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こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.10/5〜10/11 こぐれ日録661 2009年 10/5〜10/11 10/5(月) 京都市東部文化会館。10時から12時。子どもの文化フォーラム・6回目に向けての実行委員会。 朱さん(山科醍醐こどもの広場)が9時半と思ってはやく来られていたので、小暮はなの新しいDVDを渡しておく。 少し規則づくりみたいなことをしたあと、来年(6月中旬ごろ実施予定)の内容の検討。 堀尾さんのパフォーマンスに、子どもたちに石を投げてもらうという「やんちゃ」なアーツ企画があって、それを話してみた。 行政法の2回目。 帰って、今村昌平『ええじゃないか』(151分、1981年。桃井かおり、泉谷しげる、露口茂)の続き。じつにつまらない映画で、また居眠り。 授業のある平凡な一日ではあったが、昨日、アポイントメントを失念したため、なんとかカバーしようとしたが出来ず、今日、中川さんにお会いする。 昨日、アポイントメントを思い出して、研究室に遅れて戻ったのだが、そのとき、3回生の学生(他ゼミ)から、お墓の研究についての相談を受け、その関係でツイッターに葬送や葬祭会館、そのマネジメントにアーツを取りいれる限界芸術マネジメントのことをつぶやくと予想外の反応が返ってきて、ちょっと嬉しくなる。 そのさい、あわせて、村からののけ者にされる制裁である「村はちぶ」が、いまは村八分と表記され、俗解として、のけものにされないその2分は火事と葬儀だという話が間違っているという議論があることを思い出す。 2回生ゼミは、今日も17名全員出席。 明日の、イベントデザイン論の準備。糸賀一雄音楽祭の映像を見せるのは、11/3の本番の少し前の方がいいかと思い、少し、イベントの特徴などをまとめておく。 冠婚葬祭ビジネス 茶谷孝治『イベント化社会-実践的イベント論序説』関西学院大学出版会2003年 イベントの要件は以下の5つ 要件1 仕掛け 要件2 ライブ 要件3 演出 要件4 メッセージ 要件5 興奮 いまのイベントの特徴(本音) 1限目、イベントデザイン(アーツマネジメント)論の授業、終了。 さて、イベントの定義と種類、そして、特徴。 学科会議。 大学評議会。期限付きの教員を採用する場面になると、どうしても一言いいたくなる。 台風18号の接近。 7時に京都南部地域に暴風警報が出ていたら、午前中休講、10時に同じくだったら、一日休講。 2回目の今日は、「アーツマネジメント」ってよく分からないという方のために、こちらをまず簡単に説明して、それを受け止める形で「文化政策」の説明のはじまりへ。 今谷明『戦国時代の貴族―『言継卿記』が描く京都』講談社学術文庫、2002年。もともと、1980年にMそしえてより出版。30年前に書かれたもので、しかも筆者は大学院生だったという。確かに若干、あちらこちらに行くし(京とその周辺の中世のお城保存の問題点など)読みにくいところもあったが、その読後感は結構ずっしりとくる。一人のあんまり位の高くない貴族の、とても丁寧な日記を中心とした本。 まず、日記という点に惹かれる。時代的には、寺社勢力と拮抗しつつ、徐々に武家が戦国の世の中で威力を発揮し、近世へと行く寸前。貴族の荘園や特権は風前のともしび・・・・そんな時代において一人の貴族(公家社会における中下級官僚というところかな)、山科言継(ときつぐ)が、その才能(雅楽の名手、薬の調合、蹴鞠・和歌指南・・)を生かし、旅をし社交もこなして(信長とその父との交流、晩年は家康とも交流)、京から地方へ下ったりする貴族が多いなか、山科家をなんとか維持。 そして、72歳で亡くなる(=「幽明境を異にしてし」まう)と、多くの人に惜しまれる・・・没落する貴族階級のなかで苦労しながらも長寿で、それなりに幸せな人生を歩んだ人間味あふれる人のお話。 この山科家とは、藤原家の一流、冷泉(れいぜい)家から分かれて、冷泉教行(のりゆき、1298〜1372)が、晩年山科姓を称することになったということ。 色々山科研究で興味深いところがあり、旧日本住宅公団が、山科本願寺の土塁をほとんど保存もしないで破壊したと憤慨しているところなど、なかなかに熱かったりするし、息子、山科言経が領地を押領されて、ますます貧乏になって大坂に下るところなど、当時の京都と大坂の文化落差が、彼をなんとか生かすことになったくだりとか、文化研究としても実におもしろい。 p394 「なにぶん京都に比して格段に文化水準も低く、京下りの前権中納言として言経は大坂の文人間珍重がられたようで、・・・」とあって、京の貴族が文化によって、各地をあるいてそこでアーツを指南するという話は、アーツマネジメント的に実におもしろいもの。 夜は、同志社大学院。昼と同じく、10名(前回より1名増加)の出席。 1限目都市デザイン論でのコメントで興味深かったのは、人生イベントとして冠婚葬祭を紹介したのだが、「葬式は義務のものなので、イベントではないと思う」という意見だった。1回生だし、葬式を一度も体験したことのない学生もいるので、この人はきっと体験して、「義務」的で堅苦しいものだと感じたのだろう。思いがけない出来事がイベントの意味なので、楽しいものであるばかりがイベントではないのだが、もちろん、意味深いイベントと、この人が経験したような、意味がないような「イベント」だってある。そんなことを来週付け加えよう。 2限目は、政治学。また、うるさい学生がいるとコメントがあった。夢中でしゃべっているとなかなか耳に入らなくなるようだ。1限目のように、パワーポイントとか使っていると、臨場感は少ないのだが、しぇべりはよくチェックできるので、静かになるまで、ずっと無言にするとか、通路を駆け上がってしぇべりを見つけたり、寝ている学生に優しく声をかけたりもするのだが、即興的に授業を展開していると(一応、素材はあるのだが、どう組み合わせるかはその場で決める)、自分的にもちゃんと聴いている学生たち(少数かも知れないが、他の時間よりもあっという間に終わるという嬉しい感想があったんだわ)にもライブ感は出ている・・・ 緊急の仕事も無事終えて、東山青少年活動センターへ。3回生のなかにも『ヒガシガシ』の編集・取材に関わっているし、いまの2回生ゼミの連中もなかなかよく手伝っていると、所長さんから話があり、センターのブログにも載っているとのこと(帰って早速チェックした)。 今日は、明日から始まる演劇ビギナーズユニット2009(第16回になるということ)、ジュウゴハリ公演(ユニット名)『動物園が消える日』(作:唐十郎、演出:あごうさとし、演出補:大熊ねこ・河合宏友)のプロデューサー、丸井重樹さんから、この企画の概要や意義などをお聞きし、そのあと、ゲネプロを鑑賞させていただくというゼミ(2回生、3回生合同)だった。 このお話は、センターの表さんからあったもので、もともと、アーツ研究(鑑賞演習)には、3回生が出ていることもあり、対象にしようと思っていたこともあり、ゼミ生の多くは、ゲネプロと本番を両方鑑賞できるという特典つきになるということになった。 また、丸井重樹さんのお話もまた有意義で、しっかりとした資料もいただき、いつもなら、義務的に順番に質問や感想を言わせることになるのに、思い切って、自主的に質問するようにいうと、どんどん手が上がって、これは、なかなか嬉しい場面だった。ゲネプロも、ゲネプロって、こういうもう一息だなあ、きっと本番はもっと高揚することになるだろうなあ、とギリギリに追い込まれているだろうビジナーの役者さんたちと向かい合い、ハラハラしつつも、実に貴重な体験だった。 以下、丸井重樹さんのお話の箇条書き。 ○ この企画は、単発のワークショップよりも思い企画。15〜18名ぐらいが参加して、3ヶ月をかかって、一本のお芝居を作り上げるというもの。毎週、月曜日と木曜日、毎月第4日曜日で計38回(費用は講座・公演費用を含み3万円。チケットノルマなし)。 ○ はじめは、ワークショップをダンスなども含めて行い、最初の山場は、演出家が提示した3つの候補戯曲から、互いに話し合って、1つに絞る台本選びである。これは、極力多数決を避けるようにしていて、徹底的に話し合うことが大切であるとしている。今回は最後まで多数決しないで決まった。 ○ あと、配役(+スタッフ選び)や、公演ユニット名も話し合って決めるのだが、どうして、こういうことをするかというと、台本や配役は自分たちで決めたので、しんどくなっても投げ出すわけにはいけないという気持ちになってもらうことがある。 ○ そして、さらに、それより重要なのは、見知らぬ人、価値観の違う者同志(今回は同じ大学出身という人が一人もいなかったそうだ)が、コミュニケーションをとり、作業をすることがとても大切だからだ。また、ユニット名については、台本選びよりもシビアにそれぞれの好みや好き嫌いが噴出して、そのとき、隠されていた自分の本音が表れるからだ。ステップとしては、にこにこと楽しくできる仲間づくりという段階から、徐々に、喧々諤々の議論ができるという関係の深みステップが起きるといえる。 ○ こうして、本番を迎えるのだが、人間関係や様々なディスコミュニケーションの障がいを乗り越えて集団で一つのことをするというのは、その達成感はもとより、そのあと、少ししてからのミーティング(オリエンテーション)での振り返りにより、自分はこの集団の中でどういう振る舞いをしたか、何ができなかったか、どう変わることができたかを確かめることができ、この終わってからの集まりをするようになって、とてもよかったと思っている。 ○ ビギナーズユニットにおいては、参加者は、その人しかできないわけだし、その人がしなければ、すべてがだめになるという危険と隣り合わせになっている。逆に言うと、その場に自分が不可欠である、必要であるという場になっている。いまは、自分がいなくても世の中は回っている、自分なんて交換可能なものだという気持ちになりがちだが、この演劇体験を通じてそういうものだけはないよ、ということが実感できることが、大切なのではないか、と思っている。などなど・・・ むかしだったら、体育の日。ずいぶん、風が冷たい。秋が短いなあ。台風が来てすぐに冬服入れ替えしなくちゃ。数年前、高校生ぐらいだった子が大学一年生になっていて、たまたま東山青少年活動センターのロビーで会う。彼女はもう2年以上ツイッターをしているそうで、iPhoneの操作を見せてもらった。おお、少し消費欲求が出てしまった。これは電話ではない、パソコンだということにすればいいかなあ(ぶつぶつ)。 東山青少年活動センター創造活動室。満席。75分(よくもまあ、長いお芝居をこの時間にまとめたものだ)100名を越えたのかも知れない。当日キャンセル待ちの列もあった。授業で小劇場演劇を見せるのは、とてもしたいことだし意義深いのだが、彼らは予約をするようにと口をすっぱくしていってもしないし、ぎりぎりにしか来ないので、色々迷惑をかけたり、今回はそうはならなかったが、来たけれど観られないということも起きる(ウイングフィールドで水の会公演のときがそうだった)。 第16回演劇ビギナーズユニット2009、ジュウゴハリ公演『動物園が消える日』(作:唐十郎、演出:あごうさとし、演出補:大熊ねこ・河合宏友、プロデューサ:丸井重樹)。75分。 昨日見たとき、ぶつぶつの情報になっていたものが、自分ながらの筋になっていく不思議さが唐ワールドだなあと改めて思う。カバヤとカバ車、カバヤおまけに、カバ、浦安とミニー、ランドのような単純な連想はもとより、捻じ曲がっていくアバラの檻、空中の水槽とバケツの大小・・・出演している学生(声のトーンを2種類にしていたのが印象的)に、一度、テントで唐組を見に行こうと話したりした。 もちろん、もっともっとよくなって、明日、明後日があるはず。そうなることを祈りながら帰る。 この休みは、授業ばかりしている。 オークションもまた地域性、会場個性を知るとても面白い現場である。 |