんだか、さいきん、ぼーとしている。 英語の先生の退官あいさつがおもしろくて、いい味。 午前中、読書。 《・・古典経済学は使用価値と価値(あるいは交換価値)の違いをみていた。彼らの誤りは、経済学を秩序理論としてしか提起できなかったために、価値の経済学としてしかその理論を展開しえなかったということである。 アーツマネジメントが、市場経済のマネジメントではできないことをするのだという確認。近代化建造物とわたしたち、そこでの暮らし、あるいは、いま必要な非市場主義的なアーツのありようなどを読みながら考えた。 市場経済、貨幣評価一点張りの世界の息苦しさからどうやって離脱できるのか。きっと、評価をめざす成果主義ではない(ファンドレイジングのためだけではない)プロセスの重視、「行きつ戻りつ」の錯誤が許される緩やかな場、その場その場の―操作者、傍観者ではない―、それぞれの立場を背負う複数の価値観、立場を持つ当事者群による了解と共感の関係の形成、網目づくり、応答と発議、双方向に熟議し決め付けないやりとりそのものなかに、きっと何かがあることを、ぼんやり思っている。 京都文化ベンチャーコンペティション第1回実行委員会。15時から。 ただ、このコンペは、文化マーケットなので、市場経済が中心ではあり、自分としてはいささか場違いの感あり。でも、NPO的、コミュニティビジネスの匂い、あるいは使用価値の間主観的、間身体的なものが入り込めないかなあと個人的には思っている。でも審査員ではないので、せいぜい、うちの学生さん、院生さん、教員さんに応募してもらうように努めたいと思っている。 だから、もちろん、劇団さん、ダンス関係者、美術関係者など、アーツそのものともう一つ、アーツを社会ビジネスとして分解できるものがあれば、ぜひ、応募してほしいし、アートNPOさんや教育、学校、福祉、医療関係の方も、文化とビジネスの良好な関係、どちらが主だというのではないような、そういうアイディア、ビジネスモデルを期待したい。 4月中旬ごろ知事が具体的に発表するということだが、賞金を含めると、1000万円近い予算が通ったので、何とか、いい企画になればいいなあと思っている。5月中旬あたりに説明会と講演会がある。 夜、AI・HALLで岡田利規ワークショップ&パフォーマンス発表公演『奇妙さ』を見ようと思っていたのだが、丸太町をぶらぶら歩いているうちに、そのまま家に帰ってしまった。行きもお葬式の看板があったが、丸太町でも公益社の看板があり、たどっていくと洛陽教会でのお葬式だった。ここは、むかし、はながおおたか静流の前座で歌ったことがある教会だ。 夜、1951年大映、95分の『お遊さま』(溝口健二監督作品)を見る。お見合いからはじまる。京都の嵐山や長谷寺。船場の商人と伏見の酒造家、骨董屋さん。谷崎潤一郎『芦刈』の世界で、最後のシーンはもともと橋本あたりの淀川の芦ではないかということ。京都から大阪への移動は船だったのかなあ。人力車があり、なんだか場所や時代がよく分からない。破産して蛙が鳴く東京(下町?)のあばら家の向こうに汽車が行く居間に寝込む妹、お静(乙羽信子)。対して伏見に嫁ぎなおした姉、お遊(田中絹代)のむなしい贅沢さ。 午前中、めくるめく紙芝居プロジェクトのワークショップがあり(目が見えない人も参加していただいたと聞いている)、そのあとマネジメントチームの打ち合わせもあったのだが、こちらは、滋賀県の検討委員会関連のシンポジウムに出席するために、大津駅へ向かった(少し山科に寄ろうとか思っていたが、最近、過密スケジュールから逃げる傾向にある)。 ガウロッシュ・サックスフォン・クアルテットの演奏というのが、20分ほどあって、そのあと、15分のプレゼンが22分ほどになってしまった失敗もありつつのお話し合い。 無為というコトバ、まだちょっと浮世に色気があるために自分の一日を評価するにはプラスとして使えないが、無事というコトバは、禍々しき事(イベント)も無く、しずかに無事に過ごせたという意味で、みどもにとってプラスのコトバになりつつある。 無為にて心は自在なりというまでの達観境地には至らず、今日もいささかの作為ありしが、望外に無事に暮れゆく土曜日なりき。 ホーメイになるわけではないのだが、自己流でお経のような声を出しながら坂を上る。一度、倍音アーティストに教えてもらわなきゃ。口の前の方が倍音をコントロールするのかなあとか試しているのだが、ずいぶん変な人が椥辻を上がっていると思われているかも。10時半ごろ大学に着く。20分ほど、キャンパス見学会でしゃべる。はじめ、観光・都市デザインコースで織田先生から現代GPの冊子とか地図とかタウン誌3冊とかいっぱい配布され、織田先生は今日行われている山科の産業観光体験ツアーに一目散。 わたしは、一転してのんびり。ポツリポツリ。残念なことに口琴の鳴りが悪かった。当たってしまってガチとなる。もう一つの方が安全なのだが、まだ学生が返してもらっていなかったのか、返してもらったのに見つからないのかどちらかでうーんまた挑戦だ。口琴をベトナムの少数民族モン族の人たちは、恋の語らいにつかっているというインタビューもあって、こういう話もまた集めておきたいもの(http://craftymonks.com/)。 あわてて、椥辻駅へ。若い男性が構内を走り回っている。バイキンマンになっているのか、かなり激しくダンス的。つきそいのお母さんだろうか、いつものことだろうがやはり大変そうで、迷惑にならないことを願っているようだ。この、天衣無縫(にこちらは見えるだけかも知れないが)のプラットフォームや車内でのパフォーマンス障碍者のことをもう少し意識的に考えてみることが、アウトサイダーパフォーミングアーツ研究の重要なフィールドであることは前から思っているところ。 大阪駅着。そのあいだに、アベックの言い争いを聞いている。明らかに女性の方が間違っていることを言っているのだが、女性は強気。本屋でそれを確かめて、男のほうをぎゃふんと言わすという勢い。つけて行ってその結末を観察してもよかったぐらいだ。電車のなかって、観察しだすとじつにいろいろなことがある。昨日は、近鉄電車の中で悠然と親族旅行の費用が高すぎることを延々と相手にしゃべって終点まで携帯電話を切らず、そのまましゃべり続けて京都駅構内を行く60歳代の女性の横に座って、その様子を観察していた。 思いのほか早く着いたので、お初天神(露天神社)を覗く。曽根崎心中の舞台として文楽とのつながりがあり、縁結びのお守りなども豊富のようだ。 とはいえ、ガムラン・コモンズ―音楽の新たな領域。14時から15時前までフォーラム「ガムランの現在と未来」があり、中川真大阪市立大学教授(マルガサリ主宰)の司会進行で、後半の委嘱新曲の作曲家(演奏も二人は一緒にされた)が3名とも登場し、内容にはできるだけ触れないようにして(それでもだいたい傾向は分かってきたりするのもおかしいが)、ガムランの歴史からいまの音楽における場としてのガムランのあり方の提起までさまざまな話があった。 コモンズとは、急速に日本ではなくなり(ジャワでもだいぶんなくなっているかも知れない)共有地ということで、この私有地ばかりになり、あとは公有地(国有・自治体有)でしかない「土地」に、かつての里山のような共有された場、交通する関係を、このガムランがある場のなかで作れないかという提案であった。 ガムランを演奏する場が持っていた共同体的なつながり。比ゆ的あるいは象徴的な感じではあるが、指揮者がいるのでもなく、演奏者がみんな聴衆に向かいあうのでもなく、後ろ向きだったり、隠れている人もいるガムランコモンズの世界。しかし、伝統を保存継承するだけではなく、また、西洋的現代音楽の素材になるだけでもなく、いま失ったものを未来に向けて取り戻すための音の場、場の音が持つ共感、協力、共鳴について。 そのために、前半は伝統的な二つのガムラン音楽が演奏され、休憩後は、15時から18時2分前まで、二人の日本人(鈴木昭男、三輪眞弘)と、ガムラン音楽のインドネシアの作曲家、ラハルジョの作品が披露された。フォーラムがあることもあって、丁寧な曲目の解説がA4版で配られていて、やはり、三輪眞弘「愛の賛歌―4ビット・ガムラン」を聴く前に読んで置いたことは、ずいぶん、その音楽への感情移入にいい方向に役立ったように思った。まったく、眠くならなかった(中川氏は少し眠くなるかもと予告されていたが)し、澄んだ音が、いつものガムランの大いなる響きとは別の音として一音ずつ聞き取る面白さがあった。 鈴木昭男氏のお話は、10年前中川さんにバリに案内されたとき、犬(かってにシマと名づけたということだが)が実に堂々と2キロの山道を案内した話だった。バリでは犬は人格者であるというすばらしい話で、帰り、途中からシマが案内していたのに自動車に乗ってしまってシマに後ろめたい気持ちになり、申し訳なく思って、引き返すと、シマはすっといなくなってしまう。シマは傷ついたのだと鈴木さんはいうのだ。 そのお話と、佐久間新さんやインドネシアの女性のダンスが大活躍する鈴木昭男『ケ・ザ・フォ(戯山巫)』とがまったく切れているようで、そうでもないようにも思いつつ聴いていた。巫ということはシャーマンということだし・・。きれいなメロディ。ホールの端から笛を演奏して回る鈴木さんがチャーミングだった。 ラストは、ラハルジョ『グンパ(地震)』。わたしたちは、聴く前から、日常の豊かなジョグジャカルタの生活を一変する、去年5月27日、午前5時55分から53秒の大地震のことを知っていて、それが後半にあることをすでに分かりつつ、前日の家族のめざめからお掃除、食事、語らい、娯楽、町の自然の豊かさ、祈りのシーンなどを見ている。 女性による歌が特徴的で、日本の民謡とか遊び歌とも通じるおおらかさ。一緒に歌いたくなるようなメロディ。いままでで一番ポップなリズムも刻まれる。それが、インドネシアのいまの音楽事情なのだろう。でも、でも、翌日は地震なのだと思いながら。 こういう本音ベースの平穏な豊かさの提示は、コモンズという関係で言えば、地震後にまた当たり前に取り戻したいことなのだろうと思ってみている。すでに、地震の踊りを踊ることになると分かっている佐久間さんが、ゴングの影からずっと顔を覗かしていて、なにか、自然はすでにそうしていつも私たちを見守り必然として揺れてしまうのかと思ってしまう。 深い悲しさ、憤りの十分な表現。津波のうわさは人災であった。天災と人災、その前にあった豊かな日常。 それらをまるごと―音として響きとして身体に刻まれた総体として―、忘れずに次世代へ伝えるために、あえて、作曲家自身の体験として、そのときをスポット的に捉えた時事的事件的な音楽を作る。時事的というのは、一過的な作品になりがちだが、そうではなく(それは、近松の曽根崎心中と同じかも知れない)、そのときのあの極限的動揺を忘れないために、この時事的でありつつコモンズとして再演され伝えるものとしての新作がここにできたことが、このコンサートの最後をカタルシスとか喝采アンコールで消失することをとどめさせる。 それらは、感情が胸につきささるというよりも、もっとからだのおく、そう、腹にガムランステージ全体がぐいっと深く収まる感覚。 |