Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》N-mark APPLE (1)

147.
10/10(火) 
N-mark『展覧会APPLE』名古屋港ガーデンふ頭20号倉庫南(その1)

そんなに早く名古屋港まで行く必要はなかった。だから、展覧会APPLEの開会式(林檎にヒモを通してテープカットをする)までの2時間ほど、ぼんやりと黒い海の波のうねりを眺めていた。

大阪港と同じように名古屋港でも古くなった倉庫(ここは元「東陽倉庫」)が市に買い取られて、その利用の一つに美術によるソーホー的使い方が去年から試されている。
名古屋市住宅都市局臨海部開発推進室、アートポート2000事務局。そうartport 2000(7/1~11/26)というのがここ(名古屋港ガーデンふ頭 8号倉庫、20号倉庫:北室・南室)の全体の事業名だ。

「遊びの倉庫[アジト]」=アジアをつくるというテーマによる大学生達の企画イベントに、メディアアート(中ザワヒデキなども)。
市民から募集した実験的な活用プログラム(芸術創庫、オープンスタジオ、アートマーケット、アートショップ)。つまりこの「芸術創庫」の一つとして、今日私が来た【APPLE】というN-mark(98.12結成)による展覧会(かなりパフォーマンスもするアートが多い)があるわけだ(名古屋港ガーデンふ頭20号倉庫南室、10/10〜15)。

「N-mark present」というのは、武藤=野田が中心となって「アーティストが作品制作に集中できるように、展覧会開催に関わる作業(DMの制作、プレスリリースの発行など)を代行し、費用面に関しても無償で会場を提供、その他DM等の制作費、発送費等も援助して」きた作業のこと。
全国の若手のアーティストを愛知に紹介したことで地元にも大きな刺激を与えてきた。
N-markは、その活動拠点を閉じ、プログラムを主体としたプロジェクトに変身。
未発表のアーティストのプロジェクトを収集し公開していく「Project Bank」、公の場でゲリラ的に開催されるN-mark会議「Open Meeting」、カンボジアで3月頃に開催される予定の「Cambodia Art Project 2000」(仮)などからなる。

ニュートンのことばと彼のぼやけた肖像の【APPLE】のチラシ、〔「リンゴが木から落ちる瞬間」をみた。〕・・このコピーからも推察できるように、瞬間に気づかせるようなパフォーマンスが多いのかも知れない。インスタレーションでも、鑑賞者が参加してそれを引っ張り元に戻る瞬間(手への反動感触と視覚の変化)を楽しむものになっていたりする。

地下鉄名古屋港駅(構内にも長い壁の空間があって、1日2000円で借りてくれる人を募集していたがいまは何もない)を降りて緑地を辿っていく。ときおりアベックや小さい子連れはいるが平日だからか人影は少ない。会場で武藤さんからアサヒのドライ(助成はドキュメント2000プロジェクトのみだ)を300円で買って、波を観ている。

時折、波音。それに銀色の光。確かに魚だ。魚名は「すずき」と作家の木村崇人が教えてくれる(ジャイロ自転車で散歩する女性が映る木村のビデオが入り口で放映されている)。彼は、バケツにここの海の水(砂もバケツに入っていた)を汲んだから知っているのだ。

次第に夕陽。反対側の空に上弦の月(十三夜ぐらい)。乾かされていたシャツなどが風になびいていたが、野宿者(自転車に乗りラジオをイヤホンで聴いている)がそれを取りに来る。のどか。夜まで、穀物だろうか、運ぶ作業をしている。どこか単調で運んでも運んでもまだあるようだ(シジュポスみたいに)。

秋の虫が響く。コンクリの地面のひび割れた辺りから、少しこもったような、律儀な虫が鳴いている。
まわりのコオロギのリズムとは明らかに異なる。音の方を屈んで見やる。と、携帯電話で談笑していた女性が横に屈んで、あなたの方から聴こえる、と言う。
きっと、このひび割れたなかに虫が入り込んで、それで鳴いているからくぐもっているのよと彼女。
彼女も暇なのだろうか(私が魚を視たというと見えなかったらしくてもう一度海へ見に行っていた)。展覧会場で親子連れの人たち(後で聞くと今日泊めてもらう家族だった)とかに作品を色々説明していた(ひっぱったりする作品は触れることを教えないと全然面白くない)から、企画者の武藤さんや野田さんの仲間かと思って尋ねる。

と。佐藤です、この作品の。
指さす彼女、東京から来た1977年宮城県生まれの佐藤優自身だった。
入ったすぐのところに、宙に浮いた壁紙のようにライトアップされている『花』という作品を彼女が作ったのだ。ひたすらの「連続する単純作業」。写真?の花を花びらのみ切り抜いて、接着剤で繋げていく。花びらと花びらの隙間がレース(テーブルに敷いたり、カーテンにして光がこぼれたりするあのレース)になっている。

ライトアップで大きく天井の方に、花びらの連続レースが影になって映っている。グラビアの唇や牛乳パックの日付のみを切り抜き続けたこともあるという。彼女が参加したのは、昨年ここに参加した友達の紹介。ここでまた大きな影響を受けて行くことだろう。
個展よりも、作家間の刺激的な交流、多くのタイプ(今日は、随時20人〜50人ぐらいがうろうろ広い会場をしている)の人たちによる観察がなされるから。

佐藤優の作品のちょうど後ろが、同じく1977年愛知県生まれの北山美那子の作品の場所になっている(9時頃に彼女のパフォーマンスがあったが、「花」の前で行われたので、いい舞台美術になっていた)。
パフォーマンスとして、つき山いくよを観たときと同じような強いインパクトを受けた北山であるが、インスタレーションだけでもかなり手が込んでいる。まず、入り口の床から続く、白い「雪印」(雪印乳業のマーク)。床の肌合いのコントラスト効果により、よく目立つ。

踏まれると雪の結晶が崩れて、どうしても雪印ミルクの社会的な制裁(私も含めてみんな言われなきバッシングとは思われていないが)を連想してしまう。
00.9.21、00.9.22などの日付のある雪印乳業の500mlパックが並べて8個ずつ、柱の前に並べられている。
緑の椅子に、ラテックス製のかなり揉まれて変形した「乳房」(赤ちゃんが含まされる乳首つきのもの。茶色い色といいグロテスク)が2つ置かれていて、まだ牛乳の入った雪印パックが置かれている(これが今日のパフォーマンスで彼女が平然と一気飲みする500mlパックだった)。
床にはマークのほかに、「ノモーミルク」「ノーモーミルク」「ノーノモーミルク」などというふうな白い文字あり。
柱に雪印乳業のお客様対策室へ北山がメールした文章(私の作品などを宣伝などに使ったり、見に来たりしてください)と、雪印からの返信(提案はありがたいが、いまは被害者対策やこれからの予防などが先決)メールが貼られている。この雪印事件が発生する前から、北山はミルクに関わる作品を作っていた(特にミルクに関わるエピソード蒐集)という。

ビデオプログラムのコーナーがあって、午後から、テープカットまで流れている。音声は入っていなくて、休憩しながら眺める感じだ。
隣に、「盆栽」の板絵が前後に立てかけられている(溝口康彦)。実際の松の木が置かれていると、上下左右から観たりすると、色々なものがあるが、シンプルな絵だから、それ以上留まる理由がなく、そのそっけなさが面白い。

同じく、そっけなさの極北は「つりの本」(高平真帆)。福岡からの参加だが作家は来ません、と聞いていたが、それはそうだろうな。
机に、フライフィッシング技法を写真で教える20年以上前の出版本が置かれているだけのもの。あと、無料でドリンクが飲める。ただ、この本の中に書かれていた文字は全て見えなくされていて、写真だけを座って眺めるようになっている。川に浸かったおじさんが、ひたすら、棹を投げている。解説がないからよけいに、その釣り糸の放物線がシンプルに美しい。

糸の「放出と粘り」、これはたまたまだが、ノーモーミルクにも、後から紹介する蜂蜜たらりターンテーブル嘗めでも、滴り落ちるねばねば感は共通している。もちろん、リンゴの落ちる瞬間という共通テーマの方がぴったりなのだろうが。

放出、という点では、小川良子『二人の現実』も3つの引っ張るオブジェからなっているが、ぜんぶ、人が伸ばして縮むときの感触とかへにゃっという変化を視覚的に楽しむもの。参加型のインタラクティブなものの一つだが、どこか寂しげな展示風景でもあり、妙な間、微妙なコントラストがある。



こぐれ日記」の扉へ

無断転載禁止 掲載:アーク編集室