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2/5(土)
芦屋市立美術博物館『震災と表現〜震災から5年』『美 育----創造と継承』

4年前(1996年)に大津にやってきてすぐの2月に訪れた美術館の一つが、芦屋市立美術博物館だった。

「食べること」を巡る〈間島領一〉のカラスが美術館の前にいて不気味でもありおかしくもあった。

阪神・淡路大震災の1年後だったから、まだ青いビニールシートはあちこちに見られ、阪神電鉄芦屋駅からの道にも空き地が震災の影響の後を留めていた。

今日は、JR芦屋駅から歩いてみたが、もう仮設住宅もなくなっていたし(ただ「芦屋温泉」と「デイケアセンター」は何だか仮設のようだった)、空き地もきれいに駐車場になっていたり、新しいマンションが建っていたりしている。
一軒家の連なりが新興住宅地のようになっているのも、仕方がないことだろう。

震災から5年『震災と表現』。

兵庫県立近代美術館なども「震災と美術」という共同テーマで特別展を開催している。芦屋市立美術博物館のサブテーマは「生きること/表現することの原点」。
玄関の庭には、青いビニールシートがテントのように広げられている。が、破れて無残な姿。何かのモーターが回っている・・・堀尾貞治の作品だ。石の彫刻の縁には、黒と黄色の工事中のシール。
入口の前には、何やらぶよぶよする地面。足が不安定になる。水が入っていることに気づく。
1階のホールの壁には、墨の震災風景。涌嶋克己だろうか。

2階へあがる。

特別展ではないが、「具体」の美術家、堀尾昭子の70年代の作品が置かれている。クリーム色などが塗られた小さな箱に仕切がある。

解説を見て、それが影をテーマにしていることを教えられる。なるほど、箱内部の影が美術館の照明で何重にもなっている。と、壁にも作品の影が映っていて、影って内部と外部に広がっているんだとやっと楽しみ方を知る。

さて、『震災と表現』の会場。入口は、震災風景。堀尾貞治のインスタレーションが屋外から連動している。焦げた自転車が積みあがり、使えなかった棚が歪んでいる。チューニングされないラジオの音だろうか。扇風機が無意味にいくつも回っている。

毛布が落ちている所をずかずかと入って行く。

同じく堀尾貞治が墨で描いた「長田」、鉛筆やパステルで素早くスケッチした震災風景の絵が重なってある。

下に鍋(フライパンだったか)が並んで、底に茶色い土が溜っている。少し沈鬱なインスタレーション。

涌嶋克己の墨と、パステルの絵+言葉の作品はもっと直裁的に希望を描いている。

「見えへんところにもおりまっせ友だちがいてよかった」、「家来の一人もいない王様」。「種子」の絵が天井まで重なっている所が見応え、「群」の感覚。

杉山知子(いま神戸元町のCAP HOUSEをアトリエにしている人ですけど)の「たった1000軒の家」も、1軒から数軒、多いものは20軒ぐらいだろうか、それぞれの家の数が集まって一つの紙に仲間として描かれ、それがまたやはりぎっしり「群」となって集まっている。
大きな一枚の絵ではなく、小さな集団(1軒もありだ)が集まっている、というのが面白い。
そして、この構造は基本的に4人の作家に共通するところだ。

小谷泰子の部屋は奥にあって薄暗い。

三面からぼんやりと人の裸像群が浮き上がっている。
照明は赤が交じっていて、子どもは初め恐がるかも知れない。確か彼女自身の肖像だったと思うけれど、セルフポートレイトというよりは、もっと普遍的な人の姿がそこには現れている。
1枚1枚が並び重なり、取り囲むように集まっている。
ガラスケースに入っている小さめの壁(上下が逆さまの肖像とそうでない肖像が交互に挿入されている)。2段になっている圧倒的な壁面。それに、入口のぼやけたところの多い壁面から構成されて、三角形の頂点のあたりに身を置いて見るのが自分は好きだ。

暗さに慣れてくると、外に出るのがめんどくさくなってくる。きっと子どもも馴れてくると母胎に帰っていくように感じるのではないだろうか。

もう一つの特別展2『美 育----創造と継承』。先に「第50回童美展」があってその模様もモニターで映されていて、子ども達の作品がにぎやかに展示されていたことが分かる。

3つのビデオブースがあって、児童の美術の指導者のインタビューのコーナー、ユニークな「美育」の洗礼を受けた児童のその後の大人になってからを追跡をするインタビューのコーナー、そして、今の児童の美術教育の指導の現場のコーナーからなっている。

特に、2番目の追跡調査が興味深かった。衣斐美地子(えみ・みちこ)の小学校時代の作品(1956年)はシンプルな抽象で美しい。でも彼女の子ども達は彼女の作品を理解してはくれなかったという。

桃の里幼稚園のビデオを見ながら、私が1年通った大阪市立西野田幼稚園の絵の時間と少し似ているように思った。当時そこでやらせてもらった、絵の具を流し込んだり筆を回して飛沫を作る遊びが、いまでも桃源郷のように思い出される。

その直後に小学校に入ってやらされたつまらない(うまく描けと形にこだわる)図画の時間が特にそんな気持ちを増幅させるのだろう。


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