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こぐれ日録 KOGURE Diary 2012.1/23〜1/29
こぐれ日録781 2012年 1/23〜1/29
1/23(月)
旧暦のお正月なので、あさ、ツイッターが更新されなくなっていた。
ぶじ、2011年度授業が完全に終了。
政治学概論?や行政法、アーツ演習?は成績もほぼつけてしまっていて、あとは、170名以上いるイベントデザイン論だ。人数の多さもあるし、レポートが五月雨でくるので、なかなか大変。でも、いままで数回したなかでは、アーツマネジメント寄りの先端芸術と限界芸術の遭遇論をメインにしたし、それについてまずまずの理解や共感が得られたのかのかな?とレポートを1/3ぐらい見ていて思っているところ。
最後の3回生ゼミは、就職活動でのシーンに卒業研究を説明するというケースでやってみる。声の小さい学生さんに発声練習をすこしさせる。いやがらずにやってくれてよかった。
あと、Uくんは、ドラマーについて研究するということで一応やってみようということになった。でも、どんな文献があるかなあ??
4回生は、卒業アルバムの写真撮り。大型トランプがいい感じ。
男子3名にやらせをやらせたw
「大阪都構想」について、以下、少し考えてみた。
公益財団法人特別区協議会に設置されていた第二次特別区制度調査会(大森彌会長)の報告<「都の区」の制度廃止と「基礎自治体連合」の構想>(2007年12月 http://www.tokyo23city-kuchokai.jp/katsudo/arikata/pdf/191217/ku_shiryo3-2.pdf )は実に面白い論点をいまの大阪維新さんによる大阪都構想に投げかけるように思った。
もし、東京都が特別区を廃して、特別区を基礎自治体の普通の市にしてしまう(ただし、基礎自治体連合のような財源調整機能をもたす特別な団体を創る)のなら、大阪市を解体し、大阪府を大阪都にしたって、全然いいのかも知れない。
仮定の話でいっているのだが、たとえば、大阪府大阪市福島区は、大阪都福島市(合併するだろうから、違う名前になるでしょうが、一応)っていうことになる・・・すると、住所書くのがシンプルになるだけかも知れないから、いいのかも・・・(ただし、道州制が本当に実現されるのならば、大阪都も京都府や兵庫県とともになくなっちゃうかも知れず、「大阪」という名前は東大阪市あたりに残るだけになるから、大阪市のいまの区名を合併して基礎自治体にするときに、西大阪市とか、大阪中央市とかつけておくほうがいいかも知れない)
つまり、都の区=特別区制度を採用しないのならば、ただ、大阪都構想って単に大阪府を大阪都といい変えるだけにはなる。
そして、現行の大阪市を細分化するということだって、これは、住人がそれをする方が自分たちの住民自治を向上させるのだと判断したらやってもいいのかも知れず、財源調整は、「基礎自治体連合」が担うことになるわけだ。
ただし、東京都では、東京都世田谷市や板橋市となっても十分に運営できる歴史の積み重ねがあるだろうが(名称などは工夫がいるし、合併論議がどうしてもでるかも)、大阪市の行政区にはまるでないのが実情だから、いまの行政区を合併するということだけれど、まず、そのアイデンティティを作るためのワークショップ的な地道な活動をすべきだろう。
また、道州制が導入されるとき、東京都がそのまま残ることも十分考えられるわけで、それにこの<「都の区」の制度廃止と「基礎自治体連合」の構想>が対応しているとすると、大阪都が道州制で生き残ることがどれだけ可能か?ということを考えると、結局、地方自治史という歴史の流れのちょっとしたエピソードとして、大阪都構想っているのがあったと未来に記録されるだけなのかも知れない。
1/24(火)
校務で大学。前期の一般入試日初日。試験監督で、説明する係。
雪はちらほら。
横浜はけっこう積もっていた(はなが写真を見せてくれていた)。
入試の季節。
姪っ子は大丈夫かなあとふと思いだしたりする。
終わって、山科区役所にいって、リサイクルマートの審査。
応募数を増やすのが課題だが、手作りのほのぼのとするものばかりで、ちょっと気持ちが緩む。
エコ政策に熱心な部署なので、リサイクルアート&エコアート企画のように広げるとか、過去の受賞作品などを集めて学区ごとのエコの取り組みのときに展示会をしたらどうかと提案しておく。
祇園四条駅に早く着く。雪が鴨川に舞う。風が冷たい。
たまらず、ワンカップ白鹿。2回生ゼミ解散式の会場に早く着いて鴨川みながらシェリーを飲み干す。
かなり飲んだかも。
都市環境デザイン学科の志望者をどうしたら増やせるかなあとぼんやり思う。
一つは、学部学科の再編成がいるだろう(定数も倍率からみて増減する)。いま、考えている自分だけの案。
政策経営学部
現代経営学科
ビジネスマネジメントコース
ソーシャルマネジメントコース
都市表現学科
建築インテリアデザインコース or建築インテリアコース
観光まち文化プロデュースコース or観光まち文化コース
1/25(水)
校務2日目。
今日は、きほん一兵卒。3限目は面接(転科や編入関係)なので、やはり、試験監督よりずいぶん楽しい。
さいきん、「都市表現学」の可能性について、すこし頭を巡らせている。
ほぼ造語。
検索すると使用例はすこしで、だいたい環境デザインという意味に近いようで、景観を都市の表現という文脈がちらほらあるばかりである。
が、僕は、次のようなことを都市表現学という言葉において考えている(以下スケッチ)。
前提は、都市考現学との連携としての都市表現基礎学=都市現在学、みたいなこと。
都市の表現を可能にする文化資源さがし。都市の水脈を調べていく面白さ。とりわけ、考古学を踏まえて考現学的に眺める楽しさをまず考える。
それを基礎として、
1)都市を表現する
2)都市で表現する
3)表現する都市へ
と仮に分類しておく。
つまり1つ目は、都市を表現すること。
住宅建築やインテリア設計もふくめ、都市生活者による都市の表現の積み重ねが基本である。
したがって、景観はもとより、グラフティや広告、まちのニオイ、ストリートファッション、歩くスピード、群衆のあり方などとともに、それらを仕掛けること・・たとえば、都市のイメージアップであるとか、各種イベントプランニング、不用になった施設をリユースするなどのまちつかい、観光都市政策がこれに当たるのではないかと思う。都市計画や都市整備の新しい次元という感じである。
2つめが、都市で表現すること。都市において、都市とともに、といってもいいかもしれない。
専門的な芸術場(施設)をとっぱらって都市そのものをステージ(キャンバス)にすることがすぐにイメージされるであろうが、もっとひろく、アーツマネジメント、地域芸術環境づくりなどの一つの断面でもある。
つまり、ある都市を選んだ住人や芸術家、職人、デザイナーなど文化的な表出行為の場としての都市である。「都市とアーツ」などの講義などもそういう意味だったかも知れないが、限界芸術を大きくクローズアップするので、自由に生きる都市、都市は人びとを自由にするという自由都市的な意味合いとなる。
3つめとして、シティプロモーションとのご指摘があったことから、おもいついたことでもあるのが、
「表現する都市」の形。都市表出、都市表象。
あるいは、創造都市から表現都市へという言い方も可能かもしれない。
1/26(木)
28日のために、すこしフォロー作業をしていて(イ君の修論について)、地味にすごした木曜日である。
3回ゼミ生で、ドラマーがいて、その彼が研究したいのは、やはり、ドラム音楽とかドラムセットの楽器についてということになる。
もちろん、かっこいいドラマー研究というのもあるのかもしれない。パフォーマンスビジュアルとしてのドラムセットと身体の関係などなど・・・
まずは、歴史からだ・・・
http://www.geocities.jp/dixie_queens/DixieStory7_7.htmより
「1894年にディー・ディー・チャンドラーと言う小太鼓奏者が自分の右足で大太鼓を打ち鳴らす木製のフットペダルを考え出し彼は小太鼓と大太鼓を同時に演奏し大いに話題を呼びます。ここからドラマーは椅子に座る様になり、そうなると「もう一方の左足でベッケンシンバルを鳴らそう!」とハイハット・シンバルの原型が考え出されそれ迄は複数人数が絶対条件のドラムと言う楽器が僅か一人で演奏可能な楽器に変身します。(DRUM⇒DRUMS)」
なるほど。
大阪成蹊大学芸術学部での最後の授業。長岡京のまちを歩くのも当分ないだろう・・・
帰って、K-POPの代表グループの一つらしい少女時代のDVDを買っていたので観る。音楽は日本のアイドルなどのものとかわらない。もちろん、コリア語が繰り返されるので、すこしずつ、耳に慣れてきてそれがおもしろい。オパオパとか・・・
ライブのおまけが授業に使えそうだなとか思ったり。
1/27(金)
ドリームコンサートと文化体育観光部との関係・・・これで、K-POPのドリームコンサートの共催者が、韓国では文化を担当する国家の省がやっているんやなあと分かる人って、きっと、かなりの韓国通なのだろう。
2008年に、従来分かれていた国政広報処を合体してできたのが、文化体育観光部なので、文化(広い意味のアーツ)を国の広報戦略として活用しようという意欲満々の国組織編成であることはいうまでもない。
韓国の文化政策は、舞踊についてがとても興味深かった(朝鮮民族伝統文化を誇るための脱植民地化政策から始まりつつ、どんどんダンスのジャンルも広がっていく)のだが、そのうち、映画の国家的振興が目覚しくて、日本もイギリスの復興と同じように見習おうっていうことになったのが10年ぐらい前。
ダンスについては、まだそういう風に思う人は、たとえば、JCDNの佐東代表とかw、まあダンス関係者に限られるのかもしれないが、音楽は、西洋クラシック音楽分野はともかく、ポップスについては、ひょっとしたら、韓国のK-POPの研究が進むのかもしれない。
K-POPの勢いがどれほどまで続いていくのかどうか。まったく見識もないのだが・・・少女時代を観た昨日。今日は、修論や卒論や期末レポートやらを日中ずっと見ていたあと、2008年のK-POPドリームコンサートを見ている。夏だろうな、広い、おお、ソウルオリンピックのスタジアムだ・・・
1/28(土)
10時から、二人の院生の口頭試問。
二人の副査の先生が丁寧に読み込まれて、鋭くも暖かい質問をされるのを、半分、こちらも指導不足だったなあと反省しつつ、立ち会っている。
特に、韓国の文芸会館の分布やその特色であるレジデントカンパニー制度については、それだけで丁寧な修士論文にできるだけの魅力を日本側の指導する立場では感じるのであるが、立場が違うとやはり問題意識が変わるわけで、韓国の文化政策が国家戦略的な位置づけのためもあって、こちらのように、市場原理主義的な猛威のなかで、防御するのが精一杯なのとはずいぶん様相が異なる。
ほんと、指定管理者制度を一律に芸術施設に適応されるのを部分的に修正できないか?などと手先の議論をしている(劇場・音楽堂法案って僕にはそういうものでしか価値を見いだせないのだ)のとは違うとつくづく思う。
また、芸術政策(アーツマネジメント)の公共性論(アーツ自身の公共性と混合してしまうことも多くその整理も必要だが実はどうしても渾然一体化することも多い)のところはもう少し自分自身考えをまとめておき、造語的な部分は丁寧な解説の必要があったなあと用語論的に思うことしきり。
具体的には、韓国では当たり前の国家的威信価値説を地域文化主導のアーツマネジメント的にどう置き換えるかとあれこれ思っていて、いままで「自信交通価値説」などという、国の威信発揮という対外戦争的な威勢の良さではなく、地域の誇りを住人が共有する(地域の一つに国があってもいいが)という意味で「自信」、そして、その自信が持てるアーツ展開によって、他文化との相互理解、水平的・多文化的「交通」(コミュニケーションの意味で、運輸交通の意味ではない)ができうるっていう意味で使っていたが、やはり、もっとすっきりすべきだなと午後の話を聞きながら、あれこれ模索。
で、いまのところ、国家的威信を含めて、地域のプライド価値と置き換えたらどうか?と思っている。
地域プライド価値説。また、地域ブランド形成説というのも系としてあってもよく、地域アイデンティティ形成説と続き、その系として多文化交通説としておくと頭の整理ができるかもしれない。
いろいろな市場価値以外の価値を総動員して、いずれにせよ、芸術(アーツ)政策の公共的必要を伝えることがどれほど大事なのか、と思うと、K-POPを韓国文化体育観光部やその外郭組織が日本初め世界へ売り込み、国家ブランド形成につなげようとしている世界を視野に入れて、まあ、日本流の辺境国家ならではの肩のこらない等身大文化政策の理論構成とその実践をなんとかしなくちゃ!と思いつつ、浪漫屋で院生たちと歓談した。
それにしても、一人で勉強を続けるのは大変なので、こういう研究発表の場は確かに大事だと最近ようやく理解しだす。それにしても、文献講読みたいな院生や意欲的な学部生、あるいは卒業生らの集まりがいるのだろうし、それを中谷先生などがしていただいているのもまた確かでうまく、文化政策研究の輪を大事にしなくちゃと数日、院生の論文とにらめっこしていたので、しみじみ・・・
1/29(日)
あと一週間ぐらいは、年度末的処理に追われるのだろうな。
でも、未来(先)のこと、そして、今年になって少しやってみようと思っていることをした日曜日。
先のこととは、ずっと松本部会長に任せっぱなしにしていた、学会との関わり(午前中、うちのゼミ生は少なくとも学外授業になるということを一応言っておこう)。
そして、今年のはじめに決めた(正月には一応何か決めるのが日本の風習だからw)こととして、映画は映画館でできるだけ見ようということや、関西に閉じこもるのをすこし緩めようということだったのだが、そういう意味で、はじめて、関西からすこしはみ出す午後だった。
とはいえ、JR六甲道駅(灘区民ホール最寄り駅の一つ、徒歩15分)を12:01の快速で出発すると、新大阪駅乗り換えで、名古屋駅まであっという間(13:30ぐらいだったか).地下鉄がわかりづらいので(市バスという選択があったわけだが)、小型タクシーで1000円ちょっとで、名古屋能楽堂到着。良い感じの一帯だった。石垣から水が流れていたり。カレーきしめんとか食べようかと思ったが、ちょっと無理そうだったので、能楽堂へ。
和服姿が多い。展示室では、能面をつけてみるというコーナーが人気だった。
大きな能楽堂だ。松が若くて葉っぱが大きくローズアップ。面白い(男子学生みたいな黒子が舞台セットを動かしていたのも微笑ましく)。あとで、ニシムラさんに思い出しさせていただいたのだが、老松ではないかという論争があって、隔年で松が若返ったり老成したりすることになった(妥協?)そうだw。
『待つ春に―邦楽と朗読の出会い。―』、14時半すぎから90分間。長くはないが、なかなかに濃密でかつ静謐なプログラムだった。途中、対談(shelfの矢野靖人さんが、76歳の邦楽の山田隆さんに話を聞くという感じ)が30分入っているから、1時間だが、歌舞伎音楽って、長唄とか三味線が賑やかな感じがあるのだが、篠笛(福原寛、能管もクライマックスなどでは活躍)と小鼓(望月太三郎。いやあ、越後獅子をこういう一音一音とその隙間の静寂を合わせて刻むって初めての体験なり)を能楽堂で鑑賞できるって、至福。
ところが、その上に、shelfの川渕優子さんの朗読があるんやから、交通費かけても十分に価値ある公演だった。落葉松(北原白秋)の最初はちょっと物足りない感じがしたが、最後の同じく詩の朗読なのだが、傷をなめる獅子(高村光太郎)になると、大迫力(ちょっとサービスぽい感じはして、それもまた微笑ましく)。
それでも、僕は、散文の朗読が、邦楽との相性とかとは別に好きだということもしみじみ分かった。夏目漱石「夢十夜から第一夜」。まあ、テーマが埋葬だからなあ。樹木葬もいいが、埋葬したあと、そこからユリの花が出てくる方が(ゴチック的)ロマンティックではある(小説仮構の世界だけれどね)。
外郎は、青柳と大須。あときしめんパイ。今度中部圏に行ったら、「つけてみそかけてみそ」というチューブを買ってみよう。
昨夜の二日酔いはいささかあったが、いい一日だったね。
神戸市立灘区民ホール全館を活用した前向きな企画会議だったので、午前中も有意義。
12/1(土)に開催される日本アートマネジメント学会の全国大会について。
予め用意していたキャッチは、「創造都市から表現都市へ-文化機関・事業のサッパリとした終わらせ方-」だったw
話したら、ポスト・クリエイティブシティを偶々思ってられる誠実な研究者もいらっしゃるし、文化財団のエンディングノートという発言もあって実に創発的だった。
僕も、ポスト・アウトリーチなんて呟いたし、百家争鳴だったな。分科会は最大3つぐらいか?
電車の中で、二つほど。タイトル私案
☆ 表現都市-共生社会の「芸術営(アーツマネジメント)」知を考える-
☆ 芸術営「知」-綺麗に終わって、素敵に再生するために-
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