Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Hachijihan*Dando-he-hikari

233.
6/22(金)
劇団八時半公演『弾道へ光』スペースイサン東福寺

スペースイサン東福寺へ。久しぶりなのは(ここはぼくにとってはとても便利)周囲の人から強烈な苦情があって、月1回ぐらいしか公演ができなくなったからだ。階段にもクッションを敷いたり苦労してきたのに・・・オーナーの人が戸口でずっと立っていて、声をかけるのもはばからえるので、心の中でご苦労様と呟く。

劇団八時半公演『弾道へ光』作・演出(出演)山岡徳貴子。19:03(セミが少し鳴き音楽がBGMからテーマのRAIN DROPの有名な歌に変わって暗転)〜21:00。音響/狩場直史(待っている間のBGMも音響が選択するのだろうか、この手の話を一度聴いてみたい)。照明/葛西健一、そして舞台美術に柴田隆弘。

関西の舞台美術界では柴田隆弘がいま心にぐーっとくる設えを作っている人の一人だと思っている。アパートがなんと今回は八角形になっていた。中に水の入ったタイルの桶(水が入っていることは、そこに住んでいる正恵がしゃがむことで分かるのだが)。その桶へと水を送る柱がとてつもなく高いところにあって、人がひねることはできず、ただ、正恵(桝野恵子)がしゃがんだときに、水道栓があいて水がこぼれてきた。

窓からの洗濯物。雨どき。風鈴。ふすまの向こうは押入。正恵の兄/充(「ももちゃん」と呼ばれている。鈴木俊郎)と、一緒に来た「自己啓発セミナー」4人の合計5人がここにかってに寝泊まりするようになる。

物語は、山岡徳貴子が前に取り扱った新興宗教カルト集団と同じく、カルトな5人組。その一人の充の二人の妹、上の富美(山岡徳貴子)と下の正恵。その正恵のひもみたいにパチンコしかしていない武三(林賢郎)が織りなす梅雨から夏への記録。

何も変わらなく、カルトは指導部を失っても(とんづらされても)、その模倣を繰り返して、田舎へとアロハ=ウエしに出かける。アロハの着替えをもって藁帽子をかぶって。田舎を舞台にした続編も見てみたいが、でもなにも解決もせず、八角形の変なアパートの縁を歩くようにぐるぐると回っているだけかも知れない。

それでもそれはいいのだ。キックボクシングでけりを入れたり、逆だちをすること。味のある役者たちのなかで、林賢郎と武田暁は今回特に心に残った。井上三奈子は突拍子もなく、反対に東理子はまじめにしごとをこなし、法的なこともまじめに考えたりする。今回の中村美保はさめた中間管理職カルトの微妙な役柄に挑戦。内面のなさ、貧しさを出す役は珍しい。

鈴江のだまされ上手な生き方。少し無理があるようにも思えるけれど、彼のキャラクター選びは特に自分の役柄についてはいつも独特であるのは間違いない。下痢をする。それも心理的な原因で。その感じはもっと切実に出てもいいのかなとも思ったが、下痢から子宮につながる展開はなかなかにお馬鹿なシニカル性のある大胆ネタ。

胎内の子どもを叩いて殺そうとする(妊娠が想像なのかどうかも不分明)ドメスティックな暴力もあるし、自分が叩いたりお腹に包丁を向ける自殺的な行為ももちろんある。

いままでの劇団の蓄積の変奏曲と一口では言えるかな。閉塞した兄弟愛の苦しさ(それしかすがるものがない悲しさ)も健在。鈴江と山岡の創作面はどちらも個性的だが、演出面の違いがいまいち分からなくて、ここの集団の同質性が感じられたりもする。

意外と長かった。特に、後半はここでおしまいかしら、いやそうじゃなかった、ここかな、いやまだある、というふうに、暗転までの感覚が短くなっていく。昔あんまり知らなかった交響曲を聴いたときに、ここで終わりかなと思うとまたコーダをやっているときがよくあったけれど、そんな感じだった。

でも、カルトな集団がかってにアパートに侵入してくるスピードと有無をいわさない感じはよく描かれていたように思う。前半が特にステキな舞台だった。


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