こぐれ日録 KOGURE Diary 2009.11/9〜11/15


こぐれ日録666 2009年 11/9〜11/15

11/9(月)

どうも、乗りうち授業になっている毎日である。
今日も、ゼミで発表がない場合を想定して、論文をコピーし、行政法の予習をゼミの前にしたり、景観法や京都の眺望景観条例の抜粋、情報公開法や個人情報法をコピーしている。
3回生ゼミでは、就職活動関係の話し合いが後半行われる。
一人のゼミ生の卒論のテーマを考えあぐねて、行政法へとあわてて移る。
今日は、行政の事前手続法制。これは、私にとって新しいものだし、法学理論としてはどこかまだふわふわしている。

あさ、舞鶴でのアートNPOリンクでのおじさんの発言から、ストリップ劇場の現状やら文化資源性などをちょっと調べたり、ツイッターでつぶやいたりして、時間がないときに限って意外と反響があって面白がったりする。

大澤寅雄さんのブログ、"http://toraodoc.blogspot.com/2009/11/blog-post_08.html"「舞鶴のおじさん」より引用:
・・・
その土曜の夜、「踊りに行くぜ!!」というコンテンポラリーダンスの公演がありました。舞鶴のおじさんも、観に来てくれました。
・・・・
公演が終わって、・・・おじさんは、最前列の真ん中に座って、出演者の話のあとに早速マイクを持って話し始めました。「わたしは、芸術というのは、夢とか希望をくれるもんやと思っとるんです。でも、さっき見たダンスは、どこにも希望は見えんかった。どっかに希望はあったんですか?あんたたちにとって芸術て何なんですか?」と出演者に問いかけました。
・・・・
・・・おじさんは、おじさんの問いについて、全国各地から集まったアート関係者と語り合ったわけです。「あんなもん観るんやったらストリップの方がマシや」とか「芸術家が自己満足でやってんのは構へんけど、金取って見せんのは違うんちゃうか」とか言いながら、それについて話をするために、全国のアート関係者が集まる場所に足を運んで、マイクを持って語っていたわけです。
・・・・

これを読んだあと、ストリップ劇場がずいぶん衰退している現状(とりわけ温泉街)のことを思った。
コンテンポラリーダンスはもとより、舞鶴のおじさんがそれよりはましだと思っているストリップも劇場ではなかなか見られないということはどう考えたらいいのか。一つの風俗として、記録のなかにあるのでいいのかどうか。

また、別に、東京ディズニーリゾートの宣伝に「夢がかなう場所」とかいうコピーがあって、それって、ディズニーランド(シー?)に行くという「夢」はお金と時間があれば叶えてもらえるのだろうが、そういう「夢」や希望が私のように、はなからない人はどうなるのだろう(そんな夢と無関係な場所にはいかないだけだろうが)と思ったことを思い出した。

あるいは、ディズニー消費以外の夢は、そこで叶うのだろうか(いや叶わない)、という、夢をその間だけ見られればいいというせつな論的解答を想定しつつも思ったわけで、結局、叶えられていくのは、ディズニーの経営者やそれで利益を得られる人たち、このコピーを書いた人たち広告会社などの操作側の人たちなのだろうと何の変哲もないことも思った。

で、この舞鶴のおじさんは、「芸術というのは、夢とか希望をくれるもんや」という。
では、彼のいう夢は、くれるもので自分にはないものなのか、それとも自分の夢をくれるというのか。
同じように、この場合、希望とは他所からくるものか、それとも、自分の中に沸き起こるものをいっているのか。

つまり、ディズニーという場所は、本当に夢や希望と関係がある場所なのか、と問う作業が芸術だと答えるのが、とりあえずのこの舞鶴のおじさんへの答えかもしれない。

芸術は、夢や希望と、ディズニーのような関係(=他者の操作による夢見心地、瞬間的希望感覚)を持つものなのか(いやそうではないはずだ)という問いからの出発だった、と。

他方、芸術は、ストリップ劇場とはまるで別物なのかどうか。
ストリップは、ひょっとすると、他者が与える夢や希望をストリップ=はがしていくという側面があるのではないか。

少なくとも、芸術が世界からなくなり、ディズニーランドかストリップ劇場か、どちらかだけしか存在できないとなったときに、後者が選ばれるような世界に生きていたいと私は心より思う者である。覧会でもあった。


11/10(火)

今日は、2回生ゼミだけなので、すこしのんびり。
明日も、この前の映画の続きと、小西さん@創生ホールの音楽コンサート実践資料が準備されている。

問題は、いつも金曜日の都市デザイン論か。タフを辿ること、此花アーツファーム構想の地図も使って、まちつかい・まちあそびの例示をする予定。で、実は、大学とその周辺を実際に自由に歩いてメモを提出するコマを創ろうかと思ってもいる。晴れたらそれを先にするか。天気はいまいちみたいだが・・・
金曜日、直後の2限目の政治学概論Uは、参議院の予算委員会の様子とかあれこれ使う予定なり。

さて、ゼミでは、先週も栗東芸術会館さきらのインターンシップ発表だったが、その2組目。さきら夏祭りでおばけ屋敷に関わったFちゃんと、かえっこバザール担当のMっちによる楽しい発表だった。かえっこバザールをみんなが体験したことによる共通意識の形成ということも大きな要因。聞くほうの態度が発表のよさを左右することの一つのいい例。質問もなかなかいい感じ(始まる前に、少し大声で男子3人組を静かにさせたが)。

さきらインターンシップについては、さきらとか、どこか別のところでも発表してもらえそうだなあ。人数はしぼったりするべきかも知れないが・・・

昨日、3回生ゼミで就活の話をしたので、こちらも雑談程度に、ブライダルもいいけれど、こども向け企業というのも、かえっこをやっているし、けっこう、ナビに登録する企業に入れるといいかもねえとつぶやくと、そんなに多く登録するんですか!という驚きの声あり。
で、文化政策学科って何?って聴かれるから、まず、簡単に「文化を通した幸せづくりの応援(=幸せサポート)を学んでいます」というようにいっているんよ、というと、じゃあ、私たち「都市環境デザイン学科」ってどう企業の人に説明するんですか!といわれて、困る。

都市のいろんな活動をうまくやっていけるように整えることを勉強している、とでもいうようにいおうか。都市のいろんな活動のなかには、建築インテリアとか景観まちづくりもあるが、文化プロデュースもある、という展開。

それにしても面白かったのは、高校で進学指導の講師の人から、大学の学部学科名では、短いほうが伝統があり、長かったりするのは新しい。カタカナの名前のものは、そこが何をするか自分たちですら分っていないのでそんな名前にしているので、避けたらいいって聴いたというゼミ生の話が可笑しかった。

まあ、とりわけ彼女はじつにしっかりと文化プロデュースしているし、そんなこといえば、アーツマネジメントなんて、実に何をするか分らないカタカナ語で、これから創り上げるたちのものなのだが、大学を選ぶ高校生は、大学当局が思っているより、ずいぶんとしっかりしているものだなあと思ってほっとする。まあ、それでも彼女のように入ってもらってありがたかったよなあ、などとゼミの後半は思って終わる。

明日までに、予算要求をしないといけないのだが、今日、ようやく担当科目がほぼきまる。

ゼミが12単位(2,3,4)、都市とアーツ、アーツマネジメント論、アーツ演習U、行政法T、都市と文化資源、社会文化論をあわせて、24単位(6コマ)。これがノルマなり。今年度担当していて、来年度しないのが、行政法U、政治学概論T、政治学概論U、イベントデザイン論(これはしたいのに枠数調整ではずされる)。


11/11(水)

1限目だけ授業。
すこし時間が余ったので、もう一度落語に戻ることにした。前が、江戸前+現代創作だったので、上方+古典。まあ、そういっても桂枝雀さんなので、ずいぶんと独自で面白いものだったが。「宿替え」。いやあ、色々その学生の反応で思うことあり。

来年度の自分の担当授業が決まったので、予算を作っていたら、学部長室に呼ばれて、来年度のエクステンション事業について。文化プロデュースでなんかやれという話から始まって、2学科で1つになるのだったら、両方ができること、たとえば、社会起業とかがいいじゃないかということに。京都文化ベンチャーコンペティションもあるし、きょうとNPOセンターとかの動きも活発だし。

あわてて、その京都文化ベンチャーコンペティション実行委員会へ。
京色パステルは販売可能だということ。
リップサービスではなく、私、10個ぐらいは買わせてもらおうと思っている。ちょっとした御使いに便利。
あとは、大学生協にもつなげよう。
最終審査(公開プレゼンテーション)は、3月の最初の日曜日(これは予定かな?)。

そのあと、京都文化博物館で『いけばな―歴史を彩る日本の美』」。予想外に面白い(全部ではないけど)。まあ、私が室町時代に夢中だからでもあるが。江戸時代の浮世絵のいけばなとか、あれこれ。3階は日本画。

帰って、授業用に買っておいた『SLAM DUNK 10 DAYS AFTER INOUE TSKEHIKO』(DVD、50分、2004年)を見る。さすが、うまい映像と演出。電通的なもののなかでは、すばらしいものではないかなと他山の石としてではあるが、楽しむ。井上雄彦って、タケヒコって読むことを初めて知ったぐらいだが、娘たちは結構夢中でのこのスラムダンクという漫画を読んでいたことはぼんやり覚えている。たしか、こぐれくん?


11/12(木)

大阪成蹊大学芸術学部の図書館2階。
映画鑑賞などの場所にさせていただいている。
今日は、96分間の新藤兼人『裸の島』(1960年)。
はじめは、うとっ、としたりしていたのだが、どんどん面白くなる。
林光音楽にも注目(いや注耳)。せりふがない(泣く声とか、頬を叩く音などはあるが)からとりわけ、音楽の比重が大きくなる。
繰り返し。秋のお祭りからお葬式へ。いやあ、火葬のところが見たいけれど、それは残酷だろうな。

授業(大学院でも基本は同じ、すこし詳しくなったりはするが)は、はじめ、ラブラブショーとまことクラブ(スパイラル)のチラシで一言、という感じのミニワークショップ形式。そのあと、アーツの三分類。で、昭和34年ごろのファッション(流行)と、ちんどん屋さんのニュース映像という流れ。


11/13(金)

Yangjah巡海Project<投影/計画>「うみみず」。

また、西九条駅。18時に到着。今度は安治川へ。トンネル。自転車が多い。
川沿いの倉庫とか正月の注連縄を作っているところを通って、FLOAT。古い工場かな、倉庫かな。 2階(ここは事務所だったのかな)には行ったが、屋上がいい眺めだったそうだ。 堤防を上ると川の波。赤い明かりと白い明かりが縞になって、ライトアップとか無理にしなくても、面白い場所、現象を見る余裕、遊び心さえあれば十分だ。

Yangjah(ヤンヂャとカタカナで書くのは彼女はダメなのだそうだ。ひらがなで、「やんぢゃ」の方がいいのだそうだ)さんの映像個展。
Yangjah自身が築港赤レンガ倉庫やここFLOATなどで踊っている。
階段を下りる太鼓的打楽器の踊りの映像がとくに好きだったな。中二階の場所もまたいい。
一階は20時から小一時間はパフォーマンス会場になるので、その大きな映像は見られない。FLOATの米子匡司さんがトロンボーンを吹いている。ちょっとけつまづいて、それが踊りのアクセントになるところや猫の通り過ぎなどを見ていると、ついうとうと、やかんのあるストーブのソファーで寛ぐ。

気がつくと、2時間ぐらいがあっという間にすぎる。無為の時間がとくに最近ばたついているので、特に貴重だ。
琴のニューウェーブ?な今西玲子とのデュオ。Yangjahのダンスは雨が降っていない路上にも溢れて、外から水色の珠を持ってくる。彼女の体の柔らかさ、その造形的魅力を発見する。あとは、構成力。

そのあと、料理。はらはち食堂(やんじゃさんの妹さん:3人姉妹だそうで、実家は西九条と弁天町の間の不便なところの焼肉屋さんということ)。ヘルシーなスープ。パンを浸すと美味しかった。

あさ、今日の1限目、タフ1〜5のエッセンスをいまの学生たちにつたえようと、パワポしていたのに、それだけ(USBメモリ)を忘れる。
その素材ばかりが、かばんのなか・・・写真を写そうとすると、なかなかうまく画面にでず・・・
なんだか、すごくショックのなかで、授業が終わる。まあ、感想は、京都橘大学でもかなりアーツ企画を山科に臨んでやっていたのだなあという素朴で好意的な感想が多くてほっとしたが。

政治学概論。ツイッターが予算委員会で出たところを見せたりするが、その前に、テレビでの国会議事堂にたむろする官僚(の予備軍)たちの姿を見せた(うーん、そのあとももうすこし映せばよかったが:フジテレビの新報道2001)。

授業前半は、教科書を使った省庁を越えた国の行政における総合調整論。
まずは、予算要求から財務省の主査・主計官の査定、次長による調整の話。これが結局、内閣官房の機能が拡大したとしても、依然最大の調整機構なのだ。
まあ、こちらもずっと経験した話なので、具体的に何とか分りやすく話したつもり。定数管理調整はあんまり知らず(もちろん幾分は承知しているが要求書は出したが自分が査定されたりはしていない)、法令審査による内閣法制局による調整は具体例はあるのだが、行政法授業でも難しいといわれる内容しか頭に浮かばなかった。


11/14(土)

昨日も忘れ物をして授業で大いにばたついたが、今日も、帰り気がつくとウイングフィールドに今日の二つのチラシと当日パンフレット、それに、土曜日の授業(アーツ演習U)の12/12の学外授業(精華小劇場での演劇ポスター展覧会とシンポジウムに行く予定と、桃園会などの選択すべきお芝居のチラシセットを忘れてしまう。でも、観劇の帰り、お酒ではなく、ネクター・リンゴを買って帰ったので、翌朝はすっきりするはず・・・

マチネでもソワレでも、当日パンフとともに渡される膨大なチラシの束から選別してきちんと一つにまとめて鞄に一度は入れたのだが、遊劇体の公演後アフタートーク(キタモトマサヤさんと空の驛舎の中村賢司さん)のときに、どんなテキストを使われたのかチェックしたくなって見たあと、隣の席にでも置いてしまったのだろう(マクベスぐらいは分かったが、ギリシャ劇などはどうも自信がないので:冒頭の裸の男が死体としてつぶやく言葉は折口信夫の「死者の書」だったか、これはとても久しぶりの再会l)。

ということで、いま、サイトを検索すればもっと分かるのだろうが、まあ、覚えていることのみ書いておく。

AI・HALLは、青年団の若手公演『カガクするココロ』(作・演出:平田オリザ。でも劇場ではみかけなかった)。実は、昨夜にも行く予定だったわけで、それはこちらだった(実は、同じ演目を予約していたことがいま分かったわけだけど)。ので、今日のマチネは『カガクするココロ』より時間がたったときを描く『北限の猿』だと思っていて、途中まで、『北限の猿』思っているのにどうも違っていて、可笑しいなあ、ずいぶん変わったな、などとボケまくり。妹がその友達を連れてきて、ようやく高校生の友達っていなかったなあ、とようやく分かる。

若い役者さんなんで、役柄としては、学部生とか高校生の方があっていて、すこし年上の院生や営業の人、研究者を演じるのにはあんまり向かないし、その悲哀というのか、そういうのを演じるには至っていない。見えない大きな木を使うところも、北限の猿と共通していて、ロッカーのある控え室だけではなく、建物の歴史を扱っていることの面白さがこの猿の人間化シリーズにはあって興味深い。

心斎橋で今日オープンした大丸に入る。FUTABA+は確かによかった。12階。
熨斗袋(結婚祝い)とか、ぽち袋などを買うともう5000円。手ぬぐいも侮れないし。
一つ上の四国のうどん屋さんにはいって、焼きなす生醤油うどんを食べる。今日もヘルシー路線。
ゆっくりできたが、それでもまだ時間があったので、ソフトバンクに入ってiPhoneを聞く。ツイッターだけできるのはないですか、と聞くと、ツイッターが分かっていない女性スタッフ(爪が長くて・・)から外国人に代わる。でも月6000円もするとはびっくり。電話しないし写真もなにもしないのだが。

ようやく、東心斎橋ウイングフィールド。
遊劇体の3年半ぶりの新作『演劇×世界』〜世界は恋人たちを愛してい〜。作・演出:キタモトマサヤ。
台詞や言葉は、コラージュされた2500年前からの戯曲や詩など。
104分だったが、初日は119分だったらしい。
折口信夫の死者の書からはじまり、ギリシャ悲劇・・・マクベス。人間はどうして死ぬのかという大テーマに、いささかのお遊びを入れつつも、直球に向かい合う。演劇や劇場の構造を知るものでももちろんある。

「えんげき」の発話障害。地下は不必要なまでにアングラとして執拗に増幅されるのに対して。 口はあくが最後まで「えんげき」は声にならない。心でつぶやいているのか、はたまた、演劇ということが恥ずかしいのか。それは、芸術家と同じ類の東京風ええかっこしいの言葉としてまだためらいつつ、でもそれをふっきろうとしているように思えた。
加藤和彦へのオマージュ作品でもあった(北山修の歌詞もかなり重要な役目を果たしていた)。

今谷明『戦国期の室町幕府』2006年、講談社学術文庫。これは、なんと、1975年、角川書店より刊行されたもの。今谷さんは1942年生まれなので、33歳より前にこのような論稿を発表されていたということになる。古文は読んでも頭に入らない部分も多かったが、東班衆、五山禅寺の荘園経営、政所、南都(興福寺)北嶺(延暦寺)、門前検断、釘(針)抜・・・中世の官僚制やその武将たち、僧侶たちの群像がすこし見えるようになってきた。阿波の三好氏に興味がずいぶんわいた。


11/15(日)

比較的のんびり。
今日もアルコールを抜く。でも、寝るのがいつもより1時間遅くなった。
昼間見たアトリエ劇研でのお芝居は、じつにそのやり方が興味深いものだった。
はじまるまえ、開場が13:45に変更したこともあって、渡邊守章さんが携帯電話で衣装のことなどを話している。

つまり、大阪の劇団フランスパンとその主宰、伊藤拓さんが、京都の4名の若い劇作家の30分作品を演出するというもの。『京都かよ!』。広島だと「広島じぇけ〜!」とかなるって、彼も言っていたし、こういう試みは大歓迎だ。

ただし、お芝居を通して見ると、若い人たちが色々やっているけど、ぐさっとはなかなかこないよな、という感じがとりわけ、間の二つにはした。最後の5人芝居は、2時間を越えるのに、けっこうお尻も痛いということも忘れさせてくれるような面白いつくりになっていて、興味深かった。「単身デストロイ」。作は村上慎太郎(夕暮れ社 弱男ユニット)。まったく見たこともない劇団名なので、今度チェックしよう。

それにしても、もう対話劇は終わったのかなあとすこし寂しい気持ちもある。平田オリザのせいにすべきではないけれど、もうすこし色んな方法論があるはず・・・まあ、「マラソロ」(山崎彬)や「ホワイト・ライ」(司辻有香)は、一人芝居と二人芝居(でも独白がほとんど)だからそうなのだろうけれど、デジャブ感が強い(若い人には新鮮かも知れないね)。

冒頭の田辺剛「旅する娼婦のエチュード」は、演出するから、すこし変えてみようとしたけれど、もっと、ストレートに演出したって、田辺剛演出とは違ったものになるはずだったのになあともったいない気がした。

いずれにせよ、作と演出が違うということが、小劇場演劇の新作系ではかなり少ないこともあって、これは意図的にもっと深堀すべき、とても優れた企画であることはいうまでもない。
オムニバスはショーケースとしてやってみるというマネジメント的興味はあるが、やっぱり、長編へと行くのが筋なのだろうし、そのことで、演劇が地域をまたぐ遠距離恋愛になりうるのかも知れない。


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