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こぐれ日録 KOGURE Diary 2008.7 こぐれ日録599 2008年 7/21〜7/27
7/21(月) なんの休みかは知らねども、授業の日。 ペギー葉山などが歌っていたケセラセラって、フランス語だとばかり思っていた。 ゼミでは、今年度は、二人だけ、卒業制作で、自分たちでつくったものを展示するという。 このまえ、2002年度に入学した上田さんが来たのだが、今日は、同期のやっぱり文化政策学科でタフ4とかを担ってくれた二人が来る。この二人は、とっても対照的で、丹波の音楽祭のスタッフで活躍していたNちゃんは、まじめそのものの学生さんだったのに対して、Yちゃんは、けっこうちゃらんぽらんな感じだったよなあというイメージだった。 でもYちゃんは授業ではそういう印象だったのだろうが、気がつくと、チンドン隊のゴロスを担っていて、そういえば、数回新聞にも登場していたのだった。さらに、岩屋神社の太鼓もたたいていて、もう一人、近所で叩いていた学生と共に卒業後も太鼓をやっていたという。和太鼓部が出来るまえの話だ。 で、どちらもバツイチ。おっと、就職バツイチなのだ。でも、一人は再就職していてよかったなあと思うし(在学時のフィールドワークが強い味方になっていた)、もう一人も、明るい方向転換でびっくりするほどである。ああ、大丈夫だなあとどちらも思えてよかった。 2回生ゼミには、二人を少しだけ紹介して、いま、企画書作りワークなので、少しこちらは卒業生の話を研究室で聞いた後、またゼミ室へ戻る。真剣に話し合っていて、よくやっているなと思うが、どうしても時間内にペーパーを作るところまではいっていない。これからは、時間配分とか、役割分担とかを数人で手分けして行いつつ、タイムキーピングが大事になるだろうが、いまは、よく話し合って企画を出し合い調整する練習ということでいいのかも。 2回生ゼミメンバーたちには、夏休みから秋学期にかけて、なにか、アーツのスタッフなりボランティアなり合宿なりフィールドワークをしようねということにしているが、一人、和楽器をやっている広島県出身の学生が相談に来た。で、そうそう、ひろしま+邦楽といえば、takiさんだと思って電話。広島市東区民文化センターに佐々木正和さんがいるし、なんだか、お世話になってうまくいくかも知れない。 今日ゼミで文政の先輩、Nさんが言っていたように、学生のとき、コネクションを作ることが大事だから、地元で将来仕事につきたい学生たちはこんな風に紹介できるといいなと思う(わたしのコネクションの限界があるんだけれども)。さきらの夏祭り、当日ならかえっこバザール、手伝いにいけるというゼミ生出現。さっそく、さきらの山本さんに電話するようにいっておく。 1時間目、土田英生さん作・演出の演劇を見せたので、少し、京都の劇作家を紹介した。ところが、鈴江俊郎さん、そして、マレビトの会の・・・・と書こうとして、松田正隆さんの名前がどうしても出てこなかった。 5限目。いつものような授業を朝は準備していたのだが、4限目になって、変えようと思い立ち、地域(福祉)作業所の活動を通じて、共同から公共へ、そしてビジネス化の岐路というような解説を交えつつ、伊勢真一監督の『ぴぐれっと』(2002年、98分)を一緒に見た。来週は、後半をみて、ラストのまとめ? 昨夜、できるだけひかえているはずのジャンクフードを買い食いした。500ccのビールとともに。すると、夜中目が覚めて、腹がよくない。てきめんだ。 八幡市駅プラットフォーム。もうすぐ急行がくる。五条駅まで辛抱できるか、いやだめだ。 車内で読んだ本。大櫛陽一『メタボの罠 ―「病人」にされる健康な人々』角川SSC新書、2007年。今年初めて、臍周りを測られた。たしか、83cmだったはずだ。この著者によると、メタボになる数値の前後ぐらいが一番健康なのだそうだが、ウエストを測られるというのは(だいたい女性が測るわけでもあり)、奇妙に淫靡な感じがしたことを思い出す。健康診断の時って、どこか滑稽で興奮したりするのは自分が変だからかかも知れないが、視力なんて、まったくあてもの化しているし、変なイベント(最小限度しか検査しないのだが、心臓検査も結構淫靡かも)。 学生たちが来る前に、さきらのかえっこバザールに渡すおもちゃを整理して研究室の前に積み上げる(7箱中4箱を渡そう)。 昼休み、文化政策・現代ビジネス学会の代議士会が無事終わる。これで、TAM研にも助成金が出ることになるだろう。なにか、予算を活用することが出来ればいいのだが。 16時にさきらの山本さんが来られて、おもちゃを持って帰られる。27日は、私も10時ぐらいに行く予定。おもちゃのかえっこバザールだけではなく、お化け屋敷も小ホールを使って楽しそうだし(100円)、京都からでもきっと損しないと思う。おもちゃが足りなくことを山本さんは心配していた。滋賀では、かえっこバザールが普及していないから、その心配も杞憂ではないかも。ぜひ、かえっこファンの方、ぜひ、栗東のさきらまで、どうぞ。 荷物と共にやってきた、下の娘。 そうそう、今朝、ずいぶん、蝉が鳴き出した。 午後から、滋賀県社会福祉事業団の編集会議が二つ。 昨日は娘二人も泊まって、家が2倍になった。 アウトサイダー・パフォーミング・アーツ(OPA、障碍者を中心した実演芸術活動)についてのメモ。 ○ 名称をどうするか。OPAと一応するが、ボーダレス・パフォーミング・アーツもありか。障碍者実演芸術では少し狭い。実演のアール・ブリュット。具体的(内容的)には、音楽、ダンス、演劇、その他演芸。レスリングなど見世物的スポーツはどうか。外延、ジャンル分類のこと。 ○ 限界芸術(マージナルアーツ)との関係。マージナルは、生活と芸術の縁、すなわちボーダーラインということになる。ボーダレスとは一見反対だが、縁辺という発想は同じ。そこから、区別して考えるか、区別をやめようと運動化するかの違い。 ○ 限界芸術に近い部分と違う部分。限界芸術の創造者は非専門家であるので、OPAの創作者と出発としては同じであるとは言える。ただし、セルフトートであるだけで、より専門的に習熟することで、専門化したり、プロ化することはありえるので、そこは違う。ただ、創作者に創作作品への固執がない場合があるし、無意識に近い表現であったりする点は似ている。 ○ また、限界芸術の享受者は、非専門家であるが、OPAの享受者はそうとは限らない。かなり、プロの目線で発見されることがおおく、鑑賞している人は、非専門家(障碍のあるお友達、ヘルパー)とアーティスト、専門研究者などが混在している。市場芸術化されれば、一般大衆となるが、OPAの鑑賞は、お手本がないので、ある面、目利き、見巧者的世界となる場合が多い。ただし、専門芸術(伝統芸術)の鑑賞者のありようともビミョウに異なる。 ○ OPAと放浪芸との関係。芸能の原初にある宗教性、祈りの部分。障碍者とシャーマン、祈祷者との関係。イタコ・ユタとごぜ、盲目の門付け芸。見世物小屋、フリークスとの関係。河原者、芸能者の身分と障碍者の身分。 ○ 身体、知的、精神の障碍差による表現の特質。身体の場合も、盲、聾では大きく違うし、車椅子、重度身体障碍(脱力と引き攣り)・・。知的の場合でも、ダウン症、自閉系でも大きく違う。 ○ OPAの目的や機能の考察。アーツのため(芸術追求型)と、福祉のため(福祉施策型)。これが大きい違い。系として、発表(公演)が大切か、過程が大切か。イベント重視とワークショップ重視。 ○ しかしながら、生活の質、娯楽(息抜き、癒し)、心身ケア、能力増進、生き甲斐、自己肯定感、組織変革、社会改良、多文化理解・・・・後者にも、アーツの効用の部分があり、それが、アーツの対鑑賞者における質の向上を伴うものもある。for
the arts、by the arts、そして、その2つのブレイクスルーになるか、through the artsの考え方。 お酒を抜くと、快適に目覚められる。 昨夜、伊丹アイフォニックホールで、ペルシャ音楽のコンサートがあったのだった。 アーツ鑑賞演習。26人も来ていた。あと、和太鼓部の3名は公欠扱いにしてあげる。陶器まつり出演だから。あと、さきらのかえっこ準備に行っているはずのEちゃんもだ。タコタンとかいう大阪の子どもアーツの祭典にうちのゼミ生二人がいったり、CAPの夜中のセミナーに3名も行くことになったり、まずまず、ゼミ生たちの夏休みは、アーツに関わる体験をする気配がある。 TAM研の交通カードを渡す。少なくとも、このカードを受け取った2回生はTAM研メンバーとなったわけで、あとは、どれだけ、この事態をきっかけとして、より自発的な活動になっていくかである。メックに参加した2回生にも、もし、今度も参加したら、TAM研の証のカードあげなきゃな。 授業のほうは、大阪フィルのことを、田川律さんが書いていたので(「大阪フィルハーモニーの反乱劇」『あやしい舞台監督』1992年、JICC出版局)、それを使ってみる。《・・・「こいつ、ホンマに譜面の音が全部聞こえてんのか」と時々楽員はわざと音を外したりする。それで指揮者が何もいわないと「ほれみろ、わかってへんやないか」とばかり、楽員は指揮者をバカにして、次からええ加減に弾く。》p18 あと、三好直樹『まもなく開演〜コンサートホールの音響の仕事』(新評論、2007年改訂版←2003年初版)にも日本の23のオーケストラの表などがあるので、それも印刷して使う。そのなかに、 アーツマネジメントとステージマネジメント、ホールマネジメント、イベントマネジメントなどの関係を少しだけ図示。 そうそう、アンケートを書いているあいだ、ペトルーシュカを流しておく。で、3つ目のバレエ音楽、『春の祭典』へ。つまり、『ベルリン・フィルと子どもたち』を活用して、15回(変則開講だが)の授業の幕は無事閉じられたのだった。 ただ、リポートを出していない人がいるのでこの授業を含めて、成績関係の提出物のデッドラインを8/1(この日か2日には成績入力を終わりたいのだ)とし、できれば、今月中に受け取っておきたいもの。 そうそう、いつも来られているのにすれ違っているばかりだった、糸井登先生に食堂であった。 あと、演劇フェスの案内をしてほしいと京都府から言われていたな。 あさ、温泉の話をしていて、朝風呂に入った、温泉の元を入れて。 一番嬉しかったのは(いや、みんな嬉しいんですけれど・・・)、1回生のトシカンの学生さんも来ていて(どうしてさきらのかえっこのことを知ったのか、彼女に聴いたのにもう忘れた)、Mちゃんというそうだが(数度聞いてようやく姓だけ覚えた)、いやあ、貴重なアーツマネジメント(いや、文化プロデュースか)の人材発見である。とはいえ、和太鼓部なので、飲み会でもどうも私は会っているそうで、昨日も陶器まつりで太鼓叩いていたそうだし、まあ、すでに私の記憶(無意識界)のなかに彼女の顔は溶け込んでいるのではあるが。おお、月曜日のTAM研にのぞきにくるといいんだが・・・ 大ホールアリーナが、かえっこバザールの会場である。 たぶん、単なるエコイベントのように見えつつ、これ(かえっこバザールをめぐる活動)も実はやっぱりアーツ(プログラム)であるという証拠・・・それが、この、何度やっても完成されないもどかしさとか、あれをこんどやってみよう、こういうワークショップがあればいいよなあ、もっと、さきららしくできるじゃん、というような未来未定性(これってあたりまえだし、こんな言葉はないが)なのかも知れない。 13時から18時。ほんとにこどもこどもこども。もちろん若いおとなおとなおとな。おばあちゃんもうろうろ。 篤姫は途中から。このなかでは、彦根藩ってずいぶん悪者だね。 |