Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Butoh-Ono Kazuo
45.
トリイホールの非常階段に並んでいる。整理番号104番。18時半より前に着いたからみんなかなり早く来ている。当日(6000円)の人は18時55分より入場だけれどひょっとしたら入れないかも、と言われている。
トタンの壁の稽古場?の窓から大野一雄が外を眺めているモノクロの写真。肩があらわになった白いシャツを着て(このような上下の衣装=稽古着を公演でも着ていた)・・。ここも初めてだしダンスに馴染んでいる人でもないようだ(インターネットで知った人も多かったらしい)。もっと広いところですればいいのに、と彼女。すると隣にたまたま並んでいる若い女性が、この狭さで大野一雄と一緒にいられるのが幸せなのですよ、と話している。
中に入る。いつものように4方を客席が囲む。
観客に支えられているような四角い空間に大野一雄がやってきて、去って行く。幾度か。そのつど拍手。もう観れないのか、と思うので途中でも手を叩きたくなる気持ちが伝わってくる。
間々に息子の大野慶人が短く、でもコンパクトに力のこもった踊り。
10分の休みのあとの二人のデュオが最高だと思った。
まず、大野慶人が上半身裸に白いパンタロンで登場する。前半にえんじのビロードワンピースで登場したときはとても小さな凝縮した身体が床と呼吸していた(確かに彼も60歳を越えてある老熟への道を歩み始めている)が、今度は、とても大きく白い。不思議だ。
右の乳首の周辺に密集して生え育った毛がよく見える。スキンヘッドゆえに銀色に光る毛とてもシュールな光景だ。
慶人に対して大野一雄は赤いボトム。裸の上半身には肉がなくて、溝と窪みからできた皮膚が直接内臓や骨をおおっている。そして一面の皺はイッセイミヤケの服のように伸縮する。
腕と手首を中心とした動きなのだが、それが肩や背中、胸部へと連動するのがビジュアル化されて、とても複雑な観察対象が目の前に広がる。それでも、そこには解剖学的な対象運動ではなく、体の窪み、溝、皺の「表情」として私たちに語りかけ、慰撫するようだ。
自然と曲がった曲線の背中。意図的に折れ曲がった手首、その曲線と直線の対比に目を奪われ続ける。
退出するときに観客からもよく見えることではあるが、大野一雄にとって普通の歩行は杖や車椅子などの介助なくてはもう無理なのかも知れない。踊っている時にも、足への負担はどれほどきついのか、私たちには想像することもできない。
屈んで床へと屈む踊りの際に、かくっときたのかと思った時があった。それはダンスを中断させるものではまったくなかったが、いつまでも大野一雄からダンスをプレゼントしてもらい続けることはできないのだろうなあ、という思いをふと巡らせてしまう瞬間ではあった。
今回の彼の仕草では、折り曲げる指ときれなどを咥える口の関係が特に印象に残る。ラストに一面に刺繍のある白いブラウスでおどる大野一雄の仕草をみて、客席から思わず「かわいい」という声が漏れた。特に、彼が両手をぐっとにぎる姿は、赤ちゃんの姿そのものである。
頭のリボンに胸の花。薄く桃色がかった色は腰の下まで伸びるリボンにもあった。赤ちゃんの歯の生えていない口の中の歯茎の無垢の色のように、それは輝いている。
うずくまったあとにその凝縮を開放するかのように飛んだりスキップしたり、力をぶるぶる入れたり床と体をきしませてみたり、いま大野慶人が熟成しつつあるそういう舞踏の醍醐味はもう観られない。
それにしても大野一雄の細さは初めの黒いスーツ姿でも目を見張ったが、白い上下のぴたっとした衣装になったとき、ここまで人は肉をなくしてあることができるのか、と身震いした。
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