Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》DEEP SEIJUN

225.
5/28(月)鈴木清順『陽炎座』

5/29(火)『ツィゴイネルワイゼン』京都みなみ会館

DEEP SEIJUN。蘇る伝説。清順美学の頂点“浪漫三部作”完全ニュープリント一挙上映!!。製作は3作とも荒戸源二郎。
映画監督鈴木清順。1923年5月24日東京都生まれ。78歳か。旧弘前高等学校卒業。

彼は津軽の人、という印象が自分の頭の中では強烈にあって、きっと寺山修司作品と共有する風土のものだろうから「ラテンな大阪人としては」苦手だしなあとことごとく敬遠していた。

“三度お会いして、四度目の逢瀬は恋になります”『陽炎座』1981年、139分。いやあ眠くなったり退屈すると思ったのに、全然正気に返っていくから不思議不思議。初めは、最近の寝不足のため一瞬間だけ寝ることがままあって、すると場面がぽんと飛んでいる。これは自分が瞬眠をしたからだろうな、と思っていると、実は目を開けていてもぽんと飛んでしまうのだ。

リアリズムなんて関係ないよとぽんと飛ぶのだが、でも飛んだ先はきちんとそれでいいよねと納得できるから、眠くならない。京都みなみ会館の椅子も快適。

目が明いていて、夢みたいにぽんぽんつじつまが合わないように飛んでくれるから逆に目が覚めてしまう。こっちが可笑しいのか、清順に合ってしまったのか。監督のトリックにはまったのか、それはもうどっちでもよくって、芝居小屋がばっとくずれて、品子(大楠道代)の陰部から鬼灯が浮き上がって彼女が見えなくなるすごすぎる美しい場面まで突っ走っていく。

美術、池谷仙克。この手の江戸とか大正とかよくわからんけど、そんな泉鏡花的なセットをよく観ているけど、これはなんとも過不足がなくて慎ましい感じがするぐらいだ。音楽監督、河内紀。デキシーランドの明るさがなんともクールでほほえましい。これでお化けの効果音とか鳴ったらあほじゃいね。

松田優作が演じる劇作家の松崎が一応主演なのだろうが、中村嘉葎雄の主人玉脇役のなんだか訳分からない妻(死んだ先妻のおいね=イレーネと後妻の品子と)への愛し方?とか、原田芳雄の間抜けた感じだとか、観どころは、どちらかというと脇役の方にあるぐらいだ。

だいたい松崎が品子と心中するというのも、主人が仕組んだ物語のようでもあるし、品子と玉脇との奇妙な愛し方の小道具かも知れないのだから。

初めは東京のステンドグラスがすごい病院などが舞台だったのだが、そのうち金沢が舞台になっていく。昼間に石川の学生の言葉を聞いていたので、また「言うがです」、「・・・がや」という独特の話し言葉がまた聞けてそれも単なる偶然なのだけれど、みんな夢みたいにつながっていくのが面白い。

奇妙な村芝居の風景ではあるが、宙づりで客席に飛んでいく死んだおいねの亡霊の仕掛けや、子どもが踊る姿(なかなかのものだった)の部分は「舞台鑑賞」の講義に使いたいなともあとで思ったりする。松崎が新国劇の作者という設定など原作(泉鏡花)も読んでおきたいものである。

麿赤児がどこに出ているのだろうと思っていたら、髪の毛がある麿赤児だった。佐藤B作も若い。
博多人形の裏側に細工があって、男根とか、男女の交わり、女陰などを見せ合って楽しむ会合に原田芳雄が加わっている。松崎はただその場でも傍観者だ。

5/29(火)

今日も京都みなみ会館で鈴木清順を楽しむ。『ツィゴイネルワイゼン』1980年、144分。思った通り、『陽炎座』に比べてかなり地味だ。
陽炎座の松田優作に対応するのは映画監督でもある藤田敏八(青地という独逸語教授)。友人を演じる原田芳雄(元教授、中砂という豪放な男役、原田のキャラそのまま)とは対照的に自分から積極的に女に近づくようなタイプではない。

青地の妻周子(大楠道代)はお金持ちの令嬢夫人。花が咲くと湿しんができる。その腐った姿がいいと中砂は彼女の肌を愛でる。そのあと、がらりと周子はかわり、熟した果実、それも苦くなった水蜜桃を好んで食べるようになった。

もちろん、青地は中砂のせいだと嫉妬する。目が見えないはずの周子の妹の病室で、中砂の目に入ったゴミを周子が舌で舐めるという印象的なシーンがある。それについて詮索する青地。しかし次第に妹の記憶は薄れていくのだ。

逆に、中砂の妻になった園(大谷直子)は、青地がすぐに帰るのを引き留める。夫の中砂が怖いのだし、もちろん青地も園に惹かれているのには違いない。
大谷直子は、その前に、二人が旅の旅館で出会った芸者、小稲の役をも演じている。弔い帰りの芸者であった。弟が自殺かなにかしたのである。

その小稲にそっくりな女を中砂は妻にしたのだ。園がこんにゃくを手切りするシーンがある。こんにゃくの感触が園の宙ぶらりんのエロスを示している。園が死んで、また園にそっくりだった元芸者小稲が、乳母兼女中兼芸者(兼妻)として中砂の家に住み出す。この因果が回る感じが中世の説話的な特徴がある。

樹木希林(悠木千帆と昔は確か言っていた名脇役〜お手伝いさん〜。このときはすでに昔の名前をオークションで売っていたんだな)が、ウナギを捕まえて、その生肝を病気の亭主に口移しで食べさせているという冒頭のお話しがあって、このこんにゃくと比較してみるのも面白い。

サラサーテのレコードに入り込んだ声とか、ラストの舟の少女とかはいまいちぴんと来なかった。中砂の家へ行く切り通しの道が心に残る。


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