こぐれ日録 KOGURE Diary 2008.9/22〜28


こぐれ日録608 2008年 9/22〜9/28

9/22(月)

ようやく、授業がはじまる。
京都橘大学の授業は、7つ。全部の授業の学外授業とその振替休講の決定をしつつ、ペーパーを作成。

演劇ダンス関係の授業は二つあるので、もし、関西の方で、よかったら、宣伝広告しにきていただければ、ありがたいです。むかし、ファックジャパンさんが来られたこともありましたし、ワンダリングパーティさんにもお世話になりました。ダンス関係がなかなかむずかしいかなあ・・・

11/16(日)、糸賀一雄記念第7回音楽祭は、朝からずっと授業として活用させていただくことに。茶道部のお茶会があっていけない学生がいたな(代替案は作れるかなあ、助成はできないけれど、関西の演劇ダンス鑑賞をしたら、出席にしてあげてもいいかも)。

昨日、青年団の公演を見てきたので、アーツマネジメント論(演劇ダンス)では、ネットワークの例としてチラシをコピーしてくばる。文化政策学科の学生にとっては、平田オリザさんの名前は有名(教科書になっているゼミなどもあるようだから)なので、それを活用してみたわけだ。

オリザという名前が、稲のラテン語だという話をしたら、ちょっと受けていた(コネタ系だけど、星座と思っていた学生もいたらしい。なるほど・・いま、ずいぶん事故米などで米が問題だし、少し関係づけて話せたらよかったが。そうそう、オリザはラテン語で米といってしまったな。正確にはラテン語の学名で稲だった)

4回生ゼミでは、テーマパークについてテーマにしている学生を中心にみんなでテーマパークと遊園地、アミューズメントパークとの関係などをわいわい。「ディズニー化する社会」で読んだ話などを私はした。


9/23(火)

昨日授業して、ようやくレジュメを作る気になる。来週に配るものを作って、あとは、たまった映像を見る。
まず、糸賀一雄記念第六回音楽祭(昨年)の映像。ダンス部分でラブ・ジャンクスとしげやんたちのダンスを冷静に比較して見る。あとの2枚は音楽(打楽器と合唱)。
日本のアウトサイダーアート4巻目(代島治彦監督)。上田志保、澤田真一、西川智之。上田志保さんのお母さんやその関係者が志保さんのことを自由に語るシーンが好き。同じく、澤田真一さんの妹さんが真一さんの横で話すところが、かなり面白いし、いろいろ考える(映画『花子』の姉妹のことを思い出す)。西川智之さんの映像は他の二つに比べて短くて、あっという間に終わった(12分)。澤田さんや西川さんは栗東市と近江八幡市なので、ずいぶん、身近な感じがする。近江学園だったりするし。

夜、文楽を紹介するために買ったビデオ、北野武監督『ドールズDolls』(2002年、113分)。正直、こんなに面白いとは思わなかった。オリエンタリズムの問題(欧米受けねらい?)とかそういうことも少しは頭を掠めたが、じーんとくる。久石譲音楽はあんまり意識はしなかったが、映像のひきがいいし、なにせ、『冥途の飛脚』の雪景色などを思い出させて、文楽が見たくなる(すくなくとも私にはそうだったが、学生たちはどうかな?)。菅野美穂が自殺未遂で障害を持ち、やくざの親分が射殺した兄弟分の息子は身体に障害を持つ。アイドルの片目がつぶれ、ファンは両目をつぶす(泉鏡花も思い出させ)。


9/24(水)

あさ、いま読んでいる本のところで、なるほど、敵は1つにしぼるのが、カリスマ指導者の成功の秘訣なのだなあと、合点する。

《・・・大衆には二つ以上の敵を示してはならず、唯一の敵(ヒトラーの場合は、それはユダヤ人でした)にその関心を集中するように(強引にであっても)することが「偉大な指導者の独創力」だったのです。しかも、繰り返し情熱的に同じことを叩き込むことが肝心であって、議論の公平性などといったものはどうでもよいのです。・・・》佐々木毅『民主主義という不思議な仕組み』(ちくまプリマー新書、2007)p105

日本の政治家にあてはめて、彼たちの敵はだれだったっけと振り返る。政治家だけではなく、もっとすごかったのは、宗教家だったな。もちろん、政治指導者も宗教指導者も過去形だけではないけれど。

大学は授業がなく、午後の二つの会議もまあけっこうあっさり終わった。
終わってニュースをチェック。
旧自治省の同期(昭和53年入省組)の名前が出ていて、驚く。
「総務省から首相秘書官になるのは岡本全勝官房審議官」。
岡本全勝くん・・・彼ならずっとエースだったし、財政、とりわけ地方交付税のエキスパートだし、何かと首相を補佐するだろうと思う(フルートは富山県の総務部長のとき習ったっていっていたな)。

生協の理事会があることをつい忘れていて、たまたま学生理事に教えられて助かる。
生協としても、今回のインフレ対応や食の安全のことなど、課題は山積だ。
じつは、私自身いつも現金なので、プリペイドカードのこと、明日にでも調べておかなくちゃと思う。


9/25(木)

黒沢清監督映画も、そんなに多くは見ていないが、都市伝説関係でもあるので、少しずつ補充している。
DVDのパッケージがホラーホラーしている『叫 さけび』(06年製作で07.2に公開、108分)。CUREと地獄の警備員は映画館で見ていて、ずいぶん体の底に響いたぼんやりした記憶があったが、この作品はそういうホラー独特の派手さはない。

いたって、画面が、しずか。長まわし。叫ぶ声も大騒ぎではない。声の聞こえないからすとか、幽霊(まあ、死んだ人間という監督の考えで、超自然的な恐怖心を催すようにはなっていない)の言葉がぼそぼそしたり。メイキングとか、未公開のエンディングとか、監督のロングインタビューなども見て、とても楽しくなる(特撮はあるが、特撮かと思ったものがそうでなかったりもする)。

それにしても絵がきれい。廃墟好きもたまらないだろう。お化けの本体よりもお化け屋敷やその土地が怖くてそしていとおしい。忘れ去られてしまう場所。埋め立てられ、取り壊され、整地され、建設されて。取り残された精神病院。

閉じ込められ、海水溺死の風評が流れる廃墟が怖くないはずはないが、そこに残された習字(「心」とあった)に目が行くのは、少しアウトサイダーアート的職業病かも知れない。ぜひ、精神科の病棟を改築する前に作品を!おっと、関係ない話になってしまったが、埋め立て地、風力発電、はしけ、古いアパートの絶妙な壁の汚れ・・・そうそう、警察署になった古い倉庫みたいな場所は、フィルムコミッションならではのロケ地さがしだ。

今日はまだ、大阪成蹊大学芸術学部も同志社大学総合政策科学研究科もはじまっていないので、ずっと家にいた。大学で明日の準備をしようと思っていたが、少し風邪気味なので、家で準備。まあ、オリエンテーションなので、ほどほどに(映画の話は少し多めにできそうだな)。

それにしても、新しい学科の1回生向けの「都市とアーツ」をどう絞り込むか。
台湾からの留学生も2名聞いてくれるということもあり、少しまだ道筋が見えない。
でも都道府県別に都市を調べたり、文化プロデュース、アーツマネジメントの事例を入門的に知っていくということは、やりたいので、そういう都道府県別の表づくりはしておく。
政治学概論用には、92代になった歴代首相の一覧表も作ってみて、さて、どうはじめようか。

プロデュース論ではないが、「文化プロデュースコース」ってこういうことで、そこから文化政策やアーツマネジメントへと行くのよという誘導がいるので、プロデュースとはなんだろうというあたりもやっていくべきかも知れない。
やはりテレビのプロデューサーかな?結婚式のプロデュース(ウエディングプロデュース)でもいいかな?そこから、ライフステージごとのプロデュースの必要、そして、ヒューネラル(エンディング)プロデュースへ、という流れ。


9/26(金)

大教室の1回生だけ(あと留学生が4名)の授業を4限目にして(90名ほど)、
2回生以上の少人数の政治学概論という授業を続けてする。8名だったっけ。

一番心配だった新しい二つの授業、あれこれ考えていたからか、まずまずの滑り出し。
とりわけ、1回生の「都市とアーツ」、内容が広いのでどうしようかと思ったが、大上段にはじめる。
つまり、文化の最小限定義、デザインの起源、アーツ(超自然的存在)のビッグバン。
次回は、アーツ分類のあと、「映画」からしずしずと始めるかな。
他方、都道府県別に都市(行政区分上の市の名前)を4つ以上書く宿題を出しておく。
これで、4×47=188以上の都市を一覧化できるというわけだ。現在、全国に市が783あるので、1/4ぐらいは知ることになる。
音楽を終わるころ流すが、あんまり意味がないな。9501教室の音量調節がしずらくなったみたいで、次回から、映像を流すので、ちょっと心配。

そうそう、「アーツ」の定義、これが、難題。一応、デザインの裏定義で逃げるか。いや・・

【研究メモ】
あさ、大学までの坂を上がる。
はげしい雨。いなびかりととどろき。
稲光・・・「いな」を稲とする説と「イカ」(畏るべきこと)の転とする説
稲妻・・・稲の夫、雷光が稲を実らすというところから。イカヅチの転という説もあり。

雷。かみなりは、神鳴り、鳴る神である。
いかづち・・・調べると、そうそう、「ち」は霊だったな。
いか(厳)+つ(「の」の古語)+ち(霊)

みづち・・・水(み)+つ+ち(霊)
おろち・・・を+ろ(「の」の古語)+ち(霊)・・・「を」は、大、尾、丘、峰などの語源説あり。


9/27(土)

12時から15時まで、いつもの山科青少年活動センターへ。
でも、いつものゆったりワークショップではない。いつもとは違う、公演前の段取りや稽古がびっしりのめくるめく紙芝居プロジェクト(メック)の3時間だった。
でも、メックの新たな挑戦として、メック・シュー団をつくりたいなあ(そして、声がかかればユニットなどいろんな形と演目を見繕って出かけるチンドン屋さん的ありかた)と思っていたので、一つのきっかけとはなるかも知れない。

なんと、学生が自分たちで公演するよう企画したのだった。びっくり。
それも来月(10/18)。清水焼団地で「楽陶祭」があるそうだが、そのステージに出るというのだ。
ただし、ではけを入れて30分。でも、新作を作る余裕などない。できれば、太陽クラブのみんなが中心となるようなものができればなあという理想(20分ぐらいで完結できるポータブルな紙芝居〜だから、巻紙ではなくもともとの形、大判でもいいが〜をいくつか作って組み合わせるものを想定していた)など言っていられない。

逆にこの前の公演(3/30)から半年なので、「京都プチ山うさぎ事件簿」を少しは記憶してもらっているだろうから、ということだろうか、再演することになっていた、でも30分バージョンということになる。
したがって、紙芝居を読むのを障碍のあるみんなで交代に読む余裕はない。そのかわり、ゆずこちゃんダンスや山下残体操、リンボーダンスなどは短くでも目いっぱいにやってもらわなくちゃ、と心の中では思って、でも、まあ、なるようになるさと思いつつ、3時間をすごす。

終わってから、10/18、14時からの30分をメック公演にあててもらうことにした。もちろん、無料。清水焼団地(バスが山科駅などから出ている)の駐車場に特設ステージが作られるのだそうだ。そのあと16時までいろいろステージが用意されているようだし、「楽陶祭」というイベントは気楽なものは、多いので、メックって一度は見てみたい人も、その回りもなにやらあるのでぜひお越しください(ただし、にわか再演なので美術の井上信太さんが再製作する余裕がないかも知れないし、半屋外らしいので、防寒などもよろしく!)。それにしても、こんなに急なのに、信太さんや、残さん、そして、ハナジョスのみなさん(アルムちゃんも、風邪を引かなかったら出てくれるだろう)も何とか出てくれるなんて、望外の幸せだ。

山科のユニクロでパーカーを防寒用に買って、扇町公園特設NGR雷魚テントへ。今日が最終日。
劇団態変『すがた現す者』19:30から110分程度。作・演出:金満里。男は旅に出た−チェ・ゲバラ。
テントの上部が風で揺れて音をたてる。待っている間、外気の変化に身をおく。日が暮れて、公園のライトも少し心細げ。年配の女性の横に座って、天気の話。そちらは、昨日雨が降りましたか、と聞かれて、どちらから?と聞くと、氷見ですと。ああ、雨晴の氷見、富山から、とびっくり(金さんの関係のものです、とのこと)。昔からの富山の家は広すぎて若者がすまなくなったこと、だから、年寄りは一部だけを使って住んでいることなどの話から、とれたての鰯の皮をむいて食べるとどんなに美味しいか!という話などをしているとあっという間に開場だ。

今回の主役は若手(年齢ではなく、少し最近に参加した俳優という意味でもあるが)だった。かってに小泉ゆうすけがチェ・ゲバラだと想定してみていたので、彼がチェ・ゲバラ(上月陽平:たぶん)の友人だったとは意外だった。そのあとは、チェ・ゲバラの伝記のあらすじを当日パンフで読んでいたので、一応、それをなぞりながら進行していたように思う。

ふと、教会で中世に演じられたキリストの伝記に基づく劇もこんな感じで進められたのかも知れないなあと思ったりする。生音、今回はアルゼンチンギターや南米の縦笛や打楽器だったが、教会だったら、オルガン。リュートは使われたかどうか、でも、そんな感じだ。
日本では、壬生狂言とかに似ているのかも知れない。
無言劇。最近の態変は、ダンス的身体表現が冒頭以外は少し控えめにして、必要最小限の台詞のないマイム劇で、いま、ここで、忘れてはいけないことについて、黙って物語ることに挑戦しているのかも知れなかった。もちろん、北角和恵の堂々とした振る舞い的ダンスにうっとりとしたし、小泉ゆうすけのマイム(足指を巧みに操るコップ使いもあざやかで)だけではない、床にたたきつける体の痛さをばねにするダンスはもちろん健在ではあるのだが。


9/28(日)

どんな服を着るか、急に涼しくなったので、とまどう。
そういうときは、スーツ(このスーツは何年ぶりに着るのだろう)。
やっぱり、ネクタイもしてみる。確かに楽だ、考えることがないから。
9時から17時まで、今日は、大学でお仕事。

休憩時に、昨日読んだ本を書いておく。
山田陽一編『自然の音・文化の音〜環境との響きあい〜』、講座人間と環境11巻、昭和堂、2000年。これを買った直接の動機は、濱田昌人「葬送儀礼と合唱における死者の声」(アフリカ熱帯雨林での事例)だったが、それ以外のものもなかなかに興味ぶかいものが多かった。

たとえば、大きな音、雷鳴でびっくりすると、特に子どもの魂は頭から飛び出して森に迷子になってしまう話。取り戻すには、「うたの儀礼」が必要なのだが、そのためには、霊媒が精霊から「雷のうた」を夢の中で教わる必要があるという。

葬送が歌や踊りの起源かどうかは定かではないが、アフリカのいわゆるピグミーの歌舞(「オベ」)は、死者から教えられたとされているように、死者と生者が一体となるために、しばしば、合唱や踊り合うことが活躍するのは、よく知られている。死者が言葉ではなく音(声)として現れるのもかなり広い現象としてある。言葉を用いない合唱のほうがより死者と一体になれる。短い旋律をずらした、ポリフォニックな響き合いのなかで。


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