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こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.10 こぐれ日録560 2007年 10/22〜10/28 10/22(月) 昨日、確かにうかつだったのだが、めくるめく紙芝居プロジェクト(メック)のゴールについて、語られている場に偶然座っていて(どうして太陽がゴールで社会課題が根なのかはまったく理解できませんでしたが)、はて、メックは何が目標なのだろうかとずっと心にわだかまったまま、朝を迎えた。 メックをはじめようとした自分側のきっかけ(動機)は、文化政策研究センター企画のまちかど紙芝居から続いているので、アーツとまち、アーツと社会の出会いをいかにアレンジするのか、そのアーツマネジメント手法の実践的開発の深化であり、それが社会にもたらす意味を実践しながら検証するということ。これが、京都橘大で文化政策をしている私の動機であるのは間違いない。 でも、エイブルアートオンステージの助成金をもらったこともあり、どちらかというと広い意味での福祉的な公共政策(人々の幸せづくり)のアーツ的な展開である側面もクローズアップしてきていて、障碍者とそれ以外の者(アーティストとそれ以外の者との関係も含まれるが)との関係の再構築、つまり、固定された関係ではないあり方の模索という点も重要になってきた。マネジメントにも障碍者の意見や助力をもらおう、障碍者がもっと中心となってアーティストは振り付けや演出に徹したらどうだろうか、という試みも少しずつ考えられてきている。 NO-MA(うちの学生で、NO-MAをノーマと発音している人がいて、名づけ人としては、ノマですよと訂正したいけれど、まあいいか・・・・とどうでもいいことまで昨日は悩んでしまったし、はっきり言って昨日は辛抱ばかりのつらい日曜日でした)などを主催している社会福祉事業団さんのように、障碍者が自分で表現し社会に出て健常者との隔たりなく共生していくという目的がメックにもいわれるようになっていて、それはもちろん大切なことで、メックもその一助(遠い目標の一つ)にはなるとは思うが、どうも、それがコアなのかしらと思うとよく分からなくなってしまったのだった。 たぶん、アーツの企画的な特色は、個人の価値の発見がそれぞれの表現として、でてきやすいことだろうと思う。ゴールをイベント開催のように設定してそれに向けて逆算するだけではない、何か、もっと、自由な場づくり。そこにいることで、いままで見つからなかった自分の能力がめざめる、あるいは、自分の未来へのとっかかりみたいなもの、他者(他者というと固いが、つまり、そこでであった人、前から知り合いの人)の、いままで気づかなかった点がみつかるのではないか。自分にはこういう知らない人とコミュニケーションすることだってできるのだという対話のありよう、ノウハウの発見・・・ そういうワークショップのねらいにほぼ近いものが、メックにはあって、特に、障碍のある人たちの能力にこちらはいつも驚嘆し、どうにかして、それをほかの人たちにも紹介したい、自慢したい、一緒にいいねといいたいと思って発表会もして、また、そこで参加する人たちが生まれるということなのだろうかしら。もちろん、アーティストの自分も気づかない力、柔軟性を引き出すことにもなる(アーツマネージャー、介護スタッフ、親御さんなども以下同じ)。 月曜日は専門演習。3回生と4回生。4回生は中間発表まであと1週間。 よく眠る。 その出始めのところだけ、ご参考まで(去年をベースに少し増えてしまった): ○ 文化のまちづくり ・文化の分類 2) まちづくりで大切な5つの柱―まちを住人の手で幸せの場にするための文化政策 A まちづたえ・・・昔から伝わっていた素敵な産業(工芸職人、農林業 野菜、漬物、酒造り)、風習(いただきます、ごちそうさま)、行事(節句、正月、お盆)、遊び、芸能などをいまに伝えること 伝承する物語、昔語り B まちつかい・・・利用されなくなった施設や設備、場所を見つけて、みんなの活動、とくに文化的な企画に活用する まちの住人の才能を見つけて、学校の授業や企画でその才能を発見してもらう C まちおこし・・・まちの産業(地元産業、伝統工芸産業、商店街)を元気にし、人びとが外からも内からも交流するようにする 滞在型観光に通じるもの グリーンツーリズムは、農家のヒトの才能を観光に生かすことでもある D まちあそび・・・楽しいこと、遊びや音楽、美術、デザインなど、アーツをつくり、素敵なアーティストを呼んできて、まちで、うっとりできるように遊ぶ環境づくり まちでうっとりと音楽や大道芸、似顔絵、ストリートダンスなどなど、気楽にアーツに遊ぶようにすること(まちづくりとしてのアーツマネジメント) 1回生が夏休みに調べたレポートの発表がはじまる。 土曜日の鑑賞演習で前々回を休んだ学生がきて、ビデオを見て帰る。熱心だ。 研究室では、宮城道雄</a>自身の演奏で「春の海」などを聴いている。解説(千葉優子)では、「秋の調べ」(1920年作曲)について、《発表当時は邦楽に初めて「カノン」を採用した曲として大きな反響を呼んだ。しかし、実際は洋楽との安易な融合を嫌った宮城が、カノンをそのまま採用することを避け、むしろ日本音楽に昔からある掛合の技法を発展させた形として応用下のである》としている。たしかに、歌が古風なので、あんまり西洋風には聞こえず、それより、1923年、利根川上流に遊んだとき着想したという「瀬音」の方が、箏と小十七弦の二重奏というハーモニックに聞こえやすい取り合わせもあって、より西洋を取り込んだように聞こえる。 先週、東京で話したことのなかで、地域再生の定義というか、文化が決め手、という流れの出始めをもう少しきちんとしなくちゃいけないな、と思い出す。 朝、幼稚園のバスが大谷川の橋のふもとで止まる。降りてきたのは、悪魔の先生。たかたか帽子にマントが黒くて中途半端で・・・なんじゃ、これ。運転手が笑っている。窓にはかぼちゃのお化けが飾られていて。へ!ハロウィーンとかいうアメリカ産?(もとはケルトの祭とか)のイベントなんだろうが、クリスマスフィーバーといい、バレンタインデイなどというチョコレートばら撒き消費といい、なんで、こんなにみんなはこんなに表面的でアメリカなビジネスやデザインが好きなんだろう。 2限目のアーツマネジメント論は、来週が中間テスト。 (2)特色あるアーツシーンについて B)(1)の2)の例示(京都市と大阪市を例にして) C)検索サイト(例示 もちろん、地域別にもある) 前回にしたアーツマネジメント総論の復習的まとめの後半。 授業後、宮城県のアーツシーンは?と学生に聞かれて、仙台メディアパークとか10年音泉とか(もちろん宮城県立美術館はワークショップなど教育普及の故里と)答えたけれど、「えずこホール」という施設名がでなかったので、ここにメモる。47都道府県のアーツシーンについて、平等に6つ以上即答するというような芸当は、地域創造をつくるとき以来不必要だったので、ずいぶん鈍っている。で、まあ、そういう授業をして眠っている研究室の資料の山を活性化させようとしているのであるが。 それにしても、弱い(いままでつながりがなかった)地域はあるもので、福島県はそのなかの一つかも知れない(佐賀県だって九州のなかではあんまり行かなかったな)。福島といえば合唱大国、で、つまってしまう。でも、個性的な美術館とかあるし、青森以外あんまりいけない東北にまた行きたいね。 そのあと、来年の手帳を買ったり、キャリア関係の授業をしなくちゃいけないかも知れないので、法学入門みたいな本をあれこれ見たりして、18時ごろには八幡に戻る。大きなお月様である。 インドのいつの時代なのだろうかとか少しあいまいな点や、白人からみたインドというオリエンタリズム的なつっこみはもちろんいろいろあるとしても。ガンジス河を中心において語られるお祭や結婚式やお葬式の的確で鮮やかなこと。いやあ、大きく人間の一生を捉えた映画アーツとしてのよさとともに、私にとっては冠婚葬祭アーツのための第一級の資料ともなるなあ、とさっそく、高校で見てもらうことにした。灯篭流しや花火、神様への踊り。泥で作られた女神がお祭を終えるとまた聖なる河に戻るシーン・・・ 高校の授業で『河』を見るのは、来週にして、その前に、京都の寺院、そこで行われるお祭などの映像を解説しながら見せた。 そのあとは、楽しみにしていた佐久間新さんと伊藤愛子さんの映像と実際のパフォーマンスに出会いに行く。まず、時間調整にラーメン屋でねばって、来年の手帳へいまの手帳に書き込んでいる予定を転写する。9月ぐらいに来年の手帳を買うと、後期の授業とかが全部見渡せるのに、どうしても、手帳を買う時期って年末近くになってしまうんだなあ。そうか、この新しい手帳に手帳を買うことと9月あたりに書いておこう。 わたしにとってもっとも大切なこと。それは、アーツをフローな状態で鑑賞できるということである。そのためには、まず、基本は一人。時間に追われないよう、十分な余裕。できれば、荷物は軽く、仕事のあれこれを頭から抜け去らせる(まあほとんどできないが)。知り合いにはかるく会釈して深くはかかわらない。心が動くまで待つ。こころで対話する。夜寝て、あさ、そのアーツがどう発酵したかを見ながら、日記にぽつりぽつりと記し出す・・・ それがアーツ鑑賞のイデアルティプス。特に、鑑賞が流れになってまちを線でゆっくりつながって、偶然の発見も伴いながら綴られていく、というのがまちあるきと連動した理想的な状態なのだが、今日はそれが(久しぶりに)出来た。 まず、うずらギャラリーで古い洋間に</a>ザシキワラシのような伊藤愛子の影を見る。ザシキワラシと語らっているのは、佐久間さんだけど、なんだか、この富田歯科医院の先代のおじいさんって感じ。 そのつぎに隣の同時代ギャラリー。ここは、1928年築だから、うずらよりも少し古い。その奥、支店長室だったのだろうか、よく分からないところで二人の映像。ちょっと、切れ切れで煩い編集ではあったけれど。また、ここで会いますねと青山先生。金曜日の授業がまち歩きなのだろうな。 堺町画廊の町家を楽しんで(この通りは洋物食堂とか観光的施設多し)、向かいのくらふとギャラリー集に入ったら、このまえ見せていただいた社会就労センターこだまでみんなが織ったショールなどが展示販売されていた。唐崎やよい作業所のものもあって、クッキーをとりあえずゲット。 そこから、新風館とか、道超えた銀行(三井住友だったか)の建物とか集合ビルになっているところ(文椿ビルヂング)、コリアン喫茶店になっているところとか、近代建築の外観を眺めてぶらぶら。最近思うのだが、ショップは論外だが、売ったり食べたり演奏したり展示したり、そういうことを近代建築でするとか、ほんとうはどうでもよくて、それより、その何の役にも立たないのに作ってしまった意匠をただぼーと眺めるのが一番よく、でも、それでは、つぶされるので、活用するしかないのだけれど。 烏丸通りに出るところに壁で壁画が二枚あるのだが、これは、だれも見ない。5分ほど、だれか振り向くかと見ていたが、トラックが通るし、ここは、展示場所としてはあんまりよくないみたいだ。 そして、ピアノの前で、三号室のとびらを開けてもだれもいない、さびいしいとびら・・・といながら、ピアノ弾くウォン・ジグスーのゲストに導かれながら、伊藤愛子×佐久間新のパフォーマンスを、17時すぎから48分ぐらいまで、楽しむ。少しして林さんも来た。ウォンが2階で騒ぐのに、伊藤が反応しないところとか、打ち合わせがあっても、はずすところが味。 鬼ごっこ。中庭ウッドデッキでの軽快な手拍子、少し、お母さんの近くで休む伊藤の感じとか、ステージでない分、リラックスしているので、こちらも、のんびり眺めていられる。ワークショップの公開のような部分もあるし、でも、男二人に挟まれている伊藤愛子のどうしようかなという戸惑いとか、反応しない部分のおかしさとか、まねっこしていたと思うと、それを抜け出して、ぎゃくに佐久間をリードする反転のところとか、全体を構成してみて行くのではなく、自分で編集してみる感じだった。 天気がいまいち。 教務委員のS先生から、来年度のシラバス依頼。わたしは、08年度は2回生の基礎演習をすることになりそうなのだ。はじめて。2回生ゼミは、火曜日だろうから、非常勤の曜日を変更する必要がある。さて。2回やっていただいた、東山青少年活動センターにおける鈴江さんの舞台づくりワークショップは引き続き2回生にもさせたいが、もし、1回生ゼミ生が引き続き自分のゼミだと、少し工夫がいるかも知れない。まあ、なるようになるだろう。 月曜日にでも、12/1の鑑賞演習の部屋を押さえなくてはいけないことを手帳を転写していて気づく。現代GPのシンポが9501教室でやるのだった。11/11のメックのワークショップが中止になったので、都市環境デザイン学科シンポはずっとでられることに。 宇治あたりを散歩してから日本シリーズ観賞と思っていたが、研究室でぐずぐずしている。久しぶりに(なぜか)「笹野みちる」(京都町内会バンドだったっけな)の歌を聴く。研究室から出ると何か買わされるので、16時ぐらいまでこもろう。で、つんどく状態だった『芸術の逆説』という本を読み出す。 きれいな虹を見ても、応援したチームが勝つとは限らない。当たり前ね。 花嵐さんからご案内をいただいたお芝居を見たあと、ぶらぶら。ステキな界隈である。蜂蜜屋さんが陶芸教室と並んでいる。堀川通りを下ると観光客。清明神社とか西陣会館とか。古い西洋建築に目をやりながら京都西陣町家スタジオへ行く。加藤和子写真展「タイドプール」。あのさんどがささんの写真展なので、わこ祭である。でも、蔵の展示は懐中電灯で見るようになっているし、いい雰囲気。お茶を洋間でいただく。 筑前琵琶を越前琵琶っていって、顰蹙をかったが、一曲琵琶ガタリで夕顔の話を聴いた後帰宅。気持ちのいいお散歩日和だった。 |