Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Chiseki,Hiroaki--Koizumi,Msayo

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6/10(土)地石浩章『選択』voice gallery 

 

6/14(水)小泉雅代『CHICKUN』galerie 16

京都新聞に地石浩章『選択』の記事が載っていた。「静かな大量死への問い」という見出し。京都、出町柳のvoice galleryへ行く。記事に書かれてあるように、「会場中央に白い柱が建てられ、その前に毛髪で編んだ絞首ロープが天井から吊されている。ロープは天井裏を通して柱の反対側に垂れ下がり、余った部分はフックにぐるぐると結わえられている。展示はそれだけだ」。

ぎじぎじいう茶色の木の床が、黒と茶色の混じる髪の毛の編みロープにマッチしている。

「天井裏が広いから見てみたら」とギャラリーの松尾恵さんが地石君に話したそうだ。

ロープが天井を通って繋がっているかどうかは聞かないと分からない。

首を吊る方が短く、反対側のぐるぐる巻きの方が長く延びている。

国家権力による死刑という暴力やリストラする企業、学校内のいじめ空間などがその長い方のロープではないかと、新聞評は言っている。

私はそこまで社会関係を言及する見方をしないこともありだろうと思った。愛する女性(男性)の髪の毛に首を巻き付けられる快感(想像するだけのマゾヒズムではあるけど)という例を考えてみた。

ただ、髪の毛は実際は多くの人たちから集めた髪の毛である。それ自体がロープになって集合していることにも意味が発生するのか。

ある人のこの世からのとんずらを強制(促進)させるというのは、この相互作用、集合という側面はやっぱり出てくる。そうすると、関係性としての積み重なりは社会の発生を伴うことになり、個的なこととして見ようとしてもミクロな社会との関係が見えてくる作品だと思えてきた。

松尾さんが、彼の別の小さな作品、「hair ring」を見せてくれた。

髪の毛の「形見」的な有り用がより拡大されて感じられるとともに、センス/デザイン力の有無がより大事になる(この髪指輪はグッドセンス)。

これらは、指輪に髪の毛が巻かれて樹脂で保護されたシンプルなものだが、これはある実用性を持つだけに、おぞましさと美しさのない交ぜ感が微妙なバランスをとることが要求される。

それが指に絡んで展示(電車の吊り輪で視線を集めたり)されるのだから、確実な「技術」の進歩が要求される。

少しアーツのとらえどころのなさが減ったような気持ちになった。ただ、巧みになってその技術に安住したり、それを外部が要求することで「未知」がなくなるのでは元も子もない。

未知とわざ。未知を忘れない技術、未知を作る技(わざ)への挑戦、それをサポートするマネジメント。このマネジメントは松尾恵さんのように高度にクリエイトな愛情が必要であることも、ここにいると併せて気づかせてくれる。

(6/14)

先日高松市美術館の学芸員/毛利直子さんからお手紙をいただき、彼女が解説を書いている小泉雅代“CHICKUN”展(6/3〜6/16)が終わりそうなので、京都、岡崎のgalerie 16に出かけることにした。

少し前、大阪府立現代美術センターの玄関辺りで風にはためいていた大きな目玉の卵の人だなあと思っていくと、いろんな模様をした眉毛(5年ほど前に視たことがあった)の作家でもあった。

ちなみにgalerie 16の塩田京子さんによると、目玉は元々は「おっぱい」だったのだそうで、それの方がペアの眉毛との関連がつきやすいし、眉毛→芋虫、おっぱい→卵、という増殖と転移、連想の流れが小泉雅代という人格とうまく結びつく。

〔洗濯機のゴミとダンゴ虫との間にチックンは生まれました。コンピュータの力を借りて、夜空や花や食べ物の中を遊び回るチックンに会いに来て下さい。〕

2階のギャラリーに入ると、まずインスタレーション群が目に付く。白い布団(ベッド)に、「ひとがた」が並んで寝ている。毛利直子「異形のプロフィール」と塩田さんの話も活用させてもらうと、作者小泉雅代はどうも二つのものを結び合わせてこの「チックン」たちを増殖しているらしい。

一つは、洗濯機のゴミ採り袋に堆積する固形物。これが今では、シャーレでダンゴ虫から発想されたビーズを増殖させる灰色の敷物(上の段に並んでいるのはみんな「ひとがた」)となっている。見る前はこの洗濯機ゴミの方が関心があった。しばたゆりの埃版画や、ヒナギクのお茶のバッグが連想されたからだ。

もう一つが、小泉が大切に育てた花々を食べていたダンゴ虫から由来するビーズ群だ。一粒のビーズは虫の卵のような線模様が球体の表面についている。それがいっぱい連なり固まると「うじうじ」(増殖していく音が聞こえそう)となっていく。

ところが、突然「進化の階梯」をアップして、それがひとがたの敷物にとりつきその一部になると、赤ちゃんあるいは妖精のようになってある形象を持つ。ここまでがインスタレーションの部(ビーズは3種類)。

そのなかでも赤色が鮮やかなチックンたちを、外に連れ出してみよう。お花やさまざまな外食時に見つけた食べ物の写真と一緒に合成的に記念撮影しよう。と、パソコンが活躍して、巨大な花や食べ物と一緒にこっそり写るコロボックルのような感じの、そんな連作が壁を覆っていた。入りきれないので、かってにiMACがスライドのようにその他の作品を紹介している。

ラーメンにもいくら巻きや卵のお寿司にもチックンはいる。ジュースやミルクに入り込むチックン達は、水でぼんやりしたり影になったりしている。

花火にも潜んで熱くないの?可愛いけどどこかクールな表情。その小ささが不気味な異物である部分(虫的存在性)を許容範囲にしている。でも、結構見えないぐらいの大きさの虫というのはやっかいな代物なのだ。

小泉雅代は1959年青森生まれ。同年に青森県弘前に生まれた奈良美智と同世代同郷故の比較をすることは安易だな、と思いつつ、やっぱり小泉作品から私たちが思い出させられる「日常の些細なことに孕まれたグロテスクな体験」(毛利直子)の所在について、考えを巡らしてみた。


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