こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.1/19-1/25


こぐれ日録624 2009年 1/19〜1/25

1/19(月)

まだ、身体が少しふらふらしている。
でも、暖かいのが助かる。
京都府の国民文化祭関連の会議へ。
10時から11時すぎで中途退席させていただいた(午後からの授業のため)のだが、
少しだけ、抽象的なお話をさせていただいた。
一つは、記録を作っていく必要について。
もともと、京都の国文祭では、一過性のイベントにしないようにしようとしていたことの確認。
これは、時が過ぎ去るものではなく積もっていくものであること、記録から記憶への循環のことが前提としてあるだろう、というような話。

もう一つは、パブリックアートが1930年代アメリカのニューディール政策によって大きく動いたことを思うと、今度の不況対策で、オバマさんの政策はグリーン・ニューディールといわれているが、そこに、アーツ(文化)が入っているのではないかという話を枕にする。
そして、まさしく、京都府はいわば「文化ニューディール」の推進役になることが期待されているのではないか、という話をした。だから、予算審議にも積極的に説明していってほしいし、産業、労働、環境政策のベースに文化政策があるといえるのではないか、と。

これは、1990年代が失われた10年といわれるが、文化政策、アーツマネジメントにおいてこの10年間こそ日本で誕生し定着した10年だったように、2009年からの10年もまた、産業や雇用、地域や環境、観光、文化の再生に役立つかどうかを、アーツマネジメントの担い手が試される10年になるのかも知れない。

なお、いま、「文化ニューディール」で検索すると、韓国の新聞、中央日報の社説にこのタイトルがあった。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=109083&servcode=100&sectcode=110より以下引用:
・・・
韓国版「文化ニューディール」にも目を向けよう

 全世界的な不況で、あちこちで人材を削減し、工場の稼働時間を減らすという。文化芸術分野も例外ではなく、来年度の公演予定作品数が急減しているということだ。韓国文化観光研究院の最近の調査によれば文化芸術家の56.4%が10年前の通貨危機に比べ、最近ますます深刻になっていると答えた。

 国民の生活が厳しくなるほど、人々に明日への希望を与える必要がある。その中でも「文化芸術の力」が有力な手段だと考えられる。低所得、疏外階層と経済危機の中に新しく発生する新貧困層を考えればなおのことそうである。文化芸術は社会統合の側面でこの上なく大きな役割をする。そのため経済危機の中に加速化される「文化二極化現象」も予防することができる。

 こうした点で米国が大恐慌期に施行した文化分野ニューディール政策は参考になる。当時、米財務部は連邦美術プロジェクト(FAP)、連邦音楽プロジェクト(FMP)などを通じて芸術家の働き口創出事業を行った。農業安全庁は写真作家、美術家など計1万人を雇って米国全域の恐慌事態を記録し、数多くの絵画、彫刻、壁画作品を誕生させた。政府支援で安くなった観覧料のおかげで大恐慌当時の全米国人の65%が週1回以上、映画を鑑賞した。『西部戦線異常なし』『風と共に去りぬ』のような名作がこのとき誕生したのだ。

(中略)

 文化ニューディール政策は芸術家たちの所得補てん、福祉面でも意味が大きいだろう。極少数を除き、最低生計費にも大きく及ばない収入に、何の社会保障もない「炭鉱の中のカナリア」が大部分の韓国芸術家たちだ。
・ ・・


1/20(火)

ボルティモア・レイヴンズ(ディフェンスだけで勝ち上がるスタイルが新鮮だった)はやっぱりダメだったなあと、深夜に放送されていた録画ビデオを見た後、山科区役所大会議室へ。

山科区の美術展のなかのリサイクルアートを審査する。どんどん応募件数が減ってきていて、気が重く向かったのだが、倍増していて、うれしい限り。
子どもたちにも、伝えるというぐらいの意気込みなり。すぐにタイアップできる区のレベルぐらいから環境政策とこれを関係付けると身近でいいかも。
正式の名前はふれあい“やましな”2009区民ふれあい文化祭「区民ギャラリー」作品審査会。

午前中、限界芸術的なものを扱った後、2回生ゼミの最後へ。
久しぶりに机を動かして、ワークショップぽい形に。
ここでも、かるたという限界芸術で遊ぶ。2つに分けて、京かるたと江戸かるたを交互に楽しむ。
けっこう、みんな真剣になっていたし、獲得した札で言葉を作ったり、子ども時代の原型芸術的遊び創造をしているのを見るのも面白い。ゼミではおとなしいと思っていた学生が、とてもすばやく札をとって一番になっているのを見るのもなかなかに興味ぶかいものである。

5限目。
すこし、周防正行監督の昔の映画のビデオを見せた。とりわけ、『しこふんじゃった。』の研究室でのゼミ担当教員ともっくんのやりとりが面白かった。


1/21(水)

今週は、今日を入れて5回、京都市か京都府に関する会議に出ることになる。
月曜日、京都府、火曜日、京都市山科区、水曜日、京都府、金曜日、京都市東部文化会館、そして、土曜日、これはうちの大学の文化政策研究センター主催だが、京都府知事の挨拶・・
年度末だなあ。

平成20年度京都文化ベンチャーコンペティション第3回実行委員会。ぶじ終了。
あとは、3/1(日)の公開最終審査へ。ルビノ京都堀川というところで、13時からの予定。
平成21年度、つまり、2009年度が3回目になり、一応、区切りとなる。まずは、来年度のこの企画が成功することだが、その後の京都府文化政策の枠組みのなかで、どう展開するのか、2011年度の国文祭との関係とか、地域再生とのタイアップとか。

かえって、怒涛の委員会連続。5れんちゃん。
かなりくたびれる。
最後の生協理事会では、基本に戻ろうという来年度のテーマが提案される。
大切なことだ。
大学自身も基本に戻るようにしなくちゃと思っていて、たとえば、共通科目について、
この間すこし動いたのだった(これがくたびれた一つだったけれど)。

オバマ大統領のスピーチについて、そのシナリオ作成や演出論がいろいろ出ているようだ。
演技空間としての政治の場研究にもってこいだろう。

ただ、実技としての政治軍事空間では、
オバマ政権とイスラエルとの関係が一番気になるところ。沖縄基地問題も。
きっこの日記や、「http://illcomm.exblog.jp/9234175/」のようなコメントをいくつか読んだ。


1/22(木)

長岡京で、少ない受講生と奈良美智のドキュメンタリー映画を見る。
東北新社の若い監督、坂部康二『NARA:奈良美智との旅の記録』2006年製作、93分。
ドイツの大学院で、誰が指導教官だったかと英語で聞かれて、在学中、先生に会ったのは、4回だけだった(8年間で)と答えていたのが印象的。また、展覧会で彼の作品を展示するために作られる会場内小屋の広さが、奈良さんの学生時代の部屋(愛知)と同じだと日本の指導教官だった人が言ったという話も同様興味深かった。

Space-Bでは、RINCO(坂下美由紀)という女性が絵画を床で描いていた。
凛呼の森。限界芸術やアウトサイダーアートと同じ空気が流れていて、気持ちよい。

清水寺縁起の紙芝居をしていると聞いたので、出かけるが、雨が降り出してちょうど終わったところだった。入り口でまだチケットを買わない場所なので通行客は多いが、10数分の紙芝居を最後まで見る観光客は少ないようだ。それでも、なにかしら、紙芝居の普及には役立つし、なんだか、にぎわっているときにまた行こう。たしか、毎月、2日、12日、22日、23日、そして第4土曜日にするということ。10時から随時。

清水寺の中に入ったのはかなり昔で記憶はほとんどなくなってしまっていた。
謡曲との関連を思ったりしつつ、地主神社(明治になるまでは権現)を観たりして、けっこう、面白かった。アテルイなどの記念碑があったり、小さな祀りが多くあったり。300円の入場料は確かにお手軽でお得感があるのだろう。写真はこちら→http://picasaweb.google.co.jp/kogurenob/aaPbLB#

西尾のもう一つの八ツ橋屋で芳江が今度はなの東京でのライブに行くときの手土産を買う。すごく、おじいさん、おばあさんの元気と愛想がよくて、なんだか、ここを訪れてお茶を飲むだけでも清水寺へ行く価値があるぐらいだ。

帰って、映画を2本。どちらもとても参考になったし、感銘を受けた。
トビー・フーパー監督『悪魔のいけにえ』(原題「テキサスの自動のこぎり大虐殺」)1974年、84分。
狂気の親子が3人。この3という数字が、たまたまだが、次に観た黒沢清監督『復讐 運命の訪問者』(1997年、83分)の兄弟+夫婦の3人と共通していた。

気になったキャラクターは、殺害された若者のなかの車椅子の男(たしかフランクリン)と、後者では、殺し屋稼業の3人組のなかで、自分では手を下さない保護観察士をしつつクリーニング屋を表の稼業にしていた男(チック症みたいな自分の顔面たたきが特に気になった)。



1/
23(金)

東部文化会館。第5回子どもの文化フォーラムの打ち合わせ。
6/7(日)が本番。
ゼミ生(TAM研)が担当する、かえっこバザールは、5/17(日)東本願寺(山科)でもすることになりそうだ。これは素敵。

今回、聴覚障碍者などによるデフパペットシアターひとみさんたちの『はこ』がホール企画にあることもあり、障碍のあるなしにかかわらず、子どもたちが様々な世代、地域、文化、立場の人たちと、閉じこもらずに「背伸び」してかかわることをテーマにしようということになる。
堅く言うと、「広がる参加のかたち」を模索するということ。
一応、出てきたサブテーマは、「色んな かかわり、広がれ つながり。」
そのさい、いろんな指とまれ、とか、背伸びしてこんにちは、とか、キャッチの破片は出てきたけど、まあ、こんな感じかな。

天王寺へ。それにしても暖かい。気持ち悪いぐらい(明日は寒いのだそうだ・・・ゆき?)。
大阪市立大学医学部附属病院3階小児科・新生児科外来の壁、まどのところに、
『冬の病院に届くアート2009展覧会』
『ある「ことは」、ない「ことは」』。
アーティスト(中井敦子、山岡敏明)。大阪アーツアポリア(中西美穂)
絵本が楽しそうだ。院長さんはじめ、作品を持って写真に映り、コメントしているのもいいね。
帰り、この病院にあるアート的なもの、デザイン的なものを意識して眺めたりした。
かなり、ぱっとしない大きな壁画模様のようなものがあったり、ガラスにきれいな模様があったり。

帰って、ジョン・ハフ『ヘルハウス』(1973年、94分)を観て、
黒沢清『復讐消えない傷痕』(1997年、80分)を鑑賞する。

『ヘルハウス』は、正統な建物ホラー。イギリスのシャイな感じがよく出ていて『悪魔のいけにえ』とは対照的で面白いが、すこし理屈がかっていて、深さがなくなってしまうのが残念。
『復讐 消えない傷痕』は2本で大きな一つの作品となっている感じがする。
実際、前作と合わせて撮影されている。前作『復讐 運命の訪問者』を見なくても分かるようにはなっている(はず?)。
プログラム・ピクチャーが前作で完成し、この作品では、日常性やなにげなさ、トリビアルなちりばめもあり、筋書きを書こうとしても、とくにたいしたこともない(人はバンバン殺されるけれど)。


1/24(土)

読んだ小説を書き忘れていた。
京極夏彦『嗤う伊右衛門』(文春文庫、2001年)。1999年に中央公論新社より刊行。
映画にもなったらしい。鶴屋南北よりも前の資料によっている所が多いのだそうだ。
ただし、お岩さんがすごく現代的解釈。でも、そういう武家の女性がいたのかも知れないとも思わせる。伊右衛門の性格がどこかで変わるのだろうと思いながら読んでいたな。

ゼミ生(菊池佳那さん)の写真が、彼女の名前入りで京都新聞に出ていた。ぶじ、就職も決まり、よかったね。(いまだけ)フリーカメラマン!

大学へ。B201教室で「地域活性化フォーラム」。10時半から。
山田知事のあいさつ。去年、サミット誘致が北海道に負けて、次点の源氏物語千年紀をやったのだが、京都はやっぱり「文化」でいくべきだと実感したという話が面白かった。サミットは8年に一度だけれど、源氏物語は1000年に一度だから、そりゃ、格が違うというところで観客にも笑いもでて、ずいぶんスピーチが知事さん、うまくなっている。
京都橘大学だって、文化政策ではなくとも、文化を学科名だけにでも残すようにずいぶんいったのになあ・・・
おっと。
そのあと山田知事と自治省入省同期の御園慎一郎さんの講演(灘高の2年先輩でもある)。チンドンを豊川稲荷の商店街でやっていたり、楽しそうだ。かぶとむしおじさんの規制緩和で、そのあと小泉元首相にカブトムシネクタイをそのおじさんがプレゼントをした話をしつつ、これは、もう受けないなとつぶやく御園さん。内閣府はこれからどうなるのか、注目だな。

自主、自立、自考という話で、戦後、地方は考えることを国にさせてもらえず、だから、自分で考えることをしなくなったという話を御園さんがしていた。
ふと、ふるさと創生事業(これは、いくつかの事業群をまとめた総称であり、1億円交付はソフト事業部分の支援で、別にハード面では地域づくり事業債だったか、そういう交付税つき起債の許可もやっていた)のとき、自治省の交付税1億円ばら撒きの事業名は「自ら考え自ら行う地域づくり事業」というのが正式名称だった(内貴さんが理事官の頃に命名したのかなと思っている)。
でも、結局「自ら考える」ことには結果ならなかったという総括で小泉内閣からの構造改革特区や地域再生が始まったのかなあと憶測しつつ、聞いていた。

午後から、木村企画官などのトークショーなどもあったのだが、パーティだけは顔を出すことにして、最後になる平盛小学校の第5回ドリームコンサートを見に大久保駅まで大宅の坂を下る(思ったとおり、パーティには間に合わず、だった)。

「ひらもり版ホエールトーン・オペラ」。ヒュー・ナンキヴェルさん、野村誠さん、林加奈さん。作曲は平盛小学校6年生の女子と男子で(同じ曲を児童たちの発案で男女別々に作ることになった)18曲。
1年生が踊るワニバレエ、それも2番目のワニカレーがとくにおもしろい。どすこいも一年生が踊っていた。
そのあと、ニュー民謡の男子作曲で太鼓の演奏も加わった曲がとても迫力があり一番心を打つ。
女子でYちゃんという子が太鼓をたたくのであるが、それがいつはじまるのか、それが最大のどきどき。彼女のおじいさん(Yちゃんがそのおじいさんに、最後まで見なくていいからね、かわってもらっていいからねと客席に来ていっていたのが印象的なのであそれを知ったのだが)もずっと彼女を見ていた。そして、席を立って後ろのように歩き出したそのとき、Yちゃんの演奏が始まり、そして曲が終わった。おじいさんの動きをYちゃんは見てやったのかどうかわからないが。
寒い日。でも、体育館は大勢の人がかけつけていて、最後はくじ引きまで当たって、目いっぱい土曜日を暮らした気がして、やっぱり、そのまま家へ。

芳江がいないので、彼女が作ってあったカレーを2杯たべながら、長い時代劇を見ていた。
稲垣浩監督『風林火山』1969年、166分。山本勘助(三船敏郎)が主役。諏訪城のお姫様(佐久間良子)に惚れて死んで行くはなし。でも、戦闘シーンをふくむ自然がきれいだし、これぞ時代劇という感じで、中村錦之助、中村賀津雄のつるつるした顔と三船の苦みばしった顔が好対照で、黒澤明的時代劇とそれ以外の正統派時代劇の融合(あるいは折衷)みたいな感じもした。


1/25(日)

耳が欠けた人たちが出るホラー映画をどこかの小屋で見ていた。
映画が終わって人びとが出て行く。みんな、耳に白い包帯を巻いている。
おもわず、自分の耳を触った・・・

このあたりで目が覚める。寝たような気がしない。
今日はホラー映画はお休み。

ニコラ・フィリベール監督『音のない世界で Le Pays des sourds』1992年、99分。
手話のコーラスからはじまる。手話と口話の対立はいずこも同じなのだろう。聾=ろう(sourd)の子どもが、ろうの大人を回りに発見できなくて、ろう者は大人になったらみんな死んでしまうと思い込んだ話とか、あれこれと示唆的な映像がまんさい。ただ、一つの舞台を仕上げるというようなシンプルなストーリーがないだけに、こちらで想像的な編集作業がいる分、大変かも知れない。

オットー・プレミンジャー監督(製作も)『悲しみよこんにちは』1958年、90分。
こちらは冒頭ロールも素敵で、筋書きはいたって分かりやすい。娯楽物。娘や親父にはなかなか共感できないけれどね。おもちゃにされる(からかわれキャラ)を演じている<ミレーヌ・ドモンジョに一番シンパシーを感じたりして。
デボラ・カーつながりで買ったのだけれど。

さて、五條楽園歌舞練場へ。いい感じの冷え込み。
これだったら、幽霊も妖怪も出てくるかも知れない。試演会の様子がここに載っていた→◎"http://www.leafkyoto.net/kj/2008/12/post-81.php"
ワンダリング・パーティ第16回公演『饒舌な秘密』作・演出:あごうさとし。
18時半開演、17時50分ぐらいについてしまったが、ロビー入場させていただいて、寒いところで開場までまつことはなく、丁寧な制作ぶり。
80分。そのあと、アフタートーク。

前半の「僕」の私演劇的語り口から、戦前、戦後へ時空は飛びつつ、バブルの王の自滅劇へ。
失われた世代論という側面はあるが、もちろん、いまの時局が色濃く出てもいる。

観客参加システムがいい感じ。襞を重ねて行くシステムなので、わざとらしさがない。
まず、戸口で書いた自分の文字「祓」を、観客のみなさんが書いた文字と一緒にライブライティングによって美術化されていく楽しみ。
さらに、じぶんの姿が面(マスク)で消えて、一様な集団としてまがまがしくも映像化されつつ、秘儀の場と化して行く。その結果、客席作りと役者のではけの演出工夫もあいまって、この空間ならではの一体感をうまく引き出していた。

お歯黒はすごいな。もっと、お歯黒演劇を見たい。
声。途中まで役者(呪者)の顔が見えないから、余計に声のふるえ、裏返り、響きにびんかんになっていた。
耳の夢のつづきなのか・・
束芋さんが知的でかっこいいのに驚いた。あごうさんがその引き立て役をしていた。
別の階段を上って関連企画の展示も楽しんだ。『ぎえん』。また一文字を書く。こんどは、祀。
ホリエモンのブログを帰って検索した。
"http://ameblo.jp/takapon-jp/"


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