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こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.11/16〜11/22
こぐれ日録667 2009年 11/16〜11/22
11/16(月)
事前に、インタビューされることが予想できることを書いておいたので、10時からの入学課が委託した方の質問の時間は短くてすんだ。以下、事前に書いたメモ。
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ゼミは一言でいえば、アーツマネジメントです。音楽や演劇ダンス、美術、映画、さまざまなアーツを体験しながら、一つの形としてまとめていくことが卒業までの過程となります。
アーツマネジメントとは、文化プロデュースの大切な手法であり、具体的な仕事の場でもあります。芸術を社会にどう伝えるのか、とりわけ、アーツが移動することで地域と地域がつながり、都市が都市としての驚きと未知に満ちた世界を生むことが希望です。
そのために、文化ホールに出かけて音楽祭を鑑賞することはもとより、からっぽの空間からどのようにして、イベントが出来る非日常的な空間が立ち上がるか、そういう、照明や音響、舞台美術などの体験もしてもらっています。
卒業生のうちでは、地域の文化ホールのスタッフになったり、冠婚葬祭スタッフで活躍したりしていたりしています。企業のなかでも、文化メセナの担当に応募して和菓子をどう伝えるか、いまチャレンジしていると聞いています。
これから文化プロデュースを学ぼうと思うみなさんは、アーツの鑑賞をまずはして欲しいのですが、そのためには、チラシを見たり、サイトを眺めるところからやってもらえばいいでしょう。
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10時から大学案内のインタビュー。入学課によっていたら、すでに研究室に待っておられた。
小物の撮影が今年もあるのだが、チンドン太鼓も取ったし、紙芝居の額縁もとったし、あんまり、新しいものがない。かえっこバザールで残ったおもちゃはいっぱいあるが、やっぱり、リサイクルなアートをしておかなくちゃなあ、被写体がなくて・・・
予め、作文しておいたため、ずいぶん短時間になったので、行政事件訴訟法と行政法の判例をコピー。でも、判例まで至らず。来週はお休みで、そのつぎは、すこし、公務員試験の問題を使って、行政行為のややこしいところを解きほぐすことにしよう。でも、よけいにややこしくなるような問題は避けなくちゃな。
3限目のゼミでは、演劇ビジナーズユニットを例にした、表現活動と青少年育成機関との関係についての卒研発表。まあ、そのためのブレーンストーミング。そして、日本映画と国際映画賞についての卒研準備発表。映画賞が日本映画に与える影響がテーマのようで、問題はどの時期に絞るのか、とか、どのあたりに焦点を当てるかだ。映画賞と都市集客政策という話だってできないわけではないのだが、このゼミ生さんは、映画が好きで映画をしたいわけで、だったら、まずは、受賞した映画という作品の日本作品と欧州作品を鑑賞を前提とした作品内在的な比較研究からではないかと話しておく。
文科省のHPに事業仕分けに対する国民の声を聞きたいというサイトができた。
副大臣や政務官あてにメールするのだそうだ。これは、確かに新しい。でも、文科省とその下にある文化庁という組織を応援したいわけではないので、政務官あてに出すとしても、内閣全体への意見という形にしたいなと文案を考える。
11/17(火)
事業仕分けについての意見を文科省の政務官に送った後(http://kogure.exblog.jp/9258000/)、午前中、東部文化会館の会議へ(京阪が送れて六地蔵からタクシー)。
第6回子ども文化フォーラム実行委員会。
今度は、子どもたちに様々な文化体験をしてもらう入り口づくり。
かえっこバザールはもとより、色んな遊び、ワークショップ、そして、参加型のお芝居・舞台美術鑑賞を考えている。
日付もほぼ決まった。2010年6月30日。ずいぶん先だが、かえっこバザールを新2回生ゼミでするので、けっこう大変な春になるのは変わらず。
楽しみは、アトリエ劇研さんと絡んでいく方向ですすんでいること。
山科音頭だって、子どもバージョン、しかも三田村管打団?さんに了解をいただければ、そのバージョンでおどりなおすことだってできるかも?とか思っている。まだ、話の段階だけれど。
楽しみ。
今日と明日は名古屋出張なので、珍しくネクタイ姿。
2回生ゼミは、東山青少年活動センターで「ヒガヒガシ」編集に関わった「ブライダル三人娘」たちによる、息が合った発表。なんだか、かわいい高校生の発表みたいでほのぼの。
そのあと、たまたまスーツ姿だったので、うそっこだが、ぼくがインターンシップの面接官であるというシチュエーションで面接の練習をそれぞれとしてみた。おお、この学生は建築デザインをしているのか、とか知らなかったことが分ったりもしつつ、声が小さい学生のために、腹式呼吸と発生練習もちょっとしたほうがいいかも知れないなとか思ったり。
来週で発表が終わるのだが、このまま、発表の仕方を練習させるのがいいなあと思っている。
もちろん、広く調査したあとテーマを絞って深めて追求していく研究姿勢とその研究をまとめる能力を高めることが一番なのだが、それは、3回生ゼミでがっつりして、まずは、どうそのアイテムを調べて浅くてもいいから発表して、みんなの反応を見るという経験をやりつつ、何を調べたら、質問に答えられるのかというコアになる体験を多くさせることなのかもなあと思った。
案としては、何らかのアーツカンパニー、芸術の○○派といわれているグループ、あるいはアーティストの中身を調べるとともに、それらをどのように紹介するかについてのアイディアを発表させるような課題を与えようかなと考え中。
(参考)
私が文科省の政務官に送ったメール
文化関係2−芸術家の国際交流等(芸術家の国際交流、伝統文化こども教室事業、学校への芸術家派遣、コミュニケーション教育拠点形成事業)
※資料は「午後の部10」3頁目以降が該当します。 午後の部10
午後の部11 芸術家の国際交流:予算要求の縮減
伝統文化子ども教室、学校への芸術家派遣、コミュニケーション教育拠点形成:国の事業として行わない
中川正春様 後藤斎様 nak-got@mext.go.jp
京都橘大学の教員で、文化政策やアーツマネジメント、地域芸術環境形成などを勉強している小暮宣雄と申します。
上記斜体の事業仕分け「文化関係2−芸術家の国際交流等(芸術家の国際交流、伝統文化こども教室事業、学校への芸術家派遣、コミュニケーション教育拠点形成事業)」について、一言コメントさせていただきます。
自らの視点をまず明らかにしておきますと、私は、地域の文化政策を推進することこそが、いまの様々な問題に直面するわが国日本の公共政策において必要不可欠の事項であり、NPO、市民こそがアーティストとともに日本のこれからの文化を創る大切な主体であるという立場に立脚しています。
その立場からすると、国(内閣)は、文化政策のなかで、国際的な仕事を専ら重視すべきであり、芸術家の国際交流については、外務省と調整しその重複は避けつつ、「芸術家の国際交流」事業は強化することを主張すべきだと考えます。その際、文化庁が主体ではなく、内閣府として、文科省と外務省の文化予算を移し変えることも一策と思います。
したがって、これは、「 芸術家の国際交流:予算要求の縮減」というような個別具体の事業レベルの対応ではなく、政策レベルの内閣としての判断を行う案件として扱うべきです。
また、「伝統文化子ども教室、学校への芸術家派遣、コミュニケーション教育拠点形成:国の事業として行わない」ということについては、別途、自治体への文化財源の移行、NPO関連の寄付等の税制改革が前提となるので、単に「国の事業として行わない」だけでは理解しかねます。
総務省とよく調整し、新しい地方交付税制度を構築するとともに、宝くじ財源などの見直しを行い、地域とNPOが文化活動を自由にできる基礎体力づくりを行うような地域文化主権、市民文化主導による文化政策を構築されるよう、提案いたします。
2009年11月17日 小暮宣雄
11/18(水)
推薦入試のお仕事で、名古屋駅のホテルで目覚める。
読書はあんまりすすまず。
でも、すこし関西を離れると新聞やテレビの中部地域情報が新鮮だ。
岐阜県が大型箱物ばかり作って、それが5年間も他地域よりもブレーキをかけるのが遅かったせいもあって、すごい公債費負担になっているということ。支出予算の20パーセントを占めるので、職員給与カットが大幅なものになりそうだという。
古田知事(確か通産省出身)が話すと、前の建設省出身の梶原前知事を思い出させるわけで、なんともはや。
帰って、あんまり仕事もせず、ぼんやりと、娘、はながポルトガルに無事到着したというメールを見たりしたぐらいで今日は終わり。
独立行政法人が持っているNPOなどへの助成金がどんどんなくなろうとしている。
天下り廃止や子どもに夢を与えるといいながら、自分たちの老後の安心安逸のためにできた組織や助成フレームはこの際廃止することはいいことだろうと思う。
でも、各地の、その助成金などで可能になってきた文化活動がなくなってしまうとなるとこれは本末転倒になる。
来年度は、国の助成金がカットされたもののなかで、自治体への移行案件はもとより、地域NPOが国やその外郭団体などに受けていた事項について、とりあえず、必要なものは自治体に移し変えるか、別の事業で存続できないか、という緊急対策がいるような気がしている。
そのための地方交付税や地方税源の拡充はどうしても必要になると思われるし、宝くじなどの財源の使い道も総務省外郭との関係をはずせば、より充実して地域主導の支援フレームができるように考えている。
11/19(木)
今日は、午後と夜に、長岡京と今出川で授業。
その合間に、全部は見られなかったが、映画『大忠臣蔵』(1957)を見る。
山科蟄居のところでも不覚にも涙・・・
それにしても、最近、読書量がずいぶん減った。
原武史『増補 皇居前広場』(ちくま学芸文庫、2007年)もまだ読みきれていない。
でも、空間政治学って演技空間政治論ともつながってじつに面白い。
たとえば、敗戦直後、アメリカ軍が闊歩する宮城前広場。アメリカ独立記念パレードが行われ、連合軍軍事パレードがあると思えば、メーデーや左翼の集会が盛大に行われる。
名前も皇居前と変わり、さて、人間天皇さんはどう立ち振る舞うか、この本ではとても不安だったと推測される。でも、大丈夫、退位しなくてもいいなあ、この喝采だったら・・・その安心感がある中でのおたち、でも、革命といえば、ギロチン!なんてふと頭をよぎらせたかは別として、その危機意識は何だかすごい。
そういう、特別の東京の空虚な中心点、その広場が覚えていることを聞いてみるって、とても面白い発想だと思う。以下、とびとびに引用:p138〜141
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○ 天皇と皇后が、戦後初めて宮城前広場に現れたのは、46年11月3日、新憲法である日本国憲法が公布された日であった。
○ (天皇陛下万歳の三唱など戦前と変わらないと書いた芦田均の日記の引用後)無論ここには、見過ごすことのできない戦前の儀礼との違いがある。天皇は大元帥服ではなく背広を着ているし、天皇が乗る台座はあっても、親閲式のような堅苦しい雰囲気はなく、人々が思い思いに天皇や皇后を迎えているからだ。しかも、芦田は記していないが、天皇と皇后が広場にいた時間は、たった一分間だけだった。
○ けれども、楽隊が君が代を演奏したり、首相が万歳を三唱するや、君が代や万歳の唱和が起こっていることに注目しないわけにはいかない。このとき、宮城前広場には、戦前と全く変わらない光景が現れたのである。
○ 天皇もまた、この光景を目のあたりにして、ほっと胸を撫で下ろしたに違いない。・・・天皇は「米国等への影響も宜しかりならん、又疾(と)くにああすれば好かつた」と話したという(『石橋湛山日記』上、みすず書房、2001年)。もっとも、たった一分しか広場に現れなかったことを踏まえれば、まだ天皇の革命に対する恐怖心は消えていなかったと察せられる。
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また、この本のあとがきで(p270)、2009年11月に天皇在位二十年を記念する式典が、再び十年のときと同じように皇居前広場で開かれるかどうかについて、書かれてあった。「もし開かれるとすれば、この広場は二十一世紀になっても、前世紀と同じ歴史を繰り返すことになる」とあるが、まさしく、今月、そういう「国民祭典」が繰り返されたわけだ。10年前と少しは違ったのかも知れないが、原武史さんはどう分析してはるのだろうか、知りたいなと思っている。
11/20(金)
ほんとうに、最近間違うこと、見失うこと、聞き違えることが多い。
今日もいくら間違ったのだろう。間違ったことすら忘れている。
間違ったことを間違い、間違っていないことを間違ったと間違ったりする。
でも、まあ、まちさがし的な授業も無事終わり(レポートの採点も終了!)、伊丹のAI・HALLで、演劇者が作るダンス(的ステージ)を観た。
チェルフィッチュ「クーラー」は、三度目。なんだか、懐かしい友人に出会う感じ。
何度もくすくす笑えるのは、古典落語に近づいているようにも思える。
動きがよりくねくねと大げさになったような、まあ、あんまり過去を覚えていないといえばそうだが。
いまでは、「23度強風」な設定クーラーはないかも知れない。日曜日のテレビの政治番組もすこし変わったような気もする。
ずっとまえ、唐崎の研修所でとても寒い設定をする先生がおられて研修生がよく話していたことを思い出す。
チェルフィッチュのDVD、買おうかどうか迷うが、授業用に使えるとはちょっと思えないし、研究費、すこし残高が心配なので、やめる。
後半は、teuto「ソーグー」。きょうは全部がチェルフィッチュで、ソーグーという未見の演目が見られると思っていたら、また間違っていて、違う人のものだった。
でも、始まる数分と終わる数分、舞台の奥があいて、通りを通る人たち、自転車たちが見えたときは、なかなか面白かった。逆に言えばしまると、それほど興味をそそられることは全くなく、でも、最近スピード上げた自転車が怖いなあと思っていて、そういうことを、帰り伊丹駅でも遭遇して、そういうことで、遭遇なのかな、とは思った。
11/21(土)
第4回「伝統は新しい」(最後)、
『自然倍音によるホーミーとインドの音階』。
倍音をなくそうなくそうとするのが、歌でいえばベルカントの歌い方。どうして、倍音が邪魔かというと、ハーモニー合唱をするためなのだとまず中川博志(Hiros)さん
C.A.P.の海側、CULAB Q2へ。C.A.P.メンバーやホーミーなど倍音フェチな人びと、そして、民族音楽大好きの集まり(島根県のやくもだったか、そういう音楽祭の関係者なども)。さらに、木下智恵子さんたちもいた・・・なにか、神戸ビエンナーレの関連かどうか分からないが、そういうツアーの人たちもいたみたい。かなりの人たち。
はじめは、ホントに楽しみにしていて、得るところの多かったホーミーミニワークショップ(舌の使い方や、口のリラックス、そして、嘔吐みたいな喉からの声の出し方)。一人、若い男性があのかわいい口笛のような倍音を出していて、すごく羨ましい(もちろん、嫉妬とかではなく、いつか自分もという気持ちになる)。
岡林立哉さん。名古屋出身で京都在住ということ。
馬頭琴も伝統的な皮と弦。モンゴルの話もあって、地図で位置関係を見る。いま、渤海が気になっているのだけれど、その奥へもいつか行ってみたい気持ち。でも、寒いだろうなあ。ユーミンがだめにした村の話もまた一興なり。
ホーミーでない、モンゴルの民謡もまたいい感じ。
そのあと、Hiros(バーンスリー)と田中りこ(タブラー)の演奏。モンゴルの民謡にBbが付け加えられた音階で演奏されたので、日本とモンゴルとインドが緩やかにつながっていく。さいきん、中川さんの演奏を聞いていて、30分弱ぐらいだと短いなあ、やっぱり1時間ぐらいあるのがインド音楽だなあと思えるようになってくる。
これは、ガムラン演奏でも同じで、はじまりと終わりがスパッと切れたりしないで、あれ、はじまったよなあ、あれ、おわったのか、という感じに思えたときに、ようやく、そこで、アジアの息吹きと触れ合えたと実感できるからだ、この西洋近代化の残骸ばかりの現代の日本においてはとりわけ。
時間は前後するが、午後、サウンド・オブ・ミュージックを使ったアーツ(鑑賞)演習が無事おわり(やはり、すこし時間がオーバーしてしまったな)、神戸で出かける前、少しの時間を使って24日のゼミに配る資料を作った。以下、その文案。
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アーツマネージャーみたいなことをしてみよう(練習)
2009.11.24 こぐれゼミ(2回生)
うそっこで、アーティスト(アーツカンパニーやアーティストのグループを含みます。以下同じ)を自分で選び、自分がそのアーティストをマネジメントすると仮定して、以下の点をノートに記述し、一人ずつ発表してもらいます。
ただし、関西のアーティストなどで、社会に紹介したいこれからのアーティスト。だから、超メジャーなタレントさんなどは除き、オリジナルな表現を行っている人を選ぶこと。複数でもいいしジャンルも実演芸術、視覚芸術などは問いません。だから、映画監督とか、工芸作家なども可。
1)アーティスト名とアーツ分野(ジャンル)
2)プロフィール1(出生から学歴、アーツシーンへの登場など、プロフィール2以前の経歴)
3)プロフィール2(最近の活躍歴。かなり具体的に)
4)アーティストの表現作品の特徴、キャッチフレーズ
5)アーティストの社会的な関わりスタンス、実績や社会とのつながりの可能性について
6)山科はじめ京都市内のどこかで公演・展示あるいはワークショップなどを行うための企画案。 アーツプレースについては、常設・仮設・まちつかいのいずれでもいい。
7)その他(質問された時答える事項など) 例えば、資金調達や鑑賞者開発など
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11/22(日)
お寺deアート@西教寺&A級MissingLink『無神論者は幽霊を見ない』@ウイングフィールドの日曜日。
アーツ自体がどちらも充実していたし、雨が午後から降ってきたが、それまでは、京阪坂本(ここにもアウトリーチされた作品や初日の写真がはってあってなかなかすばやい)から西教寺までの程よい散歩もあって、ご機嫌だった。写真もいっぱい。残念だったのは、京阪電車の唇が見られなかったこととちょっと見落とした作品(古川さんの作品は奥だったが見つけられたけれど)があったことぐらいかな。
お寺での美術展はそんなに京都では珍しいものではないが、参加型がここは徹底していることと、パフォーマンスがどことなく身近な感じ(かつときおりちらりと鋭さ)なので、観光で来られた方が抵抗なく楽しみやすいのではないかなあと感じる。
特に気に入ったのは、羊の毛のワークショップ。秋深くなりほかほかと気持ちよく(羊専門の手芸屋さんがあるのだそうだ)何度もさせていただき、ちょっと、子どもさんなどに仕方を伝えたり店番もした。
ここのお墓はとても歴史を感じさせてくれて、眺めもよくかなり長居をしたし、京阪バスご一行様に説明されているお坊さんのお話や開帳されている仏像を眺めたりした。詳しいことは省略。 とりあえずは、写真で見てください。→http://kogure.exblog.jp/9290785/
こちらにもステキな写真あり→◎
A級MissingLink『無神論者は幽霊は見ない』@ウイングフィールド(作・演出:土橋淳志)。
実は、18時から開始のお芝居まで時間がけっこうあって、親子丼を食べてから読書したり、普通で大阪まで言ったり、大丸の本館の方の内装に見とれたりして時間調整。
2時間のお芝居だったが、もう少し、ちりばめられたばらばらの時間と人間関係がぐっと収束するような場面がこれから続くのかなと思わせる終わり方で、2時間もたっていたのに、退屈もせず、ほろりとさせられるのは、無人になった炭鉱の島(たぶん架空)の歴史をきちんと構築しているからだろうし、私がそういう時代を知っていて地域の社会問題に関心があるからだろう。
あと、職場の草野球大会がある男の方の主人公(群像だがなんとなく彼が中心の一人に見えた)が、ずっと素振りをしていて、それをコーチする二人がまるで別々だったりするところなども、1970年代ぽい青春ドラマの欠片をうまく拾っている。
前に見たときも映画作りの舞台裏の話だった(その前に見たときは地域通貨のものがたりで割とシンプルだったようなぼんやりとした記憶)が、今回もお芝居のお芝居部分が入っていて時間軸も過去に行ったり現在に来たりするので、最後まで複雑で難解かもなあ・・・というのが見始めた印象であった。
でも、恋愛とか家族問題、恋愛に近いおじさんと耳エステの若い女性の出来事とかがありつつ(こういう話は身につまされる)、社会的な問題や死に遭遇した人たちがどう生き直すのか、新新宗教のこと、ゴースト星人になるという演技(たぶん)をすることで、演劇を続けさせようとする女性主人公の魅力づけなどなど、作る過程を公開したことによって、より親しめる構造になったのかも知れない。
これからも、あんまりベタになるのをどう避けつつ、このような路線(社会派にエンタテインメント要素を加味した感じ:ちょっと太陽族を想起される風味かな?)を続けるのかどうか。かなり気になる劇団だと改めて思った。
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