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11/24(水)
『木ノ脇道元フルートコンサート』ザ・フェニックスホール

大阪駅から御堂筋を南に行ったフェニックスホールは本当に久しぶり。あるライブと重なったが泣く泣く初物を選ぶ。責任は大井さん。だって、ピアノの大井浩明は、いつも自分と同世代のコンテンポラリーミュージックの担い手たちを実に魅力的に案内してくれるから。

今日の紹介は、大井浩明と「ドゥオ・ドーゲン」というコンビを組んでいるフルーティストの木ノ脇道元。「生まれは大阪ですが育ちは福岡の九州男児で、東京芸大では金昌国教授門下の秘蔵っ子」、「現代音楽の創造的演奏家としては異例の若手ソリスト」(1969年生)、超人的技巧と「妙にあやしげなカリスマ性」、イラク人に似ている、などなど。

ザ・フェニックスホール新人紹介コンサートシリーズ10「木ノ脇道元フルートコンサート」。

19:03〜20:56。

2000円はラッキー。演奏は爆発、興奮。フルートだけでコンサートを成立させるのは難しいのに内容もバリエーションに富み満足。風貌も颯爽としてビジュアル的にも独特だが、甘く媚びる感じがない(でもおばさまも満足していた)。よく見ると制作/アリオン音楽財団となっている。

まず「フルートのための小品」J.イベール、1936年。かっちりとした今世紀の音楽。音は乾いているように思う。
ロンゲ。額が四角、確かにエキゾチックな顔。武道着のような上下同じ柄の服、色は茶色で黒の3本縦縞。この演奏後、彼が今日のコンサートの狙いをしゃべる。それからも1曲演奏した後に、簡単に次に演奏する曲を解説する道元。馴染みのないものばかりなので、とても聴く方の助けになる。

次は当日パンフの順序を変えて、福井知子(大阪音大非常勤講師、アルディッティカルテットに新作を初演された関西の新進作曲家)の「Color Song on B」1994年、6分ほど。B音(シ)を異なる指使いで吹くと音色などが変わる、ということを実演してもらってから、演奏を聴く。

叫び、ポンという口音、摺ったり、揺れて軋んで。いいなあ、と思ったのは、ホーミー的倍音のような流れ。「対位法」というのは比喩的ではあるがなるほどと思う。サイレンを思ったり、おもちゃで音遊びしているようだったり。

まるで、巻上公一のパフォーマンスをきちんと作曲しているようで少しおかしい。小鼓の音のようにも思えたり。小さな音もいい、蚊が飛んできてその飛行音とチチチチッという蚊の鳴き声のようでもある。

終わって拍手、客席前の方にいた作曲者への拍手。それを制して、今度は道元の即興演奏。一応「音感温度」と名付けられているものだろう(順番通りだったら)。何だか、尺八を手にする虚無僧のようだった。2分ほど。福井知子の作品に対する返事のようにも聴こえる。

次はがらりと変わって甲斐説宗「フルート・ソロのための音楽」1976年。ビブラート奏法すら許されていない、極限的にストイックな作品。ミニマル音楽のような繰り返しによる愉悦(陶酔)感もなく、でも、その一定音のばされて、少し間があって次に行く純粋なフルート音が重なるに連れ、静かな高揚感は生じてくる。親密には繋がらなくて、でも構造として広がる感じ。初めは確かAとBbの2音だけが冒頭の高い音のあと続くもの。最後は高音のフォルテシモ。

前半の最後も即興演奏「恐怖-哄笑-etc.・・・」2〜3分。笑い、息をなくす。絶叫と貼り付き。後半のシアトリカルな展開を予言するかのように。彼が操るフルートがいつしか楽器ではなく、何かが降りてくるための媒介棒、マジックスティックのように見えてくる。

20分の休憩のあと、メロディアスな即興演奏「Mellow Yellow」。

そして極限的なフルートソロ。ブライアン・ファーニホウ「ユニティ・カプセル」1976年。20:03〜15。その演奏者への指示の多さをちょっと演奏して見せてくれる。横隔膜を5等分して、とか言われても聴き見る方もそんなに幾つも同時に行われる出来事を感じられないし、逃すまいとするとしんどくて疲れはてる。譜面台を4つ並べてそこに巻物のような楽譜を広げる。途中でその楽譜を裏返す。

強度と密度の極限を探索しているのだろう。演奏者が翻弄されるさまを楽しませる算段とも道元は言うが・・・彼自身は疲れをあまり見せず、透明に集中しているようで、そんな彼をそのまま楽しむしかないことにしばらくすると気づく。

口とフルートのすき間に、あるいは鼻まで含めた顔と細長い管との出会いに、どれほどの可能性があるのか、そんな限りない冒険のことをぼんやり考える。

管が曲がった大きなフルート(バスフルートとか言うのだろうか)で即興演奏「Catch a Fire」。緊張の後だからぼわーっとした音の揺れ。お風呂の中のような。

川島素晴「視覚リズム法2」1999年。川島は72年生まれ、92年秋吉台国際作曲賞、大阪音楽大学講師。「演奏行為の全瞬間を共有することを目指す=演じる音楽」「視覚と聴覚のポリ状態=齟齬」。吹かれるメロディは「春の祭典」のアルトフルートのパートらしい。ミュージックシアターの系列。シリアス音楽としては笑いが大胆にやってくる。

いやあ、なかなか役者な二人。楽譜がないよと道元に言われて川島も登場し即興のように指示を与える。タキシードに着替えてやってくる道元。指を動かすのに音はしない。フルートの位置を上げたり下げたり。まだ吹かずに指づかいで音を出す。フルートを打楽器にしているわけだ。目玉を回す、寄り眼。鼻で吹く(いい音はしない)、身体を揺する。うがいする(水を含んでいたのだろうか)。

口笛、右足を横に上げて下げてリズムをとる。足広げたり。フルートを半分に。半分の管だけの部分で鳴らしている。唇をつけるもう一つの小さい管の方を落とす。転がり落ちる。と、もう一つ同じ物が譜面台に置いてあって平気で合体しまた吹きだす。ここがなかなかあざとい演出。吹きつつ何やら唸る(怒る)。やたらおかしい。吹きながら唸りながら退場、ドアの外でまだやっている。

20:36。最後にクラシックを。フリードリッヒ・クーラウ「3つのファンタジーより」1821年。モーツアルト/ドンジョバンニのアリアから。和音がないのでソロはその分スリリングではあるが、雑音もなく、ついうとうと。荒野を旅していた若者がやっと定まった路を歩いているから安心したかのように。

アンコールは、彼の亡くなった大阪の叔母に捧げる即興演奏で、ゴースト(ジャズサックス/アイラーの曲)のメロディを用いる。

黒人霊歌を連想した。優しいメロディーから速度がついていく辺りに震えるものあり。


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