22 11/3(水/祝日)
劇団八時半「黒い空とふたりと」OMSフォーラム
劇団八時半「黒い空とふたりと」作・演出:鈴江俊郎、14:03〜15:38。
大阪の扇町ミュージアムスクエア(OMS)フォーラムにて。
今回ここの宣伝美術(チラシ)を担当した地石浩章さんと出会った。天井が暗い地下通路(地下鉄?)に、ヘアの赤い女性が二人いる写真、それが左上に小さくのっているチラシだ。
その「さよなら方舟」にププラ・モーチカとして出ていた桝野恵子が劇団員になっている。あと、林賢郎という役者も入って、劇団八時半は鈴江の心の襞のうちに向かうだけではない、なんだか浮き浮きする感じが出てきたように思う。
とは言っても、冒頭の鳥の声。そして列車の音(音響効果:狩場直史)。
それらは、小田桐美和(中村美保)のせっぱ詰まった心象風景であり、自殺への序章ではあるのだけど。
下手の窓に向かって小田桐は手を振っている。それが実時空。でも半分は、別の時空に彼女はあって、空を飛ぶ時に感じる鳥の不安を呟いている。
ここは、職員室(装置:西田聖)。でも、上手に中途半端な和室があったり。教員の机も決まっていない。上方に緑(夜には、ちかちかする擬似的星になる)。
当初は生徒も出入り自由だった。高校中退の人たちの塾(昼間と夜間がある)だからだ。
偏差値とか学歴社会とかとは違う世界を創ろうと始まった、大学入試検定試験を受ける生徒のための予備校、自由学習塾「そら」。
教員の4人は共同出資者ということになって掃除当番も交替で行う。上下関係や管理社会を持ち込まないように、という理想主義的な集団だ。
創始者で残っているのは、保科(鈴江俊郎)と明石(桝野恵子)。二人は以前付き合っていた(明石はまだ保科を強く思っていることは中盤に明らかになる)し、新左翼運動を少し前まで続けていた(明石はいったん脱落したが、今度はシンパとして支援をしている。このことは、深夜の盗聴されているかも知れない電話で明らかになる)。
場面は小田桐のつぶやきの後、もっとも現実的な大久保(山岡徳貴子)がやってくるところから始まる。生徒で美男子の竹下?君に告白された、と大久保。実は小田桐も彼から告白されていて、2日前には明石もその告白を受けたのだが。
保科の父親から送金を受けてこの塾は何とかもっている。それで保科はつらい(不安定になる)。新しい先生(北:林賢郎)が来ることになっているが、保科は明石には伝えていない。明石は、お金もないのに先生を増やすなんて信じられないからだ。もし入れるのなら、自殺未遂を繰り返す小田桐をやめさせてからにすべき、という。
でも、高校を中退し6年間「引きこもり」をしていた小田桐を切り捨てる時は、もうこの塾をする意味がない時だと、保科は思っている。小田桐は不思議と生徒に信望がある。
北は、東大文1に入ったが出られなくなり、すぐ除籍されている。中退ですらない若い男だ。緑のトレーナーでバクテンをやろうと朝早く来る所など、不用意ながら、彼もまたここでしかやっていけない人なのだろう。
保科にはこの塾しか「手応え」がない。彼の手応えのために塾をするのはごめんだと明石。二人の葛藤とは別に、小田桐は最終の自殺へと静かに準備する。私のことを覚えていてくださいね。ということばが大久保に伝えられる。
大久保が5人のなかでは最も現実的だ。少しは社会に対して不適応なことがあったりするのだろうが、この社会をいま何とか出来なくとも、歴史が証言してくれるから闘うのだ、という秘めた(明石のような)決意などはなさそうだ。
でも何だか彼女のことをぼくはもっと知りたいような気持ちになった。「普通と普通でない中間」に身を置く彼女のような人たちが、実際は多いだろうから。
そこから3人のビターな出発が新たに始まる。紺のブレザー(大手予備校の先生の制服だろう)を着て、ばたばたと部屋を動いている3人。北が支部長になっている。大手予備校の傘下に入ったのだ。
テンポがアップするのが空しいが小気味いい。
小田桐の一周忌だから、勿論、心は淋しさが溢れているけれど、今日は本部による会計検査の日でもあるのだ。はげちゃびんの本部おやじが来るので、書類をきちん広げたり衝立を立てたり。
このビターな現実感に、保科から北への責任者の移行に、この芝居の要点が集約される。
でも北にとって、空に飛ぶ時の不安な気持ちは小田桐からしっかりと受け継がれてもいる。
今までの鈴江作品と陸続きの内容ではあり、彼の作品の特徴的な面が集約されているものだが、とても新鮮な気持ちになった。
どこか風穴があいたというかダイナミックになったというか。うちに向かうベクトルと外の様相が交錯するようになった。
天皇制とか国旗国歌法制化とかの危険には人一倍敏感ながら、その運動の在り方や気持ちの動きを決めつけずに描く強さが、坪穴に入りがちな演劇集団などの有りようとも結びつき、心で考えさせられる芝居だった。
「こぐれ日記」の扉へ
無断転載禁止 掲載:アーク編集室