こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.6/22〜6/28


こぐれ日録646 2009年 6/22〜6/28

6/22(月)

帰宅途中でもまだ、ゲキ研がいいかゲキョ研がいいか迷っている。

あさ、TAM研のほかに、アーツ鑑賞へと足を向けるように促進する研究会が必要だなあと考え、まずは、中身はおいといて、その名前を考えようとする、雨の中、椥辻から歩きながら。いつもながらの私のモチベーションであるな(ネーミング大好き!)。

3回生ゼミで話したのは、アーツエンジョイ研究会。AE研。アエケンという響きがどうも自分的に気に入らない。イー研は?とある学生。そのときは、ぴんとこなかったが、そうか、Enjoy the Arts!でEA研、イーケンなのだな。こちらのほうがずいぶんいー。

たまたま、11時過ぎに太鼓をアトリエ劇研の杉山さんが取りに来られた(7月の第1週週末のお芝居が楽しみ)からでもないが、あとで考えた名称が、(京都橘大学)芸術享受促進研究会というもの。略して、ゲキ研。これは、TAM研と同じコバンザメ商法である。
そのあと、でも、ゲキ研でもいいけど、ゲキョ研というのはどうか、ちょっと、あほっぽくていいのではないかと思ってもいて、まだ、自分的に決着がつかない。アーツエンジョイ研究会で、EA研もまだ候補だ。ゲキ研、ゲキョ研、イー研。三者の選択か。

3回生ゼミでは、卒研への道ということで、学生による発表が始まった。何が出るのか、予測できないので、聞いてから資料をそろえたり、アドバイスしたりすることになる。今日でたのは、ライブハウス、野外ライブ(これは制作になるかも)、インスタレーションと祭りの関係論。昔はこんなときからテーマを出させたりはしなかったが、就職活動との関係を考えれば、ちょうどいいころあいだろう。

行政法は、判例研究入門。いやあ、判例をこんなにちゃんと読んで図解しようとした(これは意外と難しいなあ)のは、30数年ぶりである。面白かったのだが、これに夢中になっていた数日なので、先週、もう一度ミニテストをするといっていたことをすっかり忘れてしまっていて、終わってから学生に指摘されてびっくりする(ということは健忘症になっているのだ!大丈夫か??でも後日しようとは思う。問題はあるんだから)。

18時半から京都駅前で、一般財団法人地域公共人材開発機構の評議員会。京都府内からの研修的な事業が入っていて徐々にこの組織も動き出したという感じである。

以下、学生学会(TAM研の母体)の担当の阪本先生へあてたメールの一部引用
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いま、TAM研の妹分みたいな研究会を構想中です。いちおう、芸術享受促進研究会、略して、ゲキ研。今年は、TAM研内に準備室を作って、トライアルをやってみればいいかなと思っています。
TAM研がアーツマネジメントにかかわりプログラムを企画するがっつりした集団だとすると、もっと、お気軽な数回の参加でいいようなコンテンポラリーなアーツ入門的な集まり。TAM研メンバーの企画を楽しむことから出発する団体です。ゲキ研の企画構築をTAM研がしたり、ゲキ研の中心的な学生がする(まあ、その学生はTAM研がスカウトにくるでしょうが)、これが理想的姿です。

TAM研企画鑑賞会(本番前と後にプレトーク、ポストトークは行うようにします。以下の企画も同じ)のほか、小劇場演劇とかコンテンポラリーダンスの鑑賞入門ツアー、画廊と美術館を回る町歩き、まちなか(いなか)美術回遊旅行、ミニシアターでアート映画鑑賞会、ワークショップ体験会とかで、鑑賞代あるいは交通費の助成がメインです。
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6/23(火)

クリント・イーストウッド『硫黄島からの手紙』(140分、2006年)をようやく観る。政治学概論の教科書に出ていたせいもあるが、うまく授業で使えるかどうかはまだ分からない。

連作の米国からの視点による映画『父親たちの星条旗』よりも直線的な感じがするのは、それが悲劇であることが明白だからだろうし、日本人を観ている自分の親しみ度合いにもよるのだろう。
悲劇なのだが、センチメンタルには流れないし、両眼的な部分もちゃんとある。米兵の捕虜の扱いにそれがよく出ている。日本兵だけではないが、その不服従さ、自分勝手さは非常時に一番出るのだろうな。軍隊という組織の統制加減。
主人公(渡辺謙)や準主人公(伊原剛志)とも、アメリカ帰りだという点が強調されている。米兵はミミズは食べなかったからああいういいシーンで強調されたのかな。二宮和也というタレントを初めて見るが悪くはなかった。

あさ、あお研もいいな、と。アーツアウトリーチ(arts out-reach)研究会。青空なので、あおいTシャツで出かける。
ひこね市文化プラザプロデューサーの戸所理事さんがこられて、8/8と8/9に、ひこねフィジカル・アート2009という全館を開放した企画をするということ。

8/9には行こうと思うが、金沢市民芸術村関係の劇団アンゲルスとか、金沢舞踏館などが核になるのだそうだ。
2回生ゼミ。なんだか、ゆるくやっていく。
この前のかえっこについてのNHKラジオ、声の出演のゼミ生がずいぶん恥ずかしそうにしている。
夏休みにアーツ体験をするのが宿題で、夏休み前に一度行くことにしていて、ちゃんと連絡するのかどうか、心配。さきらは6名ほどいるが、他の企画にも参加して欲しいなとは思いつつ、まあ、徐々にかも。
水都のかえっこ説明会は、7/11の14時から16時になる(7/12はインフル補講なので学生は授業)。私も行くようにしる。

ゼミのレポート、3000字以上というのが、多いという印象。でも、卒論は16000字だよというと驚いていた。そうだ、この前の卒論集を配らなくちゃ。


6/24(水)

大学の同じ学部の先生方の研究活動を知る会が久しぶりにあった。
はじめは、システムダイナミクスのげんまねの新任先生で、とても抽象的なお話と、やらない症候群についての話。確かに、お聴きしていて、やらないという学生も多いので参考にとてもなったが、他方、やろうとしてもやれない(どうしていいかわからない)学生も最近は多いんじゃないかと思ったりしつつ聞く。

つぎは、住宅政策の先生のお話。
びっくりしたが、(10年ぐらいで木造住宅だと実質経済的には価値がなくなってしまう)日本とは違い、アメリカでも(英仏がそうだというのは驚かないのだが)、中古住宅の方が新築物件よりも相対的に値段が下がらないのだという。逆に中古の方が高くなることもあるとのこと。
どうしてかというと、新築住宅でそこが新しい開発地だとすると誰が住むのか分らないけど、中古だと周りの住人が判明しているために安心だからなのだそうだ。確かに、新築の建売開発もそうだし、新築マンションだってお隣が誰か!というは実に大変なことだからなあ。

たまたまラスベガスの住宅を見せてもらったが、擬古的なつくり(スパニッシュとかイタリアンとか)なので、それが幸いしているようにも思うが、古くなっても価値が下がらないし、ちゃんと修理していればいい味になるようにしているケースだった。アメリカは英仏とは違って古いものが何が何でもいいいいとかいうような非経済的価値を云々するのではないのではないか、ただ単に経済的に中古の方が需要があるからなのだろうなと自分は思った。

つまり、戦後、日本はアメリカに負けて、非文化的なアメリカ人よりもさらに浪費的・せつな的になって、せっかくの自文化の価値を見下すとともに、それが経済的にも古いもの、伝統的なものへの価格付けへの動機を失い、いまのような農業も壊滅状況のような使い捨て文明になってしまったということなのだろう、先生の考え方では。それとともに、ふと、アメリカによる国内外ダブルスタンダード政策(国外には市場開放や消費拡大を押し付けていく)ということも関係しているかも知れないなと思ったりもする。

それにしても、なんとかぢ(血出痔?)とか、エコとかいって無駄に家電を買わせたり自動車を買わせたりするのではないような消費者政策、使えば使うほど価値が出るようなものを作る、そういうものを壊さない、大切に思うための生活者提案型政策が必要なのじゃないか。

それって、まさしく、まちつかい政策であり、そのためには、魔法使いのアーティストによる芸術プロジェクトだって必要で、文化財が経済価値を持つような文化政策をすることで、中古市場が活性化する方策。そのために、エコポイントでも定額給付金でもいいから使わなくちゃいけなかったのだな・・・

他方、日本人は住宅をストックとして考えない文化風習があるという説もあったなと思ったりもした。木造であること、地震や火災、神社の立替。三代以上の先祖を祭ったりもしないことなどがあり、新しいこと、若いことに異常な価値を見つけ、中国のように「老」への尊敬や価値づけを持たない文化がずっとあったのではないか?という疑念である。それに輪をかけて、建築家が自分の新作を何も生活をしない前の状態で写真にとって宣伝するという戦後の悪習がよくなかったのではないか。

自分の建築ははじめ平凡だが、そこを人びとが使えば使うほど、味が出、価値が上がるということに耐えて社会に在った建築家って、いままでにどれほどいたのだろうか?雨漏りが有名な方々はいっぱいいらっしゃったが。だからこそ、逆説的にヴォーリズのような自分の建築作品を使命としない人の建築物が多く作られいまも大事に思われているのだろう。

この会合のあと、横堀さんから速達で送ってもらった、dotsによる公演のボランティアスタッフ募集のチラシを配布したところ、建築の先生が多かったせいもあって、けっこう関心を持ってもらったようだ。安藤忠雄の「陶板名画の庭」(これもできた時が一番価値高いものであったような気がちょっとするのではあるが・・・)での新作パフォーマンスの説明会が、6/29の夜、19時から、京都芸術センター制作室8であるそうである。

18時から生協理事会。
その前に、原稿書き。
地域公共人材大学連携事業News Letter vol.2(2009.7)のなかの連載「『地域公共政策士』への視点」コンセプト:「紙面上のFD」。以下、その原稿:
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【アーツを公共政策の場へ】

京都市東部、人口13万6千人の山科エリアを中心に、2001年度から「まちと文化との出会い」の場づくり(文化政策)について、地域の方々と京都橘大学の学生・教員などが集まり、こつこつとささやかな実践的試みを続けてきています。試みのなかには、アーツの「アウトリーチ」(外へのお出かけ)といわれている分野があります。これは、できるだけ裃をつけないで、演劇・ダンス・音楽・美術工芸など多様な芸術(=アーツ)を、まちのみなさんと一緒に楽しむ、というものです。
アーツマネジメントのこのような活動は、芸術を社会に伝えるという目的とともに、まちの人たち自身がご自分の住まわれるまちの魅力を再発見するお手伝いという側面もあり、じつは、そちらの方がより重要ではないか、と思うぐらいです。つまり、地域の公共政策の長い目で見たときの術(art)としてのアーツこそが、完成された狭義の芸術作品を外から持ってきて地域の人びとに提供する以上に、より広く、人びとの心の交流、地域への愛着づくり、不要になってしまった建物の再生・再活用化などへとつながるのではないかと思っているのです。
今回、文化公共政策分野でのFDとしては、いま、私どもが一番力を入れている、障がい者のみなさんとアーティストと地域の人たち、そして学生たちが一緒になって制作・公演している「めくるめく紙芝居」を対象にしたいと思っています。公演ではお寺の本堂をお借りしたりして行っていますが、その公演に到る過程、すなわり、実際につくっているワークショップ現場をも公開し、公共人材の教育研修の場として提供してみたいと考えています。これは、ワークショップデザインナー育成の場であるのはもとより、公共政策のファシリテーターとしての資質形成にも生かせる現場だと信じるからです。
ぜひとも、みなさま方の積極的なご参加をお願いします。なお、今回の「めくるめく紙芝居」のほか、余力があれば、旧小学校での展覧会見学や、小学校の理科の学習にダンスを生かす活動の現場のFD化などなど、これからも、面白くてためになる企画を考えていこうと思っています。876字
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6/25(木)

近大。人数が30名を割った。いつも35名前後なので、すこし寂しい。

このあと難波。精華小劇場なのだが、19:30はじまりなので、時間をもてあます。
夕食、清水。ここは吉本の人たちがよく来る店というので心配だったが、なかなかグッド。おばさまたちがいい感じで間違ったり迷ったり。でも、プロ。中華そばは、住友病院の食堂で食べた味がした。焼き豚も中央市場で春江おばあさんが買ってきたものと同じ味。

東京からの演劇。OMSがなくなったので、ホントに貴重だ。

ハイバイ、精華演劇祭vol.13参加作品「リサイクルショップ『KOBITO』」。作・演出:岩井秀人、品川役で出演も。100分はかからなかったな、21:09終了で、5分ぐらい押しで始まったので。前説からすっと入る導入、巧みすぎる。かつら被って、すっと。おっさんのままおばはんをする。
同時多発会話ならぬ、同時多発独り言。おかしいが、ちょっと何度もあると、もう、どうでもいいような気持ちにもなるな。

読み終わってないが、新谷尚紀『お葬式―死と慰霊の日本史』吉川弘文館、2009年。「死と葬儀の歴史と民俗」という半分以上を占めるものは、高野山での講演録。でも、注釈もあるし、とても頭の整理にもなり、また、新しい発見もあった。その一番は、最近の韓国の葬儀事情・・・なんと、いま、韓国のお葬式の主流は、なくなった病院の附属葬儀場でのものだというのだ。

病院が葬祭業を兼務する・・・すごい。わたしが、もともと、ずっと考えてきたことの一つだ。看護学部の検討があっていたさい、ぜひ、ヒューネラルマネジメントコースなどを検討すべきだと言っていたことを思い出す。まあ、日本では、いまだに、病院と葬儀業との兼務についてはタブー視が続いているのだろうが、きっとかわると思っていたが、韓国の変化を見て、もうすぐかも知れないと思う。


6/26(金)

1限目、『河童のクゥの夏休み』の後半を一緒に見る。
去年は後期の授業だったが、前期なので、この青空と川のきらめき、夕日・・・早く休みにならないかと思ったことだろう。夕焼けのシーンで、妖怪がたそがれ、かはたれに出るという柳田説を思い出した。
西の空の夕焼け、西方へとクゥは旅立つ(まあ、受動的ではあるが)。
なんで、あそこなんか!しょっぱくないか!というコメントもあって、読むのが楽しい。

そのなかで、「キクチさんと“くつ”の関係性」がキーの一つではないかという鋭い指摘あり。
幸薄い女の子、キクチさんの靴のシーン(後半なので、男の革靴を落とすところを観ての指摘だろう)のコメントがあって、冒頭のくつのシーンと関連付けているのが新鮮だった。くつが飛んできて物語がはじまり、1つの物語をくつを落とすことで終える。教えられるな。途中には、キクチさんの靴をわざと蹴飛ばすいじめっ子たちのシーンもある。
靴とは、人の社会的役柄とか、窮屈ないれものであると考えてみる。そんな意味が付着する幸一の運動靴が脱げて、キクチに当たって転がるところから物語りがはじまり、学校の生徒という役割をはけないような妨害なども途中にあって、最後に、自分もそれに縛られている家族関係だとか不幸の原因とかの男の皮靴をキクチみずからが落下させることで、彼女の一つの新しい飛翔を見せるというわけだ。

2限目は、まあ、こんなことをやってみた。軌道修正をまたする必要があるかも。
どちらにせよ、来年度この授業を持つとしたら、もう少しバタバタしないでやれるだろう。

13時からの1回生トシカンの必修の授業、織田先生と話し合って、冒頭、夏休みの課題における文化体験について私から伝えることにした。

例示したのは、
劇団態変スタッフ、
水都大阪かえっこ、
インターナショナルワークショップフェスティバル(200 DOORS)、
のびのび@ひろば・楽習サポート(山科醍醐こどものひろば)、
山科青少年活動センターのお囃子隊などとめくるめく紙芝居、
そして、横堀さんから送られてきたdots・KISS。

あと、文化施設では、たとえばびわ湖ホールでは上原先生がいるし、さきら(栗東)なら私が運営委員なので、体験レポートをするのなら、行く前に事前学習をするととてもいいよ、と話しておく。


6/27(土)

ひさしぶりにアートコンプレックス1928へ。夜は、近くのアーバンギルドでダンスを観たが、考えてみれば、このUrBANGUILDは、1928ビルの地下から始まったといえるわけで(アンデパンダンカフェだっけね、そんな名前のところでダンスとかも企画していたことがあった)、この三条御幸町の旧毎日新聞社ビルってずいぶん京都市のアーツ環境を動かしたことを再確認できる。

観たのは、なんだろう、try M stars『バターなリズム♪』(作:ブルーバード、演出:杉原邦生)という、意図的にしらけきった宴会を耐える忍耐ゲームのようなもので、でも、最後は美術壊しで派手に楽しいというもの。客席に高嶺格さんもいて挨拶する。やはり、最後までずるずるしたほうが方法論としては徹底したのかも知れない。

19時までの時間つぶしが大変だった。豆腐のドーナツを食べたり、あたりをはいかいして、そのあと、旧立誠小まえで読書。19時から校門前でミニライブがあるようでその準備(スピーカー置いたり)をしている。昨日は立命の無国籍ちんどんもやっていたみたい。ストリートライブで卒業制作したいと学生がいっていたが、ここに入り込んでしたらいいのじゃないかなとか少し思う。

あんまりいると邪魔だし、蚊がぶんぶんするので、17時半からあく宝屋ラーメン店へ。でも、30分ぐらいで人がいっぱいになり、また出る。アーバンギルドの前でまた読書。『お葬式』読了、追悼と慰霊の違いは、政治学的にも興味深い。

宮北裕美さんが一番はじめで、そこに2名の若い男子もからんで実に面白かった。
ドラムの人、たぶん、木村和人さん(ニイさんとしていたのは、たぶん岩田邦彦さんという、ドラムよりもパーカッション中心の人だと思うが、逆かもしれない)の、新しい楽器がじつに東南アジア的な長い残響系で(宮北さんに聞いたのだが名前忘れた、メロディードラム?)、若い男子(とくに公務員というほうの人)がラオスとかカンボジアぽい顔頭体だったし、ラオスのダンスを観たこともないのにラオスダンスってかってに思った。
踊る地方公務員って、いまは隠れて以外に結構多いのかも知れない。そんな企画も楽しいかも。

これは、EXORCISMS(悪魔祓い)という企画で、ドリンク付で2000円のわりには、じつに濃厚で堪能した。
最後のニイユミコさんも、ステージをヒールでドンドンしたり、おもちゃ並べて思わず割ったり、ぬいぐるみを解体して羽毛を放出したり、やりたい放題。

あと、Caitlin Cokerというキレイな体の白人さん、そして、彼もなんかまったくすっとして、安全無害な感じのキレイな山崎歩くんのおどり。山崎歩というダンサーをなかなか自分はつかめ切れないのだが、お昼に見たテイストに似ていて、でも、お昼のものより徹底的に無感動を通していて、いまどきのダンスの一つの形なのだろうと思ったりもした(半意識のなかで)。


6/28(日)

インフルエンザ補講。
3回生ゼミは、もともと振り替えで休日にやっていたので不要だったが、
行政法だけはしなくちゃいけないので、真夏のような日差しの中、坂を上る。

明日も行政法があるので、『12人の優しい日本人』を観ながら、司法制度のこと、国民裁判参加のことなどを考えるような2日間連続スペシャルな授業にする。中原俊監督ということで、直前に撮られた『櫻の園』も見せたが、これは、中途半端な使い方になってしまった。
それより、やはり、三谷幸喜の台本がそれを土台にした『十二人の怒れる男』(1957年、96分、シドニー・ルメット監督、ヘンリー・フォンダ製作・主演)を先に少しだけだが見せたが、これとの比較が面白かったので、時間の使い方にまだまだ工夫がいる。でも、この2つを掘り下げていくと、よりいい教材になる予感あり。


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