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2/25(金) 
アイホール演劇ファクトリー第三期生公演『春の音、曇天 。をつけてみる』

AI・HALLグローアップ事業、AI・HALL自主企画vol.104

『春の音、曇天 。をつけてみる』作・演出/深津篤史。

19:43(かねの音が響く)〜21:13。

神戸市須磨の大学保養所(私の子どものときは須磨に泳ぎに行ったものだ)。稽古場になっている建物の裏手の庭。
京都にある大学の演劇部の連中が、稽古の合間に休憩に来る。
白いテーブルと椅子3つ。下手に大きな樹木。木切れで構成されているので、光が動く(春の荒れる海が反射しているようにも心情的には思われる)と、樹の内部に光が内蔵されているようにも見える。木造の壁が横に長く舞台を作る。マクベスが移動する台になる白いドア兼用の台がその壁の前にある。

<<拝啓・・・さてこのたび、当ホールにおきまして、アイホール演劇ファクトリー第三期生《収穫》公演『春の音、曇天 。をつけてみる』を上演いたします。第一線で活躍する演劇人たちが講師をつとめ、総合的に演劇に親しむ講座「演劇ファクトリー」。今年度は、チーフディレクターである深津篤史(桃園会)の書き下ろし新作を上演します。>>

<<保養所に合宿にやってくる大学の演劇部員たちを通して、90年代の青春群像を描きます。受講生(30人で6人が男性、1人だけ都合により休演している)たちは全員が役者・スタッフを兼ね、「風バス」・「波バス」2チームが交互に同じ演目を共演します。・・・>>

このファクトリー生たちより少し若いがほぼ同年齢の、しかも演劇部の合宿を描いている。(これは、演技を指導する上でも、あるいは演劇の方法論の推移や違いを学習するのにもふさわしい題材だろう。)

この大学演劇部は卒業公演では伝統的に「マクベス」を演じるのが習わしだ。それにかなり古い大仰な演技伝統が根付いていて、この頃起こりだした「静かな劇」風の「本当の劇団」に移ってしまう団員も出てくる。

そこに展開するのは、伝統を守って行われる体育会系練習(体練)や、マクベスとマクベス夫人を争う内部権力闘争。そして、劇団内部の恋愛模様。
大学演劇部を卒業したら、ただのOLサラリーマン、そして主婦、という道筋も見えながら。
その台詞の稽古や、その台詞と自分たちの個人的な感情の起伏とが交錯するあたりに、観客側としても、若い人たちが演劇をしている生態を、懐かしむようにパノラマ化して見る楽しさがある。

1992年早春(2月の終わりぐらいかも)、1993年早春、1994年早春。
そして最後エピローグ的に2000年2月(白いテーブルなどなくなって、保養所自体がなく、樹木だけが地下から水を吸っている)。震災の数年を挟んだ時の経緯だ。バブル経済から不況へと時代は変わる。

1992年と言えば連ドラ「愛という名のもとに」の頃。宮沢りえが貴花田と結婚できなくてかわいそうという会話が、かなり前の時代に聞こえる。

1994年にデレク・ジャーマンがエイズで死に(保養所の食堂でアルバイトをしている酒井/吉村麻耶/がつき合っていた映画ずきの男から聞くという形で話される)、犬好き達が殺され、サラエボ空爆始まる。

酒井だけが、地元の須磨の人だ。高校を出て同世代の大学生の生態を見ている。食堂で食事をしている時が一番その人の本当の姿が見えるという。

通りすぎる船を「ぼんやりながめ」、その船の数を数えている。

でも、演劇部の連中は海のことなど見えていない。演劇だけに視野狭窄の状態だ。そうしておかないと演劇などやっていられない。

音響助手から、4回生のときは脚本を書き直し(7人しか役者がいなくなったから)演出するまでになった村上/宇都宮奈津美/が、なぜか酒井と名前を呼び捨てにするぐらいの仲になる。

酒井と村上の友情を中心にこの芝居は展開する。二人の視野の違い、つまり、酒井は視野は広いがぼーっと見えている状態だし、一方、村上は演劇だけに視野を閉ざしている。この二人の違いを巡るテーマがこの演劇の主要な構造をなしている。酒井と言う演劇における「外部」の存在。

2年後、かつて、同じ男性(赤井)とつき合っていたことが判明する。でも、それは単なるエピソードのようになってしまっている。この赤井/樺島勝俊/と原/結城正志/を巡って、死んでしまう山田/尾野聡美/がからむ。

山田と原のシーンは、深津らしくエロスが漂い、秀逸。

全体に、酒井の「輝く光は深い闇夜」などの透明な台詞と音楽が清浄なトーンを作り上げているなかだけに、ここでセックスしよう、という虚無的な山田のやるせなさが浮き彫りになっていた。

標題の「曇天」とは、山田が原とセックスしようと言う場面で、原とセックスするのにふさわしい空の状況をさしているようだ。「春の音」は、樹木の水を吸い込む音(それを聞くこと)だろうか?

一番不明なのが「。をつけてみる」。

でも「みる」という試演的な言い方が、あるニュアンスを醸(かも)している。


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