20 10/31(日)
広島へ:かなもりゆうこ 山下残 ダンス作品『マラカスをふりまわしたら歌ができた。』ほか
のぞみに乗って広島へ。広島県立美術館にまず。ダリ展は来週からで、常設展を見る。中庭で食事をしているご婦人たち。ロビーもゆったりしていてこれは贅沢な会合場所だ。ミュージアムショップがかなり広い。
どうも広島現美と役割分担して地元作家(平山郁夫も入るから)と日本の戦前までを扱う場所のよう。
ここで、黄色いチラシ「元安川パラソルギャラリー&オープンカフェテラス」というのをゲット。市役所や観光協会なんかが2か月限定で催す「NEW! アートと憩いのリバーサイド」。原爆ドームのすぐ南の川沿い。まあ趣味=生涯学習としての「アート」ね。
カフェで買ったブルーベリートッピングのフローズンヨーグルトを食べながら、市民が作った絵画、革細工、宝石、便せんなどのお店を覗く。日曜素人作家販売店のようなもの。陶芸倶楽部の店に湯飲みがあって3つ買う。600円、150円、150円。
広島市現代美術館にやっと到着。まずは開館10周年記念コレクションによる「なるほど現代芸術〜海外編」。アメリカ、ヨーロッパ、アジアに分かれている。アメリカはお馴染みだ。当時、一世を風靡したって感じ。日本で制作されたロバート・ラウシェンバーグ「フィッシュ・パーク」が可愛い。
ヨーロッパではやはりヨゼフ・ボイス、クリスチャン・ボルタンスキー、リチャード・ロング、バリー・フラナガン、マグダレーナ・アバカノヴィッチと目が離せない。アフベルト・ジャコメッティ「男の胸像」に滞留した。
アジア。ここでは、彼自身が危ないと北川フラムさんから聞いたせいもあって、モンティエン・ブンマー「心の寺院『自然の息吹』」から生じる、薬草の匂いに目の前がくらっとする。肺がむき出しに縦に積み重なっている。どうしても肺を冒されているらしい父のことを思ってしまう。
ファン・リジュン、アルパナ・カウル、リ・ウーファン。
さてと、子どものための美術展'99「アート・スウィート・ホーム」へ。岡本芳枝学芸員の企画。
実は、かなもりゆうこさんから五線譜に書いた手紙をもらっていて、久しぶりに広島アーツツアーに踏み切れたのだ。
この企画展の展示室に入る前に、ビデオモニターがあって、ここに自動販売機に囲まれた仮設の部屋に去年の冬、1週間寝泊まりした記録が流れている。何という苦いホームがまずあるのだろうか。川俣正「東京プロジェクト---New Housing Plan自販機の家」。これもかなもりゆうこと同じく図録(小学生も楽しめるように出来ている)では「明日の家」と分類されている。外に出た親子が自販機でジュースを買ったついでに覗いたりしている。
入るとまず「さまざまな家の形」。西山美なコ「ザピんくはうす」。
謝琳「Mellow House ver.3」、靴を脱いで、白いカバーを足につけて砂糖の床に入る。クッキーの匂いが苦しいぐらい。草間彌生は3つの作品。この中では、土屋公雄「不在」に一番反応する。「住む人がいなくなった家一軒分を焼いた灰」の量がここにこうして思ったよりずっと少なく、すりガラスにあるという事実に、何だか、人の火葬を連想したからだ。それにそのすりガラスの模様の様々な変化にも、心奪われる。
次は「家族の肖像」。「蚊帳」(小野具定/日本画の緑色が涼しそう)のなかの親子、親戚一同の絵、哺育する家族(北川民次)。植田正治は何だかおかしくて淋しい写真。一家の記念写真風、野田哲也の日記写真。長島有里枝、中原浩大。
「家の中・・・!?」には、芦屋市美でお会いした、間島領一の「まんま」。
怖いと言う感じは、赤い檻が全面に出ていないからか、余りしない。諦観がちょっくらやってくる。
「家の風景」。写真を元に絵を描いてその絵を写真にとって並べる、そんな繰り返す「団地S」の鴫剛。柏木賢造は一見子どもの絵のようだ。白い「House」は小林孝亘。シンプルだけどなかなか。小川茂雄は人のいない部屋の絵。都築響一も、独身の人の生活用品が溢れる(散乱する)部屋の写真。でも、どちらもスタイル雑誌の生活臭のない嘘のような世界を笑っている。
そして「明日の家」の一群。自販機の家はすでに見た。
「障碍の美術シリーズ」の和田千秋。これは千里の国立国際美術館で見たが、このホームという展覧会で見るとまた趣が変わる。感覚の変容ではなく、「希望のありか」についての文脈にある。大沢昌助「釘をうつ少年」の姿とダブルからだ。
再制作されたために、服は同じでも1995年のものとは色の集合の様子が変わって構成されている。
部屋の中は白い子供服。ピンクの子供服の壁、青の子供服の壁、黄色の子供服の壁・・。
白い、ホントに小さなベストを見ると、こんな時ってほんとに一瞬だったと思う。
もっと抱きしめたり、ぐっとにぎった手のひらにあったものを見せてもらったらよかった・・・。
子ども連れのお母さんも、お父さんもここまでくるとかなりくたびれている。
だからか、青いベンチが置かれていて、その前に「眠りの保護」の大きな赤ちゃんの写真。上方には静かに何かが回っている。メリーゴーランドなのか空気洗浄機なのか。がそれも影の映像になって、すべてがモノクロームの映像に秘かに息づいている。
15時になって、広島現代美術館の地下の倉庫に集まる。倉庫になっていたものをかなもりさんらが1週間前に来て白く塗ったり照明をつけたりしたそうだ。ビデオ係の納谷衣美さん(宣伝美術家/ダンサー)に、私の家族の小さなアルバムを見せる。
もう2年以上前(97.5)になったわけだ。この作品の初演を京都の古いビルの小さな小部屋(5th Space)で観たのは。その時はダンサーとしての山下残しか知らず、初めてかなもりゆうこの写真(と録音)、それらを投影する彼女に出会った。
そして、ダンスの制作と美術の交流関係がこんなに長期間(1年間)、しかも親密に続いていたことに驚く。
映像の中に登場する古川千晶さんがチラシを配り、携帯などの諸注意。ほっそりした彼女の「小声」がここでは相応しい。ピンクの小さな風車が扇風機で回っていて、それを古川が止めて(ダンスの終わりの方でまた残によってつけられる)やがて始まる。
親子4人連れ(兄と妹なので、これからのうつされる映像の4人組と同じ構成だ)、それ以外に小さな子どもは数人、余り多くない。大きくなった娘と母親という二人組は数カップル。若いアベックが多い。中年の女性が一番前にいて、もらった紙飛行機に少しとまどっている。
客席の椅子はやはり小さい。濃い桃色のカバーがきれい。だいだい色のマラカスが床に置かれている。上手奧にだいだい色の椅子(山下が座って待機するところ)と赤い一本の花。
まず、真っ暗になってから、黄色をベースにしたスライドが投射され出す。一定のリズムで映し出され続けて。この映像群はくっきりと覚えていた。やがて、おいかけごっこする鬼のまなみちゃん(当時は幼稚園ぐらいだったっけ)の声が聞こえる。
いつしか、客席後ろのドアから山下残がやってくる。黄色の目隠しはスライドに写っていたものと同じだ。這ってマラカスを取り、座る。
残の冒頭の踊りはマラカスの音がやけに大きく感じる。空気を震わせて勇気を呼ぼうとしているようだ。
スライド。今度は青が流れる。外に出た4人(千晶、残、まなみちゃん、まなみちゃんのお兄ちゃん)。
そして、足をその場に置いたまま、状態を若布(わかめ)のようにゆらゆらする残のダンスは見もの。とても安心して、彼の身体の揺れを楽しむ。
スライド。15:57。海辺の4人。白い毛布にくるまる古川千晶。小さなマラカスが白い袋に入って振り回されている。螺旋の軌跡。胞子が入っている袋が風に揺れている。あるいはカエルの卵とか幼魚がまだ袋の中で護られているような。
いつしか、その小さなマラカスも4人の手の中で音を出す。踊りを生み出す。歌が聞こえる。
ソーウマノカイ。英語の歌をカタカナで唄う子ども。それにあわせるように。
前の女性を長く抱く山下残のダンス。マラカスを縦に積み上げる仕草。
まなみちゃんの絵を描く様子もスライドに。お兄ちゃんと残君がその絵を持って野原を移動する。まなみちゃんのサントワマミー(歌詞の意味はオトナにならなきゃねえ)がアカペラで流れ。
そのまま(映像からは3年以上たっているわけだが)、まなみちゃんが描いた熊さんのお面を残が顔につけて、サントワマミーを踊る。泣く真似をしたり。真剣なこっけいさ。赤い花を下手側の前の女性に渡す。
16:20、紙飛行機を残は男の子と中年の女性に渡す。
スライドではエプロンで紙の胞子?を受け止める残。遊びから生まれるダンスと交感のシークエンス。
この辺りになると、映像はもう記憶になくて新鮮そのものだった。
花の散らしたベッドに寝る姿とか。まなみちゃんのお兄ちゃんはいまではもっと反抗期に入ってカメラに収まらないようだけど、この時にも恥ずかしい気持ちの萌芽はあったかも知れない。
終わって撤収が始まる。山を下り駅前まで路面電車で行く。広島風お好み焼きを食べ(表面のメリケン粉はほんとに薄く少ない)、粒餡の紅葉饅頭、広島菜を買って帰る。
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