Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》SQUARE & SARA-CHI
208.
4/14(土)
スクエア月組公演『贅沢』アトリエ劇研
&
太田省吾作品『更地』(韓国版)京都芸術劇場studio21
アトリエ劇研へ。演劇祭が続いている。
スクエア月組公演vol.2『贅沢』15:07〜16:57。劇団員全員(上田一軒、森澤匡晴、北村守、奈須崇)で月組と称している。ショートコントオムニバス。この月組vol.1を森ノ宮のプラネットステーションにてかなり前に見ていた。
舞台には赤いカーテン(上部)、白い柱(手前両側)、4人のスター?写真。
「オープニング〜チャリンコおじさん」は、一瞬。でも、そのインパクトは最高。4人ともチャリンコいっぱいの空き缶の山。今まさに空き缶専用ゴミ箱を4人が狙っている。3すくみならぬ4すくみ。
なおこのシーンは、最後の同じ風景の一瞬あとの「落ち」(かっこよく言えばカタルシス)まで飛ぶ。
場転も兼ねて声だけの《スクエアサウンドシアター「本気家族」》がはさまる。続き物になっていて、親父と3人の息子の午後の旅行の話なのだが、情けなくてどじで優しい男だけの光景。ラジオドラマを思い出す。
「風に乗る」ことがとうとう出来た父親という大げさな表現と、夜景を見る慎ましい「贅沢さ」の取り合わせが絶妙。
ただ、中盤が少し面白さをなくしていたし、場転としてはそれぞれの時間をもう少し短くしてもいいのではないかと思った。
1)スタンドマン修行。
ガソリンスタンドのバイト君たち。一人だけ口も達者で抜け目ない男がいる。その彼がレジが合わないと言ってお金を巻き上げるのを最後に鉄拳を振るうのが、ベースをしている無口の男。あとの二人はスクエアで最も典型的なできの悪い役柄。でもむやみと修行熱心で憎めない。
2)主任の転勤。
引っ越しをした主任。でも今度は一間しかなくて4t車の荷物が入るわけがない。独身なのに結婚したときのことを考えてダブルベッドだったりすべてビッグサイズなのが哀しくおかしい。主任の部下と二人で暗闇のなか、100円ライターを付けたり消したりする入りが独特。
3)ゴウコン。
カッコつけている先輩?よりも結局若い方が女の子に持てるのねという単純なコント。先輩後輩の関係も、女との関係では話が別。
4)花園工業高校。
この前の扇町ミュージアムスクエア、TIP COLLECTIONで楽しんだバンカラ男子生徒4人組の純情物語。「たかだか劇ゆうな」という台詞や、唾とばしまくりの初々しい演技ぶりが何度観ても笑えて楽しい。
次に、京都造形芸術大学へと移って。京都芸術劇場studio21。
演劇『更地』(韓国版)、作・演出:太田省吾、協力演出:金東洙、音楽:朴暢秀(現代音楽風の音の配置のなかに工事音などの音響的な要素も加味したもの。あまりうるさい感じがなく良かった)。
そして、美術は初演(1992)からの内藤礼。並べられた昔の暮らしの破片。冒頭、プランターの草を眺める妻の姿が印象的だ。
途中に大きな白い布が奥から引き出され、すばやく登場人物二人が駆けることで更地だった地面を白く覆い、異なる世界が現れるさまは圧巻。
もちろん、白い布に覆われた世界にも、自ずと生活の山や谷、隠された存在によって作られる襞、光と影が生まれてくるのだが・・。
上手の上の方に日本語字幕がある。美術にとっては邪魔な存在だがそんなに気にならない。また二人ともクリアな身振りや動物を表す力動的な演技(力強く大げさだと日本人の役者と比べると思えるが快活なので臭くはならない)があるから字幕ばかりを観ている必要もない。18:11〜19:32。
もしこのステージで問題があるとすれば、少しまだ席に余裕があるから、もう少し学生以外の人、特に若手演劇人が見に来て欲しかったということだろうか(明日には公演後にシンポジウムがあるから、今日は比較的少なかったのかも知れない)。韓国から来た二人のすばらしい俳優の演技を観るチャンスはそんなにないだろう。
日本人の役者(転形劇場的な渋い役者をどうしても想像してしまう)で太田省吾作品を観ると、哲学的な思索を秘めた作品故に、どこか必要以上にゆっくりとした役者の振る舞いが重々しく、舞台自身の戯れを楽しむ余裕を私たちに与えてくれないことがある。もったいぶっているわけではないのでしょうけど。
それに、あるパタンが自分にはこびりついていた。たとえば、太田省吾に登場する男はいつも髭を生やしどこか社会的には阻害されていて、そこはかとない空虚感が最初から漂っている・・。
だから今日登場した韓国人夫婦のように、夫(南明烈ナム・ミョンヨル)が長身で一見何の屈折もない感じのキャラクターにはお目にかかったことがないように思える。
一方の妻(金水技キム・スギ)は小柄で少し中年独特の丸い体型。日本人とも通じるしっかりとしたキャラのなかに、子どもらしい無邪気さがこぼれるあたりが魅力。でもしゃべる迫力はかなり激しいものがある。
明るくて快活な夫婦。
でももちろん、二人の記憶の不確かさにおびえ、じぐざぐと、それぞれの存在と非存在の位置を確かめ合っている。
15秒という長さの曖昧さ。
おんぶすること抱き合うことの
「非恋愛」的使用法。
生まれてからのエピソードを互いに思い出す二人。
その二人の記憶に、私自身の記憶が自然と引き出されてくる。自分たち夫婦の記憶をこんなにもフラッシュバックさせてくれる芝居を観たのは初めてだった。
たとえば、バス停でかすかに挨拶していた女子生徒のエピソードを聴けば、自分の同じような経験が浮かび上がってくる。
蝉が鳴く二人の帽子からは、夏の利賀村で降りた時にバスに残してしまった野球帽のことを思い出す。
とんとん、とんとん。それぞれの過去の扉をノックしていく。
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