|
こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.3/9〜3/15 こぐれ日録631 2009年 3/9〜3/15 3/9(月) アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督『恐怖の報酬』1953年、モノクロ148分。 午後から中之島駅。大阪国際会議場で、関西広域機構(KU)第3回文化振興策専門家チーム会合。甲斐さんたちが、Art&Cultureのリニューアル版を鋭意作っていて、もうすぐアップされるところまできた。あとは、若手のリポーター、そして、KUメンバーである府県、とりわけ、福井県、徳島県、三重県など京阪神情報以外のアーツ情報を探るリサーチャーもいるね、という話もでた。 19時からはじまっていた、「フォーラム青少年活動センターの一部有料化について考える」へ。ひと・まち交流館にて。NPO法人京都舞台芸術協会主催。同志社大の西村仁志先生(http://www.colorsjapan.com/blog/)が、青少年活動の場として欠かせない公共財としての青少年活動センターの無料利用の意義を力説されていた。 23歳から30歳の大学卒業後の重要な時期(青年後期と呼んでいいのかも知れない)を、たまたまだが狙い撃ちにするようになってしまう一部有料化案が、京都が育んできた舞台芸術の独自性に対して、市当局には想像できないような打撃を与えてしまうという懸念を表明する必要を思う。 私は、文化政策からなので、京都の青少年活動センターのいままでの貢献を評価し、それが変質することの危惧をいうぐらいしかできなかったが、青少年活動センターのみならず、見直されることになっているコミセンなど京都市内の公共的施設の一部を、コミュニティ形成とも関連付けながら、演劇ダンスの創出過程支援環境として明確に位置づけて活用する政策提案が必要なのかもしれないと感じていた。 京都新聞社の取材もあり(http://docs.google.com/Doc?id=dd2cpzz4_1569s8tmmdc&hl=ja)、その過程で老人クラブさんが演劇の活用を考えられているようだという情報も聞いたりもした。この有料化問題をきっかけとして、演劇ダンスの社会的意義、青少年活動センターの多角的な存在意義など、論点を明確にし市民や市政へ訴えていくことが必要になっていることを痛感した。今回は去年の12月におけるパブリック・コメントの時期を逸したこと(これは恥ずかしながらまるで知らないままにいた)、条例提案の2月においてもすぐには反応できなかったことなど、反省点も多いと思う。 恒川光太郎『草祭』新潮社、2008年。1973年生まれで、いまは沖縄在住の作家らしい。 大学で、ある企画案を聞かせてもらう。うまく通過するといいのだけれどなあ。祈るしかない。 夜、この前のMONOの公演の際に買っておいたDVDで、MONO第20回公演『きゅうりの花』(作・演出:土田英生、2002.8、OMS)を観る。ようやく映像が手に入ったなとしみじみ。昨日、NPO法人京都舞台芸術協会理事長としての水沼健さんに会ったばかりなので、7年前の彼の演技を見るのも不思議な感じがする。始めてみたときの突然の断層。1998年が初演ながら、いま観ても新鮮だ。 10時から、来年出す本の編集会議。 今日読み終えた本 P252 竹富島の神事・祭事は、世俗的な観光化を周到に遠ざけていることに関して、 午前中、奈良美智の逮捕と報道のことを考えたり、公共財をめぐる公共経済学の復習をしたり。政治学と法学の関係では、濫用と乱用の違いってあったっけとうろたえたり。 午後、大阪府の会議。能勢の淨るりシアターの話を久しぶりに聞いた。 夜見たドキュメンタリー映画。ニコラ・フィリベール『ぼくの好きな先生』2002年、104分。ひたすら淡々として。 雨の卒業式。文化政策学部と看護学部は、午後から。去年もそうだったという。 そのあと、学科ごとに卒業証書と花束授与を。文化政策学科は733教室。 ボウタイなのに、蝶ネクタイっていわれるな。毎年のことだけれど。 TAM研の4名も卒業。1回生からずっとやってくれていたので、これから後輩がどれだけ続いてくるのか。 18時からパーティ。20時からの大学院生の2次会に少し顔を出して、ゼミの集まりにもでる。 寝不足なり。自業自得。風が強く寒い。 ユニット美人『紫式部の言うとおりッ!』作・演出:黒木陽子、オババ役、あと豆知識役。 17時すぎ、地下鉄四条駅への道すがら、寒いので、上海家庭料理と書いてある、中国語が飛び交うお店にはいって、ラーメン的なものを注文。チャーシュー700円にすればよかったのに、味噌ラーメンみたいなものを頼んだら(850円)、スープがないものだった。辛くて、白いご飯も注文。でも、お新香もついていて、ご飯が進む。 セレノグラフィカダンス公演『百(ひゃく)ねずみ 九十九(つくも)かみ 百一(ももいちみ) 10099101』。 3つの15〜25分ずつの作品が、休憩あり、休憩なしで席替え、という催し。 終わって、軽食と飲み物も丁寧でユニークなイクラ食堂さんのもので、ディナーショーみたいだねえと一緒に観ていた、はな(長女)に言うと、ディナーショーなんて行ったことがないから・・と言われる。 言いたかったのは、すごくリッチな空間と味とダンスだったよねえ。なんだか、最後はオペラ(フィガロの結婚)のフィナーレみたいだったし、写真の撮影会や結婚式が通り過ぎたようでもあるし、武道のデモンストレーションもあったみたいだし・・・何より、夕暮れから夜の景色がダンスとそれを楽しむ私たち30名を包むのがいいよねえ、空にちょっと浮いている気分だ、というようなこと。 でも、あまりにも、満足したので、ただ、ゆっくり、歩いた。鴨川を渡って。 南彦根駅に初めて下りる。茫漠とした風景のなかをビバシティホールへ。 バリアフリー映画祭としてもう一度『ぐるりのこと。』を観る。副音声は目が見えない人のため用なのだが、とても後ろだったのと、目がかゆいこともあり、こちらもずいぶんと助かる。意図的に目をつぶって、前見た映像を思い浮かべたり、あれこれ。聞こえない人のための日本語字幕は前の人の影になってあんまり見えなかったが、これは、声が聞こえるので問題はない。ただ、ほとんど聞こえないはずの言葉もしっかりと読めるという効果があって、これは、いいのか悪いのか、そういう効果が出るということでいいのかも知れないが。 この映画は、美術の応用性ということを考えさせてくれるものでもある。応用芸術、あるいは実用芸術として、宣伝美術とか、お風呂屋さんの富士山の絵とかもあるが、ここでは、法廷画家、スケッチさんと呼ばれる、裁判所がカメラ撮影が禁止されていることから必要になる職業が大きなテーマとして浮かび上がってくる。そういう面では、おくりびととも通じるかも。 あと、個人的なことだが、2人でトマトをかじるシーンを見ながら、いまごろ、神戸では、芳江が「トマト」の詩を朗読しているかも知れないなとか思ったりもする(かってにまどみちお展の企画の日だ。わたしは最終日、22日に行く予定)。 ティーチインあり。監督の橋口亮輔さんと主演の木村多江さん(手話で自己紹介)が登場。たぶんお目当てだろう、リリー・フランキーさんはずいぶん遅れてきて(常習犯だという)、それまで伸ばしていたので、みんなほっとしてすぐに終わると不完全燃焼だと言っていた。 図録本体の方がまだ出来ていないということだが、別冊の『アウトサイダーライブ』は出来上がっていた。毎日新聞の森田記者が写真を撮る。アサダさんと一緒に。124ページの力作だ。暗黒の表紙から体が浮かぶ。市販されないのが残念だが、滋賀県福祉事業団か県庁の担当課に言えば譲ってもらえるのではないだろうか? |