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こぐれ日録 KOGURE Diary 2008.4 こぐれ日録584 2008年 4/7〜4/13 4/7(月) 今日と明日は新入生キャンプの付き添い。 昨夜、夕食後、20時から篤姫があるので、フランスパンの公演などの日記を10分ぐらいで書いたので、断片的なものになったが、あしからず。で、もう記憶があいまいなのだが、面白かったことを一つだけ追加しておく。 昨日は強い雨だった。 新しく入った建築の先生のお一人が、NO-MAの会場にて、実にユニークなことを話されて、嬉しかった。 ものすごく皮膚感覚で感じながら見られていて、研究者的な目線ではまるでなかった。こういうアーティスティックな先生にははじめてご一緒するなと思う。現代ビジネス学部に文化政策学部から変わったことや、トシカン学科(今日のバスには、京都橘大学都市環境デザイン科とあったのだが、山科で降りるときにそのこと〜「学」がない〜に初めて気づいた)って呼びずらい。 が、こうして建築やインテリアの先生方と出会い一緒に学科のことを考えることができるようになったことは、とても幸せだなと思って、ずいぶん、昨日も今日もお話した(住宅政策のこと、文化とインテリアのこと、文化政策を核とする学科で建築・インテリアを教えること、研究できるということが、とてもステキと思ったのだとも言われて、これもまためちゃめちゃ嬉しい)。 前川國男さんに上野の駅でおごってもらったり東京文化会館の喫茶店で話をきいたこととか、丹下さんのこと黒川さん、安藤さん、長谷川逸子さんなどなどの話。私がお会いした建築家のことなど(磯崎さんと山口などに行ったことは話したが)もまたあれこれ話してみようと。 MIHO MUSIUMでは、年間経費が全部で4億円ほど、入場料収入が7500万円で、友の会の金額が1万円、5万円、30万円・・・と大きいのでその収入もけっこうあるということや、博物館本体だけで250億円だったことなどを聞いていろいろ勉強になった。宗教と芸術と建築と土木、そして農業と自然。 お弁当を食べるために行った、滋賀県立陶芸の森陶芸館に建築などの先生とふらりと入った「近江の商家のくらしとやきもの」が、意外と面白く、特に瀬戸物でつくられた女の子のミニチュア遊び道具(おもちゃなのに本物の瀬戸物であるというのが、さすが近江商人の教育!)が、可愛くて、これは、もっといろいろ観たいし、復元されたらいいのに、と思った。 12:15からAO委員会。 なんて、がっくりしていたら、電話。おっと、もう一つ、大学評議会があったのだった。 がっくりなんてしていてはいけませんね。6/8はそういうことで、授業としてではなくて、面白いよと呼びかけよう(4回生ゼミも、去年とどう違うか、行ってもらうようにしようかな?) 近畿大学文芸学部へ。アートマネジメント論の初授業。今年は3限目。13:10〜14:40の予定。人数が分からないので、今日は自己紹介とか、ガイダンスにしようかな。このサイトをケータイで読めるかどうか、ちょっとやってもらえないかな。"http://mblog.excite.co.jp/user/kogure/" 1955年大阪市生まれ。野田地区という長屋や銭湯の多い町で18年間すごす。中学生のときになりかたった職業は詩人(笑)。大学はトーダイ法学部公法コースだったが、フランス思想や現象学的社会学などもちょっとだけかじった。 23年間、公務員生活。地域づくり関係が多く、後半は文化政策や地域芸術環境づくりに関わる。各地の公共ホールにおいて、西洋クラシック音楽以外の企画が必要だと感じて、演劇やダンスを数多く見、その有様をメモとして残すようになる。 それが高じて、観客・鑑賞者の目線を大切にするアーツマネジメントのあり方の研究へと広がり、現在は、京都橘大学で教えたり地域への文化提言に関係したりしている。 また、京都府や滋賀県などでも文化の委員をしたり、ボーダレス・アートミュージアムNO-MA(近江八幡市)や栗東芸術文化会館さきら(栗東市)の委員をしたりさせていただいている。 無事、近大の授業終了。 だいぶん時間をつぶしたあと、さきらの運営委員会。 昨日から京都橘大学の新学期の授業が始まっていたのだが、 O先生の授業、4回だけピンチヒッターが対応し、それからいまリハビリに精出されているO先生が5月半ばから元気に登場されるというわけで、来週は、ピンチヒッターをしていただいているT先生のまたピンチヒッターとして「文化性から見た都市環境デザイン」というO先生のシラバス上のものをすることになっている。 5限目に授業がない2回生ゼミ生がかえっこバザールの打ち合わせに来る。 大きな箱にあるおもちゃについて、みんなあれこれ言ったり、夢中になったりしている。 予定していたことの半分しかしなかったのに充実した一日だったとあとで思ったりする。まあ、そんな土曜日。意外と風が冷たい。 三条京阪から市役所に向かい寺町通りを上る。このあたりはいい散歩道だ。骨董屋とかあれこれ。 一保堂のお客を眺めながら、ギャルリー宮脇へ。前はよく通ったけれど、入ると3階まであって、なかなかの広さ。階段のところにも展示あり。 チラシによれば、ジャン・デュビュッフェ自身、アール・ブリュットの狭い範疇からは少しはみ出すかもしれない「独学や奇想の画家たちのユニークな創造」として「Neuve Invention」と捉えたこともあるセルフトート(私は広い意味では「Neuve Invention」もアウトサーダー・アートとして捉えていいと思っているが)の美術家による作品があって、もちろん、販売されていて、すでにマークがついている作品もけっこうあった。 私の好みとしては、ジーン・マンとかジェラール・センドレイとかかなあとか、画廊に行くと、自分が購入するとすれば、どれだろうか、と考えるので、美術館で作品を鑑賞するのとは違う、個人的な切実さで見るという面白みがある(もちろん、そうそう買えることは出来ないし、画廊としても、買わなければ見なくて結構ということではないので、学生さんたちもどんどん画廊にいって欲しいけれど、そういうマーケット的な世界が背後にあることを感じることはとてもまた大切である。そういう意味で、文化政策+現代ビジネスというそういうダブルの名刺を自分で作ったほうがいいのかも知れないなと名刺交換しながら思ったりする)。 ギャルリー宮脇で美味しいコーヒーまでいただいて、恐縮しつつ、かもがわカフェへ。 メックのチラシも置かせていただいたそうで、せけんは狭い。はせ犬というロンパースがいいなと思っていると船戸さんの名前が関係していて、かえる目(カエルメと発音していて、モクかとこの時初めて生物学的に納得)が長谷川健一(はせ犬)とつながり、おお、彦根のかえるさんや小山田さんにつながる。いったことのないがけ書房。19日か。授業があるし、ビミョウだなあ。 で、丸太町から、出町に行く誘惑をこらえて、三条駅で特急を待っていたのだが、あんまりいま読んでいるジンメルについての本が面白いので、長い列が出来ていることを見落とし、これから京橋に行ってまた伊丹へいうことが、どうも億劫になってしまい、隣の急行で家に帰ってしまった。 芳江はわたしがダンスを夜観ていると思っていて、ゆっくりしているようなので、一人、川島雄三の『雁の寺』(1962年、98分)を観ている。いやあ、わたし的には、『幕末太陽傳』より好みだ。一人で観たからかしら、ものすごく下半身まで揺さぶられ、最後のカラーの場面もそんなに気にならなかった。 さらに、土葬のシーンがあるのだ。昭和のはじめで、葬列までちょっと観ることができる。お葬式の話をするときに、この映像はじつに便利。もちろん、サスペンスになっているところなのだけれど。 もう葉桜だなあ。昨日とうってかわって、暖かい。それなのに今日はセーターにコートで出てきてしまった。花粉が暴れているようだ。少し心配。そうそう、ヤザキさんはマスクをしていた。 森美香代さんから丁寧な手紙をもらっていたので、今日こそと思い、はじめは、京都国立博物館で「暁斎」を見て(妖怪や鬼女の絵が気になるので)、と思っていたが、まず、AI・HALLに行った(結局、またこれだけで帰る)。 13:08〜14:28。森美香代ダンス公演『ASITA』。HIDDEN PLACEという3つの情景からなる森さんを含む3名の前半のあと15分の休憩。そして、森さんのソロ、ASITA(あしたの花)があった。当日パンフもチラシ、そしてチケットデザインと同じように美しく、ステージの期待をより高めている。 確かな感性と流れてゆく身体、そして、舞台構成のメリハリがあって、大満足でAI・HALLを出る。照明もよかったな。後半のはじめ、森さんが下手の前の方にたたずんている明かり、実物よりも間近で、オブジェかと錯覚するぐらいに、くっきりと闇から浮かんでいた。 小さな子ども連れのご夫婦とかが多く、ダンスをやっていて、そのうち結婚して子どもが生まれて、子どもにダンスをさせよう、そして自分もまたダンスを始めようかなあとか、そういう感じでダンスがつながるといいなあ・・・と、会場の和気藹々、そして、お久しぶりというような暖かい空気のなかにいると、ダンスと演劇公演との違いを感じたりするし、身体が原点なので、生命力が会場の人も強いような、そんないい加減な比較をしている。 それは、森さんの流動する動き、途中で、シャッター音とか機械のなかで、働く身体へと変わり、横に寝ながらも走り歩く、なかなかに機知に富んだ、面白くも都会人的時間に追われるダンスシーンを経て(起承転結の「転」、あるいは序破急の「破」)、歌が入る「結」へとつむがれてゆく。その舞台を観たから、その舞台を一緒に見た人たちのことまで、ダンスが思わせてくれたのだろう。 ちょうど、昨日から夢中で読んでいた本、菅野仁『ジンメル・つながりの哲学』(NHKBOOKS、2003年)を読み終わっていて、菅野さん(『友だち幻想』を読み終えた学生がこの本に進むとどんなにいいだろう!)って、ホントに誠実で、社会学と哲学の両方に関わるジンメルというどちらかというとあんまり著名でない思想家のエッセンスを、自分の学生時代そして教師として学生たちと一緒にいる姿を通じて、語りかけている。 「根性なしの社会学」とか、「主体の文化」とか、「関係の豊かさ」とか、キーになる言葉をもらって、これからジンメルの本も注文しているので、じっくり、芸術と社会というときの「社会」のことを、またもう一度勉強しなおそうと思う。夫婦の関係のことなど色々私的にも参考になるが、一つだけ、その例示:嫉妬と羨望の違い。 P182(第六章「闘争」がダイナミックな人間関係を作る)にあるように、嫉妬の感情というのは、相手そのものに対する敵対性であり、近親憎悪と同じく、距離が取れない感情なので、じつにやっかいな人間関係なのだということが、改めてジンメルの説明でよく分かる。 |