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これからダンスを中心にして始める【精華小劇場コトハジメ】の大掃除の模様です。ぜひ、遊びにきてください!!小暮宣雄

4.1.土 

 雑巾を持って、大阪なんばの元精華小学校・幼稚園へ。

 【精華小劇場コトハジメ大掃除】10:00に集合。トリイホールの大谷さんがすでにいて、私は4番目だった。

 ボランティアが24名になって、今日も大勢来てくれる。アーツモニターの女性も。

 まず、「BODYSCAPE〜夕焼けより美しい景色を・・・〜」(14〜16日)の会場となる小学校体育館をモップがけ。そして雑巾掛け。総合演出の舞踏家/由良部正美さんや、ディレクターとして参加のダンスのエメスズキさん、音楽のえそうさんらが来ている。

 

 身体表現講座「春塾」で、障害のある人たちとのワークショップを担当する中西恵子さんは、マスク姿だったが、そのうちボランティアのお姉さん役になって、連絡網づくりや表示づくりをコーディネートしている。

 11時にBODYSCAPEの人たちはダンスの練習に入る。

 私たち掃除組は、幼稚園の一階「遊戯室」(ちらしには「体育館」としていたが、これは正確ではなかった)と二階「体育館」の掃除に移る。折り畳み椅子を拭いたり、人数がいるとてきぱきできて楽しい。

 「本を読む」ワークショップなどの担当の桃田のんさんも娘さんとお掃除しているし、真っ白い上下の中西美穂さん(文さんとともに事務局に入る)らはモップもった「魔女の宅配便」のようだ。

 地元精華校園跡地活性化協議会の三木義夫さん(幼稚園の93年度のPTA会長でもあった)からいただいた「大阪市立精華幼稚園閉園記念誌」。その立派な冊子によると、一階「遊戯室」は小学校校舎と一緒に1929年建設されているが、二階「体育館」は創立70周年記念として1957年、遊戯室の上に増築されたものだった。

 まだ活用されていないが、ギャラリーやオープンアトリエにいいなあ、とみんなが見ている階上プール(兼温室)と階下砂場が出来たのが1962年、総工費は5,154千円だったらしい。

 小学校は1873年が創立だが、幼稚園は1887(明治20)年、相生尋常小学校保育科としてスタートしている。「精華」という名前になったのは1900年のこと。

 

 元精華小学校校長、埜(の)村高によれば、「精華」とは「物事の真価とすべきすぐれたところ、すぐれてうるわしいこと。ひかり・光彩・純粋等々」の意味がある、と。そう言えば、多治見市の小学校にも精華小学校があった。

 冊子のなかに、「輓(ばん)近育児法」という大正時代の養育手引き書が載っていて、幼児の教養として、「二.快活、模倣、名誉心、及び独立心を養成せよ」とか「五.目前を喜ぶべからず永遠の結果を楽しむべし」とか書かれている。

 園長室を、精華小劇場実行委員会事務局(06-6645-8484)として開設するために、掃除。隣にある職員室も、地元の人たちと共用しながら、打ち合わせとかに活用するようにする。

 16時から、実行委員会。地元からは三木さんと宮本さんが参加。昨日の毎日新聞夕刊にでたためか、今日は電話が鳴りっぱなし。

 特に、BODYSCAPEについては、間近なので力が入っていて今日も朝日放送がカメラで撮影していたが、チケットの動きはまだまだのようだ。

 春塾もメニューが多いので子ども向きなど一部をピックアップしたちらしを作成してターゲットを絞って広報することにする。

 5日から大阪市地下鉄駅(109)にポスターが2週間掲載。


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