Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》AICHI-borderless
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朝から名古屋に向かう。
愛知県芸術文化センターの文化情報センタースタッフの唐津絵里が編集した『身体の知性 L'intelligence du corps』(愛知県文化情報センター、99.3発行??)を手に入れる。
アダム・ベンジャミンとヴァルグガング・シュタンゲのダンス・ワークショップ(障害のある人も含めた「すべての人間」を対象とするもの)の様子(言葉や写真)を中心に、ダンスに関する名言が散りばめられて、小さいけれど奥深く意欲的な冊子だ。
唐津絵里の文になる「踊るダンスと観るダンス」そして「誰もが創造的に生きるために---すべての人に開かれたダンス---」。
巻末にあるここのアートライブラリーの「舞踊関連所蔵図書・雑誌目録」と「舞踊関連所蔵ビデオ・レーザーディスク目録」なども役に立ちそう。
さて、その唐津絵里の企画(この愛知県文化情報センターは、映像の越後谷、音楽の藤井などというふうに企画プロデュースする人がジャンルごとにいてそれぞれ競い合っていて、それがいい成果を産
んでいる)である「コンテンポラリー・ダンス・シリーズ 3」のうち、〈1.国内の振付家〉「ボーダレス時代の個性たち:バレエ〜舞踏」。
愛知県芸術劇場小ホール(来週に〈2.海外の振付家〉がここである)。東京からもメセナ関係の人たちなどが駆けつけている。
ステージに登場する面々をみると、一見、今は盛りとする東京的な振付家という感じもあるが、「この場所でしかできない企画にしたい」というこだわりもきっちり入っている。つまり、主な参加者は愛知県(伊藤キムの出身地、愛知県知立市に文化会館/パティオ池鯉鮒が夏にオープンし9/9には彼らのダンスあり)か隣県の津市出身(笠井叡)であるし、また、バレリーナとの初めてのセッション(山崎広太)とかもある。かなり贅沢なラインアップだ。
少し欲張った分、4つが独立しているので、幕の内弁当のように少しずつ色々でもトータルで調和しておいしい、という感じではなくなってはいる(とはいえ、最後の7人登場のアンコールみたいな乱舞は2分という短さなれど最高であった)。
ただ、伊藤キムの初々しくも完成された作品をもう一度観れただけでも大いに幸せであるし、笠井叡のノンストップダンス(懐かしきディスコを髣髴とさせる)も、変な深さを出さない居直りが心打つものだった。
13:10〜14:50。
ゆっくりと暗くなる。まず、伊藤キム+輝く未来「生きたまま死んでいるヒトは死んだまま生きているのか?」。
輝く未来の3人(遠田誠、太田博久、前田紀和)が、下手から裸でやってくる。小柄な太田博久(たぶん)は初めて観る若者。動きも反復が多かったりして新鮮に思える。上手はストッキングを被った伊藤キム。94年に池袋の東京芸術劇場で見たときよりも、横に広がっていて、近くに座っているせいか、3人が独自な踊りを不自由な中でやっているように思える。それに、陰毛もきれいにないおちんちんを握っていることや顔の隠しが、あまり衝撃的だったり恥ずかしげではないように思える。ぞくっとする滑稽さが幾分か減少しつつ、それらに交じって余裕とかわいらしさが観られる。
でも、劇的に赤い光のなか、ストッキングをはずした弁髪もないキムの頭から始まる、ソロの滑らかで心洗われるダンスが際立つぐらいには、シーン間の構築された「断絶」は十分感じられた。
そして、キムのソロの美しさに酔いフォルムに痺れる。その後に、掌をなめるキム。ここから急に股の部分を押さえる動きも出て、陶酔ばかりしていられない。前半の動きとの響き合い仕草を復元しつつ、ラストの爪先立ち、光の円の中に。でもやはり陶酔から覚醒へと移って終わる。きれいな世界と日常の何気ない営みとの「バランスと往復」がほどよく拮抗している作品。あと15分ぐらいこのあとの続きが観たくなるように仕向けられているようでもある。
次は、8分の短いもの。大島早紀子振付の平山素子(名古屋市出身、バレエからのダンサー)のソロ「死の舞踏」(サンサーンスの同名の音楽)。ベッドから起き上がりまた戻る。力がしっかり入って、熱情的。強いけどパタンが同じなんで結構長く感じられる。キムの作品のあとに続けてするのではなく、この前で休憩にしてほしかった。こういうのが好きな人もいるんだろうなあ。
休憩のあとの井神さゆり(現役のバレエ界の人)。
彼女は、体の揺らぎをものともせず、〈のびのびと〉〈ふてぶてしく〉〈もくもくと〉こなしているよう。でも、実はへんてこりんなダンスを山崎広太(振付)と一緒に十分楽しんでいたのではないか。シューズを穿かないで靴下ですたすた歩くのって、バレエの人にとってどんな感じなのだろう。
「Oblique line」20分。3部構成(音楽の変化では)のようだ。ラストのゆらゆらした音楽での踊りが、最近の山崎広太では一番私的には気持ちよく、南の海を一緒に感じた。
笠井叡と彼の息子/笠井瑞丈「Ymir(イーミル)」。
昨年静岡で観たときと同じ感じの黄色い頭の笠井叡。サングラス。一方、若い笠井瑞丈は、似ている顔つきながら動きは軽快、でも無駄な動きがお父さんに比べると多いように思える。それに、で出しの山崎広太ぽいフレーズが気になる。凄味があるお父さんと一緒だと、どうしても副でハーモニーをつけているように思えるのはどうしてだろう。
笠井叡をぼんやり見ていると、60歳ぐらいになって奇妙に派手な格好でテレビに出ている漫画家とかそんな派手じじいとの類似性を感じないでもないけど、一方でミックジャガーとか近田春夫〈サングラスはずすとなんだか似ている)の対比も連想させられて、一筋縄ではいかないのが楽しい。
おっさんが何でリズミックに動き回ってるんや、とも言えるけど、おっさんやからいいんや、とも思える。通路を動いたりして、ぶったおれても舞踏に殉死したなんて絶対に思えない所がいい。ストロボちかちか。
そしてカーテンコールに、山崎広太や伊藤キムが一緒に出てきて、笠井叡のはちゃめちゃを寿ぐ。
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