こぐれ日録 KOGURE Diary 2008.5


こぐれ日録590 2008年 5/19〜5/25

5/19(月)

いささか、気分が不安定。言動も突発的。
かっとなり、そのあとぐいと自己嫌悪に陥る。そして、無力感、愚痴。
いかんなあ。土曜日もそうだったし、今日もそうだ。
まあ、収まるのを待つしかないかも。

行く前にモーツアルトの交響曲29番を、ウィーンフィル、ベーム指揮の映像で視聴。
指揮する人をこんなに頻繁に映像で見ることがなかったので、やはり面白い。
ダンスを目的としていないわけで、音楽を目的とする応用舞踊(身体表現活動)と捉えることができるかも。

竹田青嗣『自分探しの哲学』主婦の友社、2007年。哲学は古臭いようでそうでもない、という一連の本がずっと出ているようだが、この本はそれだけではなく、けっこう、教養講座的なテキストとしても使えそうだと思った。ニーチェを読んだのは高校生ぐらいなので、もう一度いつどのような気持ちで再読するのだろうか、と今はすぐには読む気がないが遠くない将来に読む本リストなどを作って、入れておこうとは思った。いま、自宅にフッサールの文庫本(といってもとても太いもの)があるが、これは、今年の夏休みのお楽しみ(お苦しみ?)かな。

『あいだ』147号(2008.4.20)をずっと放置していた。
が、古川美佳『「靖国」をつきぬけて―洪成譚ホン・ソンダム)『靖国の迷妄』展</a>シンポジウムから』をバス中で読みふけった。いろいろ思う。とりわけ、シンポの発言者、山口泉さんの「犬死に以下の死」という表現に突き当たって、おおと思う。『「犬死に」という言葉は、むしろ犬に失礼だ、と私はいつも言うのですね。犬は銃を背負わされ、船に乗って、外国に出かけていき、そこの民を強姦虐殺したりはしない。その上での死を、言うに事欠いて「犬死に」などとは、ほんとうに犬に失礼なことだ、と。」p19


5/20(火)

人を集める、というのは、どうしてこうむずかしいのだろう。はなが、今度の5/28のルイードラストライブ<"http://www3.ocn.ne.jp/~ha-na/hana_live.htm">に15名は来てもらいたいけど・・と言っている。ポルトだと多くの人が集まってくるに日本ではなかなかそれがかなわない。こちらだって、みんな、同じ悩みかな。メックの京都橘大生の関わりとか、かえっこバザールにおける子どもによる運営のこととか・・・

1限目、「自分探しの旅、朝食をとりながら」は、食事の後の学生さんたちの「食」にまつわる話がみんな真剣でじつに面白かった。14名の参加で少しいつもよりも減ってしまったが、1名以外はみんなここの100円朝食は初めてだったらしいし、クリスタルカフェに来ること自体が初めてという学生も多かった。

肉の食べ比べみたいなことを小さいときにして、そのあと、気持ち悪くなったことで、それ以来一切肉が食べられなくなった学生とか、同じようにそうだったけれど、少し前から食べられるようになった2回生とか、自宅から通っているけれど、料理を一工夫して作っている学生とか、いろいろ。やはり、島根の蕎麦と関西の蕎麦はまったく違ってがっかりしたこととか、地元の食文化を熱く語る学生も多い。広島のお好み焼きへの思い、おでんの食べ方の違い(しょうが醤油で食べる姫路)、静岡のはんぺん・・・・

このクリスタル・カフェをどうして使わないかと聴くと、クレジットカードなどが使えない(いま現金を持っていない)と言っていた。なるほどなあ。ミールクーポン(クレジット)の検討が現実化しているな。

3限目は2回生ゼミ。一応、振替なのだが、作業があるので、自主的?活動ということで。
チラシが出来る。いろいろチェックしたが、あとで子どもの文化フォーラムで、まだ少しダメ出しがでた。タイケンコーナーは夢膨らんでいるが、それをあとは現実的にどう落とし込むかだろうし、一番の目標は、小学生ぐらいの子どもたち自身による自由で創発的なかえっこバザール運営という理想にどう近づけるか、ということで、それが、実は藤浩志さんの美術作品の眼目なのだが・・さて。

5限目はキャリア開発講座。
そして、東部文化会館のその会議(子どもの文化フォーラム実行委員会)となる。
私が書いたあいさつ文は長すぎた。翌朝に縮小して朱さんに送ろう。
あと、領収書の宛名のこと、学生にえらそうに言っていたことが、間違いだと分かる。
メールで学生にあやまらなくちゃ・・・(藤さんにも二度手間、三度手間になって、けっか、悪いことをしたが、東部文化会館のSさんが連絡してくれるということ)。


5/21(水)

なんだか、目覚めるのが早すぎて、ぼーっと一日中している。
今日もそうだ。今日はその上、出勤前に長電話をしたりした。
それにしても、2回生ゼミ生は忙しい。週末は鈴江俊郎さんのワークショップだし、今日締め切りの学祭について、ごちょごちょはなしていた。

アーツマネジメント総論はゲストスピーカーによる特別授業。パソコンの相性が悪かったが、無事、スムーズかつアーツマネージャーの生の姿を見せてもらって、学生たちも静かかつ熱心に聴いていた。井手上春香さん、いつもながら、ありがとう。そして、前の講演のときより、いっそうかっこよくて、聴きながらじーんとなった。
少しだけ、学生の感想を紹介しておきたい。
・・・・・・・・・
○ 井手上さんは、なりたいものになれなかった、器用貧乏なんだ、っておっしゃりましたが、そんなことは全然ない方だと思いました。中立の、つなぎの役割というのは、裏を返せば関わるもの全てを包括できるという気がします。何にもなれなかったというのとはまるで逆で、井手上さんは今のアーツマネージャーの立場で自分を成立しはったのだと思いました。たくさんの苦労に立ち向かうことでそれを乗り越えることができる・・・すごいです。今日は身になるお話をありがとうございました。多くのことに取り組む井手上さんを見て、自分も何か行動を起こしたくなりました。

○ 「ダンスで理科を学ぼう」の映像で、子どもたちが全く違う着眼点でダンスを考えてやっていたのが印象的でした。子どもの中の大きな変化が見られるというのは、アーツマネージャーだからこそ味わえるものなのかなと思いました。

○ アーツマネジメントの現場はハプニングの続出である、という話を聞いて、確かにそうだと思った。実際やってみないとわからないことはたくさんあるし、改善すべき点や失敗したところなど、次に生かすこともできるが、その実行した日は、そういったところもうまく補い合ってなんとか成功させることが大事だと思った。映像を見て、みんなとても楽しそうであると思ったし、同時にたくさんのハプニングが多々あったのだろうなと思った。しかしその点が気にならないし、外部に苦労やどたばたを見せないこと、つまり、参加する人や観客の人たちに、ハプニングや苦労を感じさせないということもアーツマネジメントなんだと分かった。
・・・・・・・・・
いつも互助会の懇親会は悪酔いする。今回もそうだった。もう飲まない、何百回と言ったことか。


5/22(木)

林加奈さん、そして井手上春香さん。うちの学生たちは恵まれている。でも、お二人にはいらぬプレッシャー(とくに加奈さんのあとのキャサリンの場合)を与えたかも。でも、ぜんぜんそれは問題なしだったな。
それに比べると近大での授業はさびしいかも知れない。まあ、非常勤だから、きっと近大のほうでいろいろな体験をしているはず。その情報が分かるとうまくリンクできるのだけれどな。まあ、京都橘大学でも他の先生の講義内容との接合はむずかしい、ダブったり、すれ違ったり。私は、研究室の前のプリントなどでだいたい推察して、いま、U先生は指定管理者制度をもう教えているな、とか、情報をスパイしつつ、学生の反応を探ってみている。

おっと、近大で、はなのお土産を少し紹介。アマリア・ロドリゲスの歌(はじまる前に聞かせたが、それは10分ぐらいしないとそろわないからだ〜授業開始の13:10では5人ぐらいで、そのうち16名ぐらいになる)。そして授業のあとに、ローザ・ラマーリョという68歳で夫がなくなってから制作した泥人形のようなじつにかわこわいい作品の絵はがき。限界芸術との関係になるのでと解説しながら。

ゆっくりと(京阪の各駅停車になったりして時間をつぶして)四条駅へ。そのため、埴原和郎『骨を読む〜ある人類学者の体験』中公新書、1965年。めずらしく、古本屋の前のボックスでたまたま目に付いて買った100円もの。でも、じつに面白く、エンバーミング(エムバーミングとここでは記載)の話があって(東大を卒業したばかりの著者と一緒に仕事をした人もそうだ)、葬送研究としてもなかなかに役立つし、何せ、理学部人類学という世界が戦死者の判別と葬送につながるというケースに偶然出会うとは!

さて、八坂神社を左に曲がって、知恩院へ。中に入ったのははじめてだ。コンサートは、御影堂の中だった。そして、法然上人の扉が開いていて(月3回だけ開くのだそうだ)、黄色い帽子のようなものをかぶってこのライブを私たちと一緒に楽しまれる。
『響流十万〜be in harmonay〜* 5/22(thu) 知恩院御影堂 開場:18:30 開演:19:00 \1000
出演:おおたか静流 中川博志(七聲会プロデューサー)牧野持侑(じゅん)司会:ちわきまゆみ
素晴らしい聲の共演が、国宝知恩院御影堂にて行われます。伝統的なもの、現代的なものが時空を超えて交わる、 普段では体験できない音旅行に参加してみませんか?最新型のクリスタルボウル、(水晶の粉から作った打楽器とでもいいましょうか) アルケミーボウルのサウンドも楽しみです。』

少し楽をさせてもらって、サイトを引用。http://www.hipland.co.jp/chiwaki/info/info.htmlこれは、ちわきまゆみという司会の人のサイトのようだ。このサイトを引用したのは、クリスタルボウルという楽器を知りたかったからで、はじまる前や前半のおおたか静流のライブ、アカペラ中心で、そこに中川博志(HIROSさん)のバーンスリー(インドの横笛)ほか、牧野持侑演奏するこのボウルが入る。

少しの違和感をこのボウル演奏に感じたのだが、もっとはっきりする違和感は、客入れのおそろいのスーツネクタイ姿のスタッフの衣装だったり、アイドルの照明のようなまぶしいライトのやかましい演出だったりがあった。とりわけ、こんなにうるさい照明はいらないな。音響はいろいろ必要なのだろうけれど。

七聲会はとても久しぶりで、愛知芸術センターの吹き抜け空間で聞いた声明のことを思い出そうとするが、はじめて聴いたような部分も多い。いちばん面白かったのは、読経がベースとなるシーンで、知恩院のお坊さんもずらりと横に並んで、法事っぽいのだが、そこへベースやタンブーラなどがからみ、おおたか静流が適当(?)に声を出し、とうとう、シタールやタブラ、そしてHIROSさんの横笛までが混じって、大音声となるあたりは、やっぱり、いい感じだった。

一番前は偶然花粉症でマスクをしていたが、線香などの煙がずいぶんやってきて、前半にいたアベックがいなくなったりして、そこに、知り合いさんが座ったり。あと、信者さんだろう年配の二人がずっとしゃべっていた前半、そして後半に気になったのは、中年の男性のつづく話し声。さいごのほうは、まるで掻き消えたが、ホールでなくお堂だから、そういう風になるのかどうか、アーツマネジメント的に気になったので、メモ。でも、1000円という価格は魅力的だし、お土産もあり、2011年の法然さん関係のイベントへと盛り上げようとする、事前イベントならではだ。


5/23(金)

きょうは、源氏物語の展示を見に行こうと思っていたが、家でごろごろ、パジャママン。
芳江と雑談。昨日、黒塗りの車が、前サティのあったところにとまっていたという。コノミヤという会社が8月に進出するのでその視察。初耳のスーパーだ。"http://www.konomiya.co.jp/index.html" t

けっこう、元気そうで、大阪市東部からじわじわ枚方に来て、八幡。サティがなくなって、ゴミの車の騒音とか空調音が静かになったが、やっぱり買い物では不便になっていたので、芳江は基本的には喜んでいるようだ。

昨日、読んで書き込んだ新書『骨を読む』だが、この古本の前の所有者はとても埴原氏のことを尊敬していたのかどうか、死亡記事を3つも貼り付け、埴原さんが米軍で働いた当時の小倉市の城野駅の写真まで貼っている。そんな本がどうして古本屋さんに並んでいるのかなあと芳江に言うと、たぶん、その所有者もお亡くなりになったからじゃないの?という。そうかも知れない。

しかし、数知れない若い朝鮮戦争で戦死した死体についての本で、しかもその著者の死亡記事が貼り付けてあり、その貼りつけた所有者も死んだとしたら・・・なんと死のことを考えさせる古本だろう・・・


5/24(土)

週末に天気が崩れるのは困ったものだ。
昨夜、視聴しのこしていた、DVD「鶴澤清治 闘う三味線 人間国宝に挑む」の実際のリサイタルの一部を見る。素浄瑠璃、壇浦兜軍記阿古屋琴責の段である。ドキュメントを見ていたので、きっと、住大夫さんは自分の世界で上演するのならもっとゆったりとここはよむのだろうなあとあれこれ思いながら見ている。でも、実際に琴が出てきて、最後胡弓になって、そんなことはどうでもよくなってくる。釘付けという言葉そのものの状態。胡弓というのは、アジア的楽器のなかでも一番人の声、それも内面の情そのものだなあとはじめて(ぐらい)胡弓という楽器を深く思った。

朝、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番を、楽譜を見ながら聴く。ほんとに楽譜を見ながら聴くという楽しみかたがクラシック音楽の自分流の悦楽の方法かも知れない。火の鳥とかオーケストラ曲だと大変だがカルテットはちょうど耳の聞き分けの練習にもなるし。そういえば、山下残さんのベルギー公演があったそうだ。本をめくりながらダンスを観ること。これって、じつにすごい発想だし、向うの人の反応も面白い。http://takaakik.com/blog/2008/05/it-is-written-there-1.html

京阪五条駅にかなりの2回生ゼミ生がいる。東山青少年活動センターへ。去年行ったことのある2名が迷っている。昨日、表さんに電話をしたら、前任の西田さんも一緒になって、今日のワークショップの準備をしていただいていたようだ。去年よりも、照明の課題がとても多くなり、また面白くなっていた。昨日の鈴江俊郎さん以下の仕込みの成果だ。もちろん、去年は去年のよさがあったと"http://higashiyamacenter.seesaa.net/article/42284228.html"を読む。ついでに07/5/20の2日目の記録もここ"http://higashiyamacenter.seesaa.net/article/42808521.html"にアップしておこう(この日乗の2日目も"http://kogure.exblog.jp/5615065/")。

終わってから去年と同じうどん屋に寄り、その帰りに、どうだった?と聞くと、もっと、照明器具を本当にどんどん上につるしたりするのかと思ったと呑気にいう。そういっていた学生などは背が高いし向いていそうだったから、東山はじめそういうスタッフ養成の場(創活番など)はあるのでぜひ参加してほしいものだと答えておく。

今日は時間ぴったりに終わったが、明日は、照明以外のスタッフ周りを全部する日なので、さて大丈夫かどうか。それでも、今日の第一日目、去年よりもスムーズだった感じがするのは、鈴江さん以下のみなさんのすごさはもちろんだが、2回生ゼミ生(20名中1名のみ欠席、でも明日は行けるということ)がかえっこをやりつつあることを含めて、実際に体を動かすこと、すぐに反応するタイプの学生が多いからなのかも知れない。

明日も楽しみ。今日、京都文化博物館に寄ろうと思って東山駅に歩いていると、数名の学生が行きたいのだが、チケットが高くて・・・というので、招待券を渡してあとで教えてねといい、自分は、gmailが届かない学生が3名も出ていたこともあって、京都駅前のネットカフェへ。

18:30からは栗東、さきらの音楽ライブ第8回全国障害者芸術・文化滋賀大会<"http://www.art-borderless.com/">「アートはボーダレス」オープニングコンサート「時空を超え、光の世界へ」。
当日パンフレットはなかなか充実していて、会場の委員の人もほめてくださっていた。
私も一文を書いたので、よかったなと思う。嘉田知事も最初にステージにのぼって親しく挨拶されて、最後まで聴いておられた。隣の隣だったが、挨拶するのもめんどうなのでしなかったけど。右隣のさきらの館長とあれこれ。

もともとは、シンポジウムがある予定だったがこれは延期。そのためか、2部に分かれて、21:30までの堂々のコンサートで、林英哲さんの組曲はちょっと長いなあとは思ったが、ティンパニーの演奏をこれほどちゃんと聴いたことがなく、中谷満さんの演奏や指揮がなかなかに真剣でかつお茶目(素の彼の性格がそのままでる感じ)なので、じつに楽しかった。私はやっぱり若いときに好きだったからか「ゲンダイオンガク」が一番親しみやすく知的に興奮するのだわ・・・

さいきん、また西洋クラシック音楽の面白さに戻ってきているので、ライヒのシンプルな複雑さも懐かしいし、楽譜に厳密に既定されながら、瞬間瞬間に消えて行く音の一回性という矛盾がどうしてもいとおしく、すると和太鼓の単純な陶酔みたいなことが、ちょっと、疎遠で演出過多のようなそんな印象になったりもして、数年周期で非西洋と西洋の間をゆれちまう私の鑑賞履歴だなと自己反省しつつ、帰る。

日本の作曲者って、パーカッションを作曲するときに、近代化された和太鼓ステージ演奏の進化とその聴衆の反響を意識しているなと今回強く思った(水野修孝、和田薫両作曲家がとりわけそうだということかも知れないが)。そもそも、和太鼓演奏がオーケストラ的な西洋舞台の影響を受けて大阪万博前後に成立したわけだが、そのあと、互いは互いのボーダーに気づきつつも、けっこう気にしつつ、意識するかしないかは別に、その融合というか、影響具合を確かめられて、そういう意味でも面白かった。


5/25(日)

午前中、昨日のつづきのワークショップ。東山青少年活動センター。昨日とは違う学生が1名休むだけ(それも事前に連絡あり)、しかも、19名が全員10時までに来る。げっ。これって、何だかありえないこと、大学教員になってはじめて?と思ったぐらい、びっくりのことだ。
鈴江俊郎さんの音響ワーク、舞台美術ワーク、そして、役者以外の演劇のスタッフすべての仕事を表わすファッションさがし。手際よくすすんで、12時。
そのあと、20分間、鈴江さんの劇場と演劇との関係論。いやあ、これは、録音すべきだったな。
だれか、ほんとにレポート書いて欲しいね。

このあと、ばらしがあるので、誰か手伝って欲しいと鈴江さん。3名がボランティアするというので、一緒に食事。ちょうどいい具合の人数だったので、おごる。柴洋さん。小野篁ゆかりの六道珍皇寺に寄って閻魔さまを障子からのぞく。柴洋さんは「ひがしがし」で2年前だったか、1回生たちが取材させてもらっていた洋裁の店でもあったことをあとで思い出す。

4人でもどると、すでに平台や箱馬はかたしてあった。でも、照明を下ろすお手伝い。コードを八の字に巻くこと。そして、掃除に敷物(リノニウム)の巻があって、この巻が難しいみたいで、2名はなんどやってもうまくいかないみたいだった。

これからKAVCに行っても、ユニット美人の公演には間に合うか、と思いつつ、でも、早く帰ってしまう。体力、気力が欠乏している今日この頃。
かわりに、未見だった、原一男『全身小説家』(157分、1994年)を観る。さまざまな角度からフィクションとドキュメントについて考えさせられる映画である。なくなった新宿梁山泊の金久美子が井上光晴のお母さん役で出ていて、ここは、ドキュメント映画に挿入された井上による虚構の部分なので、劇映画になっているのだろう。

原一男が、映画『靖国』について、かなり厳しい評価をしている新聞記事をこの前第七藝術劇場で読んだが、彼ならそういうだろうと、『全身小説家』を見ながら改めて納得。でも、原一男的ドキュメント映画って、旧いとかそういう言い方ではいい切れないが、かなり特別の世界で、原一男が自分自身をこの映画で井上光晴のある側面に見て描いているようにも思える。


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