25 11/14(日) 

神戸アートビレッジセンター KOBE ART ANNUAL '99『私フ 』ほか

註:『私フ 』私の隣は「→←方向違いの矢印が上下に重なっている両矢印」

久しぶりの神戸アートビレッジセンター(各種アーツ分野に感度のいい事業を行う神戸市立の文化拠点)。

JR神戸駅から歩いていく間(8分ぐらい)、ずっと警備員さんたちが横断歩道(後で象徴的な横断歩道が待っているとはつゆ知らず)にて安全確認をしてくれた(ボートレース場外車券売場が近くにあるからだった)。

入り口に、かなり大規模なインスタレーション。森の雑貨屋さんぽいもの。トミアサエ「森のクロス」、ちょうどその下で路上ライブがあって、渋い男性が弾き語りでブルースを歌っている。ええ感じである。

時間が少しあったので、この屋外作品だけでなくて、コウベアートアニュアル(担当:木ノ下智恵子)の下検分。小川たいつ後援会事務所(という作品)のイベント『当選会』がちょうど公演とダブる14時から(残念だが後で樽酒を飲ませてもらった)。

大森敏弘がプロデューサーする「神戸ニュー・ウェーブ・シアター」の第4回目。1st WAVE は、京都のギクシャクパフォーミング集団、op.eklekt(オプス・エクレクト)の洋物の代表作、「der Wachtroum 2〜白昼夢」。14:07〜15:01。
一度横浜で観ている内容だったが、新しい短い場面がつけ加わってそこが特に新鮮。

公演の後、45分ほど、出演者3人とナビゲーターの小林昌廣によるトークサーフィン。
色々話されたが、最後に、どういう理由でパフォーマンスに音楽を入れていますか、という質問がなかなか興味深かった。

さて、KOBE ART ANNUAL '99「私フ  」。

私から「 」(矢印の先にある空白部分)へ、「 」から私へ、という感じだろう。この空白の「 」に何が入るのかは、作者と鑑賞者が双方で探していくのだ。

このアニュアルは96年から始まり、「複雑な時代の影響下にあって、様々な問題意識を創造という力に変換し、未知の時代に向かっていこうとする若い世代のアーティスト達に注目し、彼らがどのような意識でものを見つめ、どのようにして他者に考えを伝えていくことができるのかを期待した展覧会」。出品作家の主体性を重視し、複合施設を活用して発表形態が多岐にわたれるように考慮している。

今回「私フ 」の主任実行委員は、森下明彦(メディアアーティスト/神戸芸術工科大学教員)。

<個と対峙するはずの他者や社会、世界は空のままで、特定されず、茫漠としています。誰に対して表現活動を行えばよいかも明確になりません。同時に、「私」自身の不安定さもうかがわれます。・・・・あいまいであっても、いやむしろ、あいまいであるからこそ、作家たちは芸術を通してのコミュニケーションを痛切に希求し、試行錯誤を繰り返しているのです>、と森下委員。

まず、1階のギャラリーから。

津上みゆき「View」。油彩にクレバス、アクリル、エンピツなどの平面作品。
淡くて茫洋としている、見えていないのかとも、痛いほど見てしまっているかも知れない、とも思えて。

泉依里、版画。こちらは身近な具体物。でもやっぱりつかみ所がない感じはある。ただ、見ていて無性に不安定にはならない。どこか安心感が残っているからか。

ミルクのにおいを発しているのは中本律子。「milk」のインスタレーションは、哺乳壜から牛乳がポツリと落ちて、下の鉄板に世界地図のような模様を描いていく。

「肉は香る」というほんとの「カッティングミート」らしい平面作品。これは(シンディ・シャーマンみたいに)写真かと実は初め思っていた。

「倒錯した状況を出現させたいとする願望」があるらしい小川しゅん一は「小川たいつプロジェクト」。
作品?は:大きな達磨のある選挙事務所と当選確実になったビデオモニター、それに「小川たいつ」という候補者になった自分やバイトの選挙サポートスタッフの女性たち(彼女たちに選挙の模様/=アーツ活動を聞いてもあんまり分からないのは、実際の選挙とおんなじ)。
彼らは、樽酒を外のおじさんにも振る舞って、当選の報告に出ていた。

地下に降りて、片岡健二「yes.maan」(あとの「a」にはアクサンテギュ)。モデルの顔が少しずつ違って何枚も何枚も同じ角度と画面構成で(軽い執念も仄かに漂いつつ)描かれている。シンプルな油彩、自分のテクニックを感じさせないような(それが意図的かどうかは分からない)。
そのぼやけた感じと、でも真っ正直な目線に、いまを生きる共感が見ている人の中でふわりと沸き起こらないとも限らない。

国谷隆志「あの空の下で」。空の写真が三面に同じように(少し雲が違うようにも)あって、その前に烏と斧、砂時計、石膏と木?(実はこの部分がなんだったか思い出せない)。文字(ことばのインスタレーション)が一部ネオンになっているのが特徴。

最後に、少し前キリンプラザ大阪で紙芝居のように「にっぽんの台所」を見た、束芋(たばいも)。
今回は「にっぽんの横断歩道」。
一見レトロなアニメ映像は「にっぽんの台所」と同じで、対のよう(上りと下り、家と外)になっているのかも知れない。登場人物も同じだったり雰囲気同じで、今度は、中に入ると映像までの傾斜は下り。

映像へと観客もふいと行けるように、白い横断歩道がついている。上手上に歩行者用信号。正面の大きな映像と連動して、点滅したり、中の歩く人、止まる人の映像が動いたり、違う像になったりする。鮮やか。

ルーズソックスの女子中学生のお尻から出る日章旗は、先ほど見たオプス・エクレクトの奧睦美の口から出る「サナダムシ(私がかってに思うだけで実際は銀紙)」、BuBuさんの陰口から出る万国旗(ダムタイプ「S/N」)とともに、旗めく。

君が代を合唱する、顔だけの人たち。
裁縫の針仕事を背広のお父さんがするのかと思ったら、穴の空いた自分の胃を取り出して、縫うのであった。首が切られてもまた、自分で塗って横断歩道を渡ってゆく。
信号機の中の記号であるはずの人もその首が離れて。

16プラス茶を男の口に直接注いで殺す、「にっぽんの台所」では主役だったお母さんも健在。
鯉をさばくのだが、その腹側の鰓の所が男根様。内臓を取り出されて、20万円ほど札束が入れられてまた泳ぎ出す鯉。鯉の入れ墨の男の飛び込み。

こういう風に書いても、悪夢のようなおどろおどろした感慨が沸くものでもなく、(映像を見る観客の印象として)わりとありふれた気持ちになる。70年代のこの手の映像や漫画を見た時の衝撃とはまるで違う感じがする。何もかも体験してしまった、という錯覚が周囲に溢れているからだろうか。

*鰓=えら


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