こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.11


こぐれ日録564 2007年 11/19〜11/25

11/19(月)

また、新しい月曜日がはじまる。冬なみのコートとマフラー、帽子。
午前中、研究室に散乱しているチラシをすこし整理しだす。
ダンス、演劇、音楽、美術、映画・・・終わったものも特徴的なものを昔は残して授業に活用していたのに、最近はご無沙汰。でも、学生にいま活躍している美術家、音楽家を知ってもらうのにとてもいいので、今度、なんとか、使ってみようかと思っている。

でも、なかなか整理はできない。研究室の床にはいつくばっていると、となりのO教授。東京で内閣府の方がたに会った話。たまたまわたしが勉強会に行ったわけだが、うまく、新年度にむけて何らかのリンケージが出来れば、望外の喜び。

午後は、専門ゼミ。
パブリックアートを再考するといういい論文があったので、それを素材にさせていただく。
4回生の一人がずいぶん卒論を書いていて、ホントに細かいチェックをしているとあっという間にお時間。もっともっと、これを早くからできればよかったのだけれど、でも、いいや。

あわてて、帰宅、18時から宮本歯科。
お掃除しましょうね、とやさしく言われるのだが、けっこう、口開けて歯垢をとってもらうのは草臥れる。でも、この前よりよく歯磨きできていますといわれると、小学生になったような気分でうきうき。と、歯科の先生に耳打ち。先生がかわりにきて、ひだり下の親知らずに穴があいていて、虫歯ですね、という。あらら。しかも、3つの選択肢を出されて、どうしましょうという。1)ほっといてダメになったら抜く、2)応急的に穴をつめる、3)本格的に噛めるように治療する(でも金冠がとれる恐れあり)・・・こういうこと、委ねられるとよけいに困る。とりあえず、真ん中で!こんなのでいいのだろうか。


11/20(火)

今日は、いつもは京都橘大学に来ない日なのだが、会議があるので、のこのこ。
来週の専門演習では妖怪についての基本的な文章をみんなで読もうと思って印刷室。こんな文章から始まっている(小松和彦『妖怪学新考〜妖怪からみる日本人の心』小学館、1994年、p6)

<人間は想像する。その想像力はまた、さまざまな文化を創りだす創造力でもある。そしていま私たちはその創造力が作りだしたぼうだいな種類の文化を所有しているわけであるが、そのなかでもっとも興味深いものの一つが「妖怪」と称されているものであろう。この「妖怪」を研究する学問が、ここでいう「妖怪学」である。>

08年度シラバスを入力しようとすると、来年度に受け持つことになったキャリア関係の科目がまだ入力できるようになっていなかった。仕方がなく、それ以外を入力完了。
「都市とアーツ」というのが新しい科目として1回生からあるので、これには、妖怪論もちょろりと登場予定。

明日は、推薦入試の日である。
来年4月の新入生キャンプが月、火であるので、いつもは問題なく美術館とかいけるのにそれが出来ないとS教授。いろいろ大変。
S准教授から卒業研究のファイルを二種類もらう。今年度から口頭試問が厳密になるからだ。


11/21(水)

ぶじ、大学の仕事が終わって、研究室へ。
寒いが、夕方の光が雲から漏れて、ここの夕日はなかなかいい。
一つ、中間報告を書く。早いだけが取り柄だな。
さて、帰ろう。

そうそう、
京都橘大学の吹奏楽部、高い評価なのでびっくり。
そうか、夏の大会、がんばったのだなあ・・・
< http://www.kansaiwind.com/kansai07d.html >
和太鼓部も続きたいね。


11/22(木)

あさ、そうだ、わたしの頭の中にある紹介したいアーティストリストを作ろうとした。
とりあえず、簡単に手書きしているこの数年の鑑賞リストをパラパラ。
チラシや当日パンフをファイルしているものまでみればもっとあがるのだろうけれど、
美術と音楽、合わせて、59名。えらい中途半端なのは、時間切れだからだが、これで、学生には最終テストの少しはヒントになるだろう。

これは、とっさの資料だけれど、もう一つ、チラシを整理したので、今日は美術のチラシを机二つ分合わせたところに並べて2枚ずつとってもらう。ゼミぐらいの人数ならそれを見せ合っていろいろ発見があるのだが、今回は、企画づくりのヒントだということで、チラシをちゃんとみて企画プログラミングに生かすことともに、大学内にあるチラシを無駄にせず学習に応用する(もちろん、そのチラシで公演や展覧会に行ってほしいのは山々だが)ことなどを隠れたねらいにして、久しぶりに使ってみる。

今週は美術だったので、来週は音楽。じつは音楽のチラシは一番少なくて(映画も少ないが)、しかもちょっと地味なのである。あんまりコンサートとか行かないからね。

今日も君が代のメロディーが3つ以上あったという話< http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tpnoma/kimi/kimigayo1.html >をした。同志社の大学院でも驚かれたけれど。今日は実は文部省がこしらえた君が代(これが普通第3といわれている)は流さなかった。ごちゃごちゃになるから。かわりに、建前としての西欧音楽に対し、ホンネ(本音)の音楽の流れとして浪曲をかけてみた。

夜、芝居流通センター・デス電所第17回公演『残魂エンド摂氏零度』作・演出:竹内佑、音楽・演奏:和田俊輔を見た。24回も公演するのだということで、もう終わりの方だ。精華小劇場もロングランの可能性を追求しているわけだろう。日替わりゲストが、コメディアドリブ部分(呑気な感じの便利破壊テロリストの探索シーンに当てられる)に登場。今日はオタクものまねの人だった。

デス電所、ずいぶん前にKAVCあたりで見て以来かな。今回の印象は、ずいぶんとコンパクト(100分強)になっていて、それに、終わりも、ええ?と思ったぐらいに、すっきりで前向き感あり。コンパクトなのは音楽が進行を管理しているからかも知れない。もちろん、単純すぎるわけではなく、辻褄があいすぎて退屈というほどもでもなく、一応、あれれ?と思わせる仕掛けもある。踊ったり歌ったり、まっくらにしてちょっと客席に侵入したり。まっしろな室内に9つの扉。そこは電脳空間でもあって、女主人公リア(山村涼子)がアンドロイドのリイチ(丸山英彦)とともに、ゲーム感覚で過ごしている。リアにあるのは、空気が読めないと言われないよう用心しつつチャットで盛り上がり、ゲーム感覚で人の弱点を握って「勝利」すること・・・そんなはかない「いま」の幻だけ(だった)。

9名の劇団中、女優は二人だけだが、なかなか対照的な役柄を演じていて、80年代ぽく内向的な衣装の山村涼子と、水商売ぽい衣装で姉御肌の田嶋杏子、どちらもいい役者だなあと思ってみている。もちろん、男優さんだって、それぞれ踊ったりコントしたりしているのだが、(有料パンフに載っていたためだろう)何役をどの役者さんがしているかは分からない。

オタク系、ゲームやコミック、アニメとかはまるで知らないし興味がわかないので、いつもアンドロイドが出てきたりするこの手のお芝居を見ると取り残される感じがするが、今回の芝居は、そういうおっさんにも優しく出来ていて、その分、濃い人たちにはどうだったのかな、とは思う。でも、ストレートに、自立して外に出てみよう、でも外はテロルの嵐なので、いまは、生きるためにまずシェルターに隠れよう(これって結構単純ではない言い回しになっていてアクチュアルでもある)というメッセージに、おっさんのわたしは好感を持った。

あと、日替わりゲストを入れるという工夫は、もちろん、そのゲスト目当ての小劇場初心者を取り込むというもくろみ、あるいは、同一公演リピーターを増やす(ロングランには必要だろうから)というもくろみのもと、考えられたことなのだろう。さらに、役者たちの中だるみとかマンネリを防止するという効果もあるのかも知れないとか思ったりもした。逆に大変なこともあるのだろうが。


11/23(金、休日)

この前、研究室に京都橘大学能楽部の子がおずおずやってきて、きてくださいと封筒を差し出す。こうして研究室を回っても顧問のH先生以外は来ないのになあ・・とか思っていたが、ふと、だったら、行こうかなとはなを誘って出かける。

無料だし、やっぱり自分のところの学生さんが精一杯舞っているのを見るのはうれしいものだ。
15回記念だからか、別冊漫画のパンフもあって、まあ、それが笑える。14時すぎからだったので、全部の仕舞や舞囃子は見られなかったのだが、能楽『舎利』と、舞囃子の高砂五段・鞍馬天狗・海士、そして、お師匠さんすじ(浦田保利・保浩・保親)の仕舞も観られた。浦田保利氏の草子洗小町が一瞬浮かんですぐに消え、おお、これは全部拝見したい!と思わせられる。

女の子がシテやツレになって能面をつけると、伎楽面みたいになるし、肩がなで肩だし、なんだか、小鬼とか、小さいオババ系の妖怪に見えて、ひっくり返らないかとか、舎利を落とさないかとか、そんなドキドキ感もあって、なかなか、面白いもの(親御さんとかはそれどころではないでしょうが)。

舞囃子の最後、パンフには左鴻泰弘さんとなっていたのに、4回生の女子が太鼓を叩いていて、その掛け声が聞きなれないこともあるし、初々しくて耳に残っている。来年のアーツ鑑賞演習は、この橘能を入れてみたいなと思う。20名ぐらいなので、脇正面に座らせれば迷惑ではないだろうし、能舞台の説明とか、図面だけよりは、ずっと腑に落ちるだろうし。

寒いので本屋に寄るというはなとラーメンを食したあと、満員の京阪特急でウイングフィールド。満席なり。
金満里『ウリ・オモニ』。3度目かしら。何度観ても出始めのあの暗闇、そして、しあわせいっぱいへの転換、殻からの脱皮、僧舞の優雅さ、そして、大野一雄101歳が乗り移ったかのような洋装・・・・一つの舞台作品というよりも、生きとし生けるものを見守る聖者死者からの祈りそのものであった。ただ、少し金満里のからだが重そうに見えたけれど、これは、そう見えただけかも知れない。


11/24(土)

應典院へ。
きょうは、日本アートマネジメント学会の全国大会。前回の関西での開催では部会長だったが、今回は、当日、分科会の司会をしてその報告をするだけなので、ずいぶん楽をさせていただいた。

ちょうど、船井美佐展―境界―プラトニックディスコが、お墓をバックに、あっけんからんと展示されている。1階にも鏡の作品あり。
應典院へ行くとどうしてもお墓、とくに自然の個人墓に吸い寄せられる。オペラ愛好家さんや東北の方などをあれこれと案内してしまって、秋田住職から、何度も案内していましたねと言われてしまう。
秋田光彦さんがいう「縁起的世界」の縁起というのは、なかなかに深い言葉。演技も縁起のためにあるのかも知れない(駄洒落にて、おそまつ)。

ただ、秋田さんが説法されるごとく、お寺は「民」がつくる公共の場、アーツの場であったということは大雑把には賛同しつつ、江戸時代における檀家制度、あるいは、古代王朝における仏教の権威利用などにも留意すべきではあろう。

何はともあれ、お寺文化のある意味、雄大さ、哲学的諦念のかっこよさの一方、もっと、現世的なご利益(りやく)をもとめた信仰や怨み祟り系の呪術が芸能の底辺にあったことも事実。で、お寺と神社の正面ではないすみっこにあるホンネの信仰とそれにまつわる芸能のことにいま心を寄せる。
生霊、悪霊、付喪神、式神、護法、犬神、天狗、河童、ザシキワラシ・・・
「妖怪はアーツ」「アーツは妖怪」というフレーズを唱えつつ。

そうそう、イクラ食堂< http://homepage.mac.com/hicos/ukpa/index.html >というロシアン料理の出張販売アーティスト的ふしぎかわいげグループがお昼とか午後のお茶サービスをしてくれていて、そのなかによく知っている人(ミヤジケイコさんなど)がいてびっくりした。でも、ピロシキとか、ふつうに美味しかった。


11/25(日)

とても小さなことなのだけれど、それが、偶然にうまくいくとなんだか一日ほかほかする。
マイクロ・ハピネス。

たとえば、紅葉シーズンの電車の中。たまたま、シルバーシートが空いていて、ちゃんと詰めて座ると5人掛けなのだが、一人の人が脚広げてずるっと座ると4名しか座れなくなってしまう席。端には、若い男、イヤホンで音楽を聴き眼をつぶっている。その若い男の右隣にたまたま座った。きょうも4名だなあ(うーん)。対面も4名だった。わたしは、その若い男にぴたっと寄って、少しだけシートが見えるように座る。なんとなく左隣の若い男はいやそう(だが、眼をつぶったまま)。右隣は30歳前後の女性。

つぎの駅に着いて、老夫婦が入ってくる、とはいえ、私よりも20歳ほど上だけなのだが、二人がシルバーシートを見まわす。すると、対面の40歳代の男性がかわろうかと老婦人に言う。が、彼女は、いいえ、とお断りする。つぎの駅で、私の側の人が下車。一人分が空く。
すると、私の右隣の女性が私に近づき、二人分の席が出来る。それでも、まだ、二人はすぐには座らず、まず老紳士は、老婦人を座らせる。でもまだ大丈夫だな・・ようやく、その老紳士も一緒に。

うまくいったなあと心で思う。対面の男の人もほっとしているようだ。
マイクロ・ハピネス、極小幸福粒とでももか言っておこうか。そんなささやかな喜び体験は、昔の「小さな親切」というのとは違うけれど、まあ、押し付けでないちょっとした心配りの連鎖は、じつにハッピーな空気製造機である。

席を替わるというのも結構タイミングとか相手の気持ちの問題とかがあって、私のように50歳代だとよけいにためらう。立ったあとの居場所というのもむずかしいもので、一度降りて分からないように違う車両に再度乗るということなどをしたりもする。
他方、詰めるというのも、一人ではできない。小劇場でヨイショすることもなくなったし、電車のシートで体が触れ合って座るというのは、どうもとくに若い人は苦手のよう。コミュニケーションしているのは、指の携帯電話メールばかりだ。

めくるめく紙芝居ワークショップが、13時から16時まで。山科青少年センター。
上半身や脚などを巻紙にかたどって、色をつける。巻紙がダンスしているようだ。参加者の人型が重なって巻紙の特質をうまく使えている。時間や経過、動きがあるのだ。何だか楽しい。ここにもマイクロなハピネスを経験する。ちょっと、妖怪を描きたくなったりもする。アーツマネジメントの講義で映像を見せたりしたので、2回生などが誰か来るかと思ったが、ダメだった。

つぎは、12/9の13時から、ここの和室ということ。12/8が12/9に変更になったようだ。残念ながら、この日はお寺ハウスでトークして参加できない。同時に、アーツ鑑賞演習の日でもある。


KOGURE Diary/こぐれ日録》の扉へ戻る