Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Rosetta

95. 
5/30(火) 
リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督『ロゼッタ』京都朝日シネマ

ベルギーのことはほとんど知らない。この映画の舞台になったワッフルスタンドが日本の駅前に突如いっぱい出来たことぐらいだ。オランダに行ったことがあってそこの印象の一つに紙幣がカラフルっていうことがあったが、ベルギーのお札も様々な色がついていた。

京都朝日シネマ。リュック&ジャン=ピエール・ダルデンヌ監督/脚本(兄弟監督だ)『ロゼッタ』93分。1999年、ベルギー・フランス合作。フランス語が話される。でも、短い会話のみだ。たとえば、店員と客の単語だけの会話。

ロゼッタの息づかいが近すぎる。すぐ倒れてしまわないかと思ってしまうぐらいに集音されているのだ。音楽は最後まで聴こえなかった。タイトルバックの最後も無音。いや、リケ(ロゼッタに好意を抱くワッフル屋の店員)が録音したへたっぴんなドラム音はあった。

見終わってどうにも宙ぶらりんな気持ちになる。ブスでも美人でもない主人公。

完璧な絶望でもない。悲劇も起こらない。ガス栓を開いたような気がしたので、母親を道連れにする無理心中が引き起こされるかと心配した。が何も起こらなかった。

そのかわりに、ささやかな優しさ。リケはロゼッタ(エミリー・デュケンヌ)に職を奪われても、彼女の周りをうるさいバイク音でまとわりつく。確かに、そこには愛があるように見える、極めて不器用ではあるが。

手持ちカメラはロゼッタのすぐそばで彼女の行動を撮す。揺れ続けるのは、最後まで変わらない。遠景は数えるほど。フィクションながらドキュメントより主人公の生理に貼り付いている。

ほとんど事態は劇的に変わるのでもなく、徐々に悪くなるだけだ。

アル中の母親は病院へ行くように手配したのに行かない。季節外れのキャンプ場のトレーラーハウスに住む、というのは住所がないのとかなり近いのだろう。

それが、彼女だけ、試用期間が終わると働いていた工場を首になる原因なのか。

そのあとに小さな町で職を見つけるのはとてもとても厳しい。

働きたい。トラバーユということばがいくどもロゼッタの口から出る。それも、普通に。男の愛人になるのも、男の世話でこっそり猫ばばしたワッフルを焼くのもいやだ。

ふわふわしたミニスカートのやぼったさがいい。

長靴にはきかえて管理人(母親がセックスを提供したりしている)の目を盗んでマスを仕掛け取る。これは趣味に近い執拗さがある。鱒以外はワッフルとビールしか食べていない。最後にゆで卵を一つ食べただけだ。

リケが彼女のマスを池から取ろうとして泥の底に沈もうとしている。ロゼッタは、彼が死んでしまったら、ワッフル店員の仕事が自分に来るに違いない、とたぶん思ったはずだ。でも、結局助ける。リケも彼女の迷いを知っている。

リケは猫ばばしている、と社長に言いつけるのに、ためらいがなかったら嘘になる。

でも、彼女は普通の仕事が欲しいのだ。裏切り、告げ口、これが美徳であったためしはない。

リケはもちろん裏切られた気持ちでやりきれない。追いかけ、逃げるロゼッタ。それでも、リケはロゼッタにそれ以上復讐はしない。

横断歩道のない道を必死で渡るロゼッタ。腹痛が襲うとヘアドライアーでお腹を暖めるロゼッタ。家賃を払えないで水道栓が止まる。母親は縫い物が出来るので、古着を再生して売りに行く。そして店の人に買いたたかれる。

仕事が欲しい・・何だか精華小劇場にボランティアでいる女性達のことを思ってしまう。

旅立ちがあるわけでもない。恋愛シーンがあるわけでもない。バイオレンスも心理描写も劇的という言葉と正反対だ。

客席で泣いている女性がいた。何だかさっぱりわからない、と連れの女性に言っている女性もいた。私ももう少し物語が欲しいという気持ちも途中起きたが、何となく、舞台装置も時間も飛躍しない静かな(寡黙な)演劇に通じるものを感じた。


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