14 1999/10/10(日)

碧水ホール(滋賀県水口町立)企画上映「映画---20世紀の証言力」。

碧水ホール(滋賀県水口町立)

10.10.日(祝日) 

3度目の碧水ホール(滋賀県水口町立)企画上映「映画---20世紀の証言力」。最終日。

思いがけず凄い現場を見れて感激した巨匠ピカソ=創作過程。21世紀を主舞台にするだろう10代の若手のヒリヒリビデオ。それにいま上村さん(碧水ホールの学芸員)が最も衝撃を受けているイスラエル映像作家(私もその社会の複雑さに知識のなさに情けなくなりながら、インタビューの的確さに納得)。

今日だけでも簡単にその傾向はくくれないが、この5日間の企画の幅の広さは、20世紀という時代のわけわかんなさ、であり、それを記憶する様々な視点の限りなさ、の反映でもある。

1956年、80分、フランス語『ミステリアス ピカソ〜天才の秘密〜』、監督/アンリ=ジョルジュ・クルーゾー(「情婦マノン」、「恐怖の報酬」など)。

フランス政府により国宝に指定されるのは十分に分かる。パブロ・ピカソってやっぱり何かその描く過程の遊び心に蹴落とされるような、迫力がある。

裸のもう若くない(75歳ぐらい)体のままで、撮影されているのだが、ほとんどは、線が生まれ、色が塗られる(逆に色がいくつか塗られてから線が形づける場合もある)紙だけが、透かしてキャメラで撮ることによって現れる。それが全く退屈しないのだ。

上映時間にほぼ一致するぐらいの速い線画から、油絵に移る。横に画面が広がるのも思いがけない贈り物のようで嬉しくなる。初めは、女性の裸を視る歳取った男二人とかのカリカチュア的な晩年に大量に創られたものだったので、油絵において、こんなに試行錯誤し、大胆にせっかく描いたものを消していく姿は、陳腐な言い方だが、頭が下がる。初めはデッサンが普通でそれはキュビズムみたいにするためにまず下絵として描いた物ももちろんあっただろうが。

天才のひらめき、だけではない。凡庸な私など、何枚も作品としてバリエーション化して残せるじゃん、なんて思ってしまうわ。もちろん、映画を撮っていることで、ピカソにもある半意識的演出(カメラが視ているという状態はそれは普通ではない)があるのかもしれないが。

ピカソだけ見に来た人が多かった。

午後からは、ここが初めての若い人がやってきて、セディ・ベニング作品集、9作品で84分。

「1973年アメリカ生まれのビデオアーティスト。15歳の時からオモチャのビデオカメラで作品を作り始め、最初の作品『新しい年』(89年、4分)から注目を浴び、レズビアンとしてのあこがれや捉えどころのない感情を表現する作品を作り続けている」。うーん、やっぱり親が熱心に彼女の作品を外の評価に持ち出したのだろうか。

きゅっというストップがナイーブだけど、ある決断や編集の初源のような鮮やかさを見せる。『リヴィング・インサイド』(89年、4分)。薄暗い中に、ノートか紙切れに書かれた手書きの英字が、流れるように映る。自分の目、鼻、口が目の前に映される。フォークの弾き語りぐらいの短さと潔さだ。

『私とルビーフルーツ』(89年、4分)。『もしどんな女の子も日記をつけていたら』(90年、6分)。女の子同士では結婚できない。ああ、レズビアンの目覚めだ。手のひらの指が暗闇に鮮やかに浮かんで映っている。

『ジョリーズ』(90年、11分)、『ラブリーと呼ばれる場所』(91年、14分)、『女の子の力(パート1)』(92年、15分)、『それは愛ではない』(92年、20分)、『ジャーマン・ソング』(95年、6分)。

忙しく映像を追っていて、ついうとっとする。彼女がほんとに感関心のあることだけのエッセンスだけだから、やっぱり想像力で追いつけなかったりもする。

10代の時にある、自分が小さかったときの衝撃的なニュースとか記憶は、その10代の時でないと感じれないような、ヒリヒリ感があって、そのヒリヒリ感が頭では分かっても、もう私には残っていないことに、愕然とした。

 

最も書くことが困難な映画が残ってしまった。アモス・ギタイ監督「エルサレムの家」98年、89分、ヘブライ語、英語、フランス語、アラビア語。

1950年イスラエル生まれ。ギタイ監督は、建築家をめざしたという。このドキュメンタリー映画はまさしく、代々住む民族、家族が変わる「家」と通り、そして遺跡という建造物にまるわる映画。

第四次中東戦争に召集。イスラエルのテレビ局用に20本ほどのルポルタージュ番組を制作するが、相次いで放送禁止処分。1982年の『フィールド・ダイアリー』は、イスラエルでは激しい非難を浴び、その後自発的な亡命者としてパリに移住。93年に帰り、年に2、3本のペースで映画製作。

パレスチナ問題、中東戦争の時は、ユダヤ人(イスラエルの)は、イスラエル軍として、パレスチナ解放戦線を弾圧する悪者に私には単純化されて映っていた。そして、アウシュビッツ関係のホロコーストでは、ユダヤ人はもちろん崇高な被害者であり、救済する国家も必要ではないか、というシオニズムにもどこか共鳴したりもしていた。

つまり、断片的な反応を、ときどきのニュースにしているだけで、イスラエル人の内在的な眼から世界を眺めるような機会は全くなかった。この映画はそういう面でもものすごく新鮮であり、面食らう。

イスラエル人がイスラエルの人に雇われているアラブ人にインタビューすることの大変さは、啓蒙でも反省でもないとしたら、あるのはクールな客観性だけなはずだが、どうもそれでもないのだ。

インタビューの中で、あなたが住んでいるこの家の前の家族のことを遡って調べたいと思いませんかと尋ねるところがある。と、そのユダヤ人は、私の先祖を探る方が大事なので、時間の余裕があればそれもするけれど、と答える。でも(と観ている私も考える)。この「家」の民族の血縁ではないつながり、そこに民族間、宗教間の対立を超えるヒントがあるはずだし、その家が集まる通り、街区、そして都市。エルサレムという都市が国家よりもずっとずっと古いわけだから(イスラエルという国家はまだ建国前の姿が歴然とみんなの前にある)、国家は都市の統一のための、一時的な道具でしかない、と逆転して考えたいと思う。そうするにはどうしたらいいのだろうか。

最近カナダ国籍を取った(88年ヨルダン国籍をなくしてからは居住権のみだった)というアラビア人(娘さんも取ったのだろうか)の話も、フランス語の方がヘブライ語よりしゃべりやすいベルギー出身のシオニストで風刺漫画家のユダヤ人の話も、言葉、が大きな鍵を示していた。アラビア人はヘブライ語を習ったが使うことがないので忘れてしまう、といい、その娘はアラビア語をしゃべると襲撃されるかも知れないので英語でしゃべるという。

昨日と今日、ロビーには映画のチラシが展示されていて、B5版が多いものだなあ、とか。自分は当日に映画館に行くので、カタログを買うしか観た映画の情報がなく、チラシの方はなかなか手に入らない(観てないものの方が多いぐらい)。だから、これを集めた蓮見昌寛さんって、どんな人だろうと思っていた。

最後にソフトドリンクとおつまみで打ち上げがあり、この提供者蓮見さん(水口町の在住の人。碧水ホールのヘビーユーザーだ)のトークがあって、彼が若いので驚いた。60歳ぐらいの人かなとかってに想像していたからだ。


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