Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》KIOKU NO SYOMIKIGEN
203.
3/17(土)
《北村良子と光島貴之による「記憶の賞味期限」展》KAVC 1Fギャラリー
神戸アートビレッジセンターへ。1階ギャラリーが二つに仕切られ、北島良子(きたじまりょうこ)の作品が置かれている(すべて床)空間を辿って、光島貴之(みつしまたかゆき)のブースへと歩いていくように会場が作られていた。光島の作品は壁に設置されているが、手で触って辿っていくことが一つの主要な鑑賞手段となっている。
《日頃忘れてしまっている些細な出来事。だが記憶した脳は着実にこれらを処理し 記憶は知らない間に変化している。このことを改めて意識し向き合うことで、新鮮な現在 違った未来が開けるかも知れない。》。これが今回の《北村良子と光島貴之による「記憶の賞味期限」展》のチラシコピーである。
主催者たちがこれを企画した経緯が面白い。昨年3月にKAVCを会場にして行われたトヨタアートマネジメント講座の受講生たち、そのなかからアフターTAMを続けた人たちが残り、そしてまたまた続いてきた有志によってこの展覧会は作られたのだ。展覧会とワークショップ、もちろん伝えるためのチラシ作りや広報(かなり多くの場所へ届けられた)、当日の資料や会場の案内などなど、初めてに近い制作オンザジョッブトレーニングの連続だったはずである。
應典院で会ったことのある立命館大学政策科学学部の辻牧子さん。そしてワークショップでお世話になった林泰子さん(大阪トリエンナーレ事務局)、古田貴洋子さん(凸版印刷アイデアセンター)などがメンバー。男性の方はかなり年配の人が多く、京都造形芸術大学通信部の男性が2名もいる(ひとりは会場で説明をしていた)。
まずは、北村良子「赤枠」。CLEAN BROTHERS(SISTERS)のメンバーで、IMIを卒業している。背が高くて若く、ワイズが好きなおしゃれな女性。ワイズの靴やバービー人形などなど自分が持っている小物や絵はがきが床に並べられている。
ワークショップで初めて知ったのだが、床に並べられた物たちのうち赤枠のなかにある絵はがきや写真など(などの雑多なもの)は、自分の部屋の壁に貼られていた物である。
その物を観て連想されていく記憶が思い出した「物」を紅い線で繋げて並べていく。どんどん伸びる線もあるし、一つだけで終わっているものもある。
彼女が去年SUMISOで行った展覧会で作った作品も置いてある。私はこの作品づくりの方が求心的な感じがして腑に落ちる速度が速かった(きっと、あるミニマムな様式性が影響したのだと思う。
この作品はもらった絵はがきを小さな手動式シュレッターにかけて、円の形に再構成して作られたもの。文面が少し読めるように平行にシュレッダーしたり、読めないように縦にしたり。作者だけが分かる物と他の人も少し読める物。色合いの違いなどが、同じかたちなので明解に浮かび上がってくる。
そういう面で今回のワークは雑多なままな感じがしたが、それは、きっと彼女が不思議だなあと思った「ぐちゅぐちゅっとした脳」への接近方法なのだろう。
15時から2時間楽しんだ《北村良子の記憶で遊ぶワークショップ『記憶体質』》。14人ほどの参加で、広島から来た団塊の世代の女性たちや若い男性アーティスト、保健の先生たち。そして若い女性や男性、だぶん美術関係の学生が主だろう。ワークショップのねらいは、想い出すトレーニング。
ぐるりと囲むように座って相互に記憶が誘発されるような単語を連想する、「赤枠」していくように。美術技術はまるで不要なワークショップ(「赤枠づけ」)なので、なにやらカフェぽくもあった。
まず各々のかばんの中から一つ何かを取り出して、机の上に置く。みんなが見えるようにそれぞれの物がまた輪になる。まず北村さんがそれらの輪になった物たちのうちから気になる物を指す。彼女が指した物は折り畳み傘だったが、その傘について彼女の質問からその折り畳み傘の所有者は記憶を甦らせる。どこで買ったのか分からないと初め話していた女性が、話しているうちに傘の表示をきっかけにどうしてそれを買ったのかを想い出した。今度は傘の女性が財布を指し、次の人がカメラを指し順々に続ける。
もう一つ机に置いて説明をしあってから、いままでの話から、自分にぴっときた単語やフレーズを葉書大の赤枠のあるカードにそれぞれが書く。そして、またその中から二つの単語を選び、その簡単な説明を書く。
私は「キキララ」(北村さんが連想したもの)と「カプセル」(林さんが机に置いたもの)をまず自分が書いたカードの赤枠のなかから選ぶ。
後者の「カプセル」の方を解説すると、「カプセル」を飲み込むとき喉にひっかかる話を聞いて、が私もよく喉にひっかからせたのでそのひっかかった感触が甦ってきたからだ。つぎに「鯛の骨」と私は続けて書いた。鯛の骨は喉にもひっかかったのだが、歯に挟まり往生するから。
次に「(おばあちゃんが買ってきてくれた)鯛の目玉」→「緑が好きだったおばあちゃん」→「緑のおじさんの風評」→「地図を書かせられる」→「空白答案恐怖症」と記憶が繋がる(これは解説しないと個人的な記憶なので意味不明であろうが、それは省略します)。かなり昔の少年時代の記憶が出てきたので嬉しかった。
一方、光島貴之の作品「記憶の断面に触る」。《決して触ることのできないだろう気分と脳・・》
具体的に目が見えなくなった彼がどうやってサポートを受けながら制作してきているのか、7歳まで少し見えていた物体がいまはどんな風に触覚へと変わってきたかとか、明日のワークショップに出れれば分かったのだろう。でも展示だけでも、ビジュアル的にも美しかった。
ただ、目をつぶって触覚だけで作品を楽しもうと辿っていったが、目で見る情報量に比べるととても私は触覚による鑑賞は上手に出来ないことを痛感した。ヴォイスコーダーで音を楽しむ展示もあったが時間がなくてそれは出来なかった。
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