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こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.5/25〜5/31 こぐれ日録642 2009年 5/25〜5/31 5/25(月) まだ、大学の「戒厳令」は解けないようで、こちらも、家でのんびり。 プラスアーツは、マイナスしゃっちょこばり。そんなことを考えながら、大阪へ。 ブランドの新書を読んだあと(ココ・シャネルの映画が9月ごろ日本でも公開されるようで、楽しみ)、いま、白川静さんについて書いてある新書を読み出した。 戒厳令(笑)下の大学。 文化政策研究センター事業などの打ち合わせ。 驚天動地から、KYO天Do地(域)へ。山科のまちかどの張られているバレエ教室のポスターがやけに気になっている私(http://kogure.exblog.jp/8302131/参照)。そういうお教室などとうまく共存しつつ、コンテンポラリーダンスを広めるのには、ダンスにおける「多様性と裾野広げ」からだろうな。 昨日見た短編映画のことを書き忘れた。ニコラ・フィリベール『クリストフ』1985年/28分、クリストフ・シリーズの一番初めのものだ。山の高さにくらくらした。続きを見てからちゃんと書こう。確かに、ごちゃごちゃしていて、フィリベールのドキュメント映画としては、雑な感じがするけれど、まあ、面白い。 夕方、三条木屋町へ。「After School 放課後の展覧会」。元立誠小学校。杉山準さんがオフィスにいたり、宮永甲太郎さんがいたり(彼から案内をいただいたのだった)。キレイになる前の明倫小を思い出したり、三重県の田舎の小学校でのアートづくりを思い出したりしつつ、じつに楽しく場内を回る(じつは、パティオにあったという天野萌作品を見損なっていた)。 いかにもガキのいたずらっていう趣向の花岡伸宏。こおろぎの鳴き声に驚く、そのちょっと上にめだかが泳ぐし・・・この前見たのびアニキをまず思い浮かべた。でも、通路の作品は大きくて、けっこうご飯が固まって「きもい」感じがいいね。現代アートぽい断面でもある。好対照の講堂は、佐川好弘の言葉の白い立体。無骨な感じ。アニメでも上れるのだそうだ。なんだか、笑いの混じる涙と汗(やっぱり笑)。 2階には、碓井ゆいの花の断片。花模様が散らばる世界。森田麻祐子のアニメーションを使った幽体離脱。ふと、横にあったオルガンをいつのまにか弾いていた自分(ごめんね)。ムラギしマナヴは手わざ多し。小学校の暗部が黒く沈む。図書室の選書にも結構ダークなものがあるんだなあ。増殖する悪意と底意って感じなのに、ちょっと憎めない遊び部分もある絵の連なり。 そして、宮永甲太郎のドロ窓。3つのうち2つはカーテンで隠れている。図書室の本がその棚からまったく姿をなくし、ただ、ほんとに少しだけ、床に蛇行して並び、でも、読めないように、白い粉が被っている。泥の濁りと粉の白さの対比かな。外に出ると、こんな壁になっていたかなあ、と古い明かりの向こうの壁へと近づく・・・ここが圧巻。遠くからの眺めとのギャップの大きさ、それにしても、よく並べたもの。そうか、宮永作品のキモの一つは、このギャップ、落差の大きさかも知れない。レンガと芝との対比だってそういう面があったわけだし。ドロ絵もそうだし。 3階は、和室にぴったりな、習字ぽい裏にある大きな平面の山口和也。笹倉洋平は4階(屋上か)への階段の上に大きな紙と線。木内貴志は、版画作品。でも、机が版木になったり、一筋縄ではない。木藤純子は、引き算の美学。閉まっているような内面。細くているのかいないのか分からないような女の子のことを思い出した。野田小学校3年生ごろの。 お腹がすいたので、なか卯。はいからうどんとミニかき揚げどんぶり。外国人比率がむやみと高く、7割ぐらいか。韓国人、中国人のそれぞれグループ、そして、白人の男前な若者二人。この二人、お箸でカレーを食べている。スプーンがあるよと言っても一人はかたくなにお箸で食べていた。まあ、いいけどさ。 で、アーバンギルドへ。オトノカケラ kakera-30「せ か い」。30回目だということで、なんだか、いい文章が配られている。夢美路(ゆみじ)丈旁(タケボーtake-bow)さんって、アトピーだったんだなあとか、おじいさんの遺骨もらっているのか、とか、ちょっと感慨。丈旁がバッハのチェンバロを流しつつ、音をいらっている。 全然普通に金魚のおもちゃが入っている大きなボールがあって、店の人が水を足しに来たなって思ったら、それは黒子沙菜恵さんだった。座ったところの前に若者グループが占拠して、背が無意味に高くしかも帽子をとらない男子たちだったりで、「うざい」なあと椅子を一段上に持っていて座っていると、ここで黒子さんがダンスをするので、と注意される。ごめんなさい、三國創さん(知らない人だったけれど、手持ちの明かりは下からの変容を促し、すごくよかった)。 はじまったのは、20:15ぐらいで終わったのは21時半すぎぐらい。ライブハウスっぽいところでのダンスとギター(ノイズ)って、今回はとりわけ客席の中を動き回る黒子さんのダンスも痙攣していて見ごたえ十分だった。 が、あえて問題点を指摘すると、まず、始まるのが遅いっていうのが、年寄りには難点。あと、この前ダンスを見たとき、とてもステージが前のお客さんにかぶってみづらかったこともあり、今回は、逆に至近距離で見ていたのでラッキーの限りなんだけれど、逆に、私が視線をさえぎることも多かったのかも知れず、このあたりが、課題だろうなと思う。 今日まで、お休み。 ホントになにもしない一日だったな。 消費者庁も内閣府の外局としてできるらしいし(それまでだって、内閣府の外局の庁だったのに、それぞれ環境省になり防衛省になって大きくなり、結局橋本行革って、徐々になし崩しは始まっていたが)、あの当時行われた省庁合併ってなんだったんだろう、という反省がまずほしいものだ。 松岡正剛『白川静 漢字の世界観』2008年、平凡社新書。 『字統 普及版』(平凡社、1994)p421 術・・・《行と朮に従う。行は十字路。・・・そこでは、古代の重要な儀礼や呪儀が行われた。朮は呪霊をもつ獣の形。この朮を用いる呪儀を術といい、行路の安全を祈る目的のものであろう。・・・・・道路は内外を通ずるところで、古代的な観念においては、異族邪霊と接触する最も危険の多いところであるから、道路における呪術は、極めて重要なものとされた。・・・》 近大へ。 そして、後半は、アーツマネジメントの基礎「と」、本質「ま(間)」、そして、実践の「つ」。 はじめに振り返りを兼ねて、自分にとってのアーツとは?を書いてもらったりしたので、非常勤講師控え室で、その結果をまとめる。ワードが2007バージョンだった・・・ 駅前で幸福実現党は実現します!というチラシをもらい、すこし、政治学の教材になるかなあと思ったりして、すごす。久しぶりに、ザ・ピーナッツの歌声を聞き、もう、何度聞いても、すごすぎると思う。短調の曲でも一瞬長調になったりするし、編曲でマリンバが背景に使われたり、1960年代前半の歌謡曲っていまからみてリッチだったんだなあと思う。 久しぶりに授業。 午後、明日の当日パンフの原稿ができたとEちゃん。120部印刷してはさみこみをもう一人の3回生としている。こんなに実践的な学習をもっと多くの学生がしたらどんなにいいのかなあと思うんだけど。資格取得とかクラブ活動とかの方がもっと大事なんだそうだ・・・いつものこと、仕方がない。 心斎橋へ。大阪ルイード。 とりわけ「タンポポのように」では、私もつい歌ってしまった。はじめてきく歌なのに・・・最近、とみに抑制が効かないな。 めくるめく紙芝居『ハニャマのハミューダ島物語Remix』本番である。 内容は、今回は写真にコメントを入れたので、それを参照してほしい。 なにせ、今回の公演、日時の決定が遅れてPRの予算も少なく、しかも新型インフルエンザ騒動もあったわりに、80名強が鑑賞していただいたようで、本当にありがたい。アンケートを読むと、それぞれのアーティストやスタッフのお知り合いなどが多く、これほど実力・人気とも充実している各ジャンルのアーティストに関わってもらっているメックってどれほど幸せか!と改めてつくづく思う。 内容も、どうだろう、障がいのある連中の伸び方はとても計測不可能なぐらいであり、もちろん、林加奈さん、HANA★JOSS(ハナジョス)さん、山下残さん、井上信太さんも、このめくるめく紙芝居を大いに楽しんでいただいている。残さんと信太さんは、本番はどちらかというと観客でもあり、演出批評家でもあるような両眼的観察をされていたようだ。 それにしても信太さんの装置はすごい。風船があんなことになって降って来るとは!あと、イカイカの原画的Tシャツを着ていたが、そこにも信太さん製作の赤い唇を貼ってみると実にいい。美術家が関わってくれることでどれほど実際の舞台装置づくりがスムーズにしかもステキに構築されることか!とつくづく。うちの1回生が来ていて(6/7を欠席するため)、名前とその作品(水鳥)を知っていた井上さんを生で見られて感激していたのも面白い話(2回生になったら、もちろんアーツマネジメントするよなあ、と期待と不安・・) 夕方、少し雨が降ってきたが(身体障害者センターの食堂でノンアルコールの打ち上げしたあと)、本番中は暑いぐらいで、いままでで一番いいコンディションでめくるめく紙芝居ができたと思う。第2部の音楽セッションもはじまって、これを改良する点はいろいろあるが、それだけ伸びしろが大きい。ダンスをフィーチャーした新しい計画(めっくの発展系でもあるし、子ども文化とも連動する予定)のことを少し話すと山下残さん、大いに乗り気だった。客席にもセレノさんや宮北さんの姿もあって、妄想が徐々に下界に下りてきつつある。 あと、卒業生が2名、しかも、まちかど寸劇は一緒に見たりしていたが(タフ4の移動する音楽が一番印象的だったということ)、紙芝居の方ははじめてみたというある公共ホールのスタッフをいましているNちゃんが来てくれたのにはびっくり。彼女とRちゃん、EちゃんとKちゃん(他大学2回生だけどもぐりのコグゼミみたいな感じもある)と、駅前の沖縄料理で2次会。タフ6をするときは、まぜてほしいとNちゃん。うれしいぜ! 以下、ランダムに今回のメック公演で気がついたこと。 1)MEKって、何かの頭文字だといままで思っていたと、KMさん。「めくるめく」の「めく」のU抜きなんだけど、これって誰が名づけたのだろう。めくるめくる、とどうしても言ってしまう話もあり。 2)前説を初体験のLちゃんにしてもらったのだが、当日パンフが「(会場の)空気をつくる」ものとすると、前説って、空気をつくるもののもう一つであるとともに、「(会場の)観る準備を促す」ものだと少し前説ミニレクをしてみた。前説をしてみると、この公演の背景や流れがよくつかめるので、とてもいい経験になる。ポイントを彼女にレクしたが、当日パンフに歌詞が載っているので、公演中、ぜひ一緒に歌ってください!と言ってもらうことをレクし忘れたのが私の反省点。 3)アンケートを打ち上げで一枚ずつ読む効果。アンケートをみんなで読みあった。声を出して。これは、面白かった。アンケートとは、「(公演)の次につなげる」ものだなあと思う。もちろん、いまの公演の反省材料であるし、あるときは、ファンドレイジングのためでもあるのだろうが。30枚ほど書いてもらっていたので、とてもいい回収率であったと思う。しかも、自由欄の記述もけっこうある。 4)アンケートを読むとき、どうしても何を言っているかわからないYYくん。でも、彼が読むのと同時に残さんが一緒に同時通訳のように読んでくれると、まず、その二重性が思わぬ効果を呼び、すごく多文化的だというのがとても面白い発見だった。しかも、そういうことを続けると、彼らの意味が分からない言葉が徐々に理解できるという副産物もありそうだ。最近、YSくんの方の言葉は随分分かりやすくなってきているけれど。 5)Aさんが、どうしてもゴリラのシーンで、でようって言われたけれど、太っている自分を人前にさらすのはいやだったし恥ずかしかったので、それをとても丁寧に反省していて、そのていねいさ、やさしさについ涙が出てしまった。はじめて親御さんも来られて、いつもとは違うAさんを発見したということ。障害者だから、優しいとか、そういう問題ではなく、本質的にすごく優しい集団がここにはある。 6)じつは、今回、Y兄弟の間では、YYくんの「甘えん坊卒業」決意をしていたそうで、だから、確かに、その決意は実行されたのである。だから、ゴリラのリハーサルで顎を打ったとき、縁側にこっそり逃げて、ずっと横になっていたのだ。甘えないこと。こちらも甘えん坊を演技的に面白くとらえてやっていたところがあり、それを次のステップは、本当ではなく、演技としての甘えん坊将軍(笑)として、再挑戦してほしいなとこっそり思った。他方、YSくんの方は、実際に目を打ったようで、本番、甘えん坊ではないハプニングにうまくステージは緊張し、温泉シーンでゆるんだりしていた。 7)忘れてしまっていることがいっぱいあった。イカがどうしてハニャマに登場したか?について。その大元が、じつは自分が着ていたTシャツだったのだ。これは、タフ3の「てのもの市」の売れ残りで主催者として購入したもの。 疲れ。もうお酒を飲むまいと思っている。すくなくとも今日は飲みたくない(笑)。 まあ、悔やんでも仕方がない。昨日のメック写真の整理、メック感想ブログなどの検索。 数日前に読んでいた新書:石井陽一『民営化で誰が得をするのか―国際比較で考える』平凡社新書、2007年。すこし前の本だけれど、ラテンアメリカの専門家だけあって、民営化を国際的な視線で冷静に考えることができる。アメリカのダブルスタンダードはどんな分野でも常に存在するなあ。 民営化の影の部分で一番気をつけなくてはいけないことの一つに、情報公開請求ができない(情報公開法の圏外にいってしまう)ことがある。→「公益的要素が強い以上、情報公開法を改正して、民営化会社も情報公開法の対象にするべきである。情報公開法の圏外に脱出し、分割で天下りの口も増えるといことであれば、民営化は官僚の思う壺である。」p201 P203-204 「止揚」(アウフヘーベン)という言葉、筆者さん(1930年生)のご年齢では当たり前の用語(弁証法の素養)だろうけれど、若い人にとっては、なじみがないかも。 |