こぐれ日録 KOGURE Diary 2008.10/6〜10/12


こぐれ日録610 2008年 10/6〜10/12

10/6(月)

あさ、ちょっと、きつく彼女たちへメールしてしまう、いい学生たちなのだが。
めっく@楽陶祭の件<"http://kogure.exblog.jp/7548001/">でだ。

で、
TAM研(4回生)の連中がしょげている。こちらにも責任はあるし、まだ、時間はあるし。
なんとかしよう。決まったことだし、反省すべき点は、18日が終わってからだ。

3限目の授業、さっそく、『アインシュタイン・ショック』を活用させていただいた。
闇と光という劇場の要件にぴったりだったしね。

4限目は4回生ゼミ。12/12がデッドライン。

かえって、北野武監督『菊次郎の夏』1999年公開、121分。
いささか、長いが、親密圏の再生を願う映画。ビートたけしと子役。
母親探し、二人の。
あとは、底抜けに真剣なあそび。それが、欠落していた父親性の回復につながるか、という感じかな。
江戸の下町だが、とらさんより、しみる。平行移動するシーンが北野武監督は好きなようだ。


10/7(火)

つぎは、川合光くんじゃないのか!!サイクリック宇宙論ってなんだか、まるでわからんが、あやしく輝いているじゃないか・・・ノーベル賞のニュースを聞きながら、ふと思った。

中学3年生のとき、山のぼりしてフォークを歌ったそんな長野への修学旅行(といっても、そのまま高校へ行くのだが)で、ずっと、同級生の川合光くんから、相対性理論をじつにわかりやすく教えてもらった。きいているときは、わかった気がして、友達に教えようとしたら、すぐにつまってしまった。

特殊相対性理論でそうだったから、一般相対性理論となると、高校の物理の辻先生の数式ですら、機械的にうつすので精一杯だったような気がする(じぶんのレベルでは、化学が一番勉強しないで点数がかせげ、生物では、面白いのに、ダーウィンの進化論がもうどうしても手ごわく、当時まだソ連のオパーリンとか、そんな人の本などと比較したりして、なんとか夏休みのレポートを書いていた、そんな大昔のころのことだ:哲学では図書室にあったサルトルの全集をだいたいよみとばしたあと、みすずのメルロ=ポンティの白い本をそろえだしたころ)。

川合光くんは、ノーベル物理学賞をとるだろうねえ、と、40年近くまえ、よくみんなで言いあっていた。だって、名前からして、理論物理学のために生まれてきたように、光だものね、と。(映画を発明したリュミエール兄弟もフランス語で光だけれど・・・)

アメリカから川合くんが京大の教授に戻ってきたと聞いたときは、イチローが大リーグから中日ドラゴンズに来たような(これは妄想です)、少し微妙な気持ちだったけれど、こうして、京大の名誉教授らが、クオークなどの素粒子論で賞を取った話を聞くと、またまた、35年前に、川合くんから、クオークが3つあるのだが、もっとあるという説もあって面白いよ、と高校生のとき(あるいは、大学1年生のころかも)に聞いたことを思い出す。

とりあえず、理論的に探求されているクオークには、ラブとか何とかかんとかという名前があって、反物質がどうちゃらこうちゃらと18歳ぐらいのころ、教えてもらっていたのね(ひょっとしたら、入試の新幹線のとき、教養学部での教科書を高校時代にすでに終わらしていて、コグレは熱力学が面白いかもよと、エントロピー理論を分かりやすく教えてもらっていたのかもしれない)。

じつは、こんどのノーベル賞のうち、益川敏英さん(彼の人を食ったような、でもかなりシャイなのかもしれない応答がじつに面白い)と小林誠さんの二人でとられた理論は35年前ということで、ちょうど、川合くんやわたしたちが、18歳のころなので、あのときに河合くんたち、物理に行く予定の連中の会話が、35年後に、庶民の私たちの話題になるんだなあ、と感慨深い。

そういえば、それより数年後かも知れないが、超ひも理論というのも、よく教えてもらったことがあって、川合くんは、新書とか漫画でもそれについて出版しているようなので、さっそく購入して、同窓会にでもサインしてもらっておこう。ノーベル賞をとる前に(量子力学の本は自分には豚に小判だから買わないけれど)・・・

今日は、授業が二つ。2回生ゼミでも、映画の誕生日の話をしておいた。
意外とにぎやかなサイレント映画『瀧の白糸』を楽しんでいたようだ(活弁士さんのおかげでもあるが)。

おととい(10/6)に、ジャブサーの『アインシュタイン・ショック』をふたたび学生たちと見たとき、こんな知らせ(素粒子物理学の分野でノーベル賞日本人トリプル受賞)が来るとは思わなかったから、不思議といえば不思議(まあ、こんな偶然っていつでもあるけど)。


10/8(水)

15:15から、京都シネマ。水曜日は当日も1300円。ようやく、黒沢清監督『トウキョウソナタ』2008年、119分。満員ではなかったが、6割ぐらいの入り。
涙が出そうで出ない。あっさりしていたなあ、と自分の気負いが恥ずかしい。テレビ的な『おくりびと』(滝田洋二郎)はもちろん、『歩いても歩いても』(是枝裕和)よりもさっぱりしていて、『ぐるりのこと。』(橋口亮輔)の切実感、切迫感(わたくし映画としての完成度)とも別の味わい。

ドビュッシーを聴きながら(私にとってはどこが「不協和音」か、分からないぐらいロマンチックなピアノなのだが、それはそれとして)、まだまだ、黒沢監督の映画は進化し変幻するのだろう、と思ってしばし映画館でうずくまっていた。一作品ずつが、一里塚なのね。4人の家族のことも、だいたいの終わり方も知っていてもなにも問題ない映画(ネタバレ注意という表示も必要かも知れないが、ほんとにいい映画、お芝居などは、ネタバレなどなんと言うこともなく、何度でも新しい発見があり、そういう多解釈性が楽しい記号としての芸術なんだろう・・・ちょっと大げさなこと書いたな)。

それでも、途中の展開とか、脇役の人たち(4人には、男3人には、対比できる友人がいて、妻には近所の奥さんとかがいるし、変な泥棒も突然登場しあれ、あれ〜となる)に驚いたり、そうなるのね、と微笑んだり(遊びがあって、映画のなかでネタバレを見せるのだ)、その演技はちょっと大げさすぎるよ(これは泥棒を演じたとても黒沢映画では大きな比重を持つ役者さん)とか、その拘置所はないだろうとか、あれこれ、笑い転げたり(心の中で)、した。それより、ホラー映画との比較とかが大切だろうが、いろんな人たちがすでに書いているね、郊外電車のライトの点滅が人物に重なるところとか。

確かに、ちょっと、台詞が多すぎるかも知れない。もっと、言わないでも言っている(映画で)という指摘はもっともだ。まあ、自分は、それはそれと思って、あんまり瑕疵だとは気づかなかったな(ちょっとあんまり台詞を覚えないでも、彼の映画は映像が語りかけるので、どうでもよくなってしまう。まあ、小泉今日子が見つけたと思った波の近くの光る物体には、はっとしたけど・・光る波にうっとり)。

脚本を担当した一人、若い田中幸子さんという人がこの映画をノベライゼーションしていて、それを帰り買って読み出した。面白いね。カンヌの賞にも出会えて、脚本家デビュー(正確には、劇場用長編映画初参加か)って、ラッキーだろうが、こういう仕事は楽しいだろうな。

夜は、昔見た、黒沢清『地獄の警備員』(1992年、97分)をビデオで観る。中堅商社が、名画の売買にも手を出す設定なので、これも、ここをいろいろ解説すると、授業で使う部分が増えるなとチェックしておく。元学芸員(久野真紀子が演じる)が主役だしね(もちろん、ザズーシアターで大好きだった演劇の俳優、松重豊が真の主役なのだろうが・・・)。

ゴヤ、ロートレック、ローランサン、ルドン。画集を揃えて、っと。一流の画家の代表作でない絵と、二流の画家の代表作では、どちらがいいか、という質問に、すぐに答えていたな。なるほど。

めずらしく、あんまり校務がない水曜日だった。午後からの紀要論評会はパスさせてもらって、12時15分からの初年度教育検討会だけにしてもらう。制度的な変更が必要なこともあるし、なかなかむずかしい。じぶんの講義スタイルの改善点は、小泉流でしゃべるということと、演習的な授業は、学生からのお題をいただいたりする双方向性(これには、まだまだ工夫がいるが)。個人的には、1回生の単位数取得が足りない学生を進級させないという全体的な検討とか、ゼミのクラス編成(これって、習熟別とかいう感じで気持ち悪いと私もみなさんも思うだろうと思って、口ごもる)などが課題なのだろうとは思ったが、とりあえず、現行制度でも何とか改良していかなくちゃとは思う。


10/9(木)

午前中、長岡京で授業をして、京都芸術センターで同志社大大学院での授業のとき配る紙をいただいて、夜授業。
これから、二つの授業までの間をどう有効に使うかが課題。きょうは、手帳も買えたし、京都芸術センターで、車椅子に乗ってやってくる認知症老人たちの様子にも触れたし、なかなか収穫あり。

読み出した『やくざと日本人』(猪野建治、ちくま文庫』も、さきに読んだ宮崎学『ヤクザと日本人』よりも、江戸時代の記述が多くて、火消しと劇場・銭湯の関係とか、面白さ満載。

すぐに、夜の授業で話すと、町火消しは、NPOですね、といわれて、その指摘の新鮮さに絶句。たしかに、武家火消しは、年俸制の公務員だったり、指定管理者制度における派遣みたいだし、八九三(やくざ)そのものとは別に、火消しから消防へと移るところの研究、なかなかに面白そうだ。劇場マネジメント、地方興行、仮設興行との関係とヤクザとの密接な関係は重要だとしても。

そうそう、大学院に入るのに、相国寺から入るのが早いのだが、そこに、水上勉が9歳から13歳までいたという塔頭寺院、瑞春院、通称「雁の寺」があった。いつも知らないで通り過ぎていて、いまは公開していないようだが、ここも重要な時間つぶし、おっと、失礼、時間有効活用の場所であった。


10/10(金)

昨日あたり、少し声が裏返るなあと思っていたら、今朝、坂をあがるにつれ、
これって、風邪だと気づく。
コンビニで、ドリンクを買ってなんとか金曜日の授業に向かう。

4限目は映画論(これに、どう、妖怪とアニメと河童をつなげるのか・・・)についてのはじまり。
映画はアーツのなかではめずらしく、誕生日が分かっているという話は、まあ、よかったか。

3限目(1回生の必修O先生の授業)が休講だったので、9501教室を使って映像チェック。
けっきょく、『<a href="http://cinema.intercritique.com/movie.cgi?mid=1238" target="_blank">キートンのカメラマン</a>』(1928)の冒頭と、『瀧の白糸』(1933)のはじまりのところ。
弁士の字幕まで入れる(今回は、澤登翠さんではなく、松田春翠さんの古風な味で聞かせてみた〜じつはDVDをごちょごしていて、設定が変わってしまったのでした)。
反応はまずまず。やっぱり、名作はすごいということなのだろうな。
提出物もわりとよく出ていた(でも、ルール違反があって、来週どういうか、思案中)。

『都市とアーツ』の授業用につくった、ワンフレーズ(小泉流)定義の追加:

都市とは、ヒトが集まり文化を創る所
アーツとは、楽しさとうっとりを創る術

5限目は輪読。

そっけない日記になったので、数日前書き換えた、履修の手引きの文章をアップ:
都市環境デザイン学科の文化プロデュースコースって何なの?という質問に答えるものでもあるが、最小限の改良なので、まだ舌足らずなのだが、一応・・・

履修の手引き p127
都市環境デザイン学科 文化プロデュースコース の概要
 
 音楽、映画、美術工芸、演劇ダンス・・・さまざまな文化は、それを支援するシステムがあってはじめて花開きます。
 本コースの学習はこの支援システムです。すなわち、自治体やNPO、企業メセナの文化政策、舞台づくりやアーツマネジメント、文化施設の運営ノウハウなどの学習と実践力づくりなのです。
 「都市とアーツ」、「社会文化論」、「文化経済論」などで基礎を学んだ上で、「イベントデザイン論」や「空間デザイン演習」などの科目で実践的能力を身に付けます。
 卒業後は、文化施設、音楽・映画産業、イベント企画業、冠婚葬祭業のほか、企業の企画広報宣伝部門などで活躍することが期待されます。


10/11(土)

風邪気味なのに、少し夜更かししたため、よけいぼーとしている。
でも、届いた『マンガ超ひも理論 我々は4次元の膜に住んでいる』(川合光=編著、高橋繁行=作画、2002、講談社)を、『リュミエールの子供たち フランス映画100年の夢』(1995年、112分)を見た後(授業で紹介するのはリュミエール兄弟のところだけなのだが・・)、エットの『無茶の茶』を聴きながら、読む。

いやいや、よくわからんが、あれこれ、面白い。
用語が常識的な使い方と逆転するっていうのも、ミクロすぎたり、マクロすぎたりするからだろうが、変な感じで、たとえば、「対称性」という言葉。
それに、超がついて、超対称性となって、それが破れていくとか、どんどん、マンガなのについていけなくなって、読み直したりした。
なかに、米国国籍の理論物理学者、南部陽一郎さんの紹介があって、超ひも(スーパーストリング)理論の発端になる「ヒモ」モデルを考案した人として紹介されていた(p123)。理論の浮き沈みがマンガで書いてあるので、人間くさくて、素粒子理論も人間ドラマにちゃんとなるんだなあと最近のテレビ報道(ノーベル賞受賞騒動)ともども面白がって読んだ。
なお、川合光くんの略歴のところで、29歳にして(1984年)、「格子ゲージ理論」で日本の物理学界における最高の名誉、仁科賞を受賞。その際使った行列模型で超ひも理論の定式化に成功した、とある。つづいて、新書も読むつもり(『はじめての〈超ひも理論〉』講談社、2005)。

淀屋橋駅からの出口を変えると、芝川ビルがどこかしばし分からなくなった。
ようやく、入ると、上念さんが、花嫁学校だったんですねと1階の展示を見ている。
4階のモダンテラスへ。すこしずつ青空。水嶋一江さんの紙コップ糸楽器(ストリンググラフィー)がテラスに張られている、遠慮がちに。あとで、聴いたところ、ダンスパフォーマンスをした新井英夫さん(96年に解散したらしい『電気曲馬団』のことを私が知っていたら、びっくりしていた。でも、実は、地域創造時代前後に彼とはあったことが実はあるのだ)が、音楽担当の中ガワユウキさんにアドバイスしたのだという。弦でこすっていたので、昔ワークショップしていたように、わたしは、指でこすって音を出して楽しんだ。

「同潤会記憶アパートメント」展Vol.6 in 大阪。南森町のマンションの一室でたまたま岩淵さんに相談していた人(多分いしまるあきこさん?)から、聴いていた企画だ。新井英夫が赤い糸を体から吐き出してもう消失してしまった建物の写真や動画に進入する、やさしく、おずおずと。つぎに白い糸で外へ。観客もつながれていくのだが、パフォーマンス慣れしていない人が多くてそれもまた微笑ましい。彼が、最後、はしごを上って屋上でも踊っていたのが、印象的。はすかいのビルで作業をしていた3人組に、新井さんが、大声で呼びかけていた。超ひも理論を読んでいることもあって、ヒモや糸が気になるな、つながるな。

上念さんと、ご一緒に、川を渡って、フジハラビルへと向かう。意外と近い。
大阪BABA、dB Physical Arts Festival one-Dance プログラム。まずは、茶水で杏ジュースを買って、4階へ。注文の多いダンス公演。階段には支持があって、まず、言葉を思い浮かべよという。とっさに私は壁の文字が「変死体」と見えて、それが頭に入ってしまう。変死体、ホラー映画の影響だろうか、古屋敷つながりだろうか。

あがって、野田まどかさんに紙を渡せ、とあったが、めんどうなので、いつも場内整理などをしている顔見知りの女性(ときたま、窓につるしてあったトライアングルを鳴らしていた)にその紙を渡す。すると、野田まどかさん(観たことは数度あるのだが、公演以外で会うのははじめてで彼女がそうなのかよく分からなかった)がきて、言葉を聴く。で、変死体。

あと、彼女が歌える歌詞が鉛筆で丁寧に書かれているので、読む。ゆっくりした時間。しげやんは上念さんの似顔を描いているし、佐藤さんは、ずっと白紙のままなので、誰かに、はやく答案を書くように脅されている。野田さんに歌ってほしいものを手渡すように支持があったので、「小さな木の実」を選ぶ。自分も歌えるので小声に歌ってみる。なかなかよろしい。

そのうち、プレ公演がはじまる(本公演があるというのが分かったのはそのあとだが)。まず、みんなが心に抱いた言葉を野田さんが即興で唄にしてマイクで流す。変死体は変だった。そのあと、私が一番近いこともあって、小さな木の実の歌詞を渡すと、はじめはつぶやくように、そして、間奏を自分で口でつけてから、大きく、そしてラストはつぶやいて歌う。風が強い。窓から紙を散らす。
15分ぐらいして、椅子を持って、客席に集まってほしいといわれる。

白い世界。奥に窓。野田まどかが、そういえば、上着に果物のようなものをしのばせていたが、それもなくて、すっきり、白装束でたっている。「正のっ!」というダンス作品らしいのだが、本番は「いっせいのー」ではじめる。気合なので。
はじめは、禁欲的な場所めぐり。舞踏的テイストもあるだが、彼女は、実に、歌うダンサーなのだ思う。体がもう歌いたくて仕方がない。それを抑えて抑えて、抑えきるところから、違う唄が出るまでしぼっていく。よく体がしなる。強い弦がほどけるときに、どうしても声が体を楽器にしてしまうのだろう。でも、おぼれないようにしている、そのギャップが気持ちいい。

歌う舞踏家。舞踏する歌手。そういえば、歌わない物理学者と歌い恋する物理学者というジャブサーのお芝居があったな。20分の休みのあと、今度は地下へ。こちらも白い。しかし、光や風ではなく、内面の洞窟のようだ。
山田知美『駄駄』。一度聴いたら忘れられない音楽が闇からやってきて、彼女が震える。
35分ほどだろうか、ずっと、そこで振るえている。ストリングスという意味では、彼女の豊富な髪だろう。ヒモの励起。振動することで、クオークが多く見えるようになるという超ヒモ理論を実践しているようだ。単一の体、単一の動きの変化がこれだけの多くの情念、律動、消滅と再生を想起されることの不思議。

おやおや、素粒子物理学が乗り移ってしまったようだ。
あわてて、天満橋へ。この公園でつき山さんがパフォーマンスをしていたなあと思いながら、駆け足で京阪電車の終点まで。出町柳のタクシー乗り場。近いので恐縮しながら、アトリエ劇研へ。ずいぶん、温度が下がっている。
制作の上田千尋さんがいて、見習いをさせてもらっている2回生のHの顔も見える。
劇研アクターズラボ発表公演vol.4『極楽トンボの終わらない明日』原作:高橋いさを、脚色・演出:田中雄。100分弱。

5ヶ月の稽古の成果発表。演劇をはじめて経験した人も多いし、これからの役者の卵もいるという。顔や体つきが独特で、はじまってから数分は、大丈夫かなあとこちらも緊張したが、その初々しい中年のおじさんとかが、なんか、そのままで味な姿になっているのが、演出の妙でもあり、ビギナーズラックでもあるのかも知れない。

が、でも、「豆」には大笑いしたし、1988年に劇団ショーマで初演したものは見れなかったので、80年代小劇場演劇の後半部分、「静かな演劇」(関係性の演劇)の直前の姿を見られるのは、なかなか興味深い演目だった(キャラメルボックスの若手公演が2年前あったようで、それで、2回生のI〜やはり上田さんの下で見習いをしている〜がせんせい、キャラメルボックスなども見たほうがいいでしょうか、ときいていた意味がようやく分かった)。


10/12(日)

ふしぎな水鳥をつくろう、というアーツプロジェクトをめざして、北浜から中ノ島へと歩く。
なにやら、ブラスバンド。よくあるそれとは、どこか違う・・・いや、いまどき、こんな自由なブラバンもあるのかしら?
そのうち、鍵盤ハーモニカぽい音がマイクで拾われて、ブラスとはまるで違う波長で島を渡ってくる。

こんな感じは、あそこしかない・・・やっぱり森本アリさんの高い背が垣間見られる。
10時すぎには着こうと思っていたのに、11時前になっていた。10時半からだったのね。
残念。でも、小さな子どもが踊っている前でラストソングを楽しむ。チューバの彼女が丁寧に最後まで残って挨拶していた。でも、こちらは、挨拶もできずに、井上信太さんのふしぎな水鳥をつくろうを探す。

すると、卒業生に声をかけられる。することを探して、私のこのこぐれ日乗を見たのだという。
そうそう、彼女は、三田村管打団?に、ゆかりがあったな。タフ4で。
仲良く、水鳥に彩色をしている子供たちに混じって、彼女たちも楽しんでいた。
中西美穂さんに教えられた、モノクロームの井上作品の設置場所を彼女たちにも教える。

そのあと、御堂筋を通って(KAPPOとかいうイベントが一緒に行われようとしていた)、心斎橋、四ツ橋へ。南御堂によったり、難波神社を眺めたり。

ビルマニアという人たちの企画を眺めて(西谷ビル2号館3階)、なんばへ。このビルの階段階の表示がなかなかにおしゃれだった。1500円でワンドリンクつきという今日はイベントだったようだ。じつは、歩きつかれたので、休憩したかったのだが、ジュースを飲むだけで、1500円はもったいないなと思い、そのまま、天満橋へ。

インスタレーションの場所まで、少し戻る感じで公園(南天満公園)を歩く。むかしはもっとホームレステントが多かったような。いまは、なんか、おしゃれなテントが川辺にぽつぽつあるのみ。テニス、キャッチボール。その横に、井上作品がある。川を向いているので、天神橋に上る。そこからがよく見えて、自転車で通り過ぎる人も一瞬はっとしているようでおかしい。
剣先公園にはいけないのが残念。橋から視るのみ。黒い影が、ここはすこし不気味。なんだか、カラスぽい群れ。鳥といえばヒッチコックだなあと思いつつ、帰る。

家で視たのは、黒沢清監督『LOFT』115分、2005年製作、06年公開。
奇妙なラブロマンス、あるいは、それにまつわるコメディでもあり、でも、ホラーやミステリーでもあって、結局、ジャンルは混淆してしまって、黒沢物としかいえない・・・

古い一軒家、となりに大学の古い研修所。配電盤、焼却炉、古学と展覧会、ミイラと埋葬、緑の沼。沼にクレーンにつるされた死体・・・
音楽と音響が怖さの成分を半分ぐらいは演出しているなあと、家人がサスペンス(ホラー)苦手ゆえにヘッドフォンで視聴しつつ、思う。確かに、安達祐実でない方が自分的にはよかったような気がする。
中谷美紀、豊川悦司、西島秀俊、大杉漣あたりは、完璧だとして。


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