Arts Calendar/Art's Report site/《KOGURE Journal》Sakamichi-Store,MONO,Seiryu-gekijo
2/11(日)
神戸アートビレッジセンターにて、マチネとソワレ、具合良く2本お芝居が観れた。
まずは、芝居屋坂道ストア商品第13号『あくびと風の威力』作・演出:角ひろみ。15:05〜17:02。前にOMSでやっていた再演を観ているが、かなり手が加えられている。舞台の前にオートバイが2台。それを使って風に乗って飛んでいくのだ。
冒頭からの10分ぐらいは、やっぱり自分にはぴたっとは来ない。声は大きいのに言葉が聞き取れない。でも、岡知美(主人公のなお役。彼女はいつもぼんやりした役柄だ)がささやくようになってから、すとんと自分の中に落ちてそれからはぐんぐん入り込んでいった。
KAVCチャレンジシアター2000。
地下の、いつもは映画をやっているKAVCシアターにぎっしりの人。
無言電話、6年1組合唱大会(口からお祖母さんを出すようにという指示はいいね)。モリゴン(客演の宇田尚純)の恐怖の進路相談(少女野球の夢とタイガース)。ボウフラ瓶を流すシーン(角ひろみ)はやっぱり心を打つ。
なおの口癖の「別に。・・」そして「わらけるよなあ」。
小さなときの時の夢はいつ諦めるのか。子どもも小学6年生になれば、すでに夢を見ている振りをして先生や親を安心させているし。
見えないボウフラ、見えない空気も流れると風になる。風を感じる。椎の木が鳴る。
坂道ストアは裏道公演もあり。ホームページは公式寄道ストア。坂道のバリエーションは楽しそう。(これからは私のかってな言葉遊び)獣道に大道小道、迷い道、二股道に凸凹道、抜け道逃げ道茨の道、帰り道に戻り道、隠れ道。血の道外道。無限軌道。
MONO第27回公演『なにもしない冬』、18:04〜19:35。
作・演出:土田英生(町役場の文化観光課職員。村の嫌われ者の一人)。2階のKAVCホール。田舎の町の空き地。MACHIKO CIRCUSがセットされている。でも酒井団長は宝くじを当ててサーカスにあこがれ脱OLした素人さん(酒井を演じる増田記子のいらいらぶりや団長をやめてほっとするあたりの感じがとても好きだ)。
「どっかりして」などの田舎創作言葉も健在。サーカスは素人だけなので始まらない。
町には放火が続く。閉塞し、むしゃくしゃ、いらいら、むかついて。自分のやりきれなさがそうさせるのだろう。
でもいったんむかつきで切れると仲間はずれ、いい攻撃の材料が見つかったというわけで。でもそれもくじのようなもの。悪いくじをみんなで楽しむしかないのだから、結局は真っ白な闇(ノイズ)しかない世界。
干し柿はおいしいけど、柿ジュースはどうだろうか。
2/12(月、振替休日)
大阪市立芸術創造館は満員。床に座り横たわるシーンが2つの芝居とも多かったので、椅子席からは少し見づらい部分もあった。
清流劇場2001年2月公演、第3回大阪演劇祭クラシック・ルネサンス『国境の夜』(15:07〜15:50)、『骸骨の舞跳』(16:04〜16:45)。作/秋田雨雀、演出/田中孝弥。
いつぐらいの戯曲なのかは知らない。でもまったく古さを感じさせない。特に演出する田中において、ここに取り上げている「卑怯な人間」「自信のない日本人」「偏狭なココロ」という主題がなにもかも解消されていないことばかりであり、彼の中で歴史的な素材を回顧するなんていうような余裕などなく演出しているからだと思った。
『国境の夜』は、北海道の開拓地の冬の話。吹雪、父(はしぐちしん)は誰にも邪魔されたくないというのが哲学だという。誰の邪魔もしていなかったのだから、人が凍え死のうが、家には入れてあげない。
震え声を上げそうになる長女(武資子)をぐっと抱える母(山下りき)。その沈黙が痛い。悪夢のシーンは若干いまからみると説話的ではある(盗賊が子供達の首を男に絞めろと脅す)。
『骸骨の舞跳』は、関東大震災の直後に、流言飛語から朝鮮人たちを自警団が国家という名前を笠に着て惨殺する事実をもとにして構成されている。
市長の妻、医長(軍人そのもの。威圧と平服、それに抗するものへのこづき)、4人の自警団員(甲冑姿、陣羽織男、柔道着学生、在郷軍人。臆病さの生身をあり合わせの衣で覆っている蓑虫みたいな連中)。醜い姿が浮き彫りになる。社会主義リアリズムという解説が一応つくものなのだろうか。そんなことはまあどうでもいいけれど。
もちろん、一番怖いのは、恐怖の中で傷ついて黙ったまま横たわっているが、ちょっとの刺激で狂気の群衆となりうる人たちである。白いシーツにくるまって眠り、黒い上下の衣装で個性は見えなくなっている。
自警団員によって(本部は知らぬ存ぜぬを装って、黙認しているのだろう)、傷ついて無抵抗の朝鮮人が殺される。その朝鮮人と一緒に青年(松蔵宏明)も殺される。その瞬間に見るのが、骸骨みたいに骸な姿でぎくしゃく踊る自警団たちなのだ。
このとき避難する人びとは狂気による虐殺には荷担しなかった。それは救いのようでもあるし足がすくんだだけともとれる。たまたまかも知れなかった。お気の毒です、という哀しみばかりが床に染みこむ。「でも やっぱり ・・」。口ごもるなかのわだかまりをなんとかしたいと思いながら見ていた。
闇ばかり、なのか。
かすかな光の、
破片は、まぼろしか。
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