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こぐれ日録 KOGURE Diary 2007.9 こぐれ日録556 2007年 9/24〜9/30 9/24(月) 振替休日という。 金延幸子「み空」。また、ずっと聞いている。はなより、若いときの録音だなあ。 高校までは学習で、大学では学問であるというフレーズをかみ締める。 でも、いまは、大学生でも学習の仕方までする必要も出てきている。 わたしの最近の問いは、人はなぜ祭りをするのか、である。もともとの問いは、人はどうして歌うのか、踊るのか、演じるのか、なぜ描くのか、飾るのか、造るのか、であることは間違いない。そのために舞台を作り、出会いを生む。その一環として、いまは、年中行事や冠婚葬祭、とりわけ、祭りを探り、過去から現在までにあったアーツと社会との対話を問うているはず。さて、それがアーツマネジメントなのだが。まだ、遠い。 今日は、これからの準備もあって、大学へ。 今日から、ようやくアーツ研究。がはじまる。教室変更が直前にあって、清水俊洋講師には伝わっていなくて、教務課とやりとり。結局、パソコンの接続やモニターなどの関係でもともとの9502教室で行うことに。教室に入る人数もちょうどいい具合におさまったし、実際に演劇ダンスなど実演芸術を扱う宣伝美術を実践している「クリエーター(創造者)」(デザイナーとアーティストとの「現代美術」的往復自体がこの授業のテーマの一つのようで名づけ方もスリリングだ)さんからのお話なので、うちのゼミ生の参加も多く、期待度高し。来週からはもちろんお任せだ。でも、こちらもとても勉強になるので、ちょっと覗かせてもらうこともあるかも知れない(いや、ゼミ生にちゃんと聞いているかのチェックのために、間接的に教えてもらうほうがいいかな)。 雨が降ったが、夕方から青空も見えて、格好のお月見の夜空に。 一回生ゼミのあと(みんな元気そうでなにより、レポートの書き方はこれからどしどしよくなるようにし向けなくちゃ・・・)、清風館の前にしゃがんでショベルカーダンスをみている学生たちに驚く。 いやあ、びっくりした。 「その、奥のショベルカー、すごく複雑で優しい動きをしているでしょ。みんなでうっとりと観察しているんですよ。ほら、こうして実に丁寧に土をたたいているのもかわいいし・・・」。確かに、機械がダンスをしているみたいに見える。手のひらから落とす砂。砂でつくる造形・・・ これには、ずいぶんと感心した。こちらは、せっかくの木のトンネルがなくなって、教室への騒音もあるし、できあがっても大丈夫だろうか、とかすべてネガティブ(もちろん昼食時の混雑解消にはなるはずだが)に思うのだが、彼女らはいまをこうして楽しんでいるんだ。まあ、地べたに座るのがいいのかどうか、行儀悪〜ではあるが、アーツ鑑賞眼の面では一本とられた感じ。 昨夜は大学生協の理事会。 2限目、アーツマネジメント論氈B前期の総論を受けて各論へ、という流れだが、これだけを受講する学生もいるので、うまく、概論的な復習を通じて、具体的(ジャンル特定とともに、今回は地域を多様に知ることをテーマとする)に学べるような工夫が必要となる。ということで、マイブームの都道府県白地図チェック! 出席者の出身地を考慮しつつ、47都道府県の担当を考えていると、パラパラと前期の学外授業の大学からの支援金1000円を受け取る学生が来る。せんせい、どうして、掲示しないんですか!というから、こういう形で掲示板にあるはず、というと、こんなに小さな字は気づかない!と言っていた。権利は行使しないと眠ったままだからね。 19時から21時まで、栗東さきらで会議。11月に「福祉とアーツ」という題でお話をすることになりそうだ。 高校の授業は、府県別観光研究。図書館がにぎわっている。 一度家に帰って昼寝。どうも暑かった夏の疲れが溜まっているようだ。何もしなかったのにね。 見ていて、もちろん、ステージの奥が空いて、木立と芝生が見え、そこにも照明がほどこされて、芝居の奥深くへと放り出される開放感もまた最高なのだが、それがなくても、音響の音、鳥や犬のなきごえが、実際の公園の犬のうなり声とまじり、風のあおりでテントの皮が響くことで、いまいる場所が野外と屋内のちょうど中間、いや、どこでもない場所にこうしてステージ上を見つめてみんなでいる感覚にどきまぎする。 劇団態変『マハラバ伝説 黎明編』作・演出:金満里。19時から21時すぎまで。間に15分の間。02年にアイホールで見たがそのときと時間的には変わらないはず(音楽の使用がタイムキーピングとなっていると思われるため)なのだが、ずっと、コンパクトに感じられた。 出だしから、シャープな切れ味。上手から放り出される福森慶之介。同じように下手から木村年男。対称的なのに、独自の身体。とりわけ木村の動きがそのあとも含めて眼を引くほど多弁であった。村長役だからか、とあとで金の説明のとき合点した。前回は福森が村長役だったらしい。 出ている人は前に見たステージと同じようで、役柄が微妙に違うし、演技にも気がつかなかった多くの発見があった。つぎにどうゆうシーンが出るかはだいたい分かっているはずなのに、でも、常にはっとさせられっぱなしだった。不思議なこと、驚きは、目新しさとはまったく違うところからやってくる。 ばらばらに逃げて行く人たちが、気がつくと輪になっている不思議。演じているようにはまったく見せないで〜稽古の積み重ねによって可能になるのだろう〜、つぎの展開へとスムーズに形象をかたどる鮮やかさ。演出力とともに、即興的であると同時に計算的であり、意図的であるとともに即自的であるという巧妙さ。 誤解を生む言い方を承知しながらあえて言えば、態変のステージは古典芸能を鑑賞する楽しみに自分は近づいているように思われる。古典落語を何度聴いても思わず笑ってしまう、その自分ながらに不思議になる感覚である。政治家が安易に「命がけ」で取り組むとかよく言うが、態変の一人ひとりは黒子も含めて、まさしく「命」そのものである。ただ一人の命を放り出しているだけではなく、その背後に消えてしまった多くの命までがステージを這い回る。態変の変が普遍の遍でもある瞬間。 しかしながら、それ(=普遍性)だけではなく、今回はテントであるということもあって、それぞれの身体が「生」である度合いが強いように思われた。ステージやテントからあふれ出んばかりの役者の体。この世界から溢れるぐらいに生命感があり、その疎外、抑圧への憤りも強いのだろう。もちろん、祭りのときの喜びは労働の労苦を反転させて爆発させる。その繰り返しが肉化した「思想」になったはずだが・・・ 休憩後の第二部はスモークのなかのレクイエム。第三部は葛藤のなかで転調するドラマ。それでも、心奪われる見所は多い。よそからやってきた女(北角和恵)の滑らかな動き。デュエットの前から、他の登場人物とは別の匂いがしていた。多様な障碍者の肌理、感覚の差異を、彼女の登場がじつによくかもし出している。 そうそう、後ろの席に視覚障碍者がいて、休み時間に一人の女性(視覚障碍者と一緒だったのではないようだった)が、ストーリー(その彼女が自分で感じ取ったステージではあったが実に的確なもの)を話してあげていた。その障碍者は台詞がない劇団であることを付き添いの方も含めてご存知なかった模様。そのあとも、小さな声で彼女はその人に同時通訳的なこともしていたようだったが、それがまったく気にならない。 眼の見えない人もこの場を共有してくれていることのありがたさ、そして、さりげないサポートがその場で起きることの気持ちよさ。そんな偶発的なことも起きた公園をあとに、今日、雨が降らなかったことに感謝しながら、天満駅へといそいだ。 あとで気がついたのだが、糸井先生の小学校の運動会、その組体操が今日あったということ。 今日は、前から気になっていた山本握微さんのお知らせがあっていたので、ちょっと「運動展2007−棚卸−」に行こうと思っていたのに、腰が重かった。昼寝ばかりしているなあ。 ぐずぐずしていると、宅急便がきて、佐藤真監督の『まひるのほし』(1998年、93分)が届いた。この映画を見てからずいぶんたって、はたさんともそのほかのアーティストさん自身あるいはその作品に親しくなったので、また多くの発見(時間の経過についての感慨)があった。 ひやり、小雨。 京都府立文化芸術会館ホール。地味なのにいい企画(福岡市の財団の方も見にこられていた)。ぶんげいマスターピース工房「競作・チェーホフ」。まず仲田恭子演出の『結婚披露宴』。人間は終わっている、がテーマらしい。演劇も終わっていると思わせたいみたいだ。眠気覚ましにジンジャーなお茶とおつまみ。小鹿さんは茶水をずっと続けていてすごいなあ。 ごまのはえ演出『結婚申込』。ポンチ芝居ってまあ、なんて面白いのだろう。日詰千栄という女優さんが、ごまのはえや大木湖南に負けず劣らず怒り踊り歌っていた。子供連れの方もほっとされたのではないかな。道を尋ねる人が挿入されたり、舞台裏までカメラが追ったり。紙芝居みたいなテーブル劇もあって、演出バラエティショー満載なのに、しまるのは、チェーホフの骨格がしっかりとしているからかな。 合間はかもがわカフェでコーヒー。読んでいる本、渡辺裕『日本文化モダン・ラプソディー』(春秋社、2002)。 17時から、またチェーホフ再開。山口浩章演出『熊』。美しい舞台。揺れる室内をブランコと紐の壁で表し、白い紙の輪に誓いや契約の残骸を見る。白の喪服が後を象徴。二口大学の百姓すがた。腰曲げ、卑屈かと思いきや、そのあとずうずうしくしかもウブに迫る。広田ゆうみの低音の魅力。女の生命力は観念を打ち負かす?大胆なブランコづかい。 夜、ジャン=リュック・ゴダール『女は女である』(1961、84分)を見つつ、チェーホフのお芝居とのたまたまのつながりにほくそ笑む。とつぜん、モスクワから太田恵資さんの話がとびこんで、昔、彼のバイオリンを楽しんだ記憶も混じりだす。 |