こぐれ日録 KOGURE Diary 2008.7


こぐれ日録597 2008年 7/7〜7/13

7/7(月)

2001年度に出来た文化政策学科の2期生、つまり、京都橘女子大学の卒業生で、アトリエ劇研スタッフ・上田千尋さんがやってきたので、研究室が久しぶりににぎわう。2回生5〜6名と3回生と4回生。これがみんなTAM研だったらなあ・・・。

夕方、ゼミを終わって、タフ(関西女性と希望のアーティストファイル)のチラシを研究室に貼ることにした。記憶がどうも薄まっているので。タフ2のとき(2002年)、上田さんは1回生だったのだ。中西美穂さん(大阪アーツアポリア)のキュレーションで池田朗子さんのせっけん人形を洗面台に置いたりしたのだったのよね。ちゃんと記録集をつくらなくちゃなあ。

4年前のこの季節、タフ5の企画を練っているころの日記"http://www.arts-calendar.co.jp/KOGURE/2004/July26-29.html"をなつかしく読む。

おっと、4回生ゼミで、志の輔らくごのおもちかえりDVD3『メルシーひなまつり』を一緒に見た。枕はちょっとありきたりな世界のジョークの話だったが、過去ばかりで「未来のない」商店街の人たちの思いっきり精一杯の善意が涙を誘い、パルコ劇場ならではなので、2の『ガラガラ』よりよかったように思えた。しゃべり口とか少し慣れてしまったかなとは思うし、『歓喜の歌』と違い、外務省のお役人が主役でないので、彼の改悛(おおげさかな)は傍流となって、絶体絶命をどう乗り越えるかというシシュエーションコメディとなっているが。

もうすぐ読み終わる、森政稔『変貌する民主主義』(ちくま新書、2008)に、「研究」(かれの話は大学における学術研究など評価の問題だが)を「アーツ」に置き換えると十分にいま問題なことに焦点を合わすことが出来るように思える文章があった(権威によらないアーツの評価・鑑賞・提供問題との関連)。
p234より以下引用:
《 もっぱら外部からの評価に依存する評価システムは奇妙なトートロジーを作り出す。評価されるものは、すでに評価されたものである。「賞をとった」ということが理由で賞を与えられる。オリンピックのメダリストに与えられる「国民栄誉賞」のようなものである。それが悪いということはないのだけれども、二度目の賞は余分であるような気がする。認知され評価されるものは重ねて評価され、認知されないものはますます認知されなくなる。実際の価値とは別に、評価上の格差はますます拡大していく。知られていないが、可能性のある研究を見出す機会は乏しくなる。結局このような外部に依存するシステムは「目利き」がいないところでも運営できることにメリットがあり、それ以上でも以下でもないのである。》
あと、メモ。
○ リフレクシヴィティ(再帰性、反省性)の低下・・自分の欲求を外から眺めて相対化することの省略。p160

○ 熟議民主主義・・民主主義において人は議論を通すことによって意見を変化させる、という仮説にたち、また人がその意見を変えるさいの過程や意味を重視する。p182

○ ポピュリズム現象・・一般的な言及においては、「政治家が選挙民の人気取りに終始する。政治における争点が極端に単純化され、白黒をはっきりつけたがる傾向が強まる。またスポーツのゲームのように勝敗を競うものになり、味方と敵、善と悪とが二元論的に対比される。それに加えて、マス・メディアによって、またマーケティングの技法を用いて、政治の大規模なショー化、劇場化が進行する」(p132)現象をいう。


7/8(火)

昨夜、劇研に誘われたが(烏丸ストローク)、寝不足でふらついていたので、早く帰る。
川島雄三監督の『わが町』(1956年、98分)を夕食をとりながら観る。が、台詞やはじめのナレーションがほとんど聞き取れない。え?大阪弁なのに、どうして・・・・

そのあと、少しずつ耳慣れ、河童(がたろ)長屋のセットもすごくステキでぐいぐい。こんなおっさん(辰巳柳太郎)、いやだろうなあと思いつつ、自分を見るようでもあり。リフレクシヴィティがかなり減少している自分としても、映画などアーツが、この社会全体に不足している「リフレクシヴィティ」を取り戻す鏡になることは確かだ。

主人公の妻と孫の二役を演じる南田洋子が予想以上に美しい。あと、北林谷栄の自然な老け方の妙。

1限目、予告どおり、無声映画の名作を見せる。小津安二郎『生まれてはみたけれど』(1932年、91分)。こんなに分かりやすい映画(無声であるにもかかわらず)はないとつくづく思う。カメラはずいぶん移動し、戦後の固定カメラやローアングルのこだわりというのは、さほどないのではにかと思われる。

映画を見せてこんなに静かな教室というのも、当たり前だがはじめてで、眠ろうとしても、寝息が気になって眠りづらかったみたいだった。でも、映画というのは、動く写真から始まったといくらいっていっても、「音がない映画が存在するということに驚いた」と書いたりするので、いろいろ大変である。

2回生ゼミは、昼休みに、ゼミの運営や来年度以降のこと、とくに、専門ゼミのことを話した。ほんとに毎年悩みの種だが、もちろん、今年も教務委員会やその上部が納得するものという与件のなかで、最大限学生の希望を入れるようにするしかないのだ。これから、先生のコマ数のセットはじめ、教務委員って、学科主任より絶対に忙しいし、気苦労が多すぎる。


7/9(水)

今日は、大学では教務委員会でゼミ数の原案が示され、予想外の部分があって大慌て。
アーツマネジメント総論は、今日が締め。ところが、どこか勘違いがあってラス前と思ってしまっていて、これもプチ慌て。
家に帰って来てお酒呑んでいると、お袋が大慌てで電話してくる。あんた、呑んでいるからそんな悠長なこと言うんでしょ!と言われて、お袋、ぼけていないなと、すこし安心する(翌朝、この問題は無事解決)。

田口ランディ『コンセント』幻冬舎、2000年。葬儀屋さんとの会話や、「死体が放置された部屋を清掃する専門の消毒清掃会社」の男性との会話があるはじまりが面白く、なかなか自分の研究領域なので使えそうな感じがした。
あと、最後のほうで、北村想の名作「寿歌(ほぎうた)」というお芝居がかんできて、実は「寿歌2」だったと主人公が幻視するところがあって、とつぜん、大好きなお芝居が出てきてびっくりした。だんだん、セックスばかりになってきて、退屈しだしていたので、ちょっとここは面白かった。

葬儀屋ところだけ、引用p24
《 葬儀屋の男はさすがに葬儀慣れしているだけあって、言葉の使い方が慎重だった。
 彼のお悔やみは心に響いたし、不用意に遺族の心境を逆なですることは決してなく、いい意味でビジネスライクだった。彼はその職業的直感で、この家出唯一冷静に社会的判断ができそうなのはこの気の強い小娘であろうと判断したようだった。・・・・・
 プロというのは、こういうものなのかもしれないと思った。兄の遺体は特殊だったので、葬儀代はけっこう高くついた。でも私は葬儀屋に感謝し、葬式代はちっとも惜しくなかった。それまで、葬式ほど無駄なものはないと思っていたのに。》

どうして、これほど腐敗した遺体なのにドライアイスと匂いの強い線香だけだったのか、つまり、いま流行のエンバーミング(15万円程度だときいている)を施さなかったのかなとは思った。もちろん、死臭がこのあとずっと大切な引き金なので、エンバーミングしてしまうと小説にはならなくなってしまうのだろうけれど。


7/10(木)

あさ、近大に向いながら、そうそう、最近卒業研究に私はじめ大学で勉強した様々な文化政策学科の先生の書物や論文、サイトなどの引用が少なくなってきたなと気づく。昔は文化政策といえば池上先生だったわけで、それがベースになっていたわけだが・・・・
どうして4年間習ってきたことが彼女たちの論文に少しも反映しないのか、ちょっとそこをこちらも反省しつつ、彼女たちにも考えついてもらう必要があるかもな。

とりあえず、私の講義録や短文がウェッブ化されていることを知ってもえらうため、TAM研サイトにアップしておく。アーツ記録論においては、十訓をぜひ思い出してほしいから。<a href="http://tamkenkyuu.exblog.jp/7292837/" target="_blank">http://tamkenkyuu.exblog.jp/7292837/</a>

違うことを検索していたら、映画の記事があった。

小津映画と比較することはたぶんできないだろうとは思った(実際、これは小津映画とはかなり違うものではあったけれど色々得るものが多い映画だった)。"http://www.ohmynews.co.jp/news/20080630/26895"より引用
《・・・前作「ハッシュ!」(02)がカンヌ国際映画祭ほか数々の映画賞を受賞し、52カ国を超える世界公開で話題となった橋口監督は、今回も監督・原作・脚本を1人でこなしている。現代映画にも小津安二郎が出現したといってもいい、傑作である。》

でもまあ、久しぶりに新作の日本映画を見に行こうか(この前はニシナリについてのドキュメント映画だったので劇映画は久しぶり)と思いたち、近大の最終講義のあと、心斎橋へ。

橋口亮輔監督作品『ぐるりのこと。』、シネマート心斎橋 にて。140分はそんなに長く感じない(夫婦のやりとりでワンシーンがずいぶん長いところがあったが)。後半、自然界を絵画として写し取ることで主人公が回復していく過程がちょっと短い感じがするぐらいで、本当はもちろん一直線に回復することなどなく、もっと紆余曲折があるのだろうけれど、いまの映画時間としてはこれぐらいが妥当なのだろう。なお、シネマート心斎橋 1はかなり広く、平日ではあるが(16:20からの回)ずいぶん空いていて、かなりもったいない。

制作プロダクション=シグロ。あの、故佐藤真監督の映画を製作してきたところ。
配給=ビターズ・エンド。そして、製作としてのクレジットは、シグロ、ビターズ・エンド、衛星劇場、アミューズソフトエンタテイメント、博報堂DYメディアパートナーズである。放映やパッケージ販売やその他色々な権利・営業利益販売がこれらの企業間であれこれと契約化されているんだろう。

個人的に法廷シーンが大好きで、法廷シーンが出てくるとかなりつまらないテレビ番組でもつい見入ってしまう私は少し客観的評価がむずかしいかも知れない。そこに、スケッチさん、法廷画家という変化球のようで絶妙な職業をたまたま得てそれを続けていく夫・カナオ(リリー・フランキー)が登場するだけで、もう嬉しくて仕方がなくなってしまって。カナオはつねに横から妻・翔子(木村多江)や赤ちゃんや妻の父、そして、容疑者などを言葉ではなく似顔絵という残らない伝達物として描く人なので、これって、応用美術の一つ、自分が思いつかなかったサンプルでもあるのだ(得したな)。

しかも、1993年から10年という私的にも大変化した10年間。失われた10年とか経済成長的には言われるが、自分的には転勤ばかりの宮仕えからアーツマネジメントにしぼった仕事への時期に重なっていて感慨が溢れてきてしまうのだ、映画館の中で一人にやにや思い出し笑いなどもしながら。あと、これも個人的な好みだけれど、青年団の志賀廣太郎さんが裁判長であの低いいい声を突然出したりするなど、演劇関係はじめなかなかに味のある役者がちょっとだけだったりもするが、脇を固めているのもたまらない。もっともっと蛇足だが、はじめてみたリリー・フランキーという人(何も読んだこともないのだが、関西弁とも違う奇妙なアクセントだった)、ずっととてもお世話になっているNさんぽくて、そういう関係もあったかも知れないが、流行とか有名人嫌いな自分にかかわらず、好印象だった。

なお、標題の「ぐるりのこと。」は、こういう大きな社会環境でもあると同時に、そういう大きな時代の流れに影響されつつしかも独自に形成されていく親密圏内、小社会の「ぐるり」のことでもあるのかな。

つまり、妻・翔子とその母(倍賞美津子)、翔子の兄(寺島進)と嫁(安藤玉恵:ポツドール出身)の親密圏。そして、翔子の小さな出版社の人たちや、東京地裁に生息するテレビ製作会社などの法廷画家(スケッチさん:宮廷画家のもじりみたいでこの法廷画家という言葉って愛嬌があるね)や記者、まずくなったトンカツ屋さんの行方などの小社会からなる、ほんとに小さな「ぐるり」の事情が、大きな「ぐるり」と同じかそれ以上の比重で語られていくのがこの映画の特徴であり良さであるのだが、ちょっと、社会派的つっこみの足りなさ、傍観者的な軽さとして感じられないでもない部分だ。

一番、言いたいけれど、これは、見てからそれぞれが判断することなのだろうから具体的に書かないが、翔子が終わりまで夫にも隠しているだろうと思っている事実があって(多分、一人でそうしたのだと私は思ったからだが、結構唐突な挿入だ)、隠されているこの妻側の「瑕疵」がこの映画を鬱の大変さを乗り越えていくけなげな夫婦の賛歌だけでは終わらさないものになっているように思った。さらに、それは、翔子の母が元夫以外には知らさなかった秘密と、もちろん内容は違うが、通じあっている。


7/11(金)

コンビニ業界ではセブンイレブンの日なのだそうだが(昔は、店名のとおり、朝7時から夜11時まで営業することが売りだったのだから、隔世の感あり)、こちらは親密圏におけるある記念日。
昨夜にメールしておく。

シンガーソングライターの二階堂和美という人が気になったので、CDを注文していたら「イピヤー」というのが届いていたので、聞きながらの朝。これは、声の遊び風。夏の緑陰にいかもね。屏風上のCDのつくりもユニーク。にかスープ&さやソース。ドキュメンタリーもあるようだ。

中断していた内田吐夢監督作品『宮本武蔵』を久しぶりに見る。

『宮本武蔵 一乗寺の決斗』、4作目だ。内田吐夢伝を読んだため、一乗寺の決闘のシーンが滋賀の北のほうで、松を人工で造った話とか知っていたので、ちょっと映画の楽しみ方も増える。ちょっと、登場人物の過去を忘れていたりしたが。あんまり武蔵を美化しない描き方がさすがである。島原遊郭ってこんな感じだったのか。あっというまの128分。1964年、東映京都作品。

野田の実家に寄る。たまたま藤浩志さんは、この実家から15分ぐらいの西九条のメリヤス工場跡に昨日いたらしい。"http://geco.exblog.jp/7295275/"

そのあと、劇団M.O.P.第43回公演『阿片と拳銃』(作・演出:マキノノゾミ)を観る。19:01〜21:39。松下IMPホール。冷房がつよくすぎてみんな寒がっていた。演奏と歌のおまけはちょっとしんどそうだったが、たまたま、満州映画協会の甘粕正彦理事長が出ていたし、京都の撮影場も出てきて、たまたま朝に見た映画『宮本武蔵』にシンクロしていた。

阿片でかせぐしかない日中戦争時代の日本政府。でも、民間にさせて自分たちは知らぬふり。慰安婦問題ともつながるし、これは、現代の戦争民営化はじめとする動きの批評ともなっていることは明らか。

老人ホームのシーンが特におかしくさびしかった。ただ、キムラ緑子だけあんまり老けていなかったかも。
シーンが時系列に並んでいないが、シーンの切れ目に、西暦と場所を書いた大きなボードをおいてくれるので、ぜんぜん観ている方は混乱なし。役者さんは、映画の撮影じゃないので、老けたり若返ったり、かなり切り替えが大変なのかも知れないが。

エンジェル・アイズのカタログと台本を買う。DVD(5500円)を買うかどうか迷ったが、ちょっと高価すぎる気がして、やめる(いま使っているのは衛星放送録画)。


7/12(土)

京都橘大学の広告が出たというので、自宅の京都新聞をながめ、丹波橋で朝日新聞を買いつつ(こちらの表記はまだちゃんとしていた)、栗東駅へ。すでに、学生たちが来ていて、それは午前中に英語テストだったので、その足で来ているのだという。7/27(日)は、さきらタウンふれあい夏祭り2008で、その準備に展示室は使われていたり、託児室の準備が始まっていたりしている。かえっこバザールもそのなかで行われるし、今貂子と綺羅座さんたちも、おばけ屋敷のところに登場している。

きっと、学生たちはアーツプレース観察をしているだろうと期待しつつ、出席票の準備をしたり、こちらはあれこれ。
アーツ鑑賞演習氓フ最後のお出かけ(といっても2回目だが)。
この前、モーツァルトの交響曲第40番ト短調と、ストラビンスキーのバレエ組曲「火の鳥」をCDやDVDで視聴させていたのは、この日のライブ鑑賞のためだったわけで、こちらもちょっとドキドキする。

さきら大ホールは、バルコニー席はもとより(学生なら1500円)、ほとんどいっぱいの盛況である。
大阪フィルハーモニー交響楽団、指揮は若い下野竜也さん。小さな人だろうとは予想していたが、感じ(体型など)がごまのはえさんにとても似ていたので、つい、微笑んでしまう。指揮の様子は大きく分かりやすくて、ロボットみたいというと失礼だが直線的で、ちょっと、音がゲーム機やデジタルぽい感じはしたが、それはそれで、金管の切れ味もよくって、私も学生どうよう、ずいぶん満足した。15時から16時40分ぐらいまで(アンコールは威勢のいい短い曲。スラブ舞曲??やっぱりロシアぽい感じ)。

初めて聴く、ヘルテル(1727〜1789)は、モーツァルト(1756〜1791)のちょっと前、大バッハの子どもと同じ時代の作曲家で、なんと、8つのティンパニと管弦楽のための協奏曲ハ長調という、宮廷でのアミューズメントだったかも知れない曲。でも、独奏者、中谷満さんのキャラがかぶるので、面白いのはもとより、音の変化も結構あって、メロディを弾く意味のない楽器をあえてするって、ちょっと、現代音楽にも通じる遊び心があって、きっと、打楽器奏者たちには、面白い作品なのだろうと思った。

これだったら、ティンパニ五重奏とか、ティンパニと管楽器のための室内楽とか作れそうだ。

交響曲40番は、フルトヴェングラーの早い1楽章とは対極のベームよりちょっと速い速度で丁寧な入り。2楽章もゆったりと続き、3楽章、4楽章とくると、心に迫るものがあって、少しくらくらしてくる。
最後の「火の鳥」は、1919年版。これが、1910年版のはじめの方が長いものだったらどうなっただろうとか、そんなことも思いつつ、王女たちのロンドに入って、一応、ここは楽譜を配ったこともあり、私は楽譜をめくるように聴けたので、それは授業を準備したご褒美のようにかってに思った。

行きは平和堂で飲料を買ったのだが(篤姫という高い黄麹の焼酎が売っていた)、帰りはじめて向いの食品スーパーに入る。ビールなどが安い。焼き鳥を食べつつビールを飲むという、いかにもおっさんスタイルでプラットフォームに下りると3回生が二人いたので、二人もおっさんワールドに引き込みつつ、帰った。


7/13(日)

きょうは、酒を断とうと思う。
暑すぎて正直からだが重い。
曽田先生の論文の書き方を学生に見せよう。
ヒナステラ(アルゼンチンの作曲家)のピアノ協奏曲第1番と第2番を聴く。想像以上に面白い。芳江はこれを聴くと絵が描けそうだと言う。なんか、興奮する音楽だ。

めくるめく紙芝居ワークショップ。12時40分ぐらいに山科青少年活動センターへ。
2回生のゼミ生ではじめて来る学生3名が来る。ちょっと早くきて、太陽クラブのこととかそのヘルパーさん、NPO法人わくわくのことなどを話そうと思ったが、林加奈さんが早く来て、足をくじいた経緯などを聞き、ちょっと他人事でもないこともあって、そちらに興味がいってしまう。

スポーツ室で2時間(13時から15時:ここは最長2時間しかとれない)、和室で1時間。音楽・楽器を使ったワークショップを前に引き続き行う。より、真剣に、しかも面白く。がちゃがちゃしているのに、まず、一人ずつ音を伝達するとなると、シーンとなる。音を聴こうとする自然の集中が心地よい。二人でのお話のような前回にやった音楽会話。そして、3名でもやってみた。

あとは、楽器が二つ以上鳴るとパニクルからいやというJちゃんのために、お絵かきもしたりする必要があるが、何とか、ユニット的な「団」が出来ればいいなと私は個人的に考えつつワークショップを楽しむ。ラッパの音量を調整したりするにはどうしたらいいんだろう、その前に、少し音階を学ばなくちゃな。でも、なんちゃってフリージャズ、みたいなことをするのは楽しくてたまらない。


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