今日のNHK教育のお能は、金剛流の『巻絹』。かなり長い作品のようで、1時間では放送できず、はじまりが解説ではしょられている。京都観世会館で1日に聴いた舞囃子「羽衣」の大鼓は河村大さんだったなと確認。金剛永謹さんの大柄な巫女。後半?冬梅の精になるので太鼓が加わって、笛のメロディの繰り返しが、神楽のような古風ですこしリズミカルな感じとなる。とっぴな連想だがモーリス・ラヴェルのボレロみたいな感じでもある。
岩清水八幡宮にお参りして、交通安全のお守りを買い、帰りに飛行神社で飛行機専門のお守りを買っておく。娘たちが飛行機を使って海外によくいくので、これが一番の祈願ねたであるからだ。
関西テレビ放送などが製作した『京都祇園祭』というDVDを観る。7/1から7/31までを丹念におっているので、とても勉強になる。屏風祭もちゃんと説明されていた。
夜、MONOの第28回公演『約三十の嘘』2001年9月、AI・HALLのDVDを見る。映画ですこしがっかりしたことを思い出す。金替康博さんが出ていないのは、別の公演とダブっていたからかな。この頃はとりわけ、ゲームのシーンが多く、今回はかなり重要なものとして(物語を連句のようにつなぐ遊び)使われていた。まさしく、お芝居のお芝居がテーマみたいなものなので、メタ演劇系といってもいいのに、なかなかにコミカルなのはさすが。観客の反応がちょっとよすぎるぐらい。
1/4(月)
今日って、ほとんど、具体的に書くことがない日かも。
くずはモールのユニクロで2本4990円のズボンを買う(ウェストは82センチぐらいで大丈夫なはずなのだが、ものによって、入らないのもあった)。あと、ボロボロになっていて、でもシサムでは製造販売中止になっていたので買えなかった財布を、京阪百貨店のバーゲンブースにて買う(3150円:シサムと同じく、結局メイドインインド;山羊ではなく牛の皮だけど)。家の目の前で止まるバスに乗って帰る。夜、楽しみにしていたアメフトは一方的にダラスカウボーイズの試合でがっかり。
そのあと、録画していた、NHK教育の高校生の美術の番組(「2006年夏期講座で放送した番組の再放送です」とのこと)を見る。
高校講座・美術「アート入門」、先生は、中村政人さん。迷うことは考えることだと思えばいいよ、と話していて、なかなかに面白いワークショップ的授業。1000円を持って、秋葉原にいって、まちを「キャッチ」。そして、それを「リリース」する。まちさがし、そして、そのまちをつかう「まちつかい」としての作品づくり。まちをあそぶようで、じぶんを見つけるという感じのインスタレーションもあった。カップめんと携帯のシンプルな作品の設置だけに結局はしたが、その前の過程では、色々なものを使おうとしていた生徒さんなど、興味深いもの。
ソファーの前のテーブルに色んな読みさしの本がいっぱいおいてある。たとえば、梅原猛『京都発見(一)地霊鎮魂』(新潮社、1997)。「一遍と歓喜光寺」が山科の文化資源研究に使えるという目的で買った本だが、神道世界と交わり深いこの時宗の盛衰(徳川家が時宗を祖先としていてそれを隠すこともあってつらくあたった話とかもあるが、やっぱり、時宗が常民者とは違う遊行者からなり、かつ芸能を業としていたことが安定した支配勢力には疎まれたのであろう)はじめ、じつに興味深い話が多い。
怨霊という文化の奥深さ。阿保親王の子、在原業平は、父の無念(流罪ののち、断食して自死)、怨念もあって、「好んで藤原氏の娘であり天皇の妃である女性と関係を結んでスキャンダルの噂を流した」(p119)のではないかという。
また、稲荷の神さまは、農耕の神さまだけではなく、それに支配される前の狩猟の神さまも合わせ祀られている話も面白い。「稲荷の神は文字通り、稲を背負った身の丈八尺余りの老人の姿で表されるが、この老人は天狗や山人の類で、縄文の神の残存であろう。稲を荷った老人の姿の中に、私は、時代の流れとして稲作農民に屈伏しなければならなかった縄文の遺民の姿を見るのである。」(p161)
それにしても、今日って、もうお正月でもないけれど、まだ、仕事モードでもないような、そういう境界線上の日だったなあ・・・京都市役所では初仕事なのだけれど、和服でパソコンしている、というようなニュースもあった。裸祭など、正月関係の映像を見るのも面白い。
鳩山総理が年初めの話をしている。彼は、秘書官に手伝ってもらいながらだけれど、ブログをつくり、ツイッターも毎日アップして、フォローもしている。
公職にある人がこういうメディアをどう使っているのか、興味深いところだ。
公人と私人との境界。議院内閣制だと政治家で立法府の議員でありつつ、大臣という行政府を構成する内閣の一員でもあるから、よけいに制約が多そうだ。
そうそう、自由時間がずいぶんあるようだけど、授業づくりなどですこし縛られた気持ちはないわけではなく、つまり、自分自身が、ずっと境界線にいるのかも知れない。
結局、私って、もう役人でもなく、でも、退職者でもない。公人でも私人でもない。よく言えば、ボーダー性が身上ともいえるが、つまりは中途半端、逃げ口上ばかりである。そうか、自治省という役所自体そういうポジションでもあった。
いまも、アーティストでもなく、ただの観客のはずなのだが、すこしマネジメントとか政策とかに口を出して、でも、本格的にそういうことをしているのでもない。論文も著作もほとんどないから、学者でもなく、でも、きちんとした上司に仕え部下を指導するような堅気でもないが、とはいえ、虚業の自由人でもない。
自分の人生なんていう柄でもないけれど、あえて、かっこつけると、私の場合、22歳までが春、そのあとの45歳まで、公務員だった時が夏というようにシンプルに総括してしまえるように思えてきた。
で、いまの自分は、秋真っ最中というわけだ。見えたり聞こえたりする世界は変わっていないようだが、少しずつ、視野がせばまっているのは徐々に感じる。何せ、夜が起きていられず、未明に目覚めるともう寝られない。
でも、それが、人生の秋というものなのだろう。走られなくなったために、気づくことだってあるし、過去の出来事を見直し、整理しておいておくことだけでも、いま春から夏にかけて進んでいる人たちの資料になることだってあるかも知れない。そろそろ、収穫で忙しい人もいるのだろうが、私はまあ、澄んだ空気で十分だ。
そして、退職予定の65歳ぐらいになれば、冬に入って、ゆっくりと旅立ちの準備。
冬って言う季節が昔から好きだったのは救いだ。つぎの春を迎える人たちとのバトンタッチに備えることになるのだろう。だから、いまは、冬を予感しつつ、春や夏のことを整理したり再構成したりしておく季節。でも一番大切なのは、少しずつ短くなる明るい昼を愛でること、そして、深さを増す夜の静けさに聴き入ること。
1/5(火)
正月休みの最後。すこし、仕事モードにしようと思ったが、結局、散歩したり、志賀直哉の短編を拾い読みしたり。イソップ寓話の本を2冊取り寄せたが、どうしても「王様の耳はロバの耳」が見つけられないのはどうして?
今日の高校講座・美術は絵を描こう、ということで奈良美智先生。2006年だから弘前市での展覧会の会場で大きな絵を描いていた。人間と動物のあいだ、これって、超自然的存在を信じはじめた人類最初のアーツの課題だわ。
夜、ロバート・アルトマン監督、ちゃんと意識してみていなかったので、見ようと取り寄せたDVDが、なんと『バレエ・カンパニー』アルトマン39作目、2003年、112分。で、原題がTHE COMPANYとだけあり、アーツカンパニー研究にぴったりかんかんである。うーん、レベルが違いすぎるが、ちょっとテレビの再現物ぽいかも・・・ウィズマンのドキュメント映画との比較をしたくなってしまうなあ・・・
ジョフリー・バレエ・オブ・シカゴのメンバーとそのステージ。主演は若い頃バレエをやっていたネーヴ・キャンベル主演のドキュメンタリータッチの映画。マルコム・マクダウェル扮する芸術監督がいたり制作ぽい人もいて。それより何より、バレエのメンバーの稽古風景、振付家との関係など、面白すぎる。もちろん、ステージのカメラワークもすばらしいので、バレエ鑑賞演習にも使える。コスチュームの違いとかを説明したりもできるし。
1/6(水)
昨日から大学が始まったところもあったようだ。
大学というのは、けっこう、色々それぞれのローカルな暦があったりルールがあったりする。
卒論の提出にしてもそうだし、まずもって、関西だけ、何年生とかいわないで、「何回生」とか呼ぶのも、むかし、とても不思議だった。
1限目は休講。でも、来ちゃった学生もいたそうだ。うーん。掲示は出したはずだったし、糸賀一雄音楽祭の振替という掲示はもっと前に出ていたはずだが・・・
午後から、学部内の集まりで、キャリア関係の授業があれこれかわるので、学部の意見を集めるような会議。でも、わたしは、完全に出遅れていて、てっきり、2011年度からの話からと思ったら、10年度、もうすぐの話だという。驚きつつ、まあ、1回生ゼミを持っていないので、あんまり切実感がないのかも知れない。
児童教育学科のお二人の先生から、どうしたら、基礎学力がつけられるのか、動機付けができるのか、ということを、お一人は中学校の先生だった経験から、もうお一人は、短大で長年大教室授業をした経験から、してもらう。
ものづくりを通じて微積分を学ぶ話とか、アンアンノンノンをテキストにした話などなど。つまり、それでも、プライドを傷つけず、大学生のアイデンティティを感じさせつつ、基礎学力をつけるかだ。
キーワードは、体験と参加(意識)。学生は、友だちに出会う動機と授業に出会う動機の接近、接合。発表するような、適度な緊張感づくり。
大きな教室でも、グループわけして、グループ討論のタイムを作って発表させたりしているということ。どうも、グループ単位はゼミを基礎に分割しているようだった。
夜、チェコアニメを卒論にした学生もいたこともあり、すこしずつかっていてまだ見ていなかった、ブジェチスラフ・ポヤルのかわいいネコのシリーズ、『ポヤルさんのネコのお絵かき』(45分)を見たり、のんびり。
3本あって、合計で、45分。実写(画家ホンザさん)とアニメーションの合成。アニメのはじまりのところで、鉛筆で描いていって動くというパタンはよく登場していたので、それとのつながりとか思いつつ、あんまり刺激的ではないので、ちょっと違うことをしたりもして・・DVDのパッケージに、「半世紀も前に」とあるが、具体的にはいつの製作なのだろう。調べなくちゃ。
1/7(木)
上の娘、はなが夜中にポルトガルから帰ってきていて、お土産、お土産ばなしに花が咲く。
ポルトガルというのは、ヨーロッパの端っこ、イスラム文化の影響もあるし、どこか、寂れているのに、懐かしく、滑稽なところがある。なにせ、日本に一番初めにやってきた人たちの末裔と思うと、関係ないけれど、気になる場所だ。ビールもポルトガルのスーパードックを飲んでいたしね。
そうそう、オチンチングッズがいっぱいの町があるのだそうだ。これも、日本となんかつながる。蛸をクリスマスで食べるところもあるし、はなのお土産の一つは蛸の缶詰。
家族で、NHKスペシャル映像の世紀第4集『ヒトラーの野望』を見る。
ヒトラーの演説。はじめ、聞き取れないぐらいの小声で静かに話し出し、どんどん身ぶり手振り大きくなっていく2時間強。すごい映像だなあ。初めに、群集が静かになるまで、ずっと待ち続けていて、そして、ちいさな声ではじめるというのは、さすがの技術だ。
今日は、同志社大学大学院のみ。M.O.P.の『拳銃と阿片』の前半部分を鑑賞。
やはり、同志社大出身ということもあるし、やっぱり、その性向というのが、同大ぽいので、反応がいいのかも知れない。ばかばかしいことを真剣にするごっこ遊びとしての演劇。これが、マキノノゾミさんの追及で、深刻ぶらず、しかも近代史や古典的映画、文学の素養はちゃんとあるところが、さすが。
もちろん、立命館大学の代表としてのMONOのすばらしさもあるし、もう一度、大学の部活としての演劇活動の意味を考え直す時期が来ているのかも知れない。そうすると、授業として演劇をしている大学と対照され、競争しつつ、面白い若い演劇シーンが構築できるのかも知れない。
9/2に変更してもらった、講義のレジュメ概要を書く。
以下、その引用:
看護専門職を対象としたリカレント教育「看護の力 〜笑いと看護の癒し力」2010.9.2 木 18:20〜19:50 キャンパスプラザ京都
【笑いの空間デザイン〜「うっとり」のアーツマネジメント〜】
都市のなかで、気兼ねなく心を開いて笑い泣き、その空間で自分を忘れて「うっとり」できる空間づくりはどうして可能か。うっとりデザインを専門とするアーツプレース(劇場・音楽ホール・寄席)の秘密をアーツマネジメント学から説き明かしつつ、看護の場はじめ私達の日常の活動シーンにそれらを生かす術を考察する。
1/8(金)
1限目も、いままでの復習から。
都市デザイン論。
山科の文化を中心とする資源(芸能、工芸、歴史、施設、人物、産物、物語、景観・・・)を20個書かせる。
もう少し、ジャンルを多様に示すべきだったかもなあ。寺院とか書けばけっこうすぐに埋まってしまうから。
ノートや資料をみて、それでも、20個書けるようになったのは、まあいいこっちゃな。
企画書づくりの例示のあと、メセナノートの商店街特集を使ったレクチャー。
で、この前録画した中村政人さんのワークショップ、秋葉原にいってまちさがしのキャッチ、そしてリリース。まちつかい(表現・表出)、そして、展示・鑑賞(まちあそび)。
2限目の政治学概論Uも、復習のために、いままでの授業におけるキーワードを全員に言わせる。
そのあと、少し、成長戦略ビジョンや原口ビジョンを見せた後、これも全員に、これからの政治課題について、項目とそれがどうして課題かについて話させる。
1限目の授業でも2限目でもだいたい次のような同じ種類の会話をした。
学生:どうしてこんなにめんどくさい(コピペとかしずらい)課題を出すのか。
私:だって、授業時間と同じ時間ぐらいは自習することが単位の前提なんだよ。
学生:それだったら授業料下げてアルバイトしなくてもいいようにしろと言う。
私:自治会運動をするのと、政治全体を変えなくちゃね・・・
まあ、こういう会話が授業中できていいのかもしれないな。
午後はFD関係の書類作り(文科省への提出文書)。
すると、NPO法人こどもとアーティストの出会いの井手上さんから電話があって、20日のイベントデザイン論の授業のなかで、めくるめく紙芝居やダンスで理科のワークショップや発表活動についてのFD化検討委員会によるシンポジウムを合わせてすることになる。
20日(水)の9:00〜10:30。パソコンもなんとか使えるはずなので、いつもの清和館135教室にてするつもり。
基本はFDの関係する大学の方々に聞いてもらうものだが、授業公開でもあるので、学内の教職員、学生に公開の予定。
生協の歓送迎会・新年会、山科ホルモン。ビールだけでかなり酔う。
1/9(土)
午後からの授業。アーツ演習U。今年から半期だけになったので、アーツのジャンルをフルに鑑賞するようなことがなかなかできないまま、最終回になる。メインは小劇場演劇鑑賞にしようと思っていたので、その前に50分間、伝統芸能をざっと見てみるという企画。でも、授業アンケートもあり、最低限できたのは、お能と歌舞伎とがごっちゃになっていた学生たちへの是正。そして、雅楽(舞楽)の映像を見せることで、だいたいが、はじめて雅楽に向かい合うことになった、ということか。
お正月、神社で鳴っている奇妙な、現代音楽みたいなもの、というのが大概の学生の雅楽についての感想。笙と篳篥(ひちりき)という、雅楽のあと、日本では展開されなかった渡来楽器を印象付ける。三味線についてもほとんど知識がない。沖縄民謡の三線(さんしん)とか、津軽三味線とかの方が、太棹や細棹、浄瑠璃や常磐津、清元、長唄などよりもなじみがあるのが現実だ。
学生たちに、お能といえば、何?と聴いていって、「花道」と出てくると、それは歌舞伎で、能舞台は、橋掛かりとか、お面(めん)といわれたら、能面(のうめん)というけれど、面はおもて。とか、いつものように伝統芸能の基礎。小学校や中学校で一応、伝統芸能は音楽の時間で聞かされているようだが、それを思い出す学生もいたりはする。
ということで、伝統芸能は最低限の知識伝達にして、最後はやっぱり演劇鑑賞で締め。
去年のMONO第36回公演『床下のほら吹き男』を。評判がいい。まあ、私が見せるもののなかでは、一番分かりやすいものだからだろう(実は何度か見ると隠された伏線がつながったり、そんなに分かりやすいというのは、表面的であることが分かってくるのではあるが)。
一人、実際に見た学生がいて、やっぱり、映像で見るのと、実際とは違うなあ、とあとで話し合う。視線が映像だとカメラの視線だけなので、ずいぶん、上下で演技がされるこのステージの場合、鑑賞の自由がなく不便な気になる(もっと極端に言えば他律的になってしまうのだ)。ただ、彼女がいうように表情が映像では見られることは利点ではある。
帰ってから、少し前に録画していたNHK教育関係などのビデオを見る。
高校講座美術の第3回は建築で、みかんぐみの曽我部昌史さん(福岡出身)が先生。北九州市の八幡、CCA。商店街を使ったワークショップで、とてもとても面白かった。隙間や開いた空間にダンボールなどで自分たちの空間を作る作業。13人いるのでどうするのかと思ったら、数名でのグループ作業。みかんぐみらしいなあ。辰野金吾の工場の紹介もあった。
そのほか、成田山新勝寺(真言宗智山派)の若い僧侶(29歳、僧都という位、その上が僧正)の紹介。仕事図鑑というのかな。声明の伝達がなかなか興味深い。中学生のときから小僧さんとして、寮生活をしてそこから学校へ。昔は、体が弱いとか色々な理由でお寺に小僧さんとして修行に出て、そこが引きこもり対策ではないだろうが、なんか、生き直しの場所だったのだろうなあと思ったりする。スパルタとまではいかないが、ずいぶん、水をかぶったり修行ではあるし。
知名定男さんの三線講座というのも録画していて、跳ねる島唄の練習を見ている。
あと、爆笑問題が浦沢直樹さんと話し合う番組も見た。浦沢直樹さんが、漫画は芸術だと自分は思っているが、世間でそれを芸術という評価にしてしまうのはよくないのだ、という話をしていて、それは、彼がガロ的(マイナーな世界)に行きそうになるのを思いとどまっているということと通じている。
立川志らくさんが、小津安二郎について、ひところで言えば落語だ、といっている番組とか(これは4回シリーズのようだ)。黒澤明監督は講談だというのも、なかなか面白い指摘だ。まあ、だから小津の方がより普遍的というまでには至らないが、講談がいまどうしても落語よりも広がらないのは、説教的である、ということがあるわけで、そういうこともあって面白い比喩だった。黒澤映画ファンは反論するかも知れないけれど。いや、講談ファンが異論を持つか。私、講談はかなり好きなので(浪曲と同じぐらい)、講談の現代における可能性は広げたいとは思っている、といっておかなくちゃ。
1/10(日)
15時から、オパフェという麻生政権の最後の補正予算で全国一律1億円が配られた事業の大阪府版を見に行こうと京阪電車に乗った。ところが、寝屋川市駅構内で人身事故があったようで、社内放送の人は、慣れていないので、どもるどもる。それがまあ、面白くってみんなで笑い、再度放送するのだが、やっぱり、途中でずっこけて、すでに、車内喜劇劇場化している。でも、人身事故なんで笑ってはいけないんだけど、ね。
で、思いがけず、一冊本を読み終える。西村尚子著・日本植物生理学学会監修『花はなぜ咲くの?植物まるかじり叢書3』(2008年、株式会社化学同人:京都市内の出版社)。途中、遺伝子学とか化学記号とか、頭が回らないところがあったが、植物はどうして花を咲かせる時を知るのだろう(花は季節を知っている)?という一点だけとっても実に興味深い話であるし、花の色はどうして違うのか、風媒花から虫媒花への流れ、みつばちさんとかとの関係は、色んな連想が可能でなかなかに奥深いもの。
なんたって深いのは、花をつけるとき、その植物の成長は終わるという事実。花を準備し開花することを知っている植物はみんな、つぎの世代へとバトンタッチする時節を知っているということなのだ。花開く、という比喩では、絶頂期のようだけれど、自らの衰退と死を内包している。まさしく、その絶頂期とは、次の世代の誕生のために、その風土の風を誘い、昆虫や鳥、蝙蝠などを誘うための、華やかな色、香り立つ匂い、甘い蜜であるのね。
さて、オパフェB。900席ぐらいの御堂会館、到着は15時20分になってしまう。
予定より半時間以上遅れ、だから、もう井上あや子バレエ教室は終わっていて、劇団壱劇屋(卒業したゼミ生がいたことがある)がはじまったところ。おまゆみさんは、ずいぶんまえ、中央公会堂で美術パフォーマンスを見たことがあったので、懐かしい。変わってないなあ、細い。ヴァンカラバッカはかわいい大道芸で、そのあと、山下残のピン芸なり。いやあ、深い。言葉とそのあとの沈黙。眺め。いろいろ、昔のステージを思い出し、余白でこちらの想像力、記憶力、そして、はずかしかったことや悩んだことを一気に引き出す。終わり方も潔く。近くで笑いたいのに笑っていいものかどうか悩んでいたアベックがいたし、子どももちょっと笑ってやめていたのが印象的。THORNというダンスもあり。
1時間休憩のあいだ、御堂筋イルミネーションと街角ライブ会場を眺めに北へ。銀杏の枯れ木についているのが、寂しい大道芸のようで滑稽な感じ。あと、こういう巨大な雄蕊の花を想像する。建物に照明が入っていて、それが向こう側の建物の硝子に映る仕掛けとか、それなりに楽しむ。でも、あっという間だったので、東洋キッチンにも入る(むかし、ここにゼミ生が就職したなと思いつつ)。
オパフェCは、お坊さんがちょっと見ていたりして、少し人数も多くなる。隣に小原さんがすわりに来てFというライブハウス?でするのも見にきてという。
セレノグラフィカはどんどんお笑いに傾くステージのなか、きちんとしたダンスを4名で踊ってさすが。でも、どこかこの作品はほのぼのとしたユーモアと幸せな息遣いに溢れているので、違和感がない。もちろん、トリの柿喰う客もばかばかしいことをじつにまじめにやってくれて、最後までその仮面をはずさない。
まあ、でもなんと言っても、男肉du soleilの成長ぶりに自分的には尽きる。面白い。危ないところにいってひたすら謝り、でも、けっこう堂々ともてない自分たちを裸に生きている。ニットキャップシアターというかごまのはえさんも政治と下ネタというえげつないの二乗に挑戦。俳優としての彼が大好きなのでとても頼もしい限り。ただ、最後の終わり方だけ、不満あるかも。あるいは、赤い糸とかもまあ、なくてもいいか。うさぎchanというソロのお芝居もあった。
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