Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Nabbie's Love
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LOFTのB1、テアトル梅田1は結構な人(レイトショーもこの映画だし、大正区などの関西在住のウチナンチュも来ていると思う)。『ナビィの恋』、監督:中江裕司、原案・脚本:中江裕司/中江素子。音楽:磯田健一郎(テーマ曲の作曲とピアノ:マイケル・ナイマン、唄三線:登川誠仁)。1999、92分。
中江裕司は京都の生まれで、琉球大学以来沖縄に住んでいる。彼らの「パイナップル・ツアーズ」は楽しかったが、この映画にもその乗りの部分がある。
『ナビィの恋』は「沖縄ミュージカル映画」(の試作品〜全部ではないから)と、ばっさりテーゲーに言っていいだろう。
唄に演奏、それに伴う踊り(ダンス)もあるから、インド娯楽映画に少し似ている。もちろん、インド映画のように、恋が実っても派手に踊ったりはしないけど、自然に手が上がり動き出す「カチャーシー」の邦(くに)ウチナーの面目躍如である。
エキストラの粟国村の人たちが、自然に踊りの輪に入り、コーラスしていく感じは、日本の中でも沖縄が、ストリートに溢れるようなミュージカルを作って唯一不自然でない(恥ずかしげでない)場所であることを確認するものだ。
製作が、吉本興業の社内ベンチャー、(株)イエス・ビジョンズ代表/竹中功(59年生)と、(株)オフィス・シロウズ代表佐々木史朗(39年生。ATG社長からアルゴ・プロジェクト代表を経て)というのも、新旧プロデューサーが共同していておもろい。牛祭りの余興で司会が漫才師だったり。
出だしの調子っはずれのひょっこりひょうたん島の歌も、見ているだけで酔いそうに揺れた海上に合い、奈々子に片思いのケンジの歌としてグッドだ。
音楽は、どれを取り上げても珠玉。CDを買わなかったのはもう一度映画を楽しみたかったから
昨年秋に亡くなった嘉手苅林昌(79歳というのは公称でもっと上だったらしい)の最後の唄と三線(昔観たときは下を向けて弾いていたように思ったが)が聴ける。「十九の春」真っ白な髪、あのニコッとした目、黄色い琉球の着物。若い2人(奈々子/西田尚美、福之助/村上惇)の結婚式のときの着物もよかったなあ。
主役の一人、演技は初めてという沖縄民謡の大御所/登川誠仁(東金城恵達役)の、日常にぽろっとこぼす自然な演奏におちゃめな仕草、音にかってに動く体に、英語混じりの会話。全体が、彼の唄であり三線である。
50年一緒だった妻ナビィ(平良とみ/沖縄の名女優)が、60前の初恋の男サンラー(平良進/平良とみの実際の夫で6つ下)のもとに去っていく(美しい海のシーンだ)ことを受け入れるために、恵達はわざとおどけていたりする。
本家がユタの占いを受けるかしこまった席で入れ歯を取って戯ける・・・など、味な演技を披露。
登川誠仁が弾く三線に、ナビィが育てたブーゲンビリアの赤い花びらがあえて飾られているのもいじらしい。このブーゲンビリアは、サンラーからナビィに送られた一枝からナビィが育てたもの。だから、彼の心はとても複雑だったはずだ。
ナビィは昔大きなおっぱいだったんだといいつつ、福之助に小さなおっぱいもいいよ〜と言う大らかな猥雑さは、やがて片思いのケンジに受け継がれ、島の風土になる。
アイルランド(愛してるランド)から来たフィドルが踊るオコナー(アシュレイ・マックアイザック/カナダのケルト音楽奏者)の音楽も愉快だし、彼が惚れたオペラ歌手のレイコ(兼嶋麗子)のハバネラも、こんな商店の前で歌われるのなら堅苦しくなく実にオーケーだ。
異界との境界を感じさせるアブジャーマーのお面をつけた山里勇吉(八重山民謡は野外が強い!)も存在感のある唄を披露する。民謡だけでなく、オコナーと一緒に「ロンドンデリーの歌」を歌ったりするのも素敵だ。
粟国島は、高齢化率が一番高く公共工事しか打つ手がなかった島だったという(沖縄開発庁勤務時代の)私の思い出がある。
当時やっと空港の計画が上がってきたところだったと思う。座間味島で白い山羊を食べたことがあったが、粟国島にも映画の中に山羊が映っていた。
パンフレットによればロケ中に食べられたという。雄のようだったから、きっと金玉の刺身も食べただろうなあ(涎れ)。
先祖崇拝と迷信、ユタの世俗性、本家ヒエラルキー・・と沖縄の田舎も因習はヤマトと同じように大きな縛りになってきた。
どんどん流動的になってきたときに、因習の弊害がなくなるとともに、集会で歌い踊る大らかな芸能性までがなくなってしまわないものなのか(ハピーエンド的な映画なので社会批評性は少ないが)・・・そんな話も少しは気になりながら、でも前半からほろりとさせられ、この良質の泣き笑い「沖縄ミュージカル映画」を心から楽しんだ。
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