Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》J-music Challenge-1
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愛知芸術文化センターB1の小ホール。
いつもここはパンフレットも充実している。
たとえば、企画担当の藤井明子「演奏者の身体性に見出す伝統音楽の可能性」から。
田中悠美子、八木美知依(故沢井忠夫の内弟子だったのか)、一噌幸弘の経歴を紹介した後、「・・そして彼らがこのような音楽活動を展開するひとつのきっかけとなったのが、ジョン・ゾーン作曲の《コブラ》ではないかと私は考えている。この作品はゲーム式で行う即興演奏曲で、作曲は音楽進行の枠組みを決めているだけで、実際は演奏者の即興に大きく委ねられている。プロンプターと言われるリーダーが演奏者の意見を聞き、状況を判断しながら合図を送って曲を進行させて行く。楽器と演奏者によって吐き出される全く新しい音の組み合わせ。この点で邦楽器の独特の音色や間合いは新鮮だったろう。しかし一方でこの経験は、邦楽器の奏者には大きな影響を与えたのではないだろうか。つまり楽器が邦楽器というだけで、音楽としてはいずれのジャンルの音楽とも同等であるという認識である」。
(そうそう、私もこの3人とは渋谷のラ・ママの《コブラ》とか、吉祥寺のマンダラ2あたりで遭遇しているわけだ。こっちにきてからは、ジーベックのフェスティバル・ビヨンド・イノセンスにおいてであるわけだ。)
最後に藤井は、耳は柔軟で新しい音色や響きの組み合わせに順応するだろうけど、「音楽は楽器と身体がうまく出会う場でしか生まれない」から、伝統的な身体性に基づく奏法をどう今に活かすのかについてを、強調している。
ということで、まず、二十絃(筝)の八木美知依。
彼女は、ジャズピアノの佐藤允彦と一緒に彼の作品を演奏する。《バンブー・シューツ》《NAHM(ナーム)》《歌垣(かがい)》《打吟(だぎん)》。あとの二つは筝アンサンブルの5人(普通の筝3人に低音の十七絃2人)が入る。合計36分。
初めは拍手だった。53拍の曲。2曲目はナイマンのような感じ。
3曲目は変化があって面白い。筝が一人ずつやってくる。ピアノがないほうが、音の響きが滲んできれいに思えてしまう。舟歌みたいなゆっくり揺れる感じ。
最後の曲は、ピアノと筝との調律がずれてあって、これは、何ともいい響きだ。うなりとずれ。筝のスクラッチもあった。ダイナミックな所は恐竜をなぜか連想。
休みの後、田中悠美子の太棹三味線のコーナー。
序破急の「破」ね、19:39〜20:35(30分の予定では?)。下手に座る。上半身は黒のスパンコールみたいな洋装で腰に和ものの赤い布を巻いている。
野村誠が鉄琴(地べたに置いているので見えないがオモチャ風)デビュー。
隣に岐阜県音楽療法研究所にいる片岡裕介。木琴中心。木琴と鉄琴を両手で引き分けたり。そして、ピアノも最後で披露する。
《まわるさる》。義太夫節にのっとったもの。
鉄琴をやっていた野村がリズムに乗って踊らされながら、鍵盤ハーモニカに移って下座の椅子に移る。おーさるはめでたいね〜の「ね〜」で田中の「狂声」の一瞬がまず見える。高い独特の「終わりました」もお懐かし。
次は《きつねび》。田中の「狂声」全開。これも義太夫節本朝廿四孝/奧庭狐火の段。お正月に常磐津で聞いたのとはかなり違う。弦を擦るのがきっかけとなる。
鍵盤ハーモニカも三味線のように音を前後に揺らすことができる。
ピアノゲンコツ打ち、木琴鉄琴総動員の最後、高まっていく高まっていくの流動が、感極まった「ぎゃー〜〜ぎょえ〜〜」の叫びになるんだからなあ。彼女だけしかあり得ないような大声。
順番を変えて失敗した、と。憑かれた?、疲れた!
《女はつらいよ》ブルースである。田中の曲。鍵盤ハーモニカを吹かないで鍵盤を叩くようにする演奏が印象的。三味線抱えて・・実りまたずに散る花は、梅か櫻か山吹か、女というものつらいもの。
将棋作曲《世界の市場で》。連句のように、テーブルを囲んでトランプをするようにみんなで作曲してみた野村誠の作品。灰皿を三味線の胴に置き。バチは掃除の刷毛になり。いつしか去っていく田中。弦を弓で弾く。流れるピアノに合わせて、響かせない弾き方(ゴソッゴソッ)が新鮮。野村は大正琴?片岡は太鼓をやったりもしていた。
また休憩。最後の一噌幸弘は、いままでの聴取でいささか疲れてしまった。
《一管》、即興だ。これは平気だったし、やっぱり変わらぬ「急」。
へんてこなことを喋る癖に、吹かすと「いっちゃう」世界健在。循環奏法で音が続き回る。いっぱいの音なので、一音がただシンプルに伸びる美しさが際だつ。
口三味線もあったなあ。サザエさん?NHK料理番組のテーマ、ハイサおじさん・・・。
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