こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.5


こぐれ日録536 2007年 5/7〜5/13

5/7(月)

午前中は、ごそごそ。
午後は、二つの専門ゼミ。
3回生ゼミは、13名(6名欠席)。いままで一人ぐらいの欠席だったので、連休明けのせいかどうかは、来週を見なくちゃ、というところ。

じぶんがいま、「○○家の墓」のなかに、ペットも家族の一員だからということで、一緒に遺骨を入れることができるのか、できるところはあるのか、できないという場合の理由は仏教的な理由なのか、あるいは神道的、あるいは習俗的、あるいは行政的・・・なものなのか(水子や嬰児の遺体を別に埋めてきた習俗とのつながりなどは一応押さえておくべきか)、という素朴な問いがあるんだけれど、みなさんのそういう素朴な問いを話して、というゼミをした。

もちろん、卒業研究をすること、論文を書くということの一番のはじまりは、そういう、答えがすぐには見えない(ずっと分からないかもしれない)、ぼんやりとした、あるいは、素朴な問いなのである。テーマを出させてしまっているが、そのテーマに関して、何も問いたいことがなければ、そのテーマはやめたほうがいいかも知れないとまで思っているからだ。でも、まあ、今日はぼんやり楽しくでよかったのだけれど。

ゴールデンウィークにどうして人は群がるのか、という疑問が一番多かった。
どうしてそういう疑問が沸き起こるかというと、この期間、USJはじめみんなバイトをしているからだった。
劇団四季でバイトをしている学生さんによると、同じ演目を何度も観にくる人がけっこういるそうだ。どうしてなのかという疑問を引き出すべきだったのに、「やあ、また来たね、コーヒーね」と喫茶店でバイトしていたゼミ生がいうという話しになってしまって、もちろん声かけを劇団四季ではもちろんしない(タメ口禁止)というところへいってしまって残念。USJでは、いらっしゃいませとはいわないで、おはようございます、こんにちは、こんばんわだtごいう。四季はいらっしゃいませだけ。いらっしゃいませ、こんにちは、とご丁寧にいうのはファーストフードなどだけか。

ゲームセンターにどうして夢中になるのかという疑問も面白かった(ここにバイトをしている学生によれば、彼女のゲームセンターではBGMはかかっていないそうだ、BGMを入れるとゲームに悪影響を与えるからだが、それでもあんなにうるさいのはすごいなあとパチンコ屋と比較して考えているみんな、つまり、もうここで比較研究をしていることになる。じつは、少し本気でゲームセンターとパチンコ屋に行くフィールドワークがしたくなっているわたし)。

大きな凧の上を歩くことでフロー感覚を得たゼミ生のボランティア話を聞きながら、
内部的報酬と外部的報酬ということを考えていた。その展開としてはもちろん、使用価値と交換価値の問題があり、貨幣論へとつづく・・・

4回生ゼミは、もともと少ないので和気藹々。
うれしかったのは、卒業アルバム制作委員というのを決めているのだが、それをまた生協に報告しなくちゃいけない。その用紙を渡して、欠席の子も含めて名前を書くようにいうと、書くだけではなく、これ、生協にもっていけばいいのですね、と自発的に言ってくれる。

おお。4回生。当たり前のようだが、こういう反応は3回生までではなかなか出てこない。
でも、今日の3回生ゼミでも、これ、支援課にもっていってねというと、素直にもって言ってくれたので、これだって、数年前、1回生ゼミで、同じ事をいうと、パシリやん、いや・・・という反応があって、やば、と思っていたときから比べればパラダイスである。

おっと、4回生ゼミの話に戻って、21日がアルバムのゼミ風景撮影日ということで、欠席の学生にメールしてもらっているうちに(いま起きた、あるいは起こされたという学生がいた、完全に昼夜逆転バイト人生の子たちだ)、昔のアルバムを持ってくる。これを見せると自分たちアルバム委員がすることが分かるからだ。18000円もするのだから、いい写真風景を撮らなくちゃね。

そのアルバムを見ていて、個人写真のコーナーがあり、ぱっとみたら、写真の下に「ひきこもり」とあってびっくり。そうそう、この卒業生さんは高校に行かずひきこもりだったので、それを卒論にしたのだったが、卒論のタイトルがそれだけだったので、けっこうインパクトがあって、そうだ、と思って、ゲームを思いつく。

一列6名ぐらいいるなかで、卒業研究タイトルを隠しておいて、こちらがピックアップしておいた卒業研究テーマを当てるというもの。そうすると、スポーツ系は、服装などでかなりあたるし、リサイクル研究の学生の服装が確かにそんな感じで、けっこうあたって面白かった。
これで、4回生が本格的に卒業研究をしようという機運づくりになったかどうか、いささか、無理無理。まあいいよね。

私はいけなかったこわれ者の祭典in大阪について、「あたたかい共感の笑い」ということが書かれたブログ< http://foro.blog.shinobi.jp/Entry/66/>を読んだために思い出したこと
=三浦佑之(すけゆき)『古事記講義』に書かれていた(文春文庫p91〜99)古代の「笑う」についての3つの言葉の使い分けメモ:
ワラフ・・・声を出して口をあけて(「割る」という語からおそらく別れて出来たと柳田国男)、やさしい気持ちを伴わない「笑い」。笑われる相手のある場合には不快の気持ちを与えるもの。攻撃性があり、軽蔑の意味も含まれる。

ヱム・・・ワラフと異なり、声がないもので、したがって「看る」「笑い」。対象に寄り憑かれて満ち足りた悦びが顔面にあふれ出るさまをいうもの。いまでは、えがお、ほほえむ、ぐらいしか残っていない(つまり、笑みを浮かべる、ほくそえむ・・というように複合的な表現にしかない)。

ヱラク・・・三浦氏の主張:これが「満ち足りて喜びにあふれた」「声のある」笑い。古代語でいまはないが、アメノウズメの踊りに対する神々の「笑い」は、このヱラクであったという考えで、わたしも共感するもの。万葉仮名では「ヱラ=恵良」であり、古事記などでは「咲」が「笑」の字で、これをヱラクと氏は読む。


5/8(火)

昨夜は、布団とパジャマを夏用にすべきだった。
だから、何度も目が覚める。2時に起きたとき、おお、いつもこんな夢を見ているのかと思った。
スウェーデンの電車は間接照明でぼんやり浮かびだし、子どもたちが遊べる車両があるというようなことが書いてある本を読んでいたら、そういう車両に迷い込む夢。やっと探し当てた車両には、障碍のある人たちが遊んでいて、すき焼きパーティが終わったあとだった。

その夢と奇妙にループしている夢は、二口大学さんがやっているバイト(もちろん夢なので本当の大学さんではない)をわたしもすることになって、それは、営業(売り込み)のバイトであって、なぜか、コーヒー豆と何かの部品を売るもの。着替えることになって、ズボンをはくと半ズボン。いやだなあと思いつつ、そこの上司に注意を受ける。分からなかったら大学さんに聞くようにといわれるのだが、私は携帯がない。まずいなあ、それにこの頭だったら売れそうにないなあとあるいていると、ここは東京で皆目道が分からず、二口さんを見失う。

すると、地下鉄から、あの車両に乗っていた人たちが上ってきて、一緒に行こうという。でも、こちらはバイトをすることになっているからと歩くが、見当たらない。そのうちに迷子になって、やっぱりバイトは向いていないしちょっと助かったと思っていると、大きな駅前に着く。そこでは、デパートだった建物をちょうど壊していて、壊したあとからマンションが現れるというショーをやっていた。へーと観ながらいくと、ここは大学生のとき下宿していた世田谷の経堂なので、繁華街はほとんどなくテーマパークの出来損ないやなあと思っているとすぐに高速道路の中間帯みたいなところに出てしまう。「高速道路が出来ていて、もう向こうの世界にいけなくなってしまった」と嘆く老人に会い・・・いつの間にか高速道路と思っていた道は線路で、夜になっている。列車がやってくる、乗り込む。また、同じ話し・・・

今日の夢は昨日の3回生ゼミの復習とか読んでいる本の反復みたいで、だいたいこうして夜記憶がつくられているのだなあと、ぼんやり思っている。

近大の今日の授業だが、あさ、準備していて、やっぱり、文化芸術振興基本法全文はじめ、京都府、京都市、大阪府、大阪市のすべての条例を読んでみようと思い立って、あれこれ作業して、授業をしたために、無理やり、文化ニーズ、文化力、文化政策をハイスピードでして、法律と条例へと突入してしまう。これは詰め込みすぎた。2回分として、もっと、噛み砕いてすべきだったと反省。でも、教室はしーんとして何とか理解しようとしてくれていた。来週は、もう一度、違う角度からこれらを再構成して説明してみようと帰り考えてみたりする(京都橘大学では、条例は京都府と京都市のみにすること。近大では大阪市の条例と〜こちらはノータッチなのでそっけない条例としか思えないのだが、きちんと法律学的に読み込んで〜フェスゲなどの現実との関係を少し入り込む必要があるかも)。


5/9(水)

長野県から来た1回生が暑がっている。ありえない〜、5月でこの暑さ、と。
基礎ゼミ、遅刻してきた学生2名(一人は教室が分からなくなっていた)はいたが、全員出席。
大型連休後、そして、夏休み後ははらはらするが、こちらは大丈夫ね。
半分の学生には『今日の芸術』、そして、半分は「マイ文化政策事典」の発表。さいごは富山県の学生さんの富山弁事典だったのだが、すこし時間があったので、それぞれのお国言葉で富山言葉を変換させてもらうことにした(「だら」もあったね)。一人、愛知(名古屋だろうな)からの学生さんが困っていた。ぴたっと一つの言葉に特定できないという。ほとんど周りがみんな標準語だったようで、それはそれで面白い。

京都府からお客さん。真摯に心配されているようである。私的には、先が見えないけれど、可能性の幅が極めて広いので(単年度的な事業でないことやいま関わってもらえるかも知れない人たちのきわめて高い能力と広いネットワークの資源を思うと)、最悪(ボトム)を従来どおりと思っていて、そこからどこまでいけるのか、楽しみ(わくわく)な気分がけっこうしている、みたいなことを話す。

同時並行的にTAM研。TAM研メンバーは7名ほどいるが、みんな3回生以上である。
かなり、意図的に2回生(もちろん1回生も大歓迎)を勧誘しなくちゃと話す。
そのためには、TAM研加入というハードルは高いので、まずは、1回企画に関わらない?という軽い感じの誘い方、できれば、大学で紙芝居実演(すくなくとも映像上映会)がいるかも。

あと、トミー中心にビデオカメラの活用(5/27の子どものフォーラムではゼミ生の活動記録に活用してみたい)。カスミンは、情報処理のアシスタント?みたいなことをしていて、今日は緊張度合いがやや少なくなっていたが、けっこう13時からが大変そう。残りの3人に、学部長室(ここは3月までI先生がいたところで、いつまであるかは分からない)を案内。トミーが口琴を練習しだしたり、部長椅子にみんなが座ったり、はしゃぐ。

あとで、隣のA先生に、TAM研たちがうるさくして、すみません、というと、それより、小暮の声が大きかった、といわれる。げげ。私の研究室以外は、2つの研究室が一区画になっているようで、どちらかの隣の声は聞こえるのだそうだ。知っていただけに(A先生はずっとI先生の声に悩まされていたらしい)、プチ反省。でも、TAM研を学部長室ですると違う面白さがあったなあ。あと、他山の石。じぶんだって、けっこう「きもい」ことをしてきたかも知れない。


5/10(木)

あさ、キャリアセンターの方からメールとお電話。
インターンシップの応募状況が少ない(ひどいことになっている)とのこと。
つまり、アーツマネジメントの本気度合いが、どんどん減少しているのが
厳しいいまの現実なのである。もちろん、アーツマネジメントだけのことではなく、
ひろく、いまの若人減少なのだろうが、やはり、わたしにとって、アーツマネジメント、おまえもか、と思ってしまった朝に:

○ 受粉せず数だけ多く飛ぶ花粉    月豚

きょう、確定の受講者名簿がメールボックスに入っていた。
 アーツマネジメント総論(過去の類似科目も含め)110名
 自分探しの旅b 142名
 アーツ鑑賞演習26名

2限目のアーツマネジメント総論、100部刷っていって、残りが数部だったのは、10名以上増えたせいみたい(あとで数えると95名だった)。授業スピードを、近大よりも少しゆっくりにしていく。人数も多いしね。
途中で、アーツマネジメントについての6つの定義のうち、自分が一番しっくりするものを書いてね、のような少しスピードダウンするような、「すき間」をつくった。授業も「ま」だなあ、じぶんで言っておきながら、なかなかね。それでも、かなり難しい、というコメントもある。

自分探しの旅は、130名。
つき山いくよさんから、6/3の細野ビルヂングでの『BOCHIBOCHIホリデーショー〜パンの巻き〜』のアーツマネジメントのお手伝いをしてくれる人、あるいは、一緒に企画に参加してくれる人を募集したいのだが、という話があり、そのためには、まず実物を見てほしいので、大学の授業で演奏をしたいということだった。

まったくありがたい話である。
できれば、アーツマネジメント総論の授業で、と思っていたが、4名とも来たいので都合がつくのが、この自分探しの旅の時間だということであり、1回生中心だし、文学部の学生さんたちも多く、人数が多いと熱心さの度合いはよりバラエティに富んでしまうのだが、マイクなしで、渡辺智江さん中心の歌もよく通り、ダンスもじつに微笑ましいものだったので、ずいぶんみんな入り込んで聞いていた(でも、行きたいと出席カードに書いた10名ほどの連中がほんとうに何人行くかは悲観的。行きたいと書くのは簡単、でもだれもいかない、いけない理由を考えるのがうまいだけ、それがいまの若者、京都橘だけがそうではない、どちらかというとまだ愚直なほうだが・・・)。

DVDの装置使いはなかなかむずかしく、わたしが一番不得意な教室なため、辻野恵子さんには苦労をかけたが、青木パン子君(学生の声に「パン粉」のほうがいいというのもあったが)の素朴な動きもまた味があり人気だったし、楽しかった。子どもさんのお迎えがあるので、みなさんはお先に帰られる。何人鑑賞に来てくれるのか(大阪は遠いので、と書いてあり、下宿の1年生にしたらずいぶん大阪ははるか遠い異界なのかも知れない)、興味は持っても、そのあとの第一歩が授業のテスト評価の一つというぐらいでは弱いかも知れないな。でも、お手伝いをする学生が一人だけでも出るとうれしいのだが。

そのあとは、紙芝居の歴史を簡単に=図式的に話した。
すなわち、
無声映画からトーキーになった頃に街頭紙芝居が出てきて(出自としては、立絵が芝居小屋などから街へ追放されていく過程で一人でもできる抜き取り式紙芝居となる、という歴史ももちろんメインにはあるのだが、それは触れず)、戦後の紙のない時代に全盛期になるも、街頭テレビで命がなくなるまでをざあと話しつつ、ついでにチンドン音楽についても触れるというもので、事前準備がほとんどゼロだったので、「墓場の奇太郎」」がなかなか出てこなかったり、同じく紙芝居から貸し漫画時代へといくとことで、白土三平のカムイ外伝とかを例示しようとしてなかなか固有名詞が出てこず困った。

ただし、図式的=複製芸術の変化のはざまの街頭双方向メディアとしての図式であるが、これを学術論文としてもし書くとすると、街頭テレビの出現が街頭紙芝居を駆逐したというのは明白だと思うが、弁士と楽士が失業して、それが一部紙芝居師とチンドン楽隊員へと移行したこともあって、街頭紙芝居とチンドン屋が成立したというためには、まだまだ実証すべきものが不足しているし、たまたま、時期的に符号しているので、そういう線もあったし、また別のことも重なってあったというぐらいしか言えないのかも知れず、因果関係的なことまでは証明できそうにはない。

18時から、インターンシップの事前研修。
4名は来るとまえは思っていたが、今朝のはなしのとおり、たった一人。
でも、かのじょとしゃべって考えを改める、じつにすがすがしい気分になる。

そう。ふと、ある老館長の言葉を思い出す。1000名が2時間だけ感動するよりも、
一人がそのあと一生を変えるきっかけを与えるコンサートを作りたいといっていたことを。

こころざすことに、まるで人数なんて関係ないのであった。
ここに損得とか目先の利害など関係なく、
アーツマネジメントにまっすぐ見つめている人が一人いることの価値。


5/11(金)

きょうは、午前中、京都橘高校へいく日。
気温は昨日ぐらいだが光はまぶしい。まだ、マスクマン。
きょうは、前2回に講義し記入してもらった内容(聞いたことを書き写したエクリチュール)を、一問一答の形で復習しつつ、自分の言葉(パロール)にしていこうと考えた。
でも、どうしても、答えが単語、あるいは単語の羅列になる。会話にならないのがすこし歯がゆい。(例)アーツのなかで、あなたの関心のあるものは?じかんのアーツ。じゃあ、それはどんなジャンルから構成されている?音楽、演劇、ダンス。そのなかでどれに関心がある?ダンス。ダンスについて、自由に語ってください。沈黙。じゃあ、ダンスの種類を言ってみて・・・・・

それでも、新聞記事を読みつつ、これって、NPOだよね、とか、いままでの抽象的な話を具体化して行く。きょうの最小限の課題であった、43名全員にパロールを!は無事クリア。まあ、ぼつぼつね。来週もこのつづきで、少しずつ、会話したいな。

家に帰って、芳江さんは知り合いの展示を見に東梅田へ行ったので、つくってくれていたおにぎりなどを食べながら、このまえBS2でやっていた映画を見る。
ウルグアイ映画、2004年(サンダース映画だ)、94分。『ウィスキー』監督は若い二人で、一人のホアン・パブロ・レベラ(公式サイトは違う読み方だが)はそのあとなくなったという。もう一人はパブロ・ストール。

アキ・カウリスマキぽいという評判はだいたいあたっている。ブラジルにくらべてずっと大人しくさびしいところなのだろう、ウルグアイは。靴下工場だからマッチ工場をすぐ連想するわけで、しかも、幸せということばがなかなか似合わない工場主60才と女従業員48才(まあ工場長かな、いつも帰りに二人の女性労働者のカバンをチェックしているから)。そこに、陽気なブラジルで成功したみたいな弟55才が、お母さんのお墓が出来たため(法事ですね)、帰ってくる。

ざんねんながら、法事のシーンは描かれていなかった。でも、映画でもお芝居でも冠婚葬祭がきっかけで、単調で平凡ででも平和な日常に漣がやってくる。そして、それは、おもわぬ嫉妬とか駆け引きとか惹かれあいとか賭博心とか、そういうあれこれを生む。
ラストはじつにわたし好みね。ぷっつり、いっぱいこちらの想像力余地を残してくれて。
でも、すこし前半、繰り返しに、うとっとしたりはした。食後だったから。でも、何もまだ変わっていなかった。あのシャッター、あの機械、あの壊れたブラインド。

あのカップ(お茶いれ)、あの車(エンジンがなかなかかからない)・・・いろいろ書きたいが、また。「また、明日」といわれると「神が望むなら、また明日」とグアテマラではいうのだそうだ。「神のみこころのまま(神のみぞ知る、といわれるとちょっとむっとするかも)」という言い回しもあって。そして、この言葉が・・・(おっと、ネタバレか)。日常がつづくというのは、そういうことかも知れないと、信仰というヒトが創った文化の大本とも思われる文化の意味に心が向かって。

それにしても、故マルセ太郎が一人芝居で演じるのにぴったりな映画だなあと思いつつ、京都府立文化芸術会館へ。『イッセー尾形のとまらない生活2007in京都』。19:08〜21:01ぐらい。新作ばかりだという。頑固なおじいさんがよかったなあ。断食のシーンではアチコチでお腹が鳴っていた。でも、ちょっと長いので、お尻もぞもぞ(キャラクターがよく出来ているので、つぎに来るアクションが読めてくる、それが安心の笑いにはなるとは思うのだが)。

でも、最後に彼自身が彼自身として、あいさつ。いいヒトだなあ・・・あたりまえかも知れないが、イッセー尾形がイッセー尾形を演じているのがいちばんいいなあと思ったりもする。
そうそう、シーンの間、着替えのときに、ドイツ語の歌(キャバレー的ショーが楽しみ)があったし、その前には、口琴が印象的な音楽がかかっていた。


5/12(土)

きょうは、隔週でやっているアーツ鑑賞演習の日。
3時間たっぷりあるので、1日でけっこうぱっくり提示できる(はず)。

あれこれ悩んで、けっきょくダンス鑑賞の日にする。
6/9に昼ノ月さんを観させていただくことになり、
その直前(5/26)は、ぜひ、演劇、たとえば八時半の公演映像をみてもらっておこうか、とか思い。
そのあとも、演劇、そして、演劇やいまのダンスも含めたステージを鑑賞するために、
逆に古典となる映画を鑑賞するのがいいのかと思っている。つまり、小津とロメールね。
すると、ダンスがどうもうまくはまらないのだ(授業計画の工夫ってむずかしい。でも、この前のまちあるきは割と好評だったようだ。カメラを持ってくればよかったとかあった)。

ということで、今日は古事記神代篇のアメノウズメのダンスによって神々がヱラキ、アマテラスが岩戸から出てきた話をちゃんと原典(もちろん口語訳)で提示した後、ダンス映像をたっぷり。ひさしぶりでじゃれみさを観て、このころ(2001年)まではじつによく観ていて、それでも、きょうあっと思ったことがあったし、見たことがある作品を映像で冷静に見ることはそれなりにためになる。

動画を流す授業って、楽そうに見えるのだが、つい、何かコメントしたくなって、それをすると学生にはよくないだろうと反省し、じっと見ていると、お仕事してないじゃない?って言われないかと思ったり微妙なものなのだが、いちばんのお仕事は、どういう順番で、どれを見せるかである。そのため、準備のために見直したり巻き戻したりけっこうめんどう。

しかも、ラストのほうは、決めずに、学生の反応とかを見つつ、選ぶので、ちょっとしたライブ感あり。でもDJみたいにするとうるさがられるし、画像をつなぎ合わせもして、DJみたいにすれば面白いかも知れないが、これは学生が鑑賞する力を高める演習なので、じっとがまんする。終わってからは少しだけ明かりをつけて文章を作らせる間を与えていて、けっきょく、わたしはほとんどしゃべらない(鑑賞のど真ん中を言わないように気をつけていて、逆についいらないことだけしゃべってしまって、一人怒っていた学生もいたしな:反省)。

これらの映像を私は最初、一番後ろの席のその後ろからよく見えるかどうかちぇっくしたり学生の反応を見ていたのだが、途中からは一番前で見ていて(細かいところを観たくなったりして)、結果的に私が見ている私の背中を学生に見せていることになったのだが、その背中が授業なのかも知れないなと、思ったりもする。つまり、ここは、と思うとき、自分は前のめりになっている。ちょっとゆるく思ったりすると、半分無意識で首を微妙に動かしたりもしているようで。鑑賞する態度、姿勢、それを身につけるには、自分流の鑑賞スタイルをつけるしかないので、まあ、それを見せることも含めて、これが授業なのね。

しげやんの「i.d.」はずいぶん多くの学生が「観たことがある」と書いてあった。アーツの扉とかで見させたか。どうも、記憶がなくてよくないが、2度目もまたよし、というコメントもあったし、わたしは何度見ても新鮮だ。それは小津安二郎映画とおんなじ。でも、小津よりロメールをまず観てもらおうか。これはまだ誰も見ていないはず。ロメールから長谷川孝治という流れが素直だろうし、小津から平田オリザなのだろうな。時間が足りない!

はなしはまるで変わるが、
名古屋の藤井さんの日記(mixi)によれば、名古屋のしらかわホールなどは、携帯電話の電波が来ない圏外なのだそうだが、それでも携帯電話が鳴るのだそうだ。
安心して切らないでいると、充電が切れてきて、かってにアラームがなるという(なんとやっかいな代物をみんなは持っているのだろう)。
便利なものって不便だね。コピー機でも、かってに90度動かしてくれたり、いらんことを今日もしてくれて困ったし、ワードもよくかってに箇条書きにしてくれたり、英語をはじまりを大文字にしてくれたりと、余計なお世話をよくしてくれるし。

いやあ、いい芝居だった。これからが楽しみ。スペースイサン。10分前にようやく着く。18:35〜20:20ぐらいだったか。けっこう、あっという間。ベタベタ、しもねたなのだが、中学生の「性」なので、本音の中学生日記みたいで、明るいのだ。みのもんたとか所ジョージとかのモノマネというやつも、それが中学生がやっているというところで、あやうくセーフにしつつ、おもしろがらせている。
たぶん、客席が笑っているところで、身内ネタもあったかも知れないが(それか、TVかゲーム?)、それでも、無駄にエネルギッシュなので、許せたりして。

お奨めです。
悪い芝居。
悪い芝居がよかった。これが今日かきたかったこと。
でも、本芝居を観てからかな、8/23から京都芸術センターにて。
おっと、題名を書かなかった。
《悪い芝居のブレてる助走 性春群憎劇のススメの手引き。》
出演もしている山崎彬作・演出。劇団西一風と劇的集団忘却曲線とあるので、立命館大と京都精華大の混成チームか。3名の女の子、やめないでね。


5/13(日)

午前中、マンションの管理組合の総会。今年度、もちまわりの理事が回ってきて、わたしは書記ということで理事長にならなくて助かるが、こういう機会に身の回りの近隣、地域を考えるぐらいしか、なかなか自発的なことが出来ないだろうから、空いているときは、自分が参加するか、と思う(6/3はさっそくボチボチホリデーショーが午後あるので、ぎりぎりかも知れない)。

この前、京都シネマでみた『ありがとう』の前作『ぴぐれっと』(2002年度、98分、16mm)を購入していたので、観る。音楽が、おお、きっとこのチューバは関島岳郎さんだろうし、音楽もなあと思ってみると、ストラーダ。チラシには、伊勢真一演出作品とあったり、伊勢監督名は「企画・編集」とクレジットされている(チラシの上部に「伊勢監督の新作」とあるので監督しているのだろうが)。ドキュメント映画における「演出」って、なんだろうと、チラシをみるだけで思わせる。

というのは、この作品は『ありがとう』よりも、自分の姉のこと、姉から相談があったことなど、より親密な関係から生まれた作品だということを正直に出しているからで、だからあえてそれでも「演出」があるといいたいのだろうか、と思ったりする。ぎゃくに、そういう関係だからこそ、伊勢監督(ほかカメラなどのスタッフ)も出演しているということで、それを演出しているということをただ、書いているだけなのかも知れない。

障害者が働く作業所のドキュメンタリー映画って、けっこうあるのだろうが、こうして、障碍を持つお子さんをもついお母さんたちが自分たちで作って行く過程を追った映画はわたしには特に貴重ですぐにでもTAM研のみんなともう一度見たいと思うし、内容はもちろん重要なのだが、やっぱり、この近い距離からの映画づくりということに作品批評的には興味深いことだとも思う。

ちょうど終わって家を出て、ぴったりに着くだろうとフェスゲへ。でも早く着く。地下鉄を使うと、70分ぐらいか。そのあいだ、づぼらやが見え通天閣が正面になるフェスゲ(スパ)の大階段に座って(どこにも座るところがないので)、本を読んだり行きかう人たちを眺めている。がらんとしたフェスゲとにぎやかな新世界の対比。

アートシアターdB。男肉du Solell。ダンニクドゥソレーユと読むのかと思っていたら、この前近大の印刷室で碓井先生から「おにく」というのよ、と自分の教え子たちのことを熱く語ってくれていた。岩下徹さんにもお世話になって、変な名前でしょというので、ええ、まあ、とかこちらは舞台を観ていないので、いえ、単位にもならないのに授業に出てくれた斉藤亮君からお知らせがあって、とか言っておく。

昨日見た「笑う芝居」と同じく、劇団名(男肉は、ダンスカンパニー名といってもいいぐらい踊りが多いが台詞〜これがじつに素人的をあえて出しているようで〜もあるのでまあ劇団でいいかも)もそうだし、タイトルもおかしい。そしてここはむやみに(むいみに)長い。

《銀河鉄道肉肉肉〜男肉―夢―希望=脂肪〜 ギャラクシーエクスプレス029〜どこかでなくしたあいつのアイツ〜》。劇場内で独自にメニューを作り売っている。カレーにフランクフルトに発泡酒、貧乏な学生などにぴったりのもの。売っている男はぬいぐるみ。かわいい女の子だったらいいのに、と思うが、男肉の世界(でも、途中、2回の休憩のときでは、素顔の女子も助勢していた)。

はじまるまえから、むいみなトークショー。「笑う芝居」も楽屋でのタバコ談義を音声だけで聞かせていた(たぶんライブだろうが、ひょっとして録音かもしれない、どうでもいいが)。比較するほど似ていないが、たまたま連続してみるのでこちらは比較したりはしてしまう。もちろん、過去に見たこういうタイプのお芝居やダンスもかってに思い出されるし。

飲食もオーケー(これは売っているので当たり前)、携帯電話もフラッシュ撮影もオーケー、ただ、喫煙だけはご遠慮ねがいますと前説のその売り子ぬいぐるみ男肉くんがいって、直後に、音響でステージにいる花水木しげる(ずっとステージで音を出していて、それを見せるのもここのスタイルだ)が、大きな炎でライターをつけて喫煙する。

高校生のお話のようである。もちろん、男子ばかり7名ぐらい。Jくん、いじめられている。舞踏をしようとか言って、彼だけ、ゲーム?ぎゃくね。身内受け的だけれど、でも、麿さんや唐さんが引用されていて、けっこう、おかしい。あんまり、舞踏は習っていないのではないか(でも岩下さんにお世話になっていると碓井さん言っていたなあ?)。

90分のお芝居といっていたが、17:00〜18:58。確かに盛りだくさんだが、やはり前説でそういったのだから、そこに収めて欲しかった。ダンスできる連中がばかばかしいことをめいっぱいくそまじめにすることの面白さ。悪くはないので、あとは、ちょっとしたてらいとかそういう部分をもっとかなぐりすてることだろうか。もちろん、別の表現をこのなかのメンバーがしたければ、どんどん別ユニットですればいいのだし。ここも精華小劇場に出るという(2008.2)。楽しみだ。


KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る