こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.3/23〜3/29


こぐれ日録633 2009年 3/23〜3/29

3/23(月)

元立誠小学校へ。木屋町を歩く。
この小学校に入るのは随分久しぶりのこと。この建築についてもまたゆっくり教えてもらいたいもの。いずれにせよ、京都芸術センターのようには、小学校当時の痕跡がなくなっていないので、その少し前までこうして小学生がいたな、という気配が濃厚にする。

PAC@立誠。パフォーミングアーツコミュニケーション・・東山青少年活動センターが取り組む「創造表現活動」のアウトリーチ、紹介出前活動である。
ワークショップ「あそびからマイダンス」のワークショップはちょうど終わっていて、ダンス&ピープルの五島さんや黒子さんに会って『アウトサイダーライブ』を渡すことはできた。でも、主催の東山青少年活動センターの表さんにもまた渡したい(ということは、あと数十冊、山之内さんから送ってもらう必要があるな:これは、書き手の多くの人はそう思っているに違いない。林加奈さんもそういっていたし)。

東山アートスペース作品展示「touch the wave」が1階と3階に分かれて展示されてあり、予想を超える充実振りだった。どこか、陶芸を中心とした小物づくりのアウトサイダーアートというイメージをかってにしていたのだが、6年を経過して、作家的な成長を見せている人たちがこうしているんだなと感心した。どうして、古い建物にアウトサイダーアートがとくに似合うのか。まあ、そこまで特化していうべきではないのだろうが、見るほうとしては、画廊や美術館で見るよりも、より近づきやすいし、見落とさないで見なくちゃ、というストレスが少ないように思えるのは事実だ。

同時に、京都市立芸術大学の版画専攻の9名(院生がおおかったように思えたが)の展示「ここのつ」(ちらしがかわいい)もあって、広く教室が使えることもあって、静かに眺めめぐることができて気持ちよい時間を過ごす。

大学で生協の理事会。5/17が総代会だ。

川上弘美『蛇を踏む』文藝春秋、1996年。「蛇を踏む」が芥川賞作品。それ以外とは格段の差がある。「消える」は「惜夜記(あたらよき)」よりはまだ読めるが。


3/24(火)

昨日家に持って帰った校務をする。
2008年度後期の授業アンケートに対する回答、という仕事だ。
そのあとは、アメリカで行われている韓国と日本の野球を見て、久しぶりにPL学園の高校野球を見て、小沢一郎の会見を見て、ぼんやり、あれこれ。小沢さんを生でみたのは、故西田君(同級生)の結婚式に小沢夫妻が仲人をされたときが最後だな。

筒井ともみという脚本家を調べるために買っていた『失楽園』(1997年、117分、森田芳光監督、原作:渡辺淳一)を見る。役所広司さんは、当時40歳台前半のはずだが、50歳の役どころ、久木(閑職に追いやられた出版社サラリーマン。雑誌編集のモーレツ社員だった男)。黒木瞳演じる凛子は、38歳。書道家(楷書の君)で医者の妻。子どもはいないが勝ち組とそのあと言われる女性ではある。

忘れ去られていく流行だけの映画であり小説なのだろうが、凛子の友達で、外国人と結婚し離婚、ハーフの子連れの女性(バツイチ前向きウーマン)を故金久美子(2004年に胃がんで亡くなる、1958年生まれなので、ちょうど38歳ぐらい、いまでいうアラフォーのときの出演)が演じていて、個人的な記憶が甦る。新宿梁山泊の主演女優だった久美子(クミジャ)さんと、少しだけど、萩映画祭のことなどを話していた、そういう90年代の小劇場(タイニーアリス)の客席などをありありと思い出し・・・。


3/25(水)

非常勤講師さんへの説明会。
教務委員会(今日が最後)、大学評議会(これは、新年度も引き続き)、学部教授会。
私と一緒に文化政策学部に来られた女性の先生が転出される。
あの8年前、あんなに希望に満ちた人たちと文化政策を語り合った頃。
そういう幸せな時期というのはそんなに続くものではないのは、当然ですよね
それでも、ひそかに(まあ私はひそかにでもないですが)レジスタンスしているみなさんを見ている・・・という素敵なスピーチ。
ああ、チェーホフだなあと思った。
桜の園、三人姉妹。和服の美しい先生が語るとあまりにも詩的になる。
退職者さんへの送別会。

大学評議会で、うちの大学のタグライン(企業のマークのよこに書かれるキャッチフレーズ)というのが発表された。
4月にはクレド(社是、もともと、ミサ曲の一つ、「信条告白」)というものが発表されるという。
名前ばかりが新しい。


3/26(木)

もうすぐ新学期だ。でも寒い。
ルビノ京都堀川で、京都文化ベンチャーコンペティション第4回実行委員会。
年度末年度初めは移動があるし、いろいろ大変だ。
平成21年度、つまり、2009年度は3回目となる。一応の区切り。
質はもとより、量も一定数確保したいし、広がりがほしいなと議論する。
ときどき、文化ベンチャーの記事をチェックしたりする。たとえば、これ(http://www.venture-news.jp/archives/1063373.html)は、よかProさんの記事。受賞された漆の松田恭幸さんの技術をいかに文化ビジネスとしてマーケティングし展開できるのか、これはいまの時期かなり厳しそうだが逆に興味深い事例となるだろう(http://www.pref.kyoto.jp/bungei/resources/1237281080101.pdf)。

茨城から実家に来ていた妹家族を京大に案内する。姪っ子が京大を見たいというので調べるとレストランが二つ本部の時計台とその近くに出来ていて、本格的なレストランは混んでいたが、総長カレーなどが名物の方は何とか座れる。ずいぶん、お土産グッズなども販売していた。早大と共同開発した黄桜のビールも飲んだ。
キャンパス内の木が大きくて立派。桜もちらほら。明治時代の木造洋館づくりの小さな建物があったりして、本郷の東大より京大の方がのんびり楽しそうだ。

木屋町の元立誠小に案内。東山アートスペースのほか、中京のインカレボランティアグループ、aileが展示や遊びコーナーを講堂でやっていた。帰り、shin-biにもより(ここも戦前の建物のリニューアル)、かなもりゆうこ展を見せる。京都はやっぱり芸術が盛んですねと妹。まあ、それをみんなが知っているかどうかが課題なのだが、こうして案内すると、古い建物をアーツで生かすことが京都はまずまずよくやっているのかも、と思う。中瀬さんに会う。
「都市とアーツ」の授業に、京都市内のそういう再活用案件探しを取り入れなくちゃ(これはメモ)。

別れて難波へ。
精華小劇場。4面舞台が続いている。
東京の劇団、柿喰う客の国内ツアー『恋人としては無理』作・演出:中屋敷法仁。75分ぐらいのコンパクトでかつインパクトのある作品。身体のカタチ・動作が外見としてシェイプされ、個体識別を心理や内面などという情緒的なものではなく、外見によりティピカルに作り分け、それを役者が技巧としてひたすらシャープに動きゆく。ラップ歌詞のように放散される言葉群と同程度の比重を持って、体の動き、ダンス的な所作、移動方法がある作劇法のように見える。

内容(骨格)は、一応、フランスで初演したという、イエスをめぐる使徒たちのお話。確かに、イエスって奇妙な性愛の対象だったかも知れないなと思わせる。でも、ユダ以外はぼんやりとマタイやヨハネやそういう名前を知るのみ。だから、フランス人の方が根底にある超有名な物語はよく知っていることになるので、どう、それが日本の若者によって変形され援用されたのかが興味深いのかも知れない。

でも、まあ、おっさんの私としては、若者文化という異文化体験の場である。ちょっと、昔の山の手事情社の舞台を思い出した(青山円形とかでの)。
ラップの早口がデフォルメされたり、知らない有名らしい映画やキャラクターや何やかやを入れつつ、ある、普遍的なものを潜ませるお芝居に好印象を持って見て、だから、アフタートークも聞かせていただいた。盛り上がってしまいそうになると、裸の玉置玲央がバクテンして、それを切るのだという。ずいぶん、作劇システムの分析をきちんとするタイプ。

中屋敷法仁さんという青学大出身の人は青森、しかも南部弁だということ。しょうゆ顔。津軽でない青森・・・また東北に興味が及ぶ。


3/27(金)

この前、途中からNHK教育で、《「顔」って何だろう?》(知るを楽しむ、この人この世界:馬場悠男・国立科学博物館人類研究部部長)という番組を偶然見て、とても興味を覚えたので、馬場さんの本とテキストを購入して読んだ。

KAWADE夢新書『ホモ・サピエンスはどこから来たか』(2000年、馬場悠男)、ヒトの進化と日本人のルーツが見えてきた!ヒトの起源が500万年前、ホモ・サピエンスの登場が15万年前など、同じ著者の《「顔」って何だろう?》テキストより、若干数値が古いが(いまは、700万年前、20万年前と一応言われているようで、著者もそう記述している)、でも、通史としてさっと読むのにはなかなかいい新書だ(ぜひ、最新改訂が欲しい)。

最古の登場が、グレート・リフト・バレー断層の東部の草原化に起因すること、「ネアンデルタール人たちが、年老い、病気に冒された仲間を見捨てることもなく、最後までともに暮らすという、きわめてやさしい、思いやりに満ちた精神文化を育みはじめていた」(119p)イラクのシャニダール遺跡(6万年前)のことなど、チェックしながら読んだ。そして、これは葬送文化を語るときにいつも参照されることだが、この遺跡の発見は、死者に花をたむけていたのではないか、という化石が発見されたことだ。

《・・花粉を分析してみると、アザミ、ノコギリソウ、ヤグルマギクなどの薬草類で、洞窟の周辺にはえているものばかりではなかった。彼らは、死者のために、はるか遠くの草原から、薬になる植物をとくに選んで、運んできたのである。つまり、ネアンデルタール人は、葬送の儀式を行ったはじめての人類だったと言ってよいだろう》p120

最後のセンテンス(下線:小暮)については、死者や病者を治癒(再生)させようとするために薬草を使ったとも想定できるし、儀式そのものは想像するしかなく断定はできないようではあるが、障害者を排除せずにともに暮らすネアンデルタール人が死者をも葬送するという精神性を持ったと考えるのは蓋然性の高い推理であると私も思う。

ぐっと時代を下って、縄文時代の箇所に(p191)、貝塚って、食べ物の残りだけではなく、人間の骨も見つかっていて、貝塚は貝殻の単なるゴミ捨て場ではなく、さまざまなものを「埋葬」する場所ではないかと考えられているそうだ。

《「顔」って何だろう?》の方は、放送と一緒に読むともっと面白いのだろうが、これだけでも十分、インスパイアされることが多かった。

顔ってなにか、動物のどのあたりから顔が出来たか。顔の一番初めの器官は何か。縄文顔と弥生顔。江戸まで、支配層が弥生顔だったので、歌舞伎役者や浮世絵などの美男美女が切れ長の細い目と細長い顔(うりざね顔)が理想とされる(「蝦夷征伐」で描かれる縄文顔が鬼とつながり、福福しい顔が弥生顔となる)。明治になって、江戸の理想が覆って、西洋型の(つまりは縄文顔も含めて)大きな二重まぶたの目に憧れるようになった・・・

顔を鍛えることの大切さ、とくに、子どもの時代に固いものを噛むことで咬合力をつけることが、頑丈な顎を形成し、歯の出っ歯化、乱杭歯化などの問題を解決できるのだが、それがまったく教育に考慮されていない(頭を鍛えることと体を鍛えることはやっているけれど)。

耳、鼻、舌の感覚は抹消神経を経由して脳によって、それぞれ音、匂い、味を感じるのだけれど、目だけは、そういう出張所システムではなく、脳本体が視神経として視覚を直接感じること。ウインクがアジアの人たちは欧米人よりも出来ない割合が高いこと。白目がどうしてヒトだけ出来たのか。平均顔が美しい顔となること、「ペンフィールドのホムルンクス」・・・

弥生人は、シベリアに3万年前に進出したホモ・サピエンスが、独特の変化(寒冷適応)をして、6000年前から南下し、縄文人のいる日本へも渡来したのでした(2800年前ぐらい)。その特徴は、
《体では手足が短くなり、手足の先(末端)も短くなった。また顔では皮下脂肪が発達して眼裂の細い一重瞼になり、鼻の低い平坦な顔つきになった》というもの。

あと、弥生人は歯が大きく(歯で獣を食いちぎり、皮をなめすため:縄文人は土器で柔らかくしたこともあって歯が小さい)、耳垢が乾いている(体毛が少ないためで、体臭が少ないのもアポクリン腺との関連)のも独特で、弥生人など北東アジアモデルは、ホモ・サピエンスでもユニークな存在だそうだ。

見た映画。
青山真治監督(脚本・編集・音楽)『冷たい血』1997年、109分。
石橋凌主演。離婚の危機にある男が、警察も辞職し、何かを探す。
不毛な恋の二組。事件。新新宗教も出てくるがあんまりかかわりがない。少しサイコサスペンスかな、とも思うが、全体に、試作品ぽい感じがある。音響と映像。音響の方に興味が持てる映画。下駄の音がホラーなのかとはじめ勘違いした。

18時10分から、二つの2人劇を、東山青少年活動センターで楽しむ。東京からの2人と広島からの2人。つながりは、鈴江俊郎さんや二口大学さんのワークショップ関係。こちらとしては、京都にいながら、若い東京と広島の初々しくも熱い演劇の息吹を見られて大満足。少しだけトークも聴けた。
さて、京都へわざわざ来られた人たちにとっても何か得るものがあったらとても嬉しいのだけど、全部で500円というのはあまりにも安い。

M&M『LOVE LETTERS』作:A.R.ガーニー、演出:M&M、出演:室屋翔平、小瀧万梨子。東京から(桐朋短大演劇科出身)。まず、90分ぐらいの2人芝居。これは、途中に休憩があって(若い2人から社会人になる部分での休憩)、2時間の朗読劇になることが、パルコ劇場では普通なので、少しアップテンポで、しかもテキストなしで進む。しっとりとした大人の部分よりも役者の実年齢よりも少し若い部分がヒリヒリ。上院議員になった男を演じるには少し若いかなとも思ったが、でも、なんだか、こういう部分はこちらの年齢にぴったりなので、昔見たときよりも最後のあたりに反応が強くなった(55歳)。女のアル中になってどんどん崩れていく部分を、小瀧がよく入り込んでやっていた感じがした。体裁とのバランスに悩む男というのは演技しずらいかも知れないな。

5分休憩のあと、35分ほど、鈴江俊郎作『純喫茶マツモト〜ジン派 あの雲までもうちょっと篇〜第三場』を、広島からの黄金山アタックという劇団のお2人(吉本武史、毛利亜衣)がこれも熱演。だいたい、鈴江さんのお芝居は紙を巻き散らかしたり、ぐるぐる追いかけあったり、後半にクライマックスとして事件が起きるのだが、ここでは、第一場、第2場が省略されているので、すぐにハイテンションになる。なんだか、これは見るほうが笑いの方へと傾くのも仕方がないのだが、その可笑しさが愛おしさに30分ぐらいでよく持っていくなと感心した。

とりわけ、毛利はお芝居をはじめて1年余りということ。小さな彼女が、大きな吉本と奇妙な合一的存在として不自然ではなくその場にあるのが、なんともいい感じだった。吉本武史は5年目の熱心な役者。鈴江の演技にあまりにも似ているなと冒頭思う。


3/28(土)

腰がだるくなっている。不活性のためだろう。
ソファーでPL学園の負け試合やバーレーンとのなかなかシュートが決まらないサッカーをみたせいか。

クリント・イーストウッド。役者にして俳優、そして、多くの人が彼のことを語り学ぶ。
でも、私はほとんど知らない。ということで、買っておいた『許されざる者』(1992年、131年)。
はじまりとおなじ終わりのシーンに芳江が帰ってきて、美しいね、こういう風景は日本にないといっていた。
保安官(ジーン・ハックマン)の存在がすごい。誰が主人公+ヒーローで誰が悪役かの区分をまったくなくしているわけではないけれど(全くなくなるとアカデミー賞はとれなかったかも)、ウエスタン映画がいかにパタン化されていて、日本の殺陣(たて)のようなものに近いかがよく分かる。
賞金稼ぎって、賞金を出す人がいるからで、その賞金は政府や自治体が出しているのだろうと思っていたな。


3/29(日)

桜に舞踏。似合いすぎる。京都府庁旧本館にて。

10時から12時。さきらの運営委員会。4/3に市長とメンバーの7〜8名が会うことに。
JR西日本の子会社が指定管理者になって4年目にもうすぐ入る。そして、さきら10周年(キャッチフレーズは「さきらから人ヂカラ」)。
いろいろ、筋目。人員・事業数の減少のこと。スタッフをはじめとするアーツ企画とコミュニティ的アクティビティでは日本中の公立文化ホールのうちでも20傑ぐらいには入るんじゃないかと個人的には思うのだが(関西身びいきなので)。さて。
20傑候補・・・たとえば、関西では、AI・HALL、KAVCや京都芸術センター(最近こことのつながりが急激に薄れているが)、兵庫やびわ湖は違うタイプで私でない人がきっと推薦するだろう、また忘れてはいけないホールはピッコロ(これは県立劇団があるだけでも、すごい)。碧水ホールも過去の実績を見れば、挙げたいのだが、いかんせんいまは。三重県立も遠いのでいかないのだが、気になるホール。

おっと、西川部長と四方山話をしながら、京都府庁へ。
エコーツアー09というのがあって、京都府庁旧本館を桜の季節に開放している。
誰がマネジメントしているのか、まったくよく知らない(出ている作家の選定基準とかもなかなか分からず)。でも、いいよね。人が多くて、桜が咲き出して、寒いけれど、美しい明治の建物が、私たちを歓んで受け入れてくれているようで・・・

旧館でも一番立派な正庁で、14時すぎから大阪の前衛みたいな劇団(?)子供鉅人がパフォーマンス。寒いのにビキニで倒れたりしていた。無料だし、観客は、よく分からんけれど、これが芸術?って思っている感じ。こちらはとりたててどうとも思わないが、ここをもっと京都の劇団が使えるといいなあと思っている。40分ぐらいだったら、この前みた、鈴江さんの本などもいいかも知れないし、ラブレターズみたいなもので、半分ぐらいなもの。そうそう、西陣のガーデンでやっていた朗読劇など最高だなあって思いつつ見る。

15時から、待ちに待った今貂子+綺羅座。30分強の至福の時間。中庭の桜を背景にして、座る。階段も客席に。
ああ、美しい。6名が踊り去ったあと、一片の桜。その落下の数秒間が永遠に等しくなる。

このまえの鯉つかみのピースだなあとすぐ分かるものもあったが、もう、何もいらない。桜と風と光と踊り。クラリネットとギターの2人組み、アランだっけ?お2人もじつによかった。和風もいいが、洋館ということもあり、和と明治とクレズマー。いいね、いいね。

読んだ本
堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』岩波新書、2008年。
学力テストが、学校の助成金の有無に直結し、そこから、軍隊のリクルーターへの個人情報提供へとつながる話も怖いし、病院のチェーン運営の実態や、保険ビジネスって、すごいなあと思うのみ。
災害復旧民営化というのが、一番、あんまり私は知らないことだったかも。


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