こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.11/23〜11/29


こぐれ日録668 2009年 11/23〜11/29

11/23(月)

新嘗祭(天皇さんや伊勢神宮の行事)なので、ハッピーマンデーではない固定の祝日。
でも、大学は半期15回クリアのために授業。でも、浜松でアウトサイダーライブ研究会。
そのために、行政法の学外授業を作ったりばたばたした。
研究会を公開していたのかどうか分からないが、まあ、面白い場所だった、たけし文化センターは。でも行ったことがないが、たとえば岡山市において、自由工場のような先駆的事例があるし、同じく岡山市で、このたけぶんに似たような空きビルで大森さんらの主催でトークショーに出たこともある。

ただ、議論がかみ合わないので、消耗することが多い。劇場やホールで行われるパフォーミングアーツには興味がないのか、それは、健常者のもので、つまらないと思っているのかなあと思ったり、「パブリック」という言葉になんかものすごくネガティブに反応したり、よく分からないところ。

ひょっとしたら、「文化センター」というのは韜晦なギャグということなのか、それほどに、公共とかパブリックということには大きな異議申し立てと抵抗する人がここにはいらっしゃる。それでも国や県の事業をされたりもしているのが不思議といえば不思議。学校現場の成果発表会についての見解などはすべて実に同意しているのに、劇場とかステージとかにはものすごいアレルギーがあるなあ。ステージというのは、ステージに上げらされてしまう、というステレオタイプがあるみたいだ。

翌日、すこし二日酔いの頭ながら、すこし冷静になって、以下のようなつぶやきをツイッターでしておく。

◎ 今日(24日)、少し冷静になって、ハードウェアとして出来上がった劇場はパブリックの場なのかどうか、あるいは、パブリック度数はどれぐらいなのか、あれこれいま 考えています。 ピアノの発表会に使われたときの自治体ホールと、有料でコンサートが催された場合、それが貸し館であるときと自主事業の場合・・

◎ 他方、オールタナティブスペースはどれほどパブリックか。CAPのそれぞれの制作室とロビー、ギャラリーのパブリック濃度を考える。あるいは、NPO法人 と任意の集まりとの比較。パブリックとコモンが公共という言葉には合わさっているはずなのにそうでないことによるカタカタ使いの弊害のこと。

◎ 科学の場合は、パブリック性がかなり明確なのに対して、アーツはそもそも頼まれもしないのにアーティストなどが一見楽しげに(実は苦吟していることが多いとしても)創る、創ろうしているわけで、それを展覧したり公開することに、どれほどのパブリック性があるのかというそもそもの疑問に答えるため。

◎ 健常者の表現を扱う劇場では、障害者の表現は出来ない(させたくない)という意見。経験知としての発言だけに、反論するよりも、どうしたら、いいのかを考 えるべきだったなあ・・・物理的な障害をホールは除けても、鑑賞者のステレオタイプ化した視線が邪魔をしているということだったわけだな。

◎ 昨日、ある市の芸術文化ホールが財政上からほぼ貸し館になってしまう案が出されているという話を聞きました。交付税で文化分を需要額に計上するとか宝くじ の配分とかで、何か文化予算カットを防ぐすべはないのだろうか。事業仕分けで国の文化予算が減らされそうなご時勢だからこそ。


11/24(火)

もうすぐ師走。
朝帰り。
2回生ゼミのみ。再来週から、最後の発表会に。アーティストマネジメントの初歩の初歩。
3回生で、コンソーシアムに発表する学生のパワポを見る。

卒業生が指定管理者として、古い邸宅と格闘していると聞いていたが、無事オープンしたということで案内が送られてきていた。
「建築家吉田五十八氏の設計で、和洋折衷の母屋には和室と庭園を一体化する広い窓、公私の空間の巧みな分離など数々の工夫が施されている。」静岡新聞

日曜日に買った西教寺の真盛豆も、柚子味噌もどちらも美味。
滋賀って、あんまり美味しいなとか思わないこともたびたびあったが、考えを変えなくちゃなあ。


11/25(水)

1限目の授業。
糸賀一雄記念賞音楽祭鑑賞費の一部助成金を学生たちに渡す。そのかわりといってはなんだが、そのレポートを回収。
なかなかよく書けている。
続いて、U先生の授業があるようで、ここでもレポート。あとでU先生が今頃に提出させる方はいないと思っていましたといわれる。中間レポートをいつもやってきたが、来年度からは、いまの大阪成蹊大学芸術学部でやっているような方式にしょうかと思っている。

出席してそのときにちゃんと聞いてリスポンスするという真剣勝負の授業。休んだら、その代わりを出すことで15本で最低限クリア制度。おお、これって、大相撲と同じだな。星取表でも作ると面白いかも。でも、人数が増えると大変になりそうか。いまは長岡京では20名弱なので、個別管理できているけど。

【授業の一部】
イベントのレイア(層的)分類・・・人生(親密圏)イベント、組織(学校、施設、職場)イベント、地域(コモン圏)イベント、公共圏イベント・・・ホントは国家イベントとかグローバリズムイベントとかもあったが、略。

イベントの仕掛け側分類・・・企業(産業界)イベント、マスメディアイベント、行政イベント、政治イベント、宗教イベント、市民(運動、NPO)イベント。
・・・・
昼休みに、都市環境デザイン学科の会議。O先生の来年度復帰が決まって、ゼミも全部持つ(2,3,4)ということを確認する。でも、フィールドワークはゼミではしないで、臨地まちづくり研究会が独自にすることに留意。
1回生や2回生には、まず、教務掲示板にスケジュールが出る予定。いまの2回生は、12/1のゼミで来年度3回生ゼミの申請用紙配布。今週中に、掲示板に担当先生の名前があがるので、チェックするようにメールしなくちゃ。

大学評議会、学部教授会。11年度の語学関係のあり方。日本語表現は演劇を取り入れたらコミュニケーション能力アップになると力説して、いま、京都でも平田オリザさん関係などで、演劇人でコミュニケーションワークショップリーダーがかなり養成されているしそういう場を提供するという大学の先進性が評価されるはずといっておく。なかなかいまのご時勢では予算的に無理かも知れないが、うちも静かな政権交代が次年度からある(青木圭介教授が、来年度から学長へ)ので、ちょっとだけ期待。

18時から生協理事会。京色パステルの販売についてはこれから折衝するということ。
八ツ橋入りドラ焼きのオリジナル商品は大好評なので、今度はチョコレートだそうだ。文具も動きそうだし、面白くなるかも、オリジナルブランド商品づくりも。
書籍の還元セールは行えそうだ。研究費がなくならないうちに初めてもらおう。
ある大学で生協が資金を提供して奨学金を拡充したという話。なにかうちでも生協奨学金みたいなことができないものか、という話も出た。色々検討できればいいが、課題も多そうだ。でも、生協は前向きな話が多いのがステキ。


11/26(木)

あさ、生協の関係のあいさつ文づくり。
そのあと、長岡京。大阪成蹊大学芸術学部のキャンパスを歩くと、紅葉を写真に撮っている姿あり。
Space Bにて、大成蹊展vol.1 Return to Origin。石田真也、戸田真人、吉田雷太。若い男性アーティストらしい賑やかさに満ちた空間。
とくに、祭壇とか紙の縫い合わせによる孔雀とかのインスタレーションが、自分の関心事との関係もあって目を引く。石田真也さんに案内してもらう(いま調べると、sowakaなどで発表している:http://www.sowaka.co.jp/clip/4-3/index.html)。
今日は、文化芸術振興基本法を枕に、落語(第11条)と公民館(文化会館)。

同志社大学が大学祭のようなので、夜はお休み。よって、通学バスに飛び乗って、紅葉が最高のアサヒビール大山崎山荘美術館へ。紅葉めぐりツアーの団体客さんなどでにぎやか。
須田悦弘の睡蓮や葉っぱ木彫は懐かしく、伊藤存の刺繍を使った風景作品や粘土みたいなものと工芸小品を使った箱庭風インスタレーションは、風景を見てまたその作品に接したりしているうちに、はまっていく。
『睡蓮池のほとりにて―モネと須田悦弘、伊藤存』。伊藤存「人くらいの魚」が池前展示室の右手奥、立ち入り禁止の白い廊下のようなところに掛かっているのだが、それを一度目に見回したときは見落としていた。一番、分かりやすい作品が一番わかりづらいところに置いてあったりと、いろいろ展示することの面白さにも満ちた展覧会。500円のカタログがまたステキすぎる、とりわけ、その文章(詩的な紹介文)。

アートコンプレックス1928での公演はちょっと体調的に無理そうなので、行かず。またまたごめんなさい。

朝、書いた原稿: ・・・・
「まるまるたちばな2010」理事長挨拶
 生協へようこそ。たちばなといえば、正門の横には橘の木があり、ふと気がつけば丸い実がついていました。みなさんは、橘の実って見たことありますか。柑橘(かんきつ)類という言葉の「橘」で、昔から長寿の宝として大切にされてきました。でも実物はとても小さくて可愛い実です。近くの無人野菜販売所にある柚子と比べてもずっと小さく、なにやら古代の味がします。

 また橘の実がある京都橘の生協は、ここ京都市山科区という場所や暮らし、産業とのつながりも大切にしています。クリスタルカフェでは100円朝食をしていますが、山科の地場で採れた野菜も出ますし、地元のお漬物が提供されることがあります。マンダリンカフェのカップが清水焼だったりもします。幻の京野菜である山科なすも、いつかもっと多く採るようになれば、普通に食べられる日が来るかも知れません。

 みなさんもぜひ、自分が好きな「たちばな」を丸ごと味わっていってくださいね。(京都橘学園生協理事長 小暮宣雄)

帰るともう一つ、あいさつ文の依頼。こちらは、部分修正のみにしてもらおう。
・・・・
【大学×生協=∞  たちばな的ライフスタイルへ】
新入生のみなさん。こんにちは。
わくわくしているみなさんのことを思うと、こちらもまた新鮮な気持ちになり、元気のおすそ分けをしてもらうような気持ちになります。

ところで、みなさんは、知らず知らずに、もうたちばなの生協の扉を開けていただいたかなと思います。書籍のコーナーで京都のまち歩き雑誌をパラパラめくりませんでした?コンビニみたいなところでパンを買いませんでした?そう、そこがすべて生協なんですよ。

もちろん、知らないことだってまだまだありますよ。100円で元気な朝を迎えられるクリスタルカフェ朝食、食堂のおでんコーナーはいつしかパフェコーナーに変身・・・

ところで、生協は、どこが町のコンビニやファミレス、書店と違うのでしょうか?まず、本やCDは組合員のために割引をしています。時には親睦を深めるためもあって、ケーキバイキングとかくじ引きなんかもします。2階の食堂では、地元の野菜を使ったりして、メンバーの身体に必要な大切な食事を安全でおいしく提供するように努めています。また、大学生活はいいときばかりではないので、ケガや病気で困ったときに備える共済制度などもあります。

さらに、生協の各種物販やサービスの内容を改善するために、みなさんの声を聞き、楽しい企画とか、有意義なサークル活動に参加してもらえるようにしています。逆に言うと、みなさんの積極的なかかわりがないと、生協自体が魅力的でなくなるのです。

さあ、まず生協のことを知りメンバーになっていただくとともに、さっそく、活動に参加しましょう。参加すればするほど、大学と生協が交じり合ってどんどん快適になることをうけあい。大学生活を豊かにするため、どんどん生協を活用する、これがたちばな的ライフスタイルなのです。
・・・・


11/27(金)

今日も、夜、ライブ行こうかなと少し前までは思っていたが、このまま、あと印刷とかして帰ろうかなという体力のなさである。
まあ、朝がどんどん早くなって今日も4時すぎに起きて、ツイッターしたりしていたわけで、加齢でますます、朝型人間化している。黄昏時には妖怪になってしまうかもなあ。

1限目の神道論。予想以上にみんな知らなくて、神仏習合とかの話をするまえに、神社にはお坊さんはいないのよ、とか基本的なところの知識差が多くて、100人以上の授業はなかなかに焦点が定まらないもの。一つ、あとで調べようと思ったのは、「シャーマニズム」の話をしていて、シャーマンが実在していた(いまも少しはいらっしゃる)ことを知ってびっくりしたという感想群で、どうもマンガなどでシャーマンが活躍しているかも知れないこと。確かにシャーマンはアニミズムよりもアニメなどになりやすいだろう・・

2限目の政治学概論は自民党政調とか族議員とか国対政治とかの話でかなり面白かったようだ。自民党政治がベースだが、今の民主党政治が何を変えようとしているのか、そのネックは何なのかが逆に浮かび上がるからなのかも知れない。たとえば、こんな出席票のコメント:
・・・・
今日の講義で、政治家・官僚・業界利益団体は持ちつ持たれつの関係があり、ある意味合理的な役割を話しているように思いました。しかし、この関係性は狭い範囲の視野にとどまっており、国民全体的な利益に必ずしも繋がらない状況は問題だったのだと分かりました。

 民主党が政権を執り、自民党時代からの関係を断ち切って、また地方の陳情の透明化がこれからどのような効果をもたらすかを見て行きたいと思います。

 「国対政治」の実態・考え方も面白かったです。主戦場である国会ではなく、場外の場所で、時には接待や贈与などで妥協を勝ち取ることもあったのかも知れないという話は興味深かったです。しかも、野党のみのメリットだけではなく、与党議員にも官僚に対しての優位性が、そのような非合理的な「場外乱闘」によって保たれていることは、上手な機能だったのかも知れないと逆に感心したりもしました。・・・・

以下、ツイッターに書いたつぶやき:

◎ 都市デザイン論(1回生中心だが一応専門科目)という授業のあと一般教養的科目の政治学概論を続けてするというとてつもない金曜日ももう10回目になった。政治学概論を始めようとすると、突然「円高」って教えてくださいとある文学部の学生から言われて、円高とデフレの基本的な話を即興でした。

◎ さいきん、これをふくむタフシリーズの資料散逸を何とかできないかと思っているところ。動画資料もどこかに行ったままだし・・・いま、探しているのは、山科音頭の振付の紙。楽譜はチンドン音楽に編曲したり、ジャズ化してもらったりしてあるのですが、振付が書いた紙が。。

◎ いま、中学校の音楽の先生から電話あり。チンドン太鼓の作り方について。どこで買うのかとか。いえ、みんな自分たちで作るのですというとびっくりされていた。月曜日に来られるということ。

◎ 電話された方は、ちんどん隊を作って、退職後、色々活動したいということで探したが、どうしていいか分からず諦めかけていたら、私のサイトに出会ったとおっしゃっていた。これかな? http://www.bunkanken.com/journal/article.php?id=205


11/28(土)

宮崎信恵監督『あした天気になる?』(ドキュメンタリー映画)高槻現代劇場市民会館402集会室へ。
知り合いに偶然声をかけられたのだが、映画を見て、福岡県鞍手町の知的障がい者入所厚生施設「サンガーデン鞍手」や「ゆたかの里」が描かれていたので、納得。3回の上演の午前中の部はその知り合いさんのほか、障がい者グループがいっぱいだった模様。

13時から14時半。上映時間は85分。ナレーションがすこし多すぎるところがすこし気になるが、音楽療法の場面があったり、言葉ではなく表情や行動でコミュニケーションしようとしているスタッフの姿がとても参考になった。絵画も工場での作業も不用品の収集もまるごとの日常を捉えている。
靴に砂を入れて、それを出して遊んでいる姿などは、理想的なアウトアサイダーライブの原型。草取りの大場さんのきちんとスケジュール化された動きは、そのまま、振り付けとしてのダンスそのものである。

いちばんステキなのは、すぐには行動したり働けなくても、そのままほっといて少しずつ変わることを見守っている環境だ。「発達」という言葉にはいまだ違和感は私にはあるが、でも、いろんな発達があれば、発達障がいという物差しだって相対化されることを教えてくれる。

ナレーションなどで知的障がいと自閉症をまとめて発達障がいというと説明があって、最近はそういう説明なのかな?とは思ったが、これも相対的な話なのだろう。表れてくるのは行動障がい。で、そのとき、周りの環境が行動障がいを引き起こしていると考えることの大切さは、アフォーダンス理論に通じる。

そのあとのトークで、映画に登場するある親が「障がい者がいい暮らしをしていると受け取られるのが怖い」といっていたという監督の言葉が痛く胸に刻まれる。滋賀サングループ事件弁護団長田中幹夫さんが、糸賀一雄記念賞がなくなることに言及されていて、関係者(音楽祭の方だけだけど)として、こちらも胸が痛い。

でも、二人の自閉症的なアーティストの演奏と歌、踊りには目を見張った。
まず、ギターの布施和生の桜の演奏。これは、上手だなあ、でも独特の間はあった。で、彼が作った「ねえ、お母さん あのね」。これは、フォークソングの原点(肉声と自然体、非営業)でしかも、彼ならでは。歌詞が詩的に跳躍する。
そのあと、下嶋千佳。高校生。自分で衣装も作って振り付けして動き歌う。注目したのはその動き。気がついたらいっぱい泣いていた(はなが幼稚園の運動会で一番前で踊っている風景までがフラッシュバックされてしまって)。

帰って、妻と、フランソワ・トリュフォー『家庭』(1970年、94分)。もし、これだけみたら、どこがヌーベル・バーグなのかな?と思われそうなぐらい肩の力が抜けた喜劇的作品。下町づかいとか、フランス大衆映画のパッチワーク。ふと、ゴダール:トリュフォー≒ピカソ:ブラックという式を思いついた。

でも、主人公のドワネル(ジャン=ピエール・レオー)が、道とかで出会う背の高い知人?がお金を無心して、平気に貸してしまう繰り返し(最後などは違うことにはなるが)など、不条理というか、不可思議な部分も少しはある。日本でも、70年代というと学生運動の波がひいて、ニューファミリーとかそういう消費生活に行くのだが、同じ流れなのかも知れない。
この映画、もちろん、日本人のファッションモデルが演じる、フランス人から見た外国にする日本人女性のイメージが出ていて、それについての「異文化」論にも使える素材ではある。

朝、溝口健二『元禄忠臣蔵』(前篇1941年112分、後篇1942年107分)を見終わる。長廻しカメラ、とくに、遠くから眺めることで、どんな葛藤も静かな諦観のなかに埋没する技に見とれる。しかし、真珠湾攻撃前後において、おういう、すでに切腹の美学を主題とした映画を作っている日本という文化を理解しあうというのは、なかなかに大変かも。
GHQが、忠臣蔵を解禁しなかったのは、あだ討ちと自害の武士道美学とともに、この映画の皇室賛美もまた影響したのかも知れない。

これで、忠臣蔵の映画は3本目。
大曽根辰保監督『大忠臣蔵』(1957年、155分)を中心に授業しようと思っていて、理由は、時間が短いことと、山科閑居の段という歌舞伎にある仮名手本忠臣蔵に忠実なシーンがあるので、歌舞伎との比較がそこでできるから。たまたま、1954年の同じ監督の大忠臣蔵を購入してしまったので、これは、まあ、冒頭あたりを使って、いかに溝口と違うかを比較するぐらいの使用。

たまたま松竹ばっかり買ってしまったので、大映などの会社の忠臣蔵も見なくちゃ!とは思っている。


11/29(日)

昨日は、3本映画を見た土曜日。
思いがけず、発達しょうがいの若者の歌も聞いて、充実していたな。

あと、とても面白い戯曲を読んだのだった。中瀬宏之『これから』:赤い猫第3号。
明治43年の4月の日曜日、東京、神田神保町が舞台。
岸田國男の舞台がまず目に浮かぶ。でも、「それから」他、夏目漱石の小説群が意図的に活用されている。
ソクラテスの妻・・というのも面白い。
喜劇風で、階層が異なる女性(京都小劇場界では、大熊ねこさんが想定されているが、日本映画界では加東大介が想定されるので、その場合は男性)が入っていて、あとは、中流階層で知識人的人たちの会話劇。

すぐにも上演してほしいぐらいだけれど、時間的にはすこし短いかなあ?とか思った。そういう意味でも、端正な岸田國男的な味わい。

大学に行って、午前中、雑務。14時から16時すぎまで、大学院の説明会。
そこで、(財)地域創造の助成を受けるとつけさせられる宝くじのマーク、何とかできないんですか?といわれてしまう。私が芸術環境部長だったときまではずっと拒否していたんだけれど(言葉だけですませる)、と弁解したが、どうして、おかしいと助成を受ける側だってみんなで団結して言えないのだろう。まあ、それだけでも、宝くじのお金を文化政策に使う資格がこの財団にもないっていう証拠かも知れないが。

帰り、岩本ナオ『雨無村役場産業課兼観光係』第2巻を読む。なかなか面白い。むらおこしイベントと産地づくりのお話。お芝居のことなども絡む。でも、「産業課兼観光係」ってどういうことなのだろう。産業課「工業振興係兼観光係」とかだったら分かるんだけど。あと、条例のことを条令って書いてあったりする。なお、第1巻がどこかにはあるのだろうが見つからず。


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