Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》KANG AIRAN & Fujido Yukiko-Dakei

218.
5/15(火)
《カン・アイラン−ユメノアトサキ−》立体ギャラリー射手座など3ヶ所

藤堂悠貴子+雫『−船の底−』TORII HALL

大学を出て、京阪三条で降りる。原久子さんから案内をいただいていた《カン・アイラン−ユメノアトサキ−》の初日。まず、初めての川端通りのGalerie Weissraumへ。
1年前にできた場所のようで、道路に無造作に開かれるヌードな感じは、command Nの前のギャラリー(門前仲町)みたいな雰囲気がする。

地下の空間がそこだけ空いていて、砂が敷かれている。そこには階段があって砂のそばまで降りられる。たまたま加藤義夫さんと一緒にいた千葉由美子さん(ユミコチバアソシエイツ代表取締役)から、砂のなかには入らないで欲しいと教えてもらう(18日夕方にまた行くと降りる階段がなくなっていた)。

甲高い声が聴こえる。North KoreaかSouth Koreaの少女のプロパガンダが小さなモニターつき本から流れている(The Change of Ideology〜North Korea vs South Korea)。

韓国在住、1960年生まれの美術家カン・アイランのインスタレーション。「本」をモチーフにして、本屋(特に美術書店や古本屋)、家の本棚、オフィスなどにある本の諸相を浮かび上がらせている作家のようだ。

メイン会場の立体ギャラリー射手座へ。入ったところの大きな部屋には映像があって京都(これは次に見に行くメディアショップ)や東京、ソウル、ニューヨークの本屋の映像が正面に静かに流れている。あと写真。

古本屋さんは新刊本しかない本屋(特に最近の本屋はコンビニかドラッグストアーみたいに同じものばかり置いてあって、薄っぺらい)にくらべて味わい深く、つい瞑想の森に入らせてくれる。原久子が書いているように、「本が囁き、場が響く」。

奥には、美術などの芸術や文学が大好きな人たちの書棚。協力者の書斎から借りてきたものだ。その本たちは暗く沈み、なぜかそこの所々に光る本(の形のオブジェ)が混じっている。麻袋にはみ出している古本が床に。古い本独特の匂いが視覚になった感じだ。

メディアショップに行ったが、原久子さんに教えてもらわなかったら、どこにカン・アイランの作品があるのか分からなかった。それは充電した「光る本」がうまく光っていなかったからなのだが、この京都三条周辺の3ヶ所を使い、それも東京やソウルなどとも結んでいく展示の仕方、考え方(本という時間軸に空間的な同時性を絡ませる)には心そそるものがある。ぜひ、ソウルの古本屋をのぞいてみたい。

こから。
大阪なんばのトリイホールへ。少し久しぶり。TORII HALL DANCE BOX vol.62、藤堂悠貴子+雫『−船の底−』19:29〜20:30。

雫というのは、3人の男性の舞踏手からなり、雫境(だけい)という人がリーダー。
今回の振付はこの藤堂悠貴子と雫境による。どちらも耳が聞こえない。音楽はMORIO。ギターを使ったインプロビゼーションを電子的に駆使する人。
音楽は、4人の舞踏に合わせるという形だと思われる。4人の中には体内の中に音楽やリズムがあって、それが踊りとして空間に現れ、音楽もそれと振動し合うという感じだ。

始まりのの影が印象的。美術/神津裕幸。影絵のなかで、重力とは関係なく脚が浮いているように思われる。35分ほどは男3人の舞踏。若々しい。重厚と言うよりも滑稽さとかわいさに溢れている。痒がったり武道風になったり。動物的探索など舞踏のメソッドがよく展開されていたが、最後の方はちょっと長く感じられる。

そして、20:04から藤堂悠貴子が登場。生成の衣装がふわりと彼女を覆う(Algebra)。
この前に彼女の裸身を見たときにはどこか細くて傷つきやすい心を思ったものだが、今回はまるで違った。立つまではやはり、苦しみやもがきあがき雑念が押し寄せている感じがしたが、ひとたびすっきりと立ってしまうともうそれまでの苦しみなどないように見える。

小乗仏教を修行している中性的な若いラオスの僧侶みたいだとか百済観音とか陳腐な連想しか出ない。が、その楚々として気品がある頭から流れる長い首筋に、静謐なメロディーが流れていることは確かだ。体液が流れている体内に心を澄ますことで、彼女のリズムやダンスは生まれているのかも知れない。

水をすくって耳から肩にかけるような動作を見ていると、私たちには聴こえるはずのない音楽が、彼女には見えるのではないかと思ったりした。


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