こぐれ日録 KOGURE Diary 2012.1/1〜1/7


こぐれ日録778 2012年 1/1〜1/7

1/1(日)

2012年のはじまり。
とくに変わったこともないが、妻は小暮家のお雑煮をつくってくれているし、御節もおいしい。
朝から食べ過ぎて動けないぐらい。長女は横浜、次女はベルギー。

いつものように石清水八幡宮に歩いて登る。すこしの距離なのだが、普段階段を使わない二人は(僕も、大学まで直行バスが出来たので急速に足が弱っている)、ゆっくりと周囲のシダや景色を楽しいながらどんどん追い越されても気にしないでゆく。

神社が綺麗になったこともあるのか、いつもより人数が多いように思う。
帰って年賀状を見る。毎年減少し続けている。
去年の正月と大きな違いといえば、地デジになったこともあって、録画がしやすくなったので、正月恒例の能楽テレビ鑑賞がゆっくりになったことだ。

今日は、天鼓。60分の放映時間では入りきられないぐらい長いのですこし端折っている。
番組タイトルを写すと、<新春能狂言 能「天鼓 弄鼓之舞」〜観世流〜>。小書き「弄鼓之舞」がついているので、重い公演なのだろう。後シテが、片山九郎右衛門さん。前シテがお父さんの片山幽雪さん。

鳴らなかった鼓が鳴るという部分、ほんとうに微かにお囃子ではない音が錯覚なのだろうが、聞こえてしまう。心情的に見入っているからだろう。でも、中国に話は移しているが、権力者のわがままについての批評が婉曲に感じさせられる演目でもある。

ワキもなかなか聴かせる演目だな、宝生欣哉さん。その他、お正月に相応しい方々である・・善竹忠重(アイ)、藤田六郎兵衛(笛)、吉阪一郎(小鼓)、山本孝、前川光長(大鼓)・・・

夜は、妻と映画『八日目の?』(2011年日活+松竹、147分)を見る。成島出監督(はじめて聞く名前)、井上真央、永作博美、小池栄子、森口瑤子、劇団ひとり、田中哲司、風吹ジュン・・・・。アイドルグループ・リボンだったか、その頃からちょっと気になっていた永作博美と、『接吻』で刮目した小池栄子がやはりぐっときた。

これは、香川県フィルムコミッションということで購入。小豆島の農村舞台での実際の様子とか、途絶えていたらしい虫送りのシーンなど、前に見た『ザ・コーヴ』と真逆の地方讃歌になっていて、その双方を実際の地域というのは持っているわけで、でも、147分が全然長くなくて、けっこういい映画だった。

原作が新聞小説だということもあって(角田光代さん)、解りやすい感じがあったが(顛末がまず示させている)、それでも、女性の懐胎と出産、4歳までの育児を誰がするかということでどれほどまでに子供は母親についての感情を持ってしまうのかなど、考えさせられるものでもあり、エンジェルホームの共同生活のシーンも実に興味深いものでもあった(余貴美子ファンだからでもあるがw)。


去年2011年の鑑賞記録。
演劇ダンス・・・108本
音楽伝統芸能・・53本
美術デザイン・・89本
映画映像・・・・104本
合計・・・・・・354本


1/2(月)

今年の課題を昨夜、手書き日記(今度は、5年連記)に書く。
☆ 体重を60?台に。体脂肪率を10%台に保つ。
☆ ビールと日本酒を中心に酒を控える(飲み過ぎない。仕事帰りに歩きながら飲まない)。
☆ 旅行を企画する(候補は、沖縄、ベルギー、ナント)。
☆ インターネットの利用のメリハリをつけて読書時間を増やす。
そして、
☆ 映画館で映画を観る。

ということで、初アーツプレース訪問、いや、芸術場探訪は、人がいっぱいのアメリカ村、ビッグステップ4階のシネマート心斎橋。

たまたま、風まかせの松井寛子さんの映画お薦めメールの一つに、アミール・ナデリ監督(イラン出身でNYに20年住むキアロスタミらと映画づくりをしてきた人らしい)の『CUT』(2011年、日本、132分)。

出演者は少ない。若いインディーズ映画監督で無類のシネフィルで自主上映会を企画するアーツマネージャーでもある修二役の西島秀俊が主役で、同じく脚本家役の鈴木卓爾以外は、みんな、修二のお兄さんと同じヤクザ組織の人達を菅田俊、でんでん、笹野高史が演じる。ヤクザの事務所(一応、ボクシングジムが表の顔)にあるバーにいる女、常盤貴子。彼女がどんな人かは具体的にはわからないが、それはどうでもいい。この映画の内容においては・・

この映画も2時間以上あったのが信じられないが、終わったら、ふらふらになった。アメリカ村の照明がまぶしく、けっこう、美しく異次元化していた。映画館効果である。
100本ノックっていうか(あんまりいうとあまりにもシンプルなストーリーなので何でもネタばれになるw)、この映画もこの映画も見ていないではないか、というようなことや、この映画とこの映画がこの映画のなかにきてしまって、映画の洪水だった。

映画作りとは何か、そういう映画であった。あと、耳が聞こえなくなる、あるいは、無声のなかの音楽、音響ということも、キートンや清水宏映画で教えてくれる。イラン映画と子供ということもあるなと思った。

昨日放送されていた『開拓者たち』(NHKBSプレミアム)の第一話も妻と見て、いろいろ思った。千振開拓地。妻の両親が満州の引揚者であることもあって。演出はテレビマンユニオンの岸善章。


1/3(火)

岡村宏懇さんからメールが来ていて、面白そうだったので、急きょ予定を変更して(実はこの段階では、15時からのアトリエ劇研の落語会にも行こうと思っていた、結局、時間もなくタクシーも拾えずに無理だったが)、北野天満宮へ。
今出川からバス203を待つと、満員で通過。出町柳から乗った方がよかったかも・・・タクシーで790円。まあ、いいや。

すごい人。やはり、岩清水八幡宮より都会だ。お習字。書き始めはここがいいんだなあ。
やはり、いまだに、学業成就祈願の神様なんだな。
岩村原太さんがやっていた光を観るワークショップで行った以来かも知れない。

北野天満宮新春奉納狂言。神楽殿。神楽を舞うところなのだが、柱が多くて、一番前にいたこともあるが、すこし全体を観るのはむずかしい。でも、何か、話の内容が、京(みやこ)へ扇を買いに行く「末広がり」と年貢を納めに行く「佐渡狐」というお上りさんのお話二つだったので、実にぴったりの演目だった。そのあと初詣したので、見なかったが、土筆、千鳥、福之神が演じられていた(はず)。

主催は、猿楽會・茂山良暢とあって、はじめの「末広がり」で、良暢さんが太郎冠者で、岡村さんが、「頼うだお方(たのうだおかた)」を楽しくやっていた。
その次の「佐渡狐」は、賄賂(袖の下)が出てきて、ほろ苦いものではあるが、勧善懲悪なので、すっきりはする。これが、賄賂が役だってしまうともちろんまずいわけだが、そういう変化もまた風刺になるかもなあ、とも思ったりしてみている。

どちらも、子供たちが後半になると、わかってくるので、女の子など、「コンコン」って教えてしまっていて、それもまた微笑ましい。

帰り、上七軒を通って、小銭入れなどの財布屋さん(聞くと、京阪三条から東山に歩いて行くときにあるお財布屋さんだった)に惹かれてかなり買って帰る。その一つは、たまたま、出町柳から伏見稲荷へ初詣する肌の色がかなり黒い女の子(1歳半ぐらいかな)づれの若夫婦がいて、その女の子が小さな手毬をもってうろちょろしようとして、それを制するとぐずっていたので、一つ、かわいいバンビ柄のお財布をあげたりした。

家で、録画しておいた若冲の番組を見た。やはり、若冲の、自分で光(仏の涅槃的世界)を追求するための技法の面白さを楽しむ。若冲ミラクルワールド決定版 「驚異の光の絵師」. BSプレミアム 1月2日(月)。

18時半ごろ、はなたちがきて、賑やかに。


1/4(水)

はならと石清水八幡宮へ。
はなは、妹たちに学業成就のお守りを買う。
1000円するこれらお守りの原価っていくらかなあとか思ったりする。西陣にもお守り製造会社が確かあったな。
みんなで、大阪の野田の実家へ。
うちの長屋の裏の長屋がほとんど空き家になっていて、そろそろアパート化するのかも知れない。
駅からも近いし、どんどん変わりだしているな。
すし寅の味が先代から代替わりになったとき味が落ちたが随分戻っている。茶碗蒸しとか、そういうところから蘇るのかも知れない。

自分だけ、東淀川の劇団態変事務所で、打ち合わせ。
主に11日のウイングフィールドで行う(19:30〜、無料)『劇団態変緊急ミーティング 2012年からの展開』について。2月4日(18:30〜)、2月5日(15:00〜)の劇団態変公演、一世一代福森慶之介『ゴドーを待ちながら』 (AI・HALL)のプレス発表が第一であるのはいうまでもない。

そのあとで、いままでの存続方法ではない持続できる劇団経営の模索についてのミーティング、訴えとなりそうである。

いまのところ、金満里さんは、まず組織化ありきではないという考えなのだが、実質的に持続的なNPOとしての実績を上げていくことが必要だと僕は思っていて、そういう話を何とかしたつもり。

つまり、劇団態変の創作のより一層の深化、先端化、熟成を芸術監督金満里とともに追求するという一つの中心とともに、もう一つの中心がいるのでは?という話をした。楕円の思想である。
楕円のもう一つの中心点は、いままでは小規模作業所イマージュとしてのあり方だったが、これをアーツの社会との呼吸という部分として拡張していくこと。

いままでもメンバーは知らず知らずにそうやってきているのだが、その活動の社会的意義やアウトリーチ活動の持つ意味をよりアピールするとともに、学校現場、子育て、高齢者福祉、医療関係、あるいは、落語などエンタメ関係などにもそのウイングを広げることを、企画し、資金調達につなげ、それによって、制作者の確保が可能になる。

どうなるかわからないが、大阪におけるアーツカウンシル運動とか、大阪にある大学との関係、そして、何よりも劇団態変をかってに応援する、ある意味、宝塚の非公式ファンクラブの仕組みみたいなものがあってもいいのかも知れないとか、あれこれ思う。

行き帰りなどで読み終えた山崎亨『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる』(学芸出版社、2011年)は、ものすごく読みながら、山科でこんなこともできるかも、とかとても前向きにアイディアを盗みたくなるものであったし、姫路のお墓参りとともに、家島での宿泊なども楽しそうで仕方がない。

唯一、うまく行かなかったプロジェクトも載っていて、それが、僕達も関係した水都大阪2009だったのも面白かった。

p208より
「むしろ面白いのは事後の結果である。コミュニティデザインの方法はほとんど同じだったにもかかわらず、目的のひとつである事後のまちづくりの展開がまったく違ったのだ。水都大阪は結局まちづくり活動へとつながらず、一方の土祭(小暮注:ひじさい、栃木県益子町の中心市街地で開催のイベント)はうでに活動団体が立ち上がり、コミュニティカフェを運営しながら中心市街地を元気にするための活動を展開している。大都市の中心部で開催された水都大阪は、事後の展開について要人たちが綱引きしている間にボランティアの熱が冷めてしまった。・・ここに、コミュニティデザインにおける重要なキーワードが隠されている。公共的な事業における行政参加のあり方だ。」

大阪市だけではなく、大阪府や経済団体も参加したということも大きな問題だったようだが、大阪市のような大都会では、行政区ごとでの活動でないとコミュニティデザインとか「まちつかい」としてのまちづくりは出来ないということなのかも知れないし、そのときにおいて、公務員がコモンマンとして、ちゃんとコモンセンスを持ったまちつかいに参加できるかどうか、そういう「行政参加」が行政の大きな課題(いままでは「住民参加」というある意味一方的な上から目線だった)なのだなあと教えてもらった。

ついでに、来年度の行政学の教科書、真渕勝『行政学案内』(慈学社出版、2009)の第11章行政責任に記者クラブについての説明があったので、載せておく。

p166より
「 第二に、とくに有力新聞の場合、新しい、隠れた争点を浮かび上がらせる能力が低い。これは記者クラブ制度の弊害であると考えられる。他の多くの有力な利益団体や組織と同じく、行政機関の建物のなかに記者クラブというものがおかれている。それに属する記者は、役所から提供される情報をそのまま記事にすることがほとんどである。官僚と記者クラブの記者は、日常的に接することも多く、仲良しクラブのような関係にある。そのために、やや厳しい言い方をすれば、行政機関が世間に伝えたい情報を、記者はそのまま受け売りして、紙面をつくることが多いのである。これでは、有力新聞が行政の活動を鋭く追求することは困難であるといわなければならない。」


1/5(木)

明日から授業開始。すこし大学での抱負を考えておく必要あり。今日ははなたちを送って、のんびり。

来年度は、京都橘大学での持ち科目として、学部で12科目(今年は13科目)、大学院は3科目になるかも(今年は1科目)。あと非常勤で2科目。学部12科目のうち、3科目は教養科目(であるとともに教員資格科目)。

あと、TAM研活動のなかのめくるめく紙芝居、かえっこバザールやこどもの文化フォーラムの継続実施のほか、新しく模索したいフィルムコミッション的な山科での文化プロデュース的地域連携とか学生学会の面白い展開にちょっとちょっかいをだすぐらいかな。

学部長としての考えは前に少し書いた以上進まないが、難問だが、学部学科の名称を含むアイデンティファイのし直し、あるいは、プレゼンスアップのためのワークショップみたいなものをしていく必要もあるのかも知れない。
FDとしては、大学研究家の山内太地さんなどを講師として、あるいは、アドバイザーとかファシリテーターとしてお願いする必要も出てきそうだし、コミュニティデザインについて、山崎亨さんも魅力的。

1/2の朝の狂言放送を今日見た。以下、NHKサイトより引用。

狂言「 見物左衛門 けんぶつざえもん   深草ふかくさ 」〜和泉流
シテ・見物左衛門:  野村 萬 のむら まん
後見: 野村 万蔵 のむら まんぞう

狂言「素袍落 すおうおとし 」〜大蔵流
シテ・太郎冠者:山本 東次郎 やまもと とうじろう
アド・主人:山本 則重 やまもと のりしげ
アド・伯父:山本 則俊 やまもと のりとし
後見:山本 則秀 やまもと のりひで

いやあ、狂言の一人芝居をはじめてみて、実に興味唆られ味わい深し。深草でのお祭り見物。
伏見の話なので、何か身近。馬がいっぱい、さまざまな見物をしているただ一人の演技のうちに、馬の住まい、建物や調度の佇まいが浮かび上がる。

野村萬さんの飄々としたはじまりからは、あのけっこう闊達な一人相撲は想像できないもの。
けっこう、良い人ではない人物の図々しくも自嘲気味の生き様。
どこか哀しいけれど、その悲しさと可笑しさが混じった感じが独特のもの。

なんとか左衛門がいっぱい登場。でも、結局、見物左衛門さんはただ一人なんだな。
突然、ぶりぶりざえもんを連想した。

山本東次郎家の「素袍落」も、正月らしいものといえなくもないが、「末広がり」などとは違い、一種、人間の裏表、小賢しい可笑しさに満ち溢れている。
酔っ払う様のモノマネ芸がさすがの世界。

夜、妻と録画していたスイス映画(2006年、86分)『マルタのやさしい刺繍』を観る。
1972年生まれのベティナ・オベルリ監督。
小品だが、なかなか、はじめの暗いところからの展開が秀逸。
そして、一直線ではなく、いささか、ねじれながら80歳からの再出発をスイスの田舎の現実と風景の交錯のなかで浮かび上がらせる。


1/6(金)

大学へ行く前の早朝とか帰ってからとかに、録画しておいたアーツ映像を見ることが多い。

今日は、新春能狂言の3日目、宝生流の近藤乾之助さんらの「三笑」を楽しんだ。
中国の隠遁生活とか仙人になるとかいうことが尊ばれた時代のお話。
自分が決めたこだわりすらどうでもいいやと笑うという大らかな珍しい題材のお能である。
でも、手を打ちて笑うっていいながら、顔は笑わず。狂言との違いにまた、面白さが増す。
一つ、知りたくて判らないことがあって、それは、太鼓が使われる理由のことで、まあ、原則ということだから、死者の霊魂や鬼神以外にも使われることがあるのだろうが、そういう演目ってどんなのがあるのか、知りたいなとは思う。

もう一つ、かなり前に撮っていた上方落語、桂春若さんによる「天狗裁き」。
独特の語りのように思う。若干、講談ぽい。演目がそうなのかどうか。偉いさんも天狗さんも結局俗物やん!というなかなかにシニカルな笑いであった。

大学に今年はじめて行く。
初日から、1限目というのは、何かとあわただしい。
劇団態変の11日などの企画をあわてて印刷室で刷ってから、出かける。
11日は、少なくとも2名(4回生女性)は参加するようだ。(僕が出られないかもというと少し不安そうだったが)。

政治学概論?が80名、イベントデザイン論が90名前後。下宿組の2回生などが成人式の関係があって、来ていないことが少ない理由の一つ。授業アンケートは来週にすることにしたので、忘れないようにしなくちゃな。

2限目の授業では、取手アートプロジェクト2006のなかの野村誠さん中心の映像を後半使う。老人ホームでの音楽活動の文書を読み合って、10年以上前の日本道路公団の5分番組も見る。きむらとしろうじんじんさんがいて、10年以上若い、妻も一緒に見ることになる(笑)。

以下、少し、学生の感想:

・・・・・
◎ いろんな物が楽器になり芸術になるんだと思う。普段何も気にしていないが、よく考えると様々な物から音が出ている。感じ方しだいで変わる。たとえばこうやって書いているときも字を書くペンの音や自分の呼吸・・・など、芸術に囲まれて暮らしていると思えた。また、その芸術の伝え方や感じ方も一人一人違うのでおもしろい。何でも芸術につながるし、誰でも芸術家になれるなーと思った。

◎ 必ずしも完成されたものが楽しいものではないのは確かにそう思う。何がしたいの?何をみせるの?そんな疑問をもつようなものでも、見ていくとおもしろいものはたくさんあると思う。抽象絵画は一見何を表現しているのかはわからない。私はそういう絵を見ていると不思議な気持ちになる。決して不快なものではなく、むしろ心地がいい方である。「何を表現しているのかな?」と考えながら絵を見ることも楽しい。それと同じようなものではないかと、今日の映像を見て思った。

◎ 話しの「間」が大切。野村誠さんはお年寄りの意見を良く聞く。けど全ての要望には答えるわけじゃない。決まった形式はない。野村さんとお年寄りとの立場が逆になることも。「ぶらり」やってくる」という表現・・・
「あーだ・こーだ・けーだ」について。応募した人たちに関わり合いを持たせる。ひとりではできない発想をする。様々なパフォーマンスを組み合わせる。やってみることが大切。ハテナ?ってことも大切。ハテナ?が多いことが楽しい、良い。
 元あるカタチをこわして新しいものを創るのは難しい。だから、カタチのないものを創ってる?

◎ 野外野点が面白そうだと思った。野点をしていた人の見た目が既にアートだった。スキンヘッドは人体カンバスにもってこいだと思う。
 「よくわからない何か」=「?」を行うことは、人間の恐いもの見たさの好奇心をかりたてるのではないだろうか。物体(実体)を持たないというのも、自分で確認して納得するという作業が必要なので、結果自分から近づいて関わるきっかけになる。それが楽しいのかつまらないのか、忌避したいのかは、関わってみないとわからない。だから必ず一度は接触する機会がある。そんな印象を受けた映像だった。

◎ イベントというのは、大きなホールや大きな集団だけがするのではなく、個人的にもできるんだと思いました。そういう小さなイベントでも楽しめる人はたくさんいることも分かりました。

◎ コミュニケーションというものは、自分の相手も対話することで成立する、と思っていたので、文頭の「自分から発信するよりも相手を受け入れることから」の部分を読んで驚いた。
 確かに私も友人との間のコミュニケーションは自分も相手も対話することで成り立つのかもしれないが、相手の話に耳を傾けるということも少なくとも相手を受け入れるということに当てはまるのだと考えさせられたし、初対面の相手とコミュニケーションを計る時、相手を受け入れる態勢でないと対話はできない。
 しかし、沈黙が辛いから、気まずいからという理由で自分から話しをする訳でもない野村さんは、良い意味でマイペースで自分から話すことが面倒で相手からの言葉を待っているのではない良い雰囲気の持ち主なのだと文面から伝わったし、想像することができた。
 ところが、映像で見る野村さんは、また違った印象であった。文面では「静かな人、だけど、しっかり自分を持っている人」という印象を受けたが、映像で見る野村さんの印象は、「明るくて、自分の意見をはっきりと人に伝える熱い人」であった。
 「わかりやすい面白さ」よりも「面白いのかつまらないのかわからない」を追求することは、場合によってはつまらないと感じてしまう人もいる中でそれを作り上げていう作業がかっこいいと思いました。
・・・・・


1/7(土)

ことしの初ライブ鑑賞が、北村成美さん(なにわ〜おかん〜のコレオグラファーしげやん)の名作3本を連続して見られるというなんて、なんて幸先のいいことだったろうか。

Revival/北村成美『i.d. / ラベンダー / うたげうた』、ArtTheater dB神戸(新長田駅から7分ぐらいかな)。

しかも、である。その作品2000年の「i.d.」や02年の「ラベンダー」、そして翌年の「うたげうた」と、ほぼ10年前の作品を、プログラムAでは、同じ女性のソロ(影出演が「i.d.」にはあるが)で楽しみ(やっている方はかなりのプレッシャーであったろうが)、なんと、プログラムBでは全員男性(「i.d.」の影だけ女性でこれがまたものすごく多義的にこの作品をしているのだ・・)で見られたのである。

プログラムAでは、やはり、過去の北村さんの踊りを連想しつつその違いに意識がいく。
とくに、「i.d.」はさまざまなバージョンがあった(尺がずいぶん違っていたし、体育館みたいなところでもあったように記憶)ので、思い出はつきない。ここで笑いがきたな、とか、東京公演では、ここに笑いが・・とか。きたまりさんの踊りの特徴は「すかし」だろうと思っていて、そういう面で、長丁場のはじまりは、ちょっとすかしたシニカルな舞台から始まったわけかも知れないが。

黒沢美香「ラベンダー」のはじまりで、ヴァイオレット色に上半身とその周りの空気が色づく照明があまりに綺麗だった。「ラベンダー」もけっこう何度も見たことがあり、しげやんの会場との絡み(カツアゲかと初め思ったことがあった)それがやけに懐かしくて、本人の登場を期待させる効果を生ませてくれる。

しげやんによる「うたげうた」は、一度か二度しか見ていないだので、鈴木杏子さんの忠実な再現が好ましくもあるし、ある意味とても心を締めてくる、身近なダンス道場でのしげやんとの関係からもw。でも、しげやんの振付のままで、自分自身を物語ろうとしている感じは好ましく思ったし、つねに、そういう関係のなかで人はいるのだろうと思う。

14:30 プログラムA
きたまり/馬場陽子*(i.d.)
鈴木杏子(うたげうた)
黒沢美香(ラベンダー)

プログラムBは、純粋に楽しめた。関西の若手注目株の下村唯さんや、岡山にいまはいるという三浦宏之さんのことが今度楽しみ。
とりわけ、4人の男子で「ラベンダー」をするところが、大谷燠さんたちぽい遊び舞踏心だなあと思う。ガイズを思い出した。
森進一が美空ひばりのまねをしているような感じがあったり、もっとコロッケ的になっていたりもして、これだけ見て帰る人はよほどの通かもしれない(笑)。

16:45 プログラムB
下村唯/吉川なの葉*(i.d.)
井上大輔、木下出、島崇、中川雄介(ラベンダー)
三浦宏之(うたげうた)

で、最後にしげやん、3連チャン。ヤザキタケシさんについての同じような企画を見過ごしたことを大いに悔やむ自分がいた。
あらためて、「i.d.」におけるしげやんワールドの初源の偉大さ(しかしそれまでの構造計算的北村成美を集大成して突破記念でもあるのかも知れない、その帽子の出だしの衣装とかは)を思った。つまり、まだまだ変化し続けることが可能であるという作品はそうめったにないのだ。

もちろん、「うたげうた」におけるしげやんの静かで影の部分のクローズアップも興味深いし、「ラベンダー」における会場との軽暴力的wな絡み合いにもいつも新鮮な驚きとワクワク感がある。

19:00 プログラムC
(i.d.)、10分休憩、(うたげうた)、10分休憩、(ラベンダー)
北村成美(全作品)/津田英理子*(i.d.) *は影出演





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