Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》ACCO-anthology

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3.2.金 
アッコシアターセンター(イスラエル)『アンソロジー』ART COMPLEX 1928

三条美幸通町角1928ビルの前に、19時過ぎてから行列ができ出す。

前の姉妹は神戸から初めて来たらしい。彼女たちにCAP HOUSEの宣伝をしたりして時間をつぶす。仕事場から近いこともあるが、それまでも時間が余って困った。

20時始まりというのは、ART COMPLEX 1928のポリシーなのは分かるのだけれど、私のような朝人間&ローカル路線の者には帰りがぐっと遅くなるので、今日のように90分以上ある舞台では19:30始まりの方が助かる。

整理券をもらって、3階に上がる。収容所の写真が展示され、コニャックが置いてある。縦縞の収容服を着せられたユダヤの子どもたちが歩いている写真。

ロビーの奥の方は暗くなっていて、古い結婚写真などユダヤの古いお家を訪ねたようなしつらえ。なかなかに素晴らしい導入である。

グルービズムカンパニーの佐東範一さんが、99年5月に、イスラエルのアッコという小さな湊町にある古い建物を利用したアートセンターでこのステージを見て忘れられなくなって、香港にここが招聘されたのをきっかけに、日本にも来てもらうことにしたもの。

イスラエル・アッコシアターセンター製作『アンソロジー〜来るべき新千年紀への明暗』演出/デヴィッド・マアヤン、出演:スマダル・ヤアロン(ピアノを弾き歌い語り、息子を捜す老母ゼルマ)、モニ・ヨセフ(ピアノの下に毒マスクをして隠れていた40歳を超えてもまだ子どものままの息子メナシェ)。

待っている間から、ピアノは弾かれている(「さくらさくら」など)が、一応左右に分かれての客入れが19:55。

グランドピアノを取り巻くように並んだ客席部分が暗くなるのが20:05。

一応の終わりが21:39(息子が眠っているのでそっと帰って欲しいといわれる。ピアノはまだ鳴っているし、客席にまだ少し残っていたい人もいる)。

ロビーでもピアノの上でもロウソクの他に線香が1本灯っている。神さまが世界を作った話を息子に語り聴かすように、小さな声(英語)で始めるゼルダ。隣で櫻井夢子が翻訳するが(客席とのアドリブやドイツ語もある)、彼女は役者をしていることもあって、なかなかに聴きやすい通訳をしてくれる。

4日目に私たちを創った神さまは、5日目に電話やゲーム機を創り、6日目に、人種やDNA、様々な相違(differences)を創った。その結果、恐れ、恥・・・などが生まれてしまう。

私たちの仲間にもパレスチナ人(アラブ人)がいて、個人的には親しい人も多いのだけれど。でも、アラブ人ってslowなのよね、DNAか何かのせいかしら、と小さな声でここだけの話よと言いながら話す。
これが、黒人とかチェコ人とか様々な人種に対し、(きっと「隠された差別表現の意識化のために」だろう)繰り返される。
少し臭う、とか、少し足りないとかスロウとか、遺伝子かしら、と。

まさしく、ユダヤ人として彼女が言われてきたことを返していく。外は日本人が一杯だから怖い、息子は大丈夫かしら、というのはかなり強い皮肉がある。勿論、ナチから逃げてきた自分たちの歴史の強迫観念だろうけれど。

話しかけて私たちが反応しないと、それが日本の文化ね、とか言うアドリブも面白い。

英語なのか、ユダヤの言葉(ヘブライ語の末裔、イディッシュ語というのだったか)なのか分からないところもあった。息子メナシャを呼ぶ母ゼルマ・・・

それは、逆の人種優越主義であることを老母故に知らないかのようにではあるが、実にリアルな感じがある。

・・でも、そんなことより大切なのは音楽。

音楽はみんなユダヤが起源なのよ。

スメタナの曲と知られているあのメロディーは実はユダヤの賛美歌なのよ、スメタナが盗んだの。
ソウルは黒人がゴスペルの図書館から盗んだもの、
タンゴはアルゼンティーナが(失ったものを求める振動をオリジナルは歌っている)。
ワルツはあのオーストリア人(オーストリア人は名前がみんな同じようで忘れてしまうのよね)が盗んで、みんな儲けている。ワルツはもともとユダヤではマイナーの曲なのよ。違うでしょ、心に届く深さが。

オーストリアと言ってから、彼女は第2次大戦時に戻っていく。

私の可愛い坊やが4歳だった。坊やを捜しに部屋を出る。

代わりに42歳になった坊やがガスマスクをつけてピアノの下から出てくる。

《日本のあなた、僕と結婚してくれませんか。客席との会話。空手、柔道を習って、あなたをずっと愛しますよ・・・おしっこ、トイレに行きたい。ぼくのかあさんになってくれない?》

ゼルダが2階席の前に立っている。
客席に向かって、歳とって体が弱い者は左側、若くて元気な者は右側へ、と叫ぶ。
右の者たちは強制労働へ、左はすぐにガス室送りなのだ。
ピアノの上が舞台となる。ラスト近く、最も激しく狂乱する部分が圧巻だ。

メナシェの背中には何か入っているのだろう、曲がった彼の背中が心の抑圧を、母の怯えと怒りを表している。
ジャーマンドッグ、アウシュビッツへ行く子どもたちの列車。
演劇的なステージの中でここは最も身体に注目する所。

ピアノを弾き、倒れるのも、演奏会のようではなく、舞台を演じているのは確か。でも、音楽としてきちんと聴かせ、しかも舞台として成立させ、それ以上に、ユダヤの内奧の家族の「家」を体験させつつドキュメントする要素がある。

広島、長崎、南アフリカ、コソボ、南京。ホロコーストは歴史的な過去ではない。

最後に初めの語りが少し。また、子どもを寝かせるための子守唄、いや、寝物語の時間がやってきたようだ。1928ビルの外の音が大きいことに初めて気づいた。小さな心の声を聞いていたのでとても用心深くなったせいかも知れない。


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