こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.6/8〜6/14


こぐれ日録644 2009年 6/8〜6/14

6/8(月)

思ったとおり、くたびれていることもあり、今日はあれこれ、よく間違う。
行政法で、欠缺の「缺」を黒板に間違って書いた。正解を書かなければいけないのに・・・学生に指摘されて気付く。あと、憲法94条も書き間違ったし。

早く帰ろう、この学生への鑑賞助成150名分(15万円)の請求名簿をいま作り終わったので、昨日文化会館からもらった領収書と一緒に教務課へ出してから・・・出したのですが、途中の小計を間違っていました・・・訂正して再提出。

昨日のフォーラムについては、ゆっきーさん(今度の山科醍醐こどものひろばの代表)のブログがすでにアップされている。"http://blog.canpan.info/ssw/archive/349" より

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今回も一番の人気は小暮ゼミの「かえっこバザール」でした。
前回の山青でのリハーサルをうまく生かし
また午前の課題も午後には修正して
その学生たちの発展性には感動しました。
個人的には「トッキー」にぜひうちの
「楽習サポーター」になって欲しいので
(あののんびりしたキャラが子どもたちにあうと思うので)
ここでさりげにアピールしておきます。<これで来てくれたら奇跡やな
いやもちろん他のみんなもお待ちしています。
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たしかに、とっきーくんのキャラは合うかも。

学生の記載カードから:
人形劇『はこ』の感想が大半だが、2つだけ、かえっこについても1回生(都市環境デザイン学科:興味を持ってくれたらうれしいしいのだが・・・)が出席カードに書いているので、それを書き写しておこう。
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◎ かえっこバザールは子供たちが夢中になっておもちゃを選んでいる姿がとても楽しそうなのが印象的でした。おもちゃは減っていくだけでなく、来る人みんなでおもちゃをもってきていっていて、ポイントにかえてその分のポイントでおもちゃにかえてもらうというシステムがとても手作り感があってよかったと思います。
 おもちゃを選ぶところは3ヶ所に分かれており、台も低く、子供目線になって考えられていて工夫されていると思いました。この低い台のおかげで子供たちが自由に手で持って遊びながら選べて選びやすいと感じました。

◎ 全体的に子供たちが喜べるイベントばかりだったので、とてもほほえましかった。お金を使わないオークションは健全で(お金が汚いとはいいませんが・・・)こういうイベント、子供には流通や売買について学んで欲しいと思った。
 でも、1ポイントのおもちゃ置き場の床までおもちゃがちらかっていたのはよくないなと思った。良いものを見つけようとしておもちゃの山を掘り出そうとしてしまうのは変わるけど。「床に散らばったおもちゃはきちんと元の場所に戻そう」という約束事を決めてもよかったかもしれない。
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6/9(火)

今日は、態変の福森さんらが来る日。小泉さんは来られなくなったとメールあり。
今日のゼミに配る文書〔追加変更を随時するので、注意)をドキュメントにアップ・・・"http://docs.google.com/View?id=dd2cpzz4_2083c6dw9fj"

ヒガシガシ夏号、京都橘大学生が携わっているということ。いまの3回生かな。2回生もこのあとに参加しようかなといっていたが、今日また後押ししよう、とてもいい体験になるから・・・一眼レフを買ったというのは、だれだろう。Mちゃん?うちの学生じゃないかも・・
"http://higashiyamacenter.seesaa.net/article/120849502.html"

7日の子どもの文化フォーラム、京都新聞に事前告知があったと、加藤わこさんのコメントあり。
どこかでコピーさせてもらわなくちゃ。
忘れないうちに、今回、第5回の反省点を書いていく。

こういう複合なものの持ち寄り企画では、全体のチラシのほかに、人形劇主体のチラシなども絶対に作る必要があり(チケットの販売状況を見て思わしくない場合とかに)、それを、全体のチラシを作るときに、ちゃんと決めないといけないことがあとでわかった。(決裁とかあれこれチェックが大変なのだそうで)なかなか、そのあと独自のチラシをつくれないという、行政の外郭団体にありがちな硬直化したシステム(行政学的には面白い研究素材ではあるが・・)になっているようだからだ。

かえっこバザールは、去年も今年も独自に作ったが、これは、無料のことだし、部分的にこちらが企画運営だから大丈夫ということのようだ。常識的に考えてもそうだろうが、これまで管理されたら、もう万事休すであるね。

そもそも、京都市のいまの文化政策のミッションはなにか、何のためにやっているのか、何に力を入れて何に力を抜いているのか、マネジメント手法はどうなっているのかなど、別に調べる必要があることなのだが、それはそれとして、これからの対策としては、事前に、こういう全体のチラシのほかに、こういう部分的なチラシをつくるとか、公募のPRをするとか、そういうことを全部、お上(いまの指定管理者は京都市の外郭団体)にあげて許可を取る必要があることを忘れないようにしよう。

2回生ゼミの前の昼休みに、態変の福森慶之助さんと黒子スタッフ(大学4年生だった)の貴田さんが来てくれて(3回生にも聞かせたかったので)、お話を聞いた。もうすこし、演劇の基本を教えてからでないと、質問を学生にさせるのは、態変さんにも失礼だったし、学生にも悪かったかなと反省する。演出家という言葉を知らなかったり、あれこれ。公演(あるいは、演技、パフォーマンス)のことを演奏といったりする学生もあったし。体を楽器のように鳴らすので「演奏」というのも、また味わいはあるとしても。

18時から、龍谷大学の立派な宿泊施設つきの研修室(府庁のすぐよこ)で、会議。22時すぎまで。
まあ、うまく行きそうだ。めっくが政策系大学間の共有資源となる第一歩になればいいと念じつつ。


6/10(水)

1限目、アーツマネジメント論40名。
アーツと社会との出会いのうち「社会」側の話のつづき。
昨今のアーツマネジメントをとりまく、政治経済的アポリア(難問)として、3つだけ話す。
(1)財政・金融危機→破綻
(2)「民営化」という私有化 privatization
(3)格差拡大(所得格差、地域間格差、文化資本格差)

(新自由主義とか市場原理主義という話は、単に言葉のみの紹介)
あとは、サービスオーガニゼーションを、アーツプレースとアーツカンパニーのほかの第3のアーツマネジメント態様として提示しつつ、アーツNPOへと導くNPO論をひとくさり。
組織の多層性、資金調達の多元性、利益の不分配。

例示として、NPO法人大阪アーツアポリアを紹介すると、関心を持ったという学生あり。
終わってから、この前の出席カードのなかの『はこ』の感想文を一部だけペーパーにする。
http://docs.google.com/View?id=dd2cpzz4_210ctr8pbf9

15時から、生協の総代会。理事会もおわってパーティ。
野菜をできるだけ食べようとしつつ、夕飯に替える。
帰って、サッカー。遠藤はお休みのようだ。
中日めずらしく打ちまくっている。巨人強すぎ。でも、まあプロ野球人気が少し戻るためにはいいか。


6/11(木)

アラン・ヴィアラ著、高橋信良訳『演劇の歴史』(文庫クセジュ、白水社、2008年)。クセジュ(私は何を知っているのか?いや何も知らない)を読むのは久しぶり。
でも、フランスの演劇について、ざっと知るのにいい本だった。
それに、ギリシャ悲劇・喜劇から中世の演劇への流れも分かりやすい。また、演出家が独自の役割を果たし演劇創出の中心となっていくのは、電気照明がはじまった19世紀からであるという下りが新鮮だった。確かに、日本でも江戸時代までは演出家という存在はなかった。台本を書く狂言担当がいてあとは座長のような人が出演するとともに演出していたわけで、だから歌舞伎にも能狂言にも演出家はいないわけで・・

ただ解説があるのかないのか分からないまま出てくる用語などもあり、たとえば、「ブルヴァール劇」って、娯楽劇のようなのだが、なんだろうと思いつつ読み進めていたりした(あとでインターネットがあるからまあいいようなものだけど)。

P122からは、戦後の演劇ネットワークとして、地方分権化、フェスティヴァル、民衆演劇のことが書かれていて、1960年代終わりから、文化の家が各地にできるとともに、地域ごとに芸術学校が開設され、大学では演劇専門の学科がいくつも新設されたことが記されている。そして、20世紀末には、日本の中学校などに該当する、リセやコレージュのカリキュラムに演劇があるようになったという。リセの文系コースには「映画」「美術」と並んで「演劇選択」があるようで、これは、一定の観客獲得に役立ったそうだ。

《・・コメディ=フランセーズがフランス語を使った戯曲の独占権を持っていたので、縁日芝居の役者たちにはせりふ劇の上演が禁じられたのである。彼らはパントマイムに重きをおいた。あるいは、歌の入った作品、とりわけ軽歌劇(ヴォードヴィル)に頼るようになった。そうするとオペラが軽歌劇を糾弾した。彼らは反撃として、〈掲示板劇〉という独自の形式を編みだした。これはパントマイムで構成されるが、要所要所で裏天井から掲示板がおりてきて、その掲示板には有名なメロディにあわせた歌詞が書き込まれていて、観客がそれを歌ったのである。・・》

近大で授業。
実は、来週の京都橘大学では井手上さんのレクチャーなので、進度を合わせるために、ビデオ映像などを活用して「まちつかい」としてのアーツマネジメントという個別テーマのものを用意しようとしていたのに、頭出ししたビデオを一つ忘れて、すこし中途半端なものにしてしまった。でも、まあ、テキストを逆に多く使っていつものノートテイキングは少なめにしたのは学生さんたちには楽だったかも。

終わってから、今回、ノート提出で中間レポートに換えることにしたので、学生がつけたノートを読む。黒板に書いたもの以外(口頭での説明)はあんまりないが、それはそれで仕方がない。説明と逆に受け取っていたりするものだけは訂正しておく。一人だけ、私の話したことにけっこう辛口のコメントをつける学生がいてとても面白かった。葬送文化のところで、「デリカシーがない!」と書いていたりして。あと、インフル補講のためのレポートもけっこう提出してくれていて、元立誠小の放課後の展覧会に数人行っていたことが分かる。やはり美術系のものが誘導されやすいのだなあと思ったりする。演劇ダンスは敷居がこのクラスでは高いのだろう。

最近、鑑賞とかがめっきり減っている。
まだ、花粉症ぽいのがうらめしい。夜、フランスから荷物が届く。フランスへの荷物送付はなかなかなのに、こちらへはスムーズなのだろうか。あと1週間あまりすると、一人家族から三人家族になるのかと思うと嬉しいな、やっぱり。


6/12(金)

『都市とアーツ』。気がつくと、後半戦だ。去年に比べてテンポが遅くなっている。
これでは、黒沢清映画への言及が中途半端になるなあと思う。
当初予定していたことに気づいてあわてて軌道修正のペーパーを作っておく。

『政治学概論・』。政治過程論。京極純一先生の授業がもっともっと面白かったなあと思いつつ。
フランスと韓国の大統領の記事を配って、国際政治についても触れるべきという教職課程の要請に応えることを意識。18時から、京都文化ベンチャーコンペティションで、インフル補講ができたのはラッキー。

丸太町駅直結のハートピア京都3階の会議室で、予定通り、私の挨拶、担当者の文化コンペの説明のあと、90分ほど、ダジャレずきなセーラ・マリ・カミングスさんの講演。セーラファンという人たちも多いらしい。彼女、数ヶ月すると男の赤ちゃん出産という話を席上でもしていたが、話とジェスチャーがほんとに台風娘のままの元気さだ。じつに面白い前向きの話(映像を映しながらもしゃべり続ける)で、41名の学生たちもなかなかいい刺激になったようだ。

それにしても、アメリカでは、生む前に男子だということをこういう風にあっけんからんというんだなと、すこし異文化体験な感じでもあった。マイボーイとかいいやすいからかな?だがひょっとして、いまでは日本でも、妊娠中の性別は分かっているのだろうから、このお腹の赤ちゃんというかわりに、お腹の坊やとか姫とか若いお母さんはいうようになっているのかも知れない。

私などは、生まれるまで性別は神秘のままのほうがいいようにも思うし、知っていても、ちょっとまだ世の中に出ていないので男の子とか女の子とかでもないように感じてしまう。いちばん、そこが私には一番面白く感じたところだった。
個的な違和感を、社会に向けた面白さに変換する運動にすること、これが文化ベンチャーの秘訣なのかも知れない。


6/13(土)

きょうから、新しい年齢。54歳か・・京都橘大学の停年(いまのところ)まであと11年・・・
心入れ替えて、洗濯物も昨夜干したら乾いていたし、
冷蔵庫に眠っていたコンニャクと揚げとミンチを使った料理も結構いけるものになった。
で、お芝居観ようと思っていたのだが・・・

何やかやしているうちに、13時伊丹にはいけなくなってしまった。
なかなかヨーロッパ企画を観ることができない。『ボス・イン・ザ・スカイ』というキレイなチラシを眺めるばかり。
京都を代表する人気劇団さんなのに、じつは、京都の大丸のヨコのちょっとしたところとあとはOMSがあったときに、観たような気がするだけなのだ。

かわりに、黒沢清映画をめぐる授業が3回しかないという制約(まあ私がぼんやりしていたせいだが・・)のなかで、最新作の『トウキョウソナタ』をどの順番でどう見せようかとあれこれ。メイキングはあとかな(去年は『叫』をメイキングからはじめた:ホラー嫌いを回避するためだったが・・・)。はじめに見せるとすると、予告編と、初日挨拶かカンヌ凱旋か。ちょっと、どちらも香川さんが監督をほめすぎていて、これは学生には逆効果になるかも・・

こういう授業って楽そうなのだが、どうはじめの導入をどれだけ入れるかが決め手のような気がする。もちろん、過去の映画のダイジェストとかもしたいが、まずは、最新作をちゃんと見せてから。一つ考えているのは、小津監督の『風の中の牝_』のある場面を使うことぐらい。この時代にメイキングとか監督インタビューとかあったらどんなことを小津監督はしゃべったのだろうな。それにしても月島の60年前を見られるだけでも映画が残してくれるものの貴重さを思わざるを得ない。

たまたまだが、ヨーロッパ企画の役者さん、そのぼっちゃん的キャラが貴重で外部出演も多い本多力が客演していた、MONO第35回公演『なるべく派手な服を着る』(2008.5、106分、DVD)を観る。そうそう、同じく客演の松田暢子もヨーロッパ企画だった・・・

改めてこうしてみると、同じく客演の山本麻貴の変化が鮮やかで、五男、一二三(尾形宣久)がいままでどうして見えなかったのか、がよく分かる。「なるべく派手な服」というのも、微妙に中途半端な派手さだし。
まあ、つまり、自分とは他者の他者ということなのだが、それをどう舞台で表すのか。このお芝居、4人の双子という設定とかカリカチュア的キャラとか、そのデフォルメの仕方がちょっとナチュラルでなさすぎて、終盤に行くまで当時、戸惑った思い出があるのだが、その分、カオス後の展開のカタルシスが気持ちいいということになる。ちょっと『トウキョウソナタ』と同じかもな、終わり方とも思う。

また、出かけるのが億劫になって(『焼肉ドラゴン』も収録したので)、でも、行かなくちゃ、とアトリエ劇研へ行く。
行って大正解。C.T.T.vol.83 2009年6月試演会。いやあ、10月の本公演を期待できる試演会だった。帰って、すぐに、イプセン戯曲全集を発注。

名古屋でお会いしていた矢野靖人構成・演出のshelf『shelf work in progress20090613-14 Kyoto「私たち死んだものが目覚めたら」。35分ぐらいだろうか、はじめは、ワークショップの様子の披露。いやあ、ここから面白い。やってみたいなと思わせる。ニュートラルなものを大事なものから並べていくというのは、その意味をワークショップ参加者に事前に知らせてからするのか、あとで意味づけをいうのか、どちらだろうなあとか思いつつ、観ていた。
後半は矢野さん自身が音響するといって二階に上がってどたどたするところから面白く、内容もイプセンって、紅さんピットで見ていたい観たことないなあ、とか思って、ちょっと暑苦しそうな台詞もまたどういまの役者さんたちのコンテキストとの対話からどうなっていくのか、じつに楽しみな試演だった。それに、わざわざ京都に来てくれたこと自体がうれしいわけだけれど。

始まるまえ、田辺剛さんと話していて、今度は山科、タフ6はダンス中心でやりたいんですよと話すと8月はじめにアトリエ劇研でこども祭りみたいなのがあるという。これはぜひ見に行かなくちゃ。TAM研とかとしても。昨夜木下先生とパーティで話していて、山科でも盆踊りがなくなってきていて、昔は、ヒカリヤの駐車場で盛大にやっていたということ。まず、盆踊り復活!という形が地域おこし的コンセンサスになりやすいかなと思ってきている。もちろん、ただの盆踊りだけではなく、超越的盆踊り、スーパー盆ダンスだけれど、ね。盆って英語ではなんと言うのかな。

全体では、3つあって、はじめは、ダンス・肉体関係。このまえうっちゃん・なんちゃんが司会しているお笑い芸人のお金ゲット番組でうっちゃんたちの後輩のアラフォー女性ピン芸人が母乳ナゲという瞬間芸をしたが、それを連想されるもの(もちろん、テレビの方がずっと面白いし短くてよかったが)。
そのあとは、象、鯨。というのだが、プレゼン芸。下手すぎる分、肉体関係より笑える。それに、すこし、ダムタイプのはじめを連想させるし、そのだめだめ具合は、ナチュラルな味わい。カラオケとか空手?とか。


6/14(日)

きのこ、一掃。エリンゲもシイタケもシメジも・・・ついでにナスも。
でも、食べ過ぎた。夕食後の測定、71.8kg。げ・・・5月にある健康診断までは、70kgを切るために努力するのだが・・・

天狗って、流星だったのか!隕石が地球を切る音が犬の鳴き声だったって!
司馬遷『史記』、そして『漢書』。テンコウと読むらしいが。
それにしても、
天狗、すごすぎる。河童にも感動しっぱなしだったが、天狗も地味なようで、意外と派手。
日本書紀に初登場が637年。僧旻。
400年潜伏して(インフルエンザよりもすごい生命力)、11世紀はじめから、たとえば源氏物語にちょっとでたあと(浮舟)、今昔物語で開花しまくり。12世紀が第一次天狗ブーム。
僧侶が死んで妖怪としての天狗になって、でも改悛して僧侶に生まれ変わったりして、平安時代後期から鎌倉あたりまでは、幽霊と妖怪の区別はまるでなかったことも明らかになりそうだな。

そのあとも、からす天狗のいでたち(半鳥半人)でだが、天台宗の派閥争いで活性化したりして、ずいぶん大人だしさ。近世からは山伏さんとなって、ようやくおなじみの姿に。
トンビが頭上からパンを掻っ攫うのと関係があったとは。妖怪はいずれにせよすごいアーツであることだけは疑えない。もちろん、疑ったことなどないけどさ。

天狗、天狗と思いつつ、芦原橋へ。ヒューマインドという古い建物の体育館の中庭がいい。ここで何かしたいな。芝生、自動車が置かれているけれど。
EDU★COLLE―多様な教育の博覧会―。
ものごとがわかるというのは、具象的表現と抽象的表現とが自分の中で実感として一致することだというテーマがここにはあって、とても勉強になった。
かえっこバザールも試行されていて、面白かったのは、おもちゃなどの絵を描いたら、それをバンクマンとは別に受付にもっていって、査定してもらうというシステムなのだそうだ(1〜3ポイントの間で)。

京都芸術センターへ。
日中交流展、『布の記憶/糸の時間』を見る。ギャラリー北の構成が鮮やかではっとする。

青年団国際演劇交流プロジェクト2009日仏交流企画(リヨンでも来年にするそうだ)『鳥の飛ぶ高さ』。
ミチェル・ヴィナヴェール原作で、1970年のとっても長い作品を、平田オリザが翻案して演出協力して、青年団などが演じる。でも、演出は、アルノー・ムニエということで、音楽もバンバン使っているし、いつものオリザ演出とは違った役者さんの雰囲気(でも、ひらたよーこはひらたよーこだったりはするが)も少しは楽しめる。フランス語練習したのだろうな。

内容はグローバリズムの波に洗われる中堅企業。兄と弟との後継者争いに外資系の乗っ取りが絡む。企業の製品的には『お祝い』(ナプキン開発)みたいで、でも、他方、すこし清流劇場的社会問題性もあった。もちろん、清流劇場の透徹した社会意識と比べるのは、清流劇場に悪いし、こちらは、コメディとして作られているので、気楽に観られる。

気楽といっても、伏線が二つも三つもあって、その出入りなどとても忙しい。
だのに、逆に中だるみするのは、無理に圧縮しているからかも知れないし、原作(スカンジナビア神話、フランス王朝、ユダヤ人差別とアウシュビッツ)を日本神話や皇室と幕府、ルアンダ虐殺に置き換えるのに必然性がないためだからかも知れない。
とはいえ、根付のことが気になったし、演出ってなんだろうとまた思い出させるし、日本神話の扱いに、あとで確かめたいことも出てきたし、知的刺激が多いお芝居だった。


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